NO.028 バトル・オブ・チョイス
彼女は困惑していた。傷つけられる怒りや恐怖よりも早く彼女の中に生まれた感情がそれだ。一寸の間すらもおかずに無数の打撃が彼女の体を打つ。防いだ両腕ごと砕かれるような蹴りに、骨ごと断ち切られそうな手刀、防御の合間を縫い装甲にめり込む拳、連撃は嵐のごとく呼吸の暇すら与えてくれない。腕部、脚部、背部、胸部、全ての装甲が敵の猛攻に悲鳴を上げていた。このままでは遠からず装甲を抜かれてしまう。
どうしても打ち負ける。性能はこちらが勝っている、単一の能力しか持たない敵と違いこちらは九つの能力を使い分けることができる上に、基本スペックでも彼女は大きく敵を凌駕している。性能で劣ることはありえない。ではなんだ、経験か、いや違う。彼が体験し戦いの記憶は彼女も体験した。その経験の上で合理的に稼動できる彼女のほうが兵器としては上だ。だというのに、圧倒されている。反撃することすら許されず、一方的に追い詰められていた。その理解しがたい状況に彼女は困惑していた。
「――10ォ! 距離をとれ、コード07だ!」
「――っ了解」
悲鳴のような秘匿通信に答えて、モジュールを切り替える。使用するのは七番目の雷。原子崩壊を誘発する破滅の雷撃だ。
一瞬で体内の機能が再変換され、七番目の機能を再現した。両の掌に蒼色の雷を収束、瞬間で放出した。敵のいる前方の空間が雷で埋め尽くされ、その余波が周囲の荒野を焦がし、熱が空気すらも焼き払った。視界がはれ、再び敵を捕捉するよりも早く、彼女の体が宙に浮いていた。
「――敵から目を離すのはまずいな、背中ががら空きだ」
「――なっ!?」
現状を認識するよりも、背後の声に反応するよりも早く、次の衝撃が彼女を襲う。宙に浮いた足を01につかまれる、そのまま遅い来る横方向の重圧、景色が回っていた。一回転、ハンマー投げもかくやという動きで01は10をぶん回す。インパクトは凄まじいが、この行為自体に脅威性はない、すぐに反撃に移ろうとする。掌からではなく全身からの放出、多少威力は弱まるが、これならば先程のように背後に回りこまれても問題はない。
「――オオオオオオッ!!」
「っう!」
しかし、チャージが完了するよりも早く彼女の体は解放された。回転の絶頂、遠心力と化け物じみた怪力で思いっきり投げ飛ばされた。凄まじい速度で景色が流れ、体勢を変えることすら間々ならない。一瞬の間、彼女は宙を眺めることしかできなかった。
その一瞬で、死神の鎌が彼女に追い付いた。流れていく灰色の空に白銀の太陽が俄かに現われる、それが何か理解するよりも早く彼女は自分の本能に従った。少し遅れて、センサーが最大警報を鳴らす、直撃すれば彼女とて無事ではすまない。回避のため最適な能力を脳が導き出し、体がそう作り変えられるまでの時間はゼロコンマ以下、それですら間に合うかも不明だ。
八番目の慣性支配を使い、全速力でその場から飛び退く。それでもなお遅い、01の一撃が右腕を掠めた。掠めただけだというのに右腕部に深刻な損傷と激痛、接触した右椀の装甲がはじけ、骨が露出している。さらに、エネルギー爆発の余波で慣性制御の機能が一瞬エラーを起こし、彼女は空中でおぼれる羽目になった。上下左右の感覚が乱れ、空中に留まることすら危うい。姿勢安定までの数秒簡素の間はどうにか足のスラスターで体を浮かす。このまま墜落してはそのまま追撃される、このまま空中と言う優位を活かすほうが得策だ。
眼下の景色は粉塵と瓦礫に覆われ視界はゼロ、センサーも先程の衝撃で麻痺している。敵の位置がつかめないが、空中にいる限り翼を持たない01に対しては彼女が圧倒的に有利ではある。
「――ッ!?」
しかし、そんな定石は01が相手では通用しない。不利なはずの空中へと彼は迷わず跳躍していた。自由に動ける10と違い、01にはスラスターを使って浮くか、地面に墜落するかしか選択肢はない。地上と同じように格闘戦などできるはずもない。
01を叩き落とすべく、無事な左手を振るう。慣性支配により、威力は充分。あたりさえすれば装甲を破壊できる威力はある。
「――甘い!」
打点をそらされ、体を蹴り付けられる。完全に行動を読まれていた、どの能力を使おうともその上をいかれてしまう。性能ではこちらが勝っているはずなのに全て行動を予測されているその事実がどうしようもなく彼女を困惑させていた。
彼女を足場に01はさらに上へ。そのまま空中で反転、スラスターを全速で吹かし、その勢いのまま突っ込んできた。
「痛ッ!」
咄嗟に防御した右腕に激痛が走る。すぐさま痛みを遮断しようとするが、間に合わない。痛みによろめいた一瞬で頭を摑まれる。そのまま急転直下、摑まれた部分からのエネルギー干渉で、慣性支配は一時的に使用不能、その一瞬で地面と凄まじい速度で叩きつけられた。
「――あっ」
受身をとることもできずに、背中から地面に叩きつけられた。衝撃に動きが止る、通信越しに博士の悲鳴が聞こえるが、どこか遠い世界の出来事のようにすら思える。目の前には、再び出現した白銀の太陽、膨大なエネルギーは周囲の空間を揺るがしながら、01の右足その一点に収束していく。
「――終わりだ」
体の機能回復まであと一秒、当然間に合うはずはない。三番目のクリムゾンも含めてあらゆる防御機構も同じだ。
一秒を切り刻まれたような錯覚、ありとあらゆる時間が引き延ばされ、ゆっくりと、だが確実に死が迫ってくる。足元から這い寄る感情の名前を彼女は知らない、絶対の死を目の前にしてもなお彼女は困惑の中にあった。這い寄るような激情が彼女の心を支配していく。必死で解決策を探る理性とは別に、感情は既に結果を受け入れてしまっている。
心残りは一つだけ、短い彼女の生の中でも一つだけ解決しがたい疑問があった。あの時、あの試作体は一体何を自分に話しかけていたのだろうか、その答えだけがどうしても知りたかった。
「――えっ!?」
「なにっ!?」
光で埋まっていく視界の中で、黒い何かが彼女の目の前に飛び出した。まるで彼女を庇うようにその何かは光の前に飛び出したのだ。
必殺の一撃は彼女ではなくその何かを容赦なく貫く。何かがそれを貫くその一瞬、彼女は自身を救った何者かを認識した。
小さな体と亀のように分厚い装甲、後姿だけで分かる。間違いない、あの時の試作体だ。それを認識した瞬間、動かないはずの右腕が天へと伸びていた。恐怖よりも強い何かが彼女のうちで産声をあげ、痛みを越えて体が動いた。
欠けていた何かが埋まり、永久炉の錠が外れる。完璧なはずの彼女はその完璧を越えようとしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――な、なにがどうなっている!? 何故映像が途切れたんだ!?」
「一時的な電波障害です、すぐに復旧します」
足元から崩れそうになりながらもどうにか博士は正気を保っていた。敗れるはずはない、彼の作った彼女は完璧だ。負ける可能性などなかった、彼女はあの01を倒して、彼はあの十五年前の雪辱を晴らす。そうして全てが成就する、そのはずだった。
だというのに、これはどういうことだ。彼の作品は終始圧倒され、殺されるところだった。すんでところで一応待機させておいた試作体が身を挺して攻撃を防いだが、この映像が途切れている間に何が起こっていてもおかしくはない。
最悪の映像が目に浮かぶ、彼女の残骸に近くに佇む01の姿。十五年前の再現、彼の作り上げた兵器が僅か三十秒でスクラップにかえられてしまったあの日のことがどうしようもなく思い出される。太平洋連合がスポンサーに付き、膨大な予算と最高のスタッフを用意して、完璧なドローン兵器を作り上げた、そのはずだった。だというのに、彼が作り上げた最高傑作は瞬く間に破壊され、重大なコンペティションに敗北した。今日と同じく性能という面では完全に上回っていた、負けるはずはなかった。だというのに負けた。
理由も分からぬまま、その全ての責任を押し付けられ結局彼は開発局からも追い出されてた。名誉も、職も奪われ、侮蔑と失望の視線のみが彼に与えられた。全てを奪われ、残ったのは歪んだ憎悪といいようもない悲しみだけだった。それが天才と謳われた彼の味わった最初の挫折だった。
酒を呷り、自分を侮辱した太平洋連合の重役たちと01、そして開発者たる彼女を憎み続けるだけの日々の果てに彼等が現われた。復讐をさせてやる、そのたった一言で彼らの提案を彼は受けた。
彼の与えられた役割は一つ、完璧な器を作り上げること。そのために彼は自身の失敗を徹底的に研究した。苦渋と痛みを越えた結果得られた結論は永久炉の存在だった。それからは全ての時間を永久炉の研究に費やした、しかし、どれほどの時間をかけても最後の解式を解くことができなかった。凡百の科学者と同じように、彼女の辿り着いた答えにはイワン・アルダノビッチは辿り着くことはできなかった。
復讐のためには誇りも意地も捨てた。だからこそ、あの老人たちの力を借りてまであのサーペントに接触した。組織とUAFから全てを与えられた裏切り者の賢者は何を面白がったのか、は思いのほか簡単に彼に答えを与えた。知ってしまえば、これほど人を馬鹿にした答えなどあるまいと思えるほどに簡単な答えだった。それでも彼には進む以外の選択肢は存在しなかった。
与えられた城砦に引き篭もり全ての時間を研究と開発に費やした。その果てに生まれたのが彼女だった。彼の復讐の結晶、彼から何もかもを奪った連中から何もかもを奪う復讐の女神、それが彼女だった。その彼女までもが今また眼前でまたあの01に敗れ去ろうとしている。また何もかもを奪われるかもしれない、その恐怖が彼の心を食いつぶしていく。
「――博士、私だ。聞こえているな?」
「――は、はい、聞こえております」
低く威厳のある声が博士を正気に引き戻した。ようやく通信が繋がったのだ、老人たちではなく、真に組織を率いる最後の生き残りたる彼からの通信だ。
「貴殿の置かれた状況は既に把握している。既に援軍がそちらにむかった、奴等の兵が艦橋へと達する前に奴等は頭を失うことになるだろう」
「は、はあ、それは感謝いたします」
確かにそれは安心できはする。敵の部隊は進撃を続けもう既に喉元に迫りつつある。直接的な脅威が消えてくれるというのはそれだけでありがたい話であった。しかし、10の現状については口にしづらい。模試からに見捨てられれば今度こそ博士は死ぬしかない、それだけは避けなければならない。
「――あの方の状況は? 順調に選定は進行しているのかね?」
「そ、それが、現在、え、映像が途絶えておりまして……」
「――そうか、苦戦しておるのか」
瞬間、驚愕と恐怖に脳が停止した。声だけの通信だというのに完全に見透かされていた。嘘をつく余地すらもない。
「ど……どうしてそのことを」
「どうして? 愚問だな、博士。我らは”組織”だ、当然であろう。まあ、貴公を責めているわけではない、安心するがいい、此処までは計画通りだ。むしろこれでようやく条件は整ったというところだ」
「い、一体、なにを仰っているのか……」
言葉の意味を理解できず、困惑する博士を尻目に彼は話を続けていく。
「博士、貴公には分からんだろうが、選定は兵器の性能実験とは違う。競い合うのはあくまで戦士と戦士でなくてはならない、求められるのは兵器としての優秀さではなく、戦士として強さだ。その点で言えば、あの御方はまだ不適格だった。しかし、恐怖を知った今ならば――」
酷く楽しげな声に博士は余計困惑を強めた。彼女の敗北は即ち選定の失敗のはず、それがどうしてこの声はこんなにも楽しそうにその危機を語るのだろうか、彼の言葉通り全くもって博士には理解できなかった。
ただ心中では覚めやらぬ恐怖と死を免れたという安堵感が入り乱れ、綯い交ぜになっていた。足餅から崩れ落ちたくなる衝動に堪え、どうにか立っているのがやっとだが、恐怖に呑まれることは避けられた。今だ映像は途絶えたままだが、彼女の勝利を信じることしかできない。
「――映像復旧します」
「――ほう。私も観戦させてもらおう、どちらに転ぶにせよ、見届けるのが我が役割だ」
視線を上げる余裕すらない。もし、彼女が既に敗れていたら彼の敗北も決定してしまう。だが、モニターに映し出された映像は敗北よりも驚くべきものだった。
今回は短めでありますです。申し訳ありませぬ…。
では、こんなだめ作者と拙い文章ですが、どうかこれからも暖かい目でよろしくお願いします。
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