NO.025 マシーナリー・モンスターズ
薄緑色に輝く溶液の中から覗く世界はとても不確だ。病的な白さの壁と天井には奇妙な模様が刻まれ、無数に並んだ彼女の浮かぶものと同じ形の空のポッドすべて歪んだ悪趣味な彫像に見える。どちらが上なのかも下なのかも、浮いているのか沈んでいるのかも不確かになっていく景色の中、唯一動き続けるものを彼女は観察する。そんな事をこの一月もの間続けてきた、最終調整を終えた彼女にはそんな不自由しか許されていなかった。
「――、――」
届きはしないというのに、絶えず何事かを口にしながら、目の前の奇妙なナニカは作業を続けている。彼女より小さな背丈に身の丈ほどの大きさの甲羅を背負っている、滑稽な印象を抱かせるような機敏さとまるで亀の甲のような分厚い装甲は酷くミスマッチだ。
「―、――」
奇妙な同胞を観察しているとあることに気付いた。あの時、あの敵と戦ったときに彼女に同行していた五体の唯一の生き残りだ。インストールされた知識を検索すると、すぐさま該当した。
試作品番号、D-01385。防御に特化して設計された試作品で、全身の積層生体装甲表面に限定異相九巻を展開することで防御性能に限れば後のシリーズをすら上回るものの、攻撃性に乏しくまた素体の好戦性の著しい欠如のためプランに不適合、とある。彼女はこの評価に何の感想ももてない。彼女の幼い情緒には、哀れみを感じる基準も、何かを見下すような知識も備わってはいない。
「――――」
ただ単純な知識に照らし合わせても、此処にいるサイボーグの中でも最高クラスの性能を持つ一体が彼女の世話係というのは少しばかり奇妙な話ではある。この程度の作業ならドローンで充分だ。重要な戦力をこんな風に遊ばせておいていいのかまで彼女には判断する能力はないが、それだけ現状が磐石なのだろうかと推測することはできた。
「―――、――」
甲斐甲斐しく世話を焼いているのであろう試作品の挙動を見守りながら、彼女は好奇心を弄ぶ。一体この試作品は何を自分に話しかけているのだろうかと、与えられた知識で思考を巡らす。
しかし、すぐに諦めた。断片的な知識では断片的にしか思考を動かすことはできない。短い間に十数度答えを出して、どうやっても納得できる答えにはいたれず、結局思考そのものを放棄した。
自我を持たない彼女はどうやっても一人では答えには辿り着けない。だから、目の前の試作品を期待をこめて見詰める。挙動からあらゆる情報を読み取ろうと細心の努力を払う。
「――」
唇の動きは読めない、当然だ。少し右足を引きずっているように見えるが、そこ以外には何の故障も見えない。他にカタログスペック以上のことは見て取れない。試験体から発する脳波は穏やかで楽しげなもので、害意や敵意の類は欠片のほども感ぜられない。初めて感じる脳波の種類だ。自分が処分した試作品とは当然違う、マスターやあの01とも違う。暖かく安らぎを覚えるような脳波を感じていると緩やかなまどろみが訪れる。
心地の良いまどろみに身を任せていると、燻っていた好奇心も瞳を閉じてしまえば洗い流されていく。ポッドに満たされた溶液は彼女の体に浸透し、不純物を排除する。それは精神においても同じだ、委ねてしまえば与えられた役割に不要なものは削ぎ落とされる。
彼女はその役割のために創り出された。与えられた能力のすべてはそのためにあり、人格も情緒もそのために不要なすべてを削ぎ落とされた。”組織”の悲願を果たすために生み出された人造の神の御子、それが彼女だ。
少しづつ機能の全てが停止していく。次に目覚めるときには彼女の役割を果たすそのときだ。
しかして、その時は彼女や彼女の創り主の予想よりも早く、そして鮮烈に訪れた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夜の大海原を駆けるように進むその船は奇妙な形をしていた。通常艦艇よりも遥かに鋭角な船首、巡洋艦並の大きさを持ちながら駆逐艦程度の厚みしか持たず、後部ばかりが膨らんだ船体、その頼りなくすら見える船体を左右の双胴が支えている。約80ノットで海上を駆けるその獣の名は、クテシアス。一角級対艦強襲艦、複合チタン装甲にダイヤモンドコーティングを施した船首とその規格外の速度でもって、敵艦艇の船体に体当たりを仕掛けると、そんな狂った設計思想の元に建造された艦艇、その三番艦が彼女だ。
だが、今こそ彼女の面目躍如だ。狙うは、一つ。巨大な機械の鯨、その横腹。同じく複合チタン装甲をぶち破り、内部へと角を突き入れる。怪物の横腹に穴を穿つ、一本の銛となるべく彼女は周囲の護衛艦を置き去りにする速度で直進していく。
迎え撃つは魔の海の主たる機械の鯨。島の如きその巨体は黒色の装甲に覆われ、さながら巨大ならラクビーボールのようにも見える。黒い外殻の側面には無数の魚雷口とミサイル発射口がびっしりと並び、尋常ならざる火力と鉄壁の防壁を持って不遜な挑戦者を蝿のごとく叩き落す。
「――この至近距離まで近付いておいて、あんな骨董品でこのギガポートに挑むつもりとはな。失望させてくれる」
無人の艦橋のモニターに映る映像を見つめながら、イワン・アルダノビッチ博士はそう侮蔑した。廃棄された後”組織”の手により幾度もの改修を経たこのギガフロートはその大きさに反して、徹底的な無人化と自動化を施されている。区画ごとを別々のAIが管理し、ドローンが細部を運営する。それは戦闘においても同じだ、迎撃に際しての判断、火器管制もすべてAIが担当する。博士は艦橋に座っているだけで、勝利を手にすることができる。
彼我の距離は一キロ弱、何故この距離に近付かれるまで感知できなかったのかは分からないが、そのからくりなどどうでもいい、叩き潰すまでだ。
「――ミサイルサイロを展開、追尾魚雷を射出準備、機雷群を撒布。再潜航まで二分」
「よろしい。しかし、何故このタイミングだ。あちらの情報はすべて筒抜けと言う話ではなかったのか」
「ミサイル及び魚雷を発射、機雷の撒布完了。偏光レーザーカノン、ロック」
船一隻にたいして過剰火力にもほどがあるが、相手が相手だ。用心に越したことはない。過剰なくらいが適切だ。
モニターの向こうで雲霞のごときミサイルが四隻の船に殺到する。一つでも当たれば、護衛艦だろうが巡洋艦だろうが簡単に轟沈できる。ギガフロートは本来、NEHを含めたあらゆる人類の敵を退け、人類を存続させるための箱舟だ。通常戦力なら、世界中のありとあらゆる戦力をかき集めたところで傷つけることのできない攻撃力と防御力を兼ね備えている。
けれども、油断はできない。その最強の盾を打ち破れる最強の矛が敵にはある。
「――ミサイルは空中で爆散、魚雷は目標に到達せず。第一目標上に膨大な熱量が発生、ミサイルを迎撃しました。データベースに照合、ゼロシリーズサイボーグ、NO.01と確認」
「……当然だな、彼がいなければ始まるまい」
先頭を行く一角獣の船上に奴はいた。震える手を押さえつけながら、画面の向こうの宿敵と睨みあう。前方に散弾銃のように拡散させたエネルギーを放射することで、ミサイル群を打ち落とし、海中の魚雷を混乱させた。さすがはあの01、見事な対応力だ。
八割方のミサイルは叩き落されたが、残りの二割が護衛艦に着弾した。二隻の護衛艦が炎を上げながら沈んでいく。残る二隻が遅れて反撃を行う、無数の対艦ミサイルが発射された。
「フ、あんな旧式の兵器で何ができる」
「アクティブレーザー稼動、ミサイルを迎撃」
当たったところで装甲に傷がつくわけでもないが、当たってやるほどお人よしでもない。着弾寸前のミサイルをレーザーが焼き払う。この程度の攻撃なら百年続いたところでギガフロートに触れることすらできはしない。
「マザー、標的を先頭の艦に火力を集中。確実に破壊しろ」
「了解しました、マスター。先頭の艦を最優先対象とします。レーザーカノン、発射」
上部からせり出したレーザーカノンの大砲塔が01に照準を合わせた。すぐさま充填された大出力のレーザーが海水を蒸発さながら、先頭の艦へと直進する。
「――当然防ぐか」
赤い光の奔流を白銀の輝きが引き裂く。引き裂かれたレーザーの欠片が海面に落ち、海水が蒸発していく。先端にたった01の右腕、それを覆う永久炉の光のまえでは大出力のレーザービームでさえ、無力に等しい。太陽にミサイルを撃っているようなものだ。
「ミサイルロック、艦側面を狙います」
だが、いくら01が強力でも所詮は一人でしかない。防ぎきれる物量には限界がある、対してこちらは無尽蔵、すぐに限界が訪れる。
数度続いた攻防の果て、撃ち漏らしたミサイルと魚雷が残らず護衛艦を撃沈し、残る獣も傷だらけ。今だ真っ直ぐ進んでいるのが奇跡のようなものだ。艦橋に構えた01だけが傷一つなく存在し続けていた。
彼我の距離は三百メートル、怪物の喉元まで迫りながら彼女に限界が訪れた。四基のエンジンのうち二つが火を噴いて停止した。両の足を奪われた獣の動きが鈍り、速さと言う強みを奪われた獣に数え切れないほどのミサイルと魚雷が喰らい付く。ここまでくれば01の抵抗ですら意味を成さない。
瞬間、海原に火柱が立ち上がった。百を越える短距離ミサイルと誘導魚雷による共演の齎す破壊の前ではたかが強襲艦など原型すらも残りはしない。
「目標の殲滅を確認。ミサイルの影響によりレーダー、及びソナーが一時的に使用不可。復旧まで三十秒。敵残存勢力を追撃開始、ドローンを射出」
敵艦の消滅を確認したマザーが追撃を開始する。ダメージを負わせること程度はできたかもしれないが、あの攻撃で01を仕留められたとは到底考えられない。逆にその程度でしとめられる相手なら、”組織”が敗れるようなことはありえない。
モニターの向こうでは、01に反応したであろう機雷が爆発し、次々と水柱が上がる。効果のほどは定かではないが、少なくとも足止めにはなっている。機雷群を抜けても無数のドローンが今度は足止めを担当する。沈降するまでの時間が稼げればいい、01の能力では深海を進むギガフロートを追えない。後は空間転移で、こちらのタイミングで仕掛けることができる。わざわざ守りに回る必要はない。
「標的を確認。ドローンを包囲陣形に展開、引力ネットで対象の捕縛を試みます」
もしかしたらという思いが脳裏によぎった。このまま全てが上手く運べば、あの01を捕縛することすら可能かもしれない。水中戦では専用の機構を持たない01ならば、可能性はある。現にドローンたちは01の動きを妨害できている。このまま行けばあるいは――。
「目標沈黙、このまま牽引します」
「――そ、そうか。収容後はポッド内に拘束して眠らせておけ、それと彼に回線を繋いでくれ」
捕らえた。あの彼にも、あの総統でさえも倒すことのできなかった、あの01を捕らえた。本来の目的とは異なるが、大金星には違いない。腹の底から、踊るような歓喜と達成感が湧き上がって来る。これほどの手柄をあげれば、彼を嘲った老人たちも、あの彼でさえも自分の事を認めるに違いない。もはや誰に憚ることない名声と権力を手に入れることができる。
その勝利に酔う間もなく、容易過ぎる勝利を疑う間もなく、銀色の翼が海を開いた。
「――目標が急浮上。目標の周辺に未確認の機体を確認、マッハ3.5でこちらに接近。全武装にて迎撃開始します」
「あ、あれはなんだ!? 通常のフライトユニットとは余りにも違いすぎる、あんなもの聞いていないぞ!?」
映像を見た博士が取り乱す。絶え間なく押し寄せる無尽蔵のミサイルとレーザーを銀翼の鎧鳥は悠然と退ける。力強く羽ばたく度に、周囲のミサイルは全てが標的を見失い、空中で互いを破壊してしまう。隙間なく包囲するように照射したレーザーは掠めることすら許されずに置いていかれる。巻き起こる衝撃波にドローンが引き裂かれ、一体残らず海面に叩き落された。
急加速に減速、上昇に下降、旋回にバレルロール、その全てがスムーズに移行し、動きの流れが絶えることなく連続して行われる。それを実現するのは搭乗者との脊髄接続による脳波リンクとゼロシリーズに使われたものと同じナノカーボン骨格と筋繊維。この親和性の高い二つによって01の永久炉のエネルギーを100パーセント機体へと伝達する、それによって実現する機動性と追従性は既存のフライトユニットのそれとは比べ物にならない。
全長五メートルの白銀の翼で羽ばたきながら、まるで伝説に語られるルフ鳥のように堂々と機械の怪鳥は空を行く。天空の王者は背に乗せた主の意に従い、夜の空を引き裂き、一直線に突き進んだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――A01が交戦開始。電波障害が発生、通信不能です」
「周囲の観測を継続。第二段階開始時刻に変更なし。統括官、各隊スタンバイ完了です」
「事前の計画通り高度を維持、場合によっては作戦時刻を早めることもあるから気を緩めないで」
「司令、本部から通信が――」
「無視していいわ。いっそ部隊との通信以外は遮断しなさい」
「は、はあ。しかし……」
大気圏の外、暗闇の宇宙をアルバトロス級空中拠点艦艇はいく。巨大な三角錐のような船体に左右に取り付けられた可変翼は大気圏内外に関わらず大きな船体をしっかりと支える。航行速度と言う点では劣悪ともいえる性能しか持たないが、その部隊運用能力、防御能力、及び巨体に似合わぬステルス性は傑出したものがある。さらにその最大の利点はUAF開発の空中艦艇の中で唯一、宇宙空間からの地上指揮を可能にした点だ。ギガフロートのレーダー索敵範囲は広い。大気圏内であれば必ず捕捉される。だからこそ、異相空間に囮の艦隊と01を隠すという手の込んだ事の工作までしなければならなかった。しかし、単艦での宙間航行を可能とするアルバトロス級艦ならばそんな小細工は必要ない。敵に捕捉されることなく、大気圏内をいく降下部隊の指揮を執ることができる。
空飛ぶ要塞とも呼ばれるそのその怪物の腹の中が滝原一菜の戦場だ。艦橋内では忙しなく報告が上がり、艦橋正面に広がる投影作戦図の表示も同じように次々に切り変わり続けていく。艦橋の騒がしさは、止まることない戦場の変化を忠実に反映したものだ。
降下部隊の接近までの時間は01が稼いでくれる。囮の艦隊で接近し、ギガフロートの全火力をたった一人で引き受ける。そのためにできる限りの用意をした。格納庫で埃を被っていた一角級を引っ張り出し、新型の試作支援機を01ようにチューンして取り寄せた。現にその成果は遺憾なく発揮されている。
映像及び通信は途絶しているが、地上で観測されている爆発が続く限りは01が健在であるという証左となる。降下部隊が所定に位置に到達するまで、のこり三分。残された三分間で、十重二十重の敵陣を打ち破り、針の穴を通すように突破口を開く。その一瞬を活かすためには、少しの遅れも早まりも許されない。
「司令、本部の方がどうしてもと……」
「私は忙しいと伝えなさい!!」
無理からぬこととはいえ、イヤなタイミングで横槍が入る。今回の作戦日時と詳細については本部にも南米支部に対しても何一つとして報告していない。特務隊として与えられた独自裁量権の元で行われた独断だ。しかも、その作戦領域は本部の喉元、ブラジルにある南米支部の管轄域とも一部重複しているデリケートな区域だ。両方から抗議が来てもおかしくはないが、少なくとも今は本部からしかきていない。もともと仲の悪い両者の事だ、どちらが抗議するかでまず揉めたのだろう、その結果、立場の強い本部が押し切ったというのは想像に難くない。
だからといって、釈明する気も説明する気もさらさらない。裏切り者が何処に潜んでいるのか分からない以上、このまま独断専攻、事後承諾で事を進めるしかない。裏切り者とて直接妨害に動くことはできない、此処まで来れば後は戦うまでだ。
瞬間、時計の短針が十二の数字を指し示す。騒がしい艦橋をけたたましいブザー音が鳴り響く。時が来た、今こそ勝敗を別つ采配を振るうそのときだ。
「――オペレーション・モビーディック第二段階に移行!! 各隊順次降下開始! 前線指揮はエドガー・ウェルソン特佐、回収時刻は04(マルヨン):00(マルマル)!」
「了解、オペレーション・モビーディック第二段階に移行します。各隊順次降下開始。A小隊からF小隊、降下どうぞ」
「――了解だ! 行くぞ、野郎共! 小便漏らすなよ!!」
力強いエドガーの発破とともに電離層では降下が始まった。まずは第一陣、01と共にギガフロート内部を制圧するAからFまでの六隊が降下する。第一陣の突入後残る七隊は周囲の制圧を担当する。本来なら、もっと大規模な戦力を投入すべきところだが、隊員の信頼性を鑑みればこの数が限界だった。
作戦の要は、01そして彼と同行するA小隊。彼らが担当するのはギガフロート内部にて待ち受けるであろう10と呼ばれるサイボーグ、そして動力炉たる融合核炉心の制圧だ。これが失敗してしまえば、他部隊が任務を果たそうとも、作戦そのものが瓦解してしまう。
だが、もはや、一菜の胸中には一片の恐れも迷いもない。あるのは戦況を握っているという実感と、作戦を預けた仲間たちへの比類なき信頼のみ。01ならば必ずやり遂げてくれる、何時だってそうだった。どれほど傷に塗れても、何度敗北を重ねようとも最後には必ず勝利する、それが彼という戦士だ。だから待つ、彼らが勝利するその時を――。
どうも、みなさん、big bearです。ヒャッハー、戦闘シーンです。此処からしばらくはもううんざりだというぐらい戦闘シーンが続きます(白目)。
では、こんなだめ作者と拙い文章ですが、どうかこれからも暖かい目でよろしくお願いします。
誤字脱字報告、ご意見、ご感想、ご質問等ございましたらぜひぜひお書き込みください。