NO.02 ホワイト・ガーベラ
異相空間が崩壊を始める、空間封鎖の対象だったゴリラが死んだからだ。それにあわせて身体の再変換を開始する。歪んでいた風景が矯正され、光と影が裏返っていく。それと同時にうっとおしい光が過去から今へと俺の姿を作り変えた。
気絶している彼女の方も問題なく通常空間に帰還できている。今頃、増援の部隊か近場のH.E.R.Oがこっちに向かってきているはずだ。それに機械化強化服の生命維持機能のほうも復旧している。微かに聞こえる呼吸音からもノイズが消えていた。
ついでにあのサイボーグの死体のほうも少し離れたところに出現している。
さて、ここで少し困った事がある。本来なら死体等々を回収してから空間閉鎖の解除を行う手はずだが、今回は主に俺のせいでイレギュラーが起こっている。白昼の街中に負傷したH.E.R.Oと五メートル以上あるゴリラサイボーグの死体が白昼の街中に突如現るのだ、当然騒ぎになる。そうなると俺としては非常にまずい。正直言って人ごみ中にいるぐらいならまだ異相空間に閉じ込められたほうがましだ。
ということでだ。騒ぎになる前に一般人のふりをしつつ、全力でトンズラさせてもらう。そこの彼女やアイツには迷惑をかけたが、ツイてなかったと思い勘弁して欲しい。それにアイツは俺のことも上手く誤魔化すはずだ。無責任だが、巻き込まれた迷惑料だとおもって許して欲しい。
「――キャアアア!」
通りかかったのであろう主婦と思しき女性が悲鳴を上げた。ワンテンポ遅れてあからさまに驚いたふりをしてみせる。かなり大根役者だが、幸運にも観客はいない。さらに遅れて周りの連中も何事かと集まり始めた。その騒ぎに紛れ、焦る気持ちを抑えつつ、ゆっくりとその場から立ち去っる。
「――ま…って」
幽かに聞こえたその声は当然無視した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「やあ、いらっしゃい。そろそろ来るころだと思っていましたよ」
本から顔を上げた花屋の店主は朗らかな口調でそういった。店主の言葉通り俺は記念公園の近くのこの花屋に毎年訪れている。もう五年目だ、いい加減顔も覚えられている。年を取れない俺が言うのもなんだが、もう中年といってもいい年だというのに彼は一向に老ける気配がない。店のほうも五年前から一向に変わらず人気がない。それでも潰れてないところを見ると通信販売ででも儲けているのだろうか。
だが、それが俺には良かった。色とりどりの花と窓から差し込む日の光のコントラストの鮮やか、店主が本のページをめくる音以外存在しないこの空間を俺は気に入っている。
「いつものだが――」
単刀直入に本題に入る。知り合いとはいえ余り人と長く話しているのは好きじゃない。ここの居心地は悪くないが、あまり長居はしたくなかった。
「ええ、出来てますよ。いつもどおり瑠璃の花と紫色のチューリップにシオン、ついでに菊の花でしょう?」
「ああ、それだ」
このやり取りも五年目になるだろうか。最初の年は随分不思議な顔をされたが、もうあちらも恒例行事。すぐに頼んでいたものが出てきた。
「――もう五年ですか。貴方のおかしな注文もそうですけど貴方自身もお変わりない様で」
少し嬉しそうに、それでいてどこか悲しそうに店主は花束を差し出した。協調性によるコントラストはないが、溶け合うことない花々の個性もまた美しい。
変わらないか、確かにそうだ。俺とこの店だけは時代に取り残されたみたいに変化を迎えていない。この店の品揃えと同じで、俺の時計の針は五年前の今日から進んでいないのだ。
「そういうあんたとこの店もだ。変わってないのは」
俺がそう答えると、店主は少し照れくさそうに笑った。
「ええ、まったくです。娘と妻には喜ばれるんですけどねえ、やっぱりもう少し威厳がないと――」
長らく生やしているのに全く似合わない髭を撫で付けながら、彼は話し始めた。これもまたいつも通りだ。こうなると長くなるのは経験済みだ、そうなる前に退散させてもらおう。
「そうか、また来年くる」
話し続ける店主に背を向け、店を後にしようとする。そうして振り向いた視界に白く鮮やかな色が咲いていた。今まで見たことの無い花だ。五年間、少なくともこの場所では見たことのない花、素朴で可憐だが、花屋に花があるのは当然なのだからいちいち気にする必要は無い。
だというのに俺はその花から眼を放すことができなかった。
「おや、珍しい。何か気に入りました?」
俺の様子に気付いたのか、店主が後ろから声を掛けてきた。心底驚いたような声だ。俺が頼むのはいつも決まっていて、店で花を選んだりしたことはなかった。
「いや、そういうわけでは」
気を取り直した俺は、視線を逸らし、そう誤魔化した。興味はあるが、気に入ったわけではないし、わざわざ買うほどのことでもない。それに気後れするようで白はあまり好きではない。
「まあまあ、こんなこと中々無いですし一輪サービスしますよ。どれです?」
そう奨められると弱い。そこまで誇示して断る理由もないし、一輪もらっていくのも悪くないだろう。
「ん、この白いガーベラですか。良いんじゃないですか? それにこの花は――」
聞いてないのにつらつらと花についての薀蓄を語りだした。その知識量や楽しそうな様子を見るとやはり花が好きで花屋をやっているのだということがわかる。
「ほらどうぞ」
持っていた花束に白い彩が加えられた。真ん中に添えられた眩い白は目立ちながらも、周囲の花々と調和し、美しさを際立たせていた。こうしてみると中々のものだ、もらって良かったかもしれない。たまにはいつもと違うのも悪くは無い。
「そういえばこの花の花言葉は――」
前言撤回だ。やっぱり慣れないことはするもんじゃない。よりにも寄って自分と一番かけ離れたものを選ぶとは俺もとことん救いようが無い。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その記念公園の中心には見上げるほどに巨大な慰霊碑が建てられている。公園のシンボルでもあるその慰霊碑には膨大な数の名前が刻まれ続けている。その数にして約一億二千万人、少し前ならこの国の総人口にも匹敵する数の人間がこの十五年間で死んだ。その実感を伴えない羅列された死の数字は今も増え続けている。身元不明死者達の骸は五年経っても家族の下へと帰り着いてはいない。
「――は」
このオブジェを目の当たりにすると自然と身が竦む。まるで糾弾されているような錯覚を覚える。人混みの中にいる時よりも、重く深い痛みと恐怖が心のそこから襲い掛かってくる。冷たい黒曜石の石碑にこれがお前がとりこぼしたもの大きさと重さなのだと思い知らされているような気分にさせられる。俺が全てを救えたと思い上がるつもりは無い。だが、それでもこの中の一握り、ほんの数十人の死に俺は立ち会っている。今も思い出す、彼らの死に顔、あるいは死に様を毎夜のように思い出すのだ。力はあった、だが届かなかった。手は伸ばした、でも掴むことはできなかった。それだけの事だが、それが全てだ。
「――今年も来たよ。君は怒るだろうけど、許してくれ」
気圧された心を奮い立たせ、いつもの場所に立ち、冷たい石碑に触れる。毎年行う儀式のようなものだ、こうやって彼女の思い出に縋らないと俺は立ってさえいられない。石に刻まれた彼女の名前に指先が触れ、文字をなぞると、少しばかり心が軽くなった気がした。死者は決して許してはくれない、だがそれでも身に染み付いた錯覚は錯覚で塗りつぶすしかない。
「今年は少し違う花を持ってきた。一輪だけだけどな」
石碑の前には花束や供えられた様々な物品が並んでいる。手に持っていた花束をそのなかにそっとおく。もし、彼女が俺を見たら似合わない事をしていると笑うだろう。
ありがたいことに先程までここにいたのは俺一人だった。日付けと時間はずれてるとはいえ、この時期だ。俺以外にここを訪れる人はいるはずだ、しかし俺は一人だった。監視されてるようで気分は良くないが、一言礼を言っておくのも悪くないだろう。先程迷惑をかけたばかりだし、無視というのはあまりにも最低だ。
「――久しぶりだな、滝原」
ゆっくりと振り返り、平坦な口調でそう告げた。日の光に照らされた彼女の姿は一年前より少しやつれて見える。五年前は不釣合いだったUAFの制服も大分似合ってきた。幼かった顔立ちも大人のそれへと変わってきている。彼女は変わった、五年前とは違う。
「――そうね、久しぶり、01(ゼロワン)」
そういうと彼女は嬉しそうに微笑んだ。
左目の眼帯だけが五年前から変わっていなかった。俺と同じで永遠に癒えることの無い傷が彼女には残された。
それでも彼女は歩みを止めていない、そこが俺との違いだ。この五年間、きっと彼女は大変な苦労をしてきたはずだ。それでも彼女は歩き続けていた。それが俺には眩しくて、愛おしく、そして後ろめたかった。彼女の左目を奪ったのは俺でもあるのだから。
やはり俺に希望は相応しくない。
どうも、みなさん速さの足りないbig bearです。本編放置でなにやってん(Ry
出来心だと思って許してください(懇願)
では、こんなだめ作者と拙い文章ですが、どうかこれからも暖かい目でよろしくお願いします。
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