NO.015 プレシオス・サーペント
「……クソ」
銃弾の掠めた脇腹と肩の熱よりも、ふつふつと湧き上がる怒りが思考を寸断ずる。だが、自分で閉じた隔壁を怒りに任せて殴りつけても、ひんやりとした硬い金属の感触と金属と金属がぶつかり合う甲高い音しか返ってこない。
隔壁に背を預け、倒れるように座り込む。生身で傷を負うのは久しぶりだが、背中から撃たれるのはもっと久しぶりだ。湧き上がる衝動は身を焼き尽くさんばかりの勢いだ。
「――クッ、ハハハ」
嗚咽のような笑いが漏れた。枯れ果ててたと思い込んでいたのに、気取っていただけでそうではなかったらしい。雪那の時とは違う、あの10と戦っていたときとも違う、誰かのための怒りじゃない。自分のための怒りだ。
UAFの中に裏切り者がいる、その事実に俺はどうしようもないほどに怒りを感じている。他の全てを塗り潰すほどの怒りに身を任せてしまえればいいと、頭の中で何かが囁く。
忌々しい腕輪さえなければ、喜んでそうするところだ。怒りに任せて暴れようにも、変換を封じられた今の俺ではどうしようもない。今すべきことは怒ることではなく、考えることだ。
咄嗟の判断で背後からの凶弾をどうにかかわし、そのまま銃弾の嵐を掻い潜り、緊急閉鎖を作動させて敵のいる通路と俺のいるこの牢屋を遮断したのはいいが、そこで手詰まりだ。一度緊急閉鎖を起動させてしまえば、こちらから開くことはできない。向こう側から開くにしても、上層部の司令室からしか解除コードを入力できない、少しは時間を稼げるはずだ。
隔壁が開けばこっちは殺されるしかない。敵の戦力は分からないが、少なくとも今戦っても勝てないのは火を見るより明らかだ。 上のエドガーに頼ろうにも、通信は遮断されている。地力で何とかするしかないというに、俺は力を使えないポンコツだ。八方塞とはこのことだろう。
「――無粋な連中だ、折角の逢引を邪魔しやがって」
俺のそれとは違う、静かで残忍な怒りが俺の目の前で燃え上がる。何発とも知れない銃弾が直撃したこいつの檻には傷一つ無い。まあ、弾丸程度で傷ついていてはこいつを監禁することなんて到底無理だ。
「なんだ、お前の差し金じゃないのか」
「当たり前さ、君を傷つけるのは僕だけの特権だ。あんな無粋な奴等、僕の奴隷なら八つ裂きにしてる」
分かりきった質問に分かりきった答えが返ってきた。聞きたくて聞いたわけじゃない、単に皮肉が口をついて出ただけだ。律儀に答えられずとも、こいつの意図じゃないのは明らかだ。こいつのやり方はもっと陰湿で回りくどい。
だが、こいつのおかげで少しばかり冷静になれた。とにかく問題はこの腕輪だ、どうにかして外さないとどうしようもない。自力で外せるようならセキリティとして成り立たないが、何か方法があるはずだ。
試しに壁に思い切り叩きつけてみても、腕が痺れるばかりで、全くの無意味だ。自力での破壊は無理そうだ。銃でもあれば違うんだろうが、生憎それも上で取り上げられた。
ならば、敵の銃を奪えばいい。一人程度ならどうにか制圧できる、問題はタイミング。銃を奪い取っても、腕輪を壊すより先に蜂の巣にされてちゃ世話が無い。分厚い開かずの扉の向こうで待ち受ける敵に奇襲を仕掛けなければならない。まったく、楽しそうだ。
「――っなんだ!?」
腹の底に響くような重低音の駆動音。隔壁の向こうで何かが起こっている。間をおかず今度はアラートが鳴り響き、赤い光が周囲を照らす。不味い事が起こってるのは間違いない。
「ここを切り離すつもりみたいだね。よっぽど僕を始末したいみたいだ、それとも僕達かな?」
「……なるほど、なりふり構わずってわけか」
始末するだけなら、わざわざ扉を開ける必要はない。フロアごと深海に放り出して、気化爆弾で諸共消し炭にしてしまえばいい。なりふり構わないのもここまでくると清々しい。
などと納得している場合ではない。今度こそ打つ手無し、このままでは魚の餌直行コースだ。死ぬのは怖くないが、このまま何もかも放置したまま消えるわけにはいかない。
時間が無い。あと数分のうちに、このフロアは切り離され、気化爆弾のカウントダウンが始まるその前に何とかしなければならない。今すぐに手を考える必要がある。
「――どうすればいい、どうすれば」
最悪の事態だが、頭は冷えていく。焦りは無い、恐怖も無い。静かで安らいでる。しかし、冷静になれば冷静になるほど、手詰まりを自覚してしまう。こうしてる間にも、刻一刻とタイムリミットは迫ってきている。
「いやー、困ったなあ。このままじゃ君と僕で心中だ。……ん、そう考えるとこれも一つの愛の容だね、悪くない、むしろ良い」
「お前と心中するつもりは無い」
「じゃあ、どうしたいのかな? 知ってると思うけど、出口はそこだけだよ」
「少し静かにしてろ。今考えてる」
よりによってここにいるのは俺とこいつだけだ。最期の時を過ごす相手としては最悪の部類に入る。だが、このままじゃこいつの言うとおりになる。切り離しが始まった以上、一か八か隔壁を上げて突撃することもできない。
「クソッ、何か手は……」
「僕がいるじゃないか? しかも、ただの助っ人じゃない、君を一番理解していて、君を一番愛してる僕がいるだろう」
「冗談じゃない。お前を解放するくらいなら死んだほうがましだ」
頭の中で悪魔の囁きをかき消す。それしか手段がないにしても、それだけはできない。こいつをここから出すなんて、安全装置のない核を何時誤作動を起こすか分からない制御装置と一緒にして、大都市の真ん中に放り出すよりも危険で無謀な行為だ。少しでもまともな判断力があるなら、思いつきもしない。
「そうか、君の素体は日本人だったね。えーと、あれだ、歌舞伎にあるだろう、心中もの。今生では結ばれぬ運命の二人が来世を契り合って、お互いを手にかける、美しい結末だね。日本の文化はなんとも趣深い。僕は憧れてたんだけど、君はどうだい?」
「――何か手があるはずだ、何か手が」
堂々巡りだ。何を手間取ってるか知らないが、切り離しが遅れてるのは不幸中の幸いだ。多少執行時間が延びたところで、このままではそれこそこいつと心中だ。
考えても考えても、逆転の一手は湧いてこない。これで最期だってのに、頭はすっきりとしてる。むしろ清々しいくらいだ。だが、まだ、役目が残ってている。ここで死んでも償いにはならない。
天秤の二つの皿に、二つの重しを載せる。一つの皿にはあの10と裏切者たち、もう一つの皿には終生の宿敵、最悪の毒蛇。どっちらが重たいかなんて、考えたことも、考えようとも思わなかった。敵は倒す、それが例え誰であったとしても平等に打ち倒してきた。ただの一度も敵に区別をつけたことはなかった。だが、今は決めなければならない。例えそれが、どんな苦渋の決断だとしてもだ、だから――。
「……一つ条件がある」
「ふふ、なんだい? 君のお願いなら僕はいつでも歓迎さ」
「そこから出たら、まず俺の腕輪を壊せ。……後は好きにしろ」
一言搾り出すたびに、後悔と自己嫌悪に駆られるが、これが今取りうる最善の手だ。こいつの狙いは俺だけだが、奴等は組織だ。目的ははっきりとしてる、奴等のいう救済だけは絶対に遂げさせられない。
それにこいつを捕まえるのは俺が最適だ。それに考えてみれば、最悪俺の命を差し出せばいいだけの話だ。死に損ない命一つ、世界平和に比べたら些細な犠牲だな。
「いいよ、お安い御用さ。さ、僕の傍に」
仕方がないので、奴の傍へといやいや歩み寄る。もう時間が無い、急がないと手遅れになる。
「それでどうすればいい。お前も分かってるだろが、時間がないんだ早くしてくれ」
「僕に触れてくれ、そのうっとおしいガラス越しでいいから」
言われたとおり檻に手を触れる。特殊培養液の放つ薄い光に思わず目が眩んだ。不気味な光は触れているだけで、心を吸われている様な感覚を覚える。
「そう、それでいい。五年の間、ずっとこの瞬間を待っていた!」
その言葉と共に俺の中で光が弾けた。プロテクトが一瞬で破られ、永久炉に触れられる。瞬間、奴の檻が眩い光を帯びた。見覚えのある光、俺の永久路から漏れ出した永劫の炎、奴はそれを喰らっている。俺の永久炉を使って、己の枷を食い破る。忌々しいが、全て織り込み済み、計画通りなのだろう。なら、俺はそれを食い破って見せるだけだ。
光が最高潮に到ると共に、檻が内側から砕け散った。残骸が周囲に飛び散り、フロアの壁に激突する。溶液が床に飛び散り、鎧のような拘束具が剥がれ落ちていく。まさしく解放のときだ。
「ああ、久方ぶりの空気だ。しかも、目覚めて最初に見るのが君の姿なんて、最高の目覚めだよ!」
残骸の真ん中に奴は立っていた。水気を帯びた白銀の長髪は光を帯び、白磁のような肌に映える。黄金比を体現した豊満で美しい体をボロボロの拘束服が覆っているが、ボロ衣でさえもこいつが身に纏えば一流の装飾品にさえ見えてしまう。人間味を感じさせないほどに整った顔立ちには見るものを魅了する妖艶な笑みが浮かんでいる。相もかわらず、頭を侵略されるような蠱惑てきな姿だ、しっかり意識を保たないと正気ではいられない。
「おっと、見惚れてるのかな? もっと近くで見ても構わないよ? いっそ触ってみるかい? 胸には自信があるんだ」
そういうと奴はこっちに近づき、胸を強調してみせる。ボロ衣のような拘束服では色々と隠しきれてない。水気を帯びた肢体は麻薬のような色気を発している。極力意識から締め出しても、どうしても視線がいく。それを確認するとサーペントはますます嬉しそうに微笑んだ。完全に遊ばれてる、いつも通りの最悪だ。
認めるのは非常に癪だが、こいつは本当に美しい。もともと、完全な存在として創造されたこいつは、どんなものより美しく、優秀に、賢く造られた。どんな人間だろうが、こいつには魅入ってしまう。表層的な美意識を通り越して、より深い部分に訴えかける完成された存在ゆえの美しさには人である限り抗えない。
自分の美しさを完全に理解したうえで、こいつはそれを手段として利用しているから恐ろしいのだ。それが実際どれくらい効果的なのかは、俺自身経験済みだ。
いや、今はどうでも良い。とにかくここから出るのが優先だ。
「いいから腕輪を壊せ。話はそれからっ――!?」
そこまで言ったところで目の前にサーペントの顔があった。染み一つ無い肌と、潤んだピンク色の唇まではっきり見える。黄金の瞳が俺の瞳を覗き込んでいる。
俺が固まった刹那に奴の手が俺の首に添えられた。懐のうちにヘビのように忍び込まれたのだ。奴の細い指が俺の頬を撫でた。そのまま、俺が動くよりも早く、奴に引き寄せられた。
瞬間、こいつの唇と俺の唇が触れ合った。粘膜の接触と同時に痺れるような感覚が俺の体を駆け巡る。一体何をッ!?
「――なっ!!?」
すぐさま払いのけると、奴は舞うように俺から離れた。唇に指を当て、恍惚の表情を浮かべたまま、喜びを全身で表している。
「アハッ、ご馳走様! 七年ぶりのキスだ、最高に気持ちよかったよ。それにそう怒らないでくれ、約束は守ったんだからさ」
「何を……!」
右腕に嵌められていた腕輪が外れている。キスしたときのあの短い時間で腕輪を破壊していていたらしい。
ここにきてから乗せられっぱなしだが、これでもうそれも終わりだ。
永久炉が威勢良く回る。エネルギー循環に問題はない。10に付けられた傷も大した障害にはならない。
一瞬にも等しい時間で俺の体が作り変えられる。このまま隔壁を叩き壊して、上へ戻る。この身体なら、分厚い隔壁もあってないようなものだ。
「……いいね、最高だ、生身の君も大好きだけど、その姿の君はまた別の意味で愛おしいよ。あーだけど、隔壁を殴り壊すのはおすすめしないなあ」
「――ッ今度は何だ!?」
拳を振り下ろすその直前に再び横槍が入った。時間が無い、こいつのいうことにいちいち構いたくはないが、経験上こいつの言う事を無視するのはもっとまずい。
「……説明しろ」
「その隔壁は少しでも衝撃を受けると、あらゆる過程を無視して、最終プロセスが起動するように設計されてる。ようは、十トンの気化爆弾が起動して、ボカンさ。だから、ここを抜けたいなら、システムを乗っ取ってから、この隔壁を壊さなきゃならない、お分かりかな?」
「――ならとっととやれ」
「――先にお色直しといこう、初めての共同作業に披露宴だ。正装に着替えなきゃ、お客さんに失礼だろう?」
頼るのは嫌だが、そんなことができるのは俺が知る限りこいつくらいなもんだ。あらゆる防壁がこいつの毒の前では無意味だ。何かを侵し、支配し、壊すことに関してこいつ以上の化け物はいない。
黒色の閃光が俺の隣で膨れ上がる。周囲の全てを呑みこむ様な深く圧縮された闇の卵は触れる全てを侵食し、その質量をエネルギーへと変換していく。数瞬の後、艶やかな黒の卵が内側から食い破られる。
餌を求める雛のように無数の蛇が卵の穴から鎌首を擡げた。無機質な双眸が俺を見詰めている。IFFとエネルギーセンサーが最大限の警告をしつこいほどにかき鳴らす。今更喚かれずとも、自分が何を解き放ったかなど嫌と言うほど理解している。
殻が完全に崩れ去るのと同時に、卵の中から退廃と扇情の女神が現れた。卵と同じ呑み込まれそうな黒が魅惑的なラインを保ったままの輪郭を覆い、銀色の髪はそのままに無数の機械のヘビたちがそれを構成している。黄金の瞳と白のエナジーライン、黒く輝く生体装甲、俺の姿を鏡で写したようなその姿こそがこいつの真の姿だ。俺との違いは、戦うために作られたその姿さえ美しいということだ。
「さ、戦争をしようか?」
黄金の瞳が俺を射抜く。その視線が、その姿が、その声が俺の全てをかき乱す。頭から爪先まで雁字搦めで動けない。生きたまま蛇に呑まれる感覚というのはこんな感じなのだろう。いいだろう、飲み干せば良い、腹のうちから食い破るまでだ。
どうも、みなさんV-MAX中のbig bearです。ヤンデレというの名の変態、変態という名のヤンデレのターンです
では、こんなだめ作者と拙い文章ですが、どうかこれからも暖かい目でよろしくお願いします。
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