NO.014 イノセント・ビトレイヤーズ
山のように積みあがった報告書を見ていると、それだけで溜息が漏れる。こうなると、二年前のハッキング事件以来、慣習化した紙媒体での報告書にも嫌気が差してくる。おまけにその内容は悲惨な被害報告か、何も分かりませんという情けないものばかりなのだからなおさらだ。
時刻は、夕方、日も暮れ始める頃合だ。そろそろ彼はあの場所に着いたころだろう、そんなときに自分だけが呆けてるわけにはいかない。
気を取り直し、山の中から一部の報告書を試しに抜き取る。分厚い報告書の出所は本部の諜報部からのものだ、個人的なコネクションを使ってまわしてもらったものだがその苦労に見合った価値があったかといわれると非常に怪しい。
この報告書の内容を一言で表すなら、色々調べましたけど何もわかりませんでした、だ。何が諜報部だと怒鳴りつけてやりたい衝動が湧き上がってくるが、どうにか堪える。彼らだけを責めるのは酷な話だ、情報をつかめていなかったとはどこも同じなのだから。どこの諜報機関のラインを当たっても、おそらくは”組織”の残党勢力という事以上は把握していないのだ
問題はそこだ、今回の敵には一切の痕跡が無いのだ。今までどんな裏社会の組織であれ、秘密結社であれ、行動を起こすには何らかの痕跡を残さざるおえない。金、人、物、電気、なんであれ何かが動けばそこに流れが生じる、さらに流れは動くものが大きければ大きいほど大きくなっていくはずだ。だというのに、今回の敵にはそれが一切無い、完璧に痕跡が消されているのだ。それこそ不自然なまでに、あらゆる痕跡が存在しない。まるで降って沸いたようにこの敵は姿を現したとしか言いようがない。
しかし、それでも手掛りは残っている。そのために彼をあの場所に送ったのだから、最も因縁深く、最も遠ざけたいあの蛇の元へ。だが、どれほど疎もうとも漠然とした切欠ではなく、形のあるはっきりとした手掛かりはあの蛇しかいない。
どれほど、仕方がないと割り切っても頭から嫌な予感が離れない。この五年間そうやって割り切ることばかり上手くなってきたはずなのに、どうしようもなく感情が乱される。その感情は分かっている、けれど、その感情を認めてまえば自分が自分でいられなくなってしまう。だから、五年前、いやもっと前から封じていたのだ。
「ちょっと、一菜、大丈夫なの?」
「え、ええ、少し頭が痛いだけよ」
考え込んでいたのを、心配げな雪菜の声が遮った。それを抜いても、自分の調子が悪いのは事実だ。疲労性の頭痛はひどくなる一方だし、身体の節々が痛む上に、思考が鈍っている。髪の毛はパサパサで、皮膚はカサカサだ、とてもじゃないがデートにいけるような格好ではない。
「少し休んだら? 雑務なら私が片付けておこうか?」
自身も病み上りの身だというのに、彼女の親友は真摯な気遣いをしてくれる。何かしていないとおかしくなりそうだと無理やり退院してきたときはひやひやしたが、実際、助けられているのはこちらのほうだ。
「……先に資料に目を通したらね」
「そうしたほうがいいわ。貴方、それこそテレビに出られない顔してるわよ」
睡眠という甘美な誘惑に身を任せるか悩みながら、十年来の大親友の顔をまじまじと眺める。
彼女の顔は十数年前から一切変わっていない、改造手術を受けたうら若き少女のままで全ての時が止まっている。内面がどれほど決定的に変質しようとも、彼女の外面はそれを示さない。歳をとることもできず、酒にも薬にも逃げることは許されない。それがどれほど辛いことなのか、彼女には慮ることすらできない。
「――雪那、ホントにごめんね」
「……謝られても仕方がないことは謝らないでよ。ほとんど八つ当たりみたいなものなんだから気にしないで」
零れるように謝罪を口にしていた。自分が再び彼を巻き込んだのだ、彼女の唯一の理解者を再び戦場に引き戻したのだ。五年前の約束を破ってまで、彼の平穏を壊してしまった。
「――負けちゃったのは私、約束を破ったのは一菜。それでお相子ってことじゃだめ?」
「――でも、私……」
どうにか、そう返した。泣き出してしまいそうなほどに雪那の言葉は一菜にとって重い。同じ想いをもったものとして、彼女の想いの深さは誰よりも知っている。どれほど想い悩み、苦しみもがいていたか知っているからこそ彼女のその言葉の重みにたまらないほどに身につまされる。だが、確かにその言葉に救われていた。
「――ほら、いいからシャワーでも浴びてきなさいよ。今のままじゃ気の毒すぎて、怒ろうにも怒れないって」
「え、ええ、そうね。じゃあ、その報告書を――」
そう腰を上げた瞬間、目の前のディスプレイが機械的な着信音を鳴らす。どうやら、現在の仕事はまともにシャワーを浴びさせてくれないらしい。
「……どうしたの?」
一菜は溜息を堪えながら、メールを開くとそのまま椅子に座り込み、ディスプレイにかじりついてしまった。先ほどまでの様子とは全く違う、目の前の資料に全神経が集中していた。
ディスプレイに表示されていたのは、関東支部の職員のデータ、それも襲撃事件の際に現場に出ていた職員及びH.E.R.Oの能力評価データと経歴だった。
データのファイル名は、対特S級脅威特別対策チームの草案及び構成員候補者。そのチームリーダー候補者の欄に、極東地域関東支部所属、滝原一菜統括官と彼女の名前が踊っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「君の夢だけを見ていた、五年と一週間、六時間三十二秒の間ずーとね。君を欠いた世界は僕にとっては一日千秋、一分一秒が拷問だった。辛すぎて、気が狂いそうだった。でもこうしてきみが、逢いに来てくれた、それだけで僕は満たされているよ」
「そうか、そりゃよかったな」
恍惚とした声にいちいち構っていてはこちらの気がもたない。適当に聞き流してとっとと本題に入ろう。
「相変わらずつれないなあ。まあ、その正直さが君の愛おしい所のひとつなんだけどね」
嬉しそうな声が密室の中で反響した。これだけの拘束を受けていてもまったく堪えてないどころか、ピンピンしている。
「――どうかしたかな? もっと近づいてくれてもいいんだよ、それこそ、お互いの吐息が感じられるくらいにね」
「いや、ここで充分だ」
誘うような声を受け流し、付かず離れずの距離を保つ。動けないのはわかっているが、それでも近づけば引き摺り込まれるような錯覚を覚える。
「ふふ、だろうと思ったよ。それで――今日はどうして逢いに来てくれたのかな?」
「どうしてかなんて、知ってるんじゃないのか? お前はいつもそうだろう」
自分から本題に入るとは、いつもはぐらかすこいつにしちゃ珍しい。何か知ってるのは明白だ。
「君が僕を褒めるなんて――今日は記念日にしなきゃね」
「じゃあ、知ってるんだな?」
「――そうは言ってないだろう? 知ってるかもしれないし、知らないかもしれない。だからまず、君の口から聞きたいな」
こっちが焦れてるのをからかって楽しむ方向に切り替えらしい。もし表情が見えれば喜色満面に違いない。楽しくて仕方がないという様子だ。俺で遊ぶのはこいつ曰く、至高の娯楽にして愛情表現の一種らしいが、今は付き合っていられない。
「――永久炉のことだ。ここまで言えば分かるはずだ」
「……永久炉、正式名、特異境界面反応炉心。汲めども汲めども尽きぬ夢のエネルギー、九基の炉心が製造され、現存するのは三基だけ。君のと、あの頑固で幼稚な妹のと、あの脳みそまで筋肉で埋まってそうな彼ので、三つさ。ああ、あと、ブラックボックスの中身を知ってるのも、今じゃ僕だけだねえ」
怒りは禁物だが、いい加減腹が立ってくる。そんな分かりきった事を聞くためにわざわざ海の底まで来たわけじゃない。
らしくない、どうしようもなく感情を乱されている。こいつと話すといつもこうなる、何かもを見透かされ、心の奥底にあるナニカを引きずり出されていく。積み重ねてきた自分を積み木みたいに崩されていく感覚を延々繰り返すはめになる。
それでも、答えを知らなければならない。
「怒った君も素敵だ。でもこれ以上君を怒らせても、話が進まないからね。――そう、君の知りたい答えを僕は知っている」
酷くもったいぶった口調でこいつは俺にそう告げた。望んでいた答えだが、こいつの掌の上で踊らされ続けていることには変わらない。
「――誰に解式を教えた? 連中は何を企んでいて、何処に潜んでいる?」
「……ああ、必死な君は可愛いいなあ、もう見ているだけで……達してしまいそうなくらいさ……」
背筋があわ立つほど、甘く上気した声だ。そんなことは想像したくないが、そういうんだからそうなのだろう。答えを聞くまでの辛抱だと、自分に言い聞かせるしかない。
「――で、答えは? ここまで引っ張っておいて知らないなんていうなよ」
「んーでも期待に応えたいのはやまやまなんだけどなあ、僕もその、あの」
随分言い難そうに言葉を切る、今度は一体なんだ。こいつの事だからろくでもないのは確かだが、それにも程度がある。今までは序の口、ここからもっと酷くなるのがいつもの定番コースだ。
「えっと、だね、僕も何かご褒美が欲しいなって、それだけなんだけど……」
予想よりはましだが、充分意味不明だ。そもそもお前のせいでこうなったんだろうがと怒鳴りつけたくなる衝動に駆られる。何で、俺が元凶にご褒美なんてやらなきゃいけないんだ。
「――それで、何が欲しいんだ? 分かってると思うが逃がしてくれなんてゆうのは断る」
「そんな意味の無いつまらない事を頼むわけないじゃないか。僕が君にして欲しいのは、その……」
最後のほうに行くに連れて声が小さくなっていく。我ながら茶番に良く付き合っているが、こうなるとさらに調子が狂う。こいつ自体が苦手だが、こいつのこういうところはその中でも苦手を通り越して理解不能だ。
「なんだ? 時間がないんだ、早くしてくれ」
「――で、デートしてほしい! 一日でいいから君の時間を僕にくれたら、知ってる事を話すよ」
「――デート?」
何かと思えば、デートだって? ここから出れもしないのにどういうつもりなんだ。全く頭がどうにかなる寸前だ。かといってはねつけてしまったら、唯一の手掛かりを失うことになる。守れない約束はしない主義だが、この際そういうのは抜きだ。
「……分かった」
「――そ、そうか、そうか! オーケーしてくれるんだね! ああ、なんて――そうだ、ずーと考えてたデートプランがあるんだ! 楽しみにしててくれ!!」
これまで以上に心底楽しくて仕方がないという感じだ。今にも賛美歌を歌いだしそうな勢いで捲くし立ててる。どうして俺の周りには一度自分の世界に入ると止まらないやつばっかりなんだろうか、いい加減嫌になってくるぞ。
「――答えをまだ聞いてないぞ」
「――ん、そうだね。取引は対等じゃないと意味がない、だから答えてあげるよ」
これまでとは違う色の悦びを含んだ声が、静かに響いた。まるで、終わりを告げるように厳かに、そしてどこか怖れすらも抱かせるような響きだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――それこそ、三年前の今日さ。あのやせっぽちの彼は私の前にやってきた。名前は知らない、興味もないしね。連れてこられたというほうが正しいだろうか。……最初は護衛諸共溶かしてやろうかと思ってたんだけどね、気まぐれで話を聞いてみると中々面白いことをいうんだ、君達を作りたいとね」
そうやって、サーペントは語りだした。三年前、こいつはここに捕まる直前に連中と接触したらしい。十五年以上、UAFと”組織”の追撃をかわし続けたこいつを見つけ出すという時点で連中の規模の大きさを改めて思い知る。こいつが敵対しているはずの組織の残党に協力したのは妙だが、こいつの言うとおり気まぐれだろう、いつものことだ。
「正確に言うと僕は解式を教えてはいない。けれど、ヒントは教えてやった、君と彼女が鍵だとね。その様子だと成功したみたいだ、どんな歪んだのができたか見るのが楽しみだよ」
「それはわかった、重要なのはメンバーの名前と連中の目的、潜伏場所や拠点の場所だ。知っているのか?」
「奴らのメンバーは知らない、ご存知のとおり僕は君以外の個人には興味がないんだ。それに連中は”組織”だ、拠点なら世界中に持ってる、どこといわれてもそこらとしか言いようがない」
馬鹿な、五年前確かに総帥は倒した、俺がこの手で確実に殺したはずだ。いうなれば、奴等の神は死んだのだ、それと同時にやつらは壊滅した。主要な拠点は全て壊滅し、幹部のほとんどは檻の中か土の下だ。実際にこの五年間、”組織”の活動は確認されていない。それにそれほどの規模の連中がどうやって五年間、残党狩りを逃れ続けていたというのだろうか。
「確かに君たちは奴等の神を打倒した。そのおかげでこの世界は今ある形を保っていられる。でもそれだけじゃやつらを滅ぼすにはたりない、奴等の歴史は人類の歴史とほぼ同義だ、あまりにも根深い。親はいなくとも子は育つというだろう? 神を失っても”組織”は残り続ける、もともとそういう風に作られたんだ」
不思議と驚きはなかった、しかし、得心が行くと同時に大きな失望感が湧いてきた。五年前、あれほどの犠牲を払った勝利はその実、何の意味もなかったといわれたようなものだ。正直な話、怒りすらも湧いてこない。
「――けれど、指導者は必要だ。組織内じゃなく、組織外の幹部、部外者と呼ばれる連中が指揮を執ってるはずだ。詳しくは僕にもインプットされてないけど、奴らは長い年月をかけて社会の一部に溶け込んできた、どこに潜んでいてもおかしくないし、無自覚な部外者もいるはずさ。五年間ひたすら息を潜めていたのも、その間誰の目にも留まらなかったのも奴等の存在あってこそだろうね」
そこまで聞いたところで、不意に視線を感じた。檻から今までとは違う感情がこもった視線が俺へと向けられている。
「一つ言っておくけど、君の戦いは無駄じゃない。君がいなければ、五年前の時点でチェックメイトだった、だからそんなに落ち込まないでくれ、僕も悲しくなる」
最悪だ、まさかこいつに慰められるなんてことになろうとは……。不測の事態にもほどがある、しかも、嘘偽りなく本心からの言葉なのだからなおさら質が悪い。こういう慈愛の精神とそれこそ蛇のような残虐性が相乗りしてるからこいつは恐ろしいのだ。
俺が無言でいるのは肯定と取ったのか、サーペントは話を続けていく。衝撃的ではあるが、これまでの話は正直なところ大した意味は無い。重要なのはここからだ。
「――でも、永久炉の中心核を生成できる場所は限られている。奴等でもその事実は変えられない。おまけに、通常兵器の量産が可能な場所と来れば、一つしかない。君にとってもなじみが深い場所だろう?」
ありえない、そう叫びたくなる。あらゆる記録からあの場所の存在は抹消された。あの場所にあったあらゆる罪と一緒に忘れ去られたはずだ。そもそも、滝原でさえ知らないあの場所の存在を知ってる人間自体がもうほとんど残っていない。もし、あの場所が今も存在しているのを知っているとしたらそれは――。
「……そら来た。ほんと、空気の読めない連中だよ」
最悪の可能性は確かな形を持って俺の後ろに忍び寄っていた。背後で鈍い音が響く、重たい扉がゆっくりと開いているのだ。
振り返っている暇は無い、考えている余裕は無い。ただ必死にその場から飛び退いた。当の昔に決着はついていたのかもしれない。
どうも、みなさん加速装置使用中のbig bearです。何時までこの速度続くか、なぞですが、燃え尽きないよう頑張ります。
では、こんなだめ作者と拙い文章ですが、どうかこれからも暖かい目でよろしくお願いします。
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