NO.013 ディーペスト・プリズナー
深く、暗い、太平洋の底の底ににそれはある。深度一万メートル超、マリアナ海溝の底、チャレンジャー海淵に建設されたその施設は公的には核兵器の処分施設とされている。しかし、十重二十重に重ねられた高分子合金と信じられないほど分厚い隔壁が守護しているのは核兵器などではない。それよりも、もっと危険で手に負えないものがその場所には眠っている。
永遠に増殖と分裂を続ける根絶不能のバイオ兵器、使用されれば地上の生物を一週間で死滅させうるウイルス兵器、本来は宇宙瓦礫処理に運用されるはずが地上に牙を剥いた衛星兵器、存在そのものを抹消されたロボット兵器群、その他諸々この世で最も物騒な物品がその場所には封印されているのだ。
その最深部、最も厳重な警備と厚さ十メートルの隔壁、そして最終処理手段たる気化爆弾、そのむこうに彼女の牢獄は存在する。
一度入れば二度とは出られぬ究極の牢獄。押寄せる水圧はあらゆるものを圧殺し、堅牢な防壁はあらゆるものを拒絶する。そして、万が一の可能性すらも気化爆弾により灰に帰す。その場所の名はUAF第十三支部、ディープワン最終処分場、通称海の棺桶。片道切符のその先に俺の求める答えが手薬煉引いて待っている。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
輸送機の窓から覗く大海原の蒼は余計な喧騒を忘れさせてくれる。静かとはいいがたい輸送機だが、考えを纏めるには充分だ。
誰も座っていない向かい側の席を何の気なしに眺めながら、出発前の事を思い出す。思えば今回の出張任務は最初からけちがついていた。まず退院手続きに半日近く掛かり、その次は自分も退院するとか、棺桶に同行するとかごねる雪那を説得しなければならなかった。それ自体はそう時間は食わなかったのだが、一応の準備できたというところで同行するはずだった滝原に緊急呼び出しが掛かった。今度は審問会ではなく、マスコミ対応にかりだされたらしい。
今回の襲撃事件を俺の存在が見事に修飾していた。不本意ながら、俺の復帰というのは終戦五周年式典襲撃事件よりもショックが大きかったらしい。惨状を伝える報道と一緒に、何時撮られたのか俺の姿を捉えた映像が一日中テレビでループしている。ネット上では、襲撃者の正体と同じくらいかそれ以上に五年間の俺の動向について様々な噂が飛び交っているし、挙句の果てには襲撃犯は俺だという珍説を語る専門家気取りまで横行する始末だ。
滝原は言い渋っていたが、身内であるUAF内でも大差ないらしい。事前に了承していた上層部は問題無いが、現場レベルでは大騒ぎとのことだ。俺が映っているというだけで、機密扱いのはず映像ログが休憩室で上映され、その映像を外部に流して逮捕された奴までいるそうだ。
正直言って考えるだけで気分が悪くなる。偶像化された自分については嫌悪感すら通り越して憎悪すらも沸いてきそうだ。これも力をもった責任だと言われればそこまでだが、徹底的に性に合わない。誰かの期待を背負う余裕も、造られた理想像に殉じる甲斐性も俺には無い。だが、そうも言ってはいられない。雪那に背負わせた責任を果たすと決めた以上、俺に選択の余地など存在しないのだから。
せめてもの救いは生身の俺の事を知る人間が極めて少ないということだ。こうして、人間の姿でいるときは01という記号から解放されている。五年間の間、無為に享受していた自由だが、一度離れてみればその価値が分かったような気がする。
『こちらアルバトロス101、お客を輸送中。管制塔、着陸許可を求む』
『こちら管制塔、そちらのコードを確認した。三番ポートに着陸を許可する』
無理やり付けられたヘッドセットから短い通信のやり取りが聞こえてくる。こうして輸送機に揺られること三時間、ようやく目的地に付いたらしい。
「お客さん、着陸するから少し揺れるぜ」
「わかってる」
パイロット気遣いはありがたいが、無用だ。このタイプの輸送機には数え切れないほど乗り込んでいる、時には飛び降りてすらいるのだから着陸程度たいしたことではない。
少しの衝撃の後、着陸が完了した。大きな駆動音と共にカーゴドアが開き、外の景色が飛び込んでくる。
目が眩みそうな青空とさんさんと照りつける太陽の下に、飾り気の無い無骨な建造物が聳えている。第十三支部だ、メガフロートの上に建てられた灰色の上部施設は俺が最後に見たときと全く変っていない。
輸送機から降りた俺は周囲を見渡した。滝原の話では案内役が迎えに来るはずだ。
案内役はすぐに見つかった。人気のない着陸ポートの端に一人佇む金髪の巨漢、これでは見過ごすというほうが無理な話だ。滝原め、何が信用できる案内役だ、こいつがここにいるなんて聞いてないぞ。
見覚えのある背中はこちらに背を向けたままで、こっちに気付いた様子は無い。まあ、気付いていても終始あの調子だろう。
近づいてよく見れば、足元にクーラーボックスが置かれている。手には釣竿が握られ、釣り糸がたれている。どうやら、サボり癖も健在らしい。勤務時間に釣りとは悪化しているな。
「あーようこそ、お客さん。こんなクソみたいに辺鄙なところまでわざわざご苦労なこっ――てぇ!?」
「よう、エドガー」
声をかけようとして近づいたところで、ようやく俺に気付いたらしく、振り返ったところでかつての戦友は大仰に驚いて見せた。
大げさなところも全く変わってない。五年前、共に戦ったエドガー・ウェルソンは見た限り俺の知る彼と変わっていない。相変わらず元気そうだ。
「おいおいおい、兄弟! お前が来るなんて聞いてないぜ! 久しぶりじゃねえか、おい」
釣竿を放り出し、ずかずかと歩いてくるエドガーの顔には喜びと驚きが入り混じっている。
「ああ、五年ぶりになるな。元気そうで何よりだ」
「おうよ、おうよ! てめえ、一体今の今まで一体どこで何してやがったんだ」
がっちり握手を交しながら、五年ぶりの再会を喜び合う。
「まあ、色々さ、エドガー。お前こそ、どうしてここに?」
言葉を濁しつつ、強引に話題を変える。確か、五年前エドガーは本部付きの特務隊の隊長だったはずだ、それがどうして十三支部にいるのだろう、というのは気になる問題ではある。
「ああ? ここの支部長補佐になったんだ、まあ、左遷されたんだよ。よくある話だろう? 気にすんじゃねえよ」
「――すまん」
本人は何のことはないように答えているが、相当大変だったはずだ。何があったかは知らないが、五年前に比べてUAFの体制も変わってしまった。その影響かもしれない。
自分のことに感けて、人の痛みに踏み込んだ自分の卑怯さに嫌気が差した。
「だから、気にすんじゃねえよ。おかげで公然とサボれるんだ、ありがたいもんさ」
「だが――」
「まあ、美人の嫁とかわいいかわいい娘に会えないってのは最悪だがな」
にやりと笑ってそういうと嬉しそうに背中を叩いてくる。そういえばこの男、戦役中に結婚して、娘まで生まれていたんだった。
「え、と、クレアとステラだったか? 二人は元気なのか?」
「二人とも元気いっぱいさ、クレアはますます美人になったし、ステラはかわいくてな! いや、かわいいなんて言葉じゃちんけだな!! 今年で五歳になるんだが、これがまた――」
長くなりそうだな、と思ったところで端末の呼び出し音が鳴り響いた。正直な話、ありがたい。このまま放って置けば日が暮れるまで話し続けていただろう。
『補佐官、ゲストが到着しました』
「知ってる、目の前にいるからな。こっちで連れて行くから、用意しといてくれ」
短いやり取りの後、エドガーはうんざりだといわんばかりの溜息を付く。ただの報告にしちゃえらく遅い。
「信じられるか? ここの連中、俺よりたるんでんだぜ」
勤務時間に釣りしてる奴が言えた台詞じゃあないが、弛んでるのは確かだ。五年前にも指摘されていたことだが、施設に頼りきりで、警備体制が甘いんじゃないかと疑いたくもなる。
「まあいいさ、行こうぜ。アナコンダが待ってる」
気を取り直したエドガーが付いて来いと手招きしている。ここからは余計なことは考えてはいられない、心に少しでも隙があれば奴はそこに滑り込んでくる。
奴と会う前にエドガーに会えたのは行幸だった。いい具合に緊張が解けた、奴と向かい合うには最高のコンディションでなければならない。現状、最高といえないが贅沢はいえない。
さあ、魔窟の底に挨拶に行こう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
魔物の雄叫びのような駆動音と共にフロアエレベーターが動き出す。煩わしい圧力調整も終わり、このまま進度一万メートルまで真っ逆さまだ。
「研究フロアにでも寄ってくか? なかなかおもしれえもんが見られるぞ。面白いといや、サードエリアの氷漬け連中が一番だけどな」
「いや、いい」
エドガーの気遣いだか冗談だか分からない提案を突っ撥ねながら、浮遊感に身を任せる。緊張しすぎてはいけない、自然体だ。
そうして頭を整理していると、先ほど嵌められた腕輪が目に入る。
「悪いな、お前にいうのも変な話だが規則なんだ。不愉快だろうが、我慢してくれ」
「ああ、いいんだ。規則ってのはそういうもんだろう?」
「――ヘッ違いねえ」
変換機用の妨害装置、T-EMCと呼ばれる装置だ。胡散臭い代物だと思っていたが、付けてみると実際かなりの効果がある。いま、戦闘形態になれといわれても確実に無理だ。
限定的な慣性制御のおかげで、高速落下に不快感は無い。数分間の間、精神を研ぎ澄まし、余計なものを腹の奥底の押し込めて行く。準備はできた、あとは待つだけだ。
一際大きな音と共に、エレベーターが停止した。目の前には一際大きなエアロックが立ち塞がっている。その周りを巨大な爆砕ボルトが囲んでいる、なにかあればこのフロアごと施設と切り離すことができるようにしてあるのだ。それどころか奴の牢の奥には大型気化爆弾が鎮座しているのだから、この程度大した事じゃない。
「……通路の奥だ。俺は行けねえが、守衛が待機してる」
やつと対峙するのは俺だけだ。やつしじんがそう条件を付けたのだ。俺意外とは口も聞かないし、会いたくもないということらしい。これほど想われては、宿敵冥利尽きると喜べばいいのか、勘弁してくれと嘆けばいいのか分からなくなってくる。
「助かったよエドガー、ここまでありがとう」
「お安い御用さ、兄弟。上で会おう」
「ああ、またな」
握手を交し、エアロックのほうへと向かう。スキャンレーザーが俺に照射され、数秒の後、巨大なエアロックが少しづつ動き始めた。
エアロックの先には無菌室のように真っ白な短い通路があった。正面には再びのエアロックさっきよりは小さいが厚さは同じくらいだ。その隣には黒色のパワードスーツを着た守衛が直立不動で佇んでいる。見たことのない型番だ、特注品かもしれない。
歩き出すと背後でエアロックが閉じられる。二重三重の隔壁がおり、エレベーターと通路を完全に遮断した。
重苦しい空気と鈍い頭を切り替え、短い通路を渡り切る。左右の守衛に一応の挨拶をして、エアロックの前に立つ。先程と同じようにスキャンレーザーが照射され、掌紋認証のパネルが現れる。随分アナログだが、予備警備システムとしては十分通用する。
「ID承認、IDNo.HERO 0001」
無機質な機械音声とともに最後の扉が開く。ここまで来たら後戻りはできない。
外とは違う冷え切った空気が俺の頬を撫でた。扉の先には薄暗いフロアが広がっている。照明はなく、中央で不気味に光る何かだけが、ぼんやりと周囲を照らしていた。
部屋に足を踏み入れると、背後のエアロックが封鎖された。これでここには奴と俺、完全に二人きりだ。
怪しい光を放つ サイボーグの活動を阻害する特殊溶液に満たされた檻、その中心に奴はいた。全身を生体装甲を利用した拘束具に隈なく覆われ、表情どころか生きているのかさえ確認できない。
それでも、俺には確信があった。奴は俺を見ている、ここに来た時から片時も離さず俺を見ている。
奴と言葉を交せば、俺はきっと封じているナニカに触れることになる。だから、雪那と滝原は俺を一人で行かせたがらなかった。だが、俺は臆してはいない、それが運命なら俺は受け入れる、ただそれだけの話だ。
「――やあ、会いに来てくれたんだね。僕は、ああ僕は、本当に本当に本当に嬉しいよ、言葉では現せないぐらいに嬉しいんだ」
歓喜の歌を謳うような艶やかな女の声、その言葉一つ一つに胸の奥に忍び込んでくるような甘美な響きがあった。
「さあ、何から始めようか、僕の最愛の人。君が望むならどんなことでも答えよう」
どうも、みなさん、トランザム中のbig bearです。今回でようやく温めてたキャラを出せてとりあえず満足です。
では、こんなだめ作者と拙い文章ですが、どうかこれからも暖かい目でよろしくお願いします。
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