NO.012 ナイトメア・コインズ
闇の中で五つの蒼白い光が陽炎のように揺らめいている。そのぼんやりとした明りが彼の姿を照らし出した。脂ぎった髪に骨ばった神経質そうな顔立ちをした細身の背の高い男。よれよれの白衣の袖から見える細い指先が小刻みに震えている。
「――では君はわざわざ失敗の報告に来たというわけかね?」
壮年の男の声が、どこからか響いてくる。語気の端々に怒りと苛立ち、憎しみさえも現れている。
「い、いえ、決してそのようなことは……」
白衣の男が上擦った声を上げた。恐怖と緊張で声が震えている。青ざめた顔に玉のような汗が浮かんでいた。
「ならば、どういうことだ? 虎の子の戦力を投入したにもかかわらず、幹部どもにはまんまと逃げられ、挙句の果てには彼奴を仕留めきれなかったというのに、失敗ではないと?」
詰問の声は続く。今度は別の声が男を責め立てた。
「...ひょ、評価試験としては十分だったと自負しております、さらにーー」
「評価試験? 10のかね? 何を今更! あれにどれだけの金と手間がかかったか、君とて忘れたわけではあるまい。それが何の成果もあげられず、おめおめ逃げ帰るとはな」
怒鳴り声を上げて一つの炎が燃え盛る。それに合わせて、彼の周囲を取り巻く光も勢いを増し、なおも盛んに彼を苛む。
「し、しかしあの01に対して一定の成果を......」
「その程度は当たり前だと言っておるのだ! あの男の打倒は通過点に過ぎん! そもそも君は勘違いしているのではないか? 君の代わりはいくらでもいる、我々には君が不適格ならばサブプランに移行する準備がある!!」
震えた声を再び怒号が遮った。声の主には彼の弁明を聞くつもりなど毛頭無い、この場は所詮報告会と銘打った弾劾裁判に過ぎないのだから。
周囲の光が声に同調して勢いを増していく。蒼白い光はもはや彼を焼き尽くさんばかりの光を湛え、煌々と燃え盛る。
弁明の声を上げようにも彼には声を出すことすらできなかった。一秒ごとに迫ってくる熱を持たない炎に怯え、竦み、震えるしかなかった。
「では諸君、裁定を――」
「――そこまでだ」
腹のそこに響くような低く重い声が、彼らの怒りを凍りつかせた。その声の主はたった一言でその場の全てを捻じ伏せてみせたのだ。
「こ、これは、ど、どうして貴方がここに……!?」
「――貴殿らこそ何をしている」
先ほどの彼より動揺した声がその人物を迎え入れた。影の中から一人の男が現れる。巌のような身体を黒鉄色の鎧が覆い、フードの下の顔をうかがい知ることはできない。しかし、その男は身に纏う雰囲気だけでありとあらゆるものを圧倒するほどの威厳と自信を秘めていた。
「--な、何ともうされましても……」
「貴殿らには総帥より与えられた役目があるはず、それを放り出し、ここで一体何をしているのかと問うておるのだ」
燃え盛っていた炎は既に沈静化してる。それどころか、この男が現れてからこの場の全てが凍りついたようにさえ感じられた。
「こ、今回の失敗の追及を……」
「誰がそのような事を命じた? それともこんなお遊びが総帥の御遺命に優先するとでも?」
「――ヒッ」
心臓を鷲掴みにされるような怒気が満ちる。反論でもしようものなら、殺されかねないと思えるほどに強烈だ。
小さな悲鳴の後、長い沈黙が続いた。誰もが口を噤み、その男の動向を見守っている。彼の言動一つでこの場にいる全員の生死が決まるのだから、それも当然だ。
「――博士、あのお方の御様子は?」
ようやくと言った様子で男は口を開いた。いてつくような怒りはいくらか和らいでいる。
「は、はい、現在は実戦データをフィードバックしております。01に付けられた負傷も全て修復をすませており、永久炉の調整も滞りなく完了しています。次こそは必ず奴らを……」
白衣の男が畏まってそう答えた。声には未だに拭い切れない緊張と恐怖が残っている。
「そうか、ならばよい。あの御方の玉体は全ての要、全ての準備が整うまで万が一は許されぬ。そして次なる失敗もまた然りだ、よいな?」
「こ、心得ております」
穏やかでありながら有無を言わせぬ圧力が言葉の端々に現れていた。次に失敗すればどうなる華など火を見るより明らかだ。
「――此度の失敗の処遇は総帥の名においてこの私が預かる。何か異論があるかね?」
その一言はこれまでにないほど圧力を放っていた。問いかけの形をとっているものの、イエス以外の回答を彼は求めていない。
「わ、わかりました……」
不服さと怒りを押し殺した声が響いた。本来なら失敗を犯した新参者に罰を与えるはずが、この男によって立場が逆転していた。だが、その屈辱よりもこの男に逆らうことのほうが遥かに恐ろしい。かの総帥の三人の護衛軍、その最後の生き残りたるこの男と彼らでは余りに立場が違いすぎる。
「――では、貴殿らの使命を果たしたまえ。我らの世界のために」
「「我らの世界のために」」
六つの声が重なり、同時に炎が消えていく。そうして、何も無い闇に彼だけが残された。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
消失、出現、また消失、そして出現。幾度となく繰り返すその過程は、終わらない螺旋階段のように果てなく続いていく。降りているのか、昇っているのかさえ曖昧で不確かだ。始まりがいつなのか分らない以上、終わりもわからない。
何も無い空間に記憶の破片が浮いている。 どうしようもなく孤独だが、静かで安らいでいた。こうやって漂い続けているのも悪くない、そう思えるほどのこの闇は心地いい。
しかし、夢は醒めるものだ。それがどれほど心地よくても、どれほど素晴らしくても、何時かは必ず現実は追いついてくる。そこに痛みと恐怖しかなくてもだ。そして、それはいつも突然だ。
「――っは」
突然、闇が途切れた。光と共に新鮮な空気が流れ込んでくる。目と肺が焼けるように痛い、光と空気でおぼれてしまいそうだ。
少ししてようやく映像を認識できた。白い壁に白い天井、日光の差し込む四角い窓、傍らに置かれた数々の精密機器。なるほど、病室か。それもただの病室じゃない、雪那の入院していたUAFの管理している特別病棟だ。
状況はおぼろげで、記憶もばらばらだが状況は把握できている。どうやら、機能不全でぶっ倒れたようだ。
しかもそれだけじゃない、敗けた。完膚なきまでに負けた、また負けたのだ。背中に負った思いの重さを知りながら、肩にかかった希望の儚さを知りながらまた俺は同じ過ちを繰り返した。自己嫌悪と自分への怒りがとめどなくあふれ出す。が、俺にはその権利すらない、今はできる事をする、それが俺の責務だ。
腹のそこの怒りを燃料にして体を動かす。だが、上体を起こそうとして、身体の重さに気付く。おまけに鋭い痛みと吐き気もする。
「――?」
内部捜査を掛けようとして、足もとにかかる重さと感触を感知した。まだぼやけたままの視界が、黒い何かを捉えた。
「――んあ」
小さな声が漏れた。呆けたままの頭でも声の主は分かる、間違えようがない。こんな艶やかな黒い髪をしているのはオレの知り合いでは一人しかいない。
声を掛けようかと迷い、やめた。この寝顔は前のものとは違う、安らかな寝顔だ。起きているときはそう見せてはくれない、無防備な表情がそこにあった。
「――なっ」
それから程なくして、彼女は目覚めた。まだまどろんだ瞳が俺を見つめ返す。数秒の間、お互い視線を逸らせないでいた。オレのほうはというと、単純に思考がまだ鈍っていただけだが、彼女のほうはというとあっというまに茹蛸みたいに紅くなった。よほど寝顔を見られたのが恥ずかしかったらしい。それかまだ、怒っているかのどちらかだろう。
「――大丈夫か?」
どうにか口を開いた。未だに霧は晴れてないが、話していればそのうちハッキリするはずだ。
「……だ、だだだ大丈夫かじゃないわよ!!」
返ってきたのは耳鳴りがしそうな怒鳴り声だった。どうやら、この前よりは大分具合がいいらしい。少し安心した。
「やられて返ってきた上に、五日間も意識不明で、死ぬかもしれないかもとか、私、心配だったのに……大丈夫か、ですって!? 大丈夫なわけないでしょう!!」
「す、すまん」
飛び起きて、いそいそと髪を整えると雪那は息を荒げながらそんな事を言った。純粋に心配してくれたのが伝わってくるが、余りの勢いに思わず謝ってしまった。
「……あ、謝ってほしいわけじゃない。だいたいそっちのほうこそ大丈夫なの?
不器用ながら快い優しさが感じられる。どんなにつっけんどんしていても彼女の本質はそこにある、その彼女の本質がたまらなく眩しく愛おしい。
「まあ、大したことはないみたいだ。オーバーヒートは収まってるから、後は自動修復でどうにでもなるさ」
ありのままを伝えた。内部捜査を掛けたところ、俺が思っていたよりも状態は良かった。内部の回路断絶、人口筋肉の裂傷は自己修復だけで充分だ。永久炉と変換機は幸いにも無傷だ、すぐに戦線に復帰できる。
「そ、そう、ならいい、よくないけど、元気ならいい」
消え入りそうな呟きの後、雪那は俯いてしまった。また泣かせてしまったのかもしれない、こんな事をなくしたいから戦場に戻ったのに本末転倒にもほどがある。
「――心配、してくれたんだな。ありがとう」
どうにか搾り出したのが、そんな短い感謝の言葉だった。
「――たった一人の兄さんなんだから当然でしょう」
「……そうか」
そう返すのが精一杯だった。雪那の言葉に対する喜び、感謝、後ろめたさが俺の中で綯い交ぜになっていた。言葉を続けようにも、どうしようもないほどに頭が鈍っている。だが、嬉しかったことは確かだ。
「あー、お邪魔?」
「「!?」」
少し不機嫌な声が沈黙を破った。声の方向を見るとひどく疲れた様子の滝原が死んだ目でこっちを眺めていた。贔屓目に見てもひどい状態、髪はボサボサ、目の下にクマも浮かんでいる。どうみても徹夜明けだ。
「か、一菜!? いつから其処に!」
「五分前からよ、何回もノックしたんだけど……]
五分前ならこの一連のやり取りの最初からだろう。そう思うと少し気恥ずかしい。
「まあ、仲直りしたならそれでいいわ」
ぶっきらぼうにそう言いながらも、滝原はどこか楽しそうに見える。そのまま、気だるそうな足取り、ベットに近寄り、雪那が座っていた椅子に腰掛けた。
「はあ」
深く息を息を付き、一瞬頭を抱え込む。まさしく疲労困憊と言った有様だ。
「大丈――」
「大丈夫じゃない」
即答だった。その声も覇気にかけている、見た目以上に重症らしい。
「また審問会?」
「ええ、これで三回目。嫌がらせもここまでくると清々しいわ」
雪那が聞いた。審問会か、今回の一件のことに違いないだろう。今も昔も、責任追及と貧乏くじの押し付け合いは恒例行事だ。だが、今回は俺が上手くやれば済んだ話、申し訳ない。
「すまん」
「だから、謝らないで。貴方はいつも上手くやってくれてるわ、今回は司令部のミスよ」
滝原はそういってくれるが、俺はそう思えなかった。新造永久炉に、空間転移、そしてあの女、予想しようとしてできるようなものじゃない。そんな状況でも、滝原は最善を尽くし、実際被害を最小限に留めた。足りなかったのは、俺の力だ。
だが、後悔より先にやるべきことがある。
「あの後どうなった?」
聞くべき事を聞かなければならない。あの後どうなったのか俺にはさっぱり分かっていないのだから。
「……貴方のおかげであの場にいた部隊の半分は助かったわ。それでも支部の機能は停止寸前よ、再編の目処はたってない」
あの場にいたのはおそらく五十人前後のはず、その半分、一個小隊程度の人数を俺は救った。そういえば聞こえはいいが、俺は半分の人間を救えなかった。事実はそうだ。
「連中は?」
「追跡はできなかったわ、転移回廊で追おうにも今はそのための技術が無いし、おったところで結果は見えてた。ドローンは全部高性能でも既存技術のものだったわ。通信の声紋検索も該当者無し。でも――」
言葉に詰まった滝原が、雪那のほうを伺う。それに気付いた雪那が頷くと滝原は意を決したように続きを話始めた。
「貴方が倒した奴等、使われていたのは貴方たちと同じ技術やその発展型よ。、ナノカーボン骨格、エナジーライン、生体装甲。永久炉以外はほとんど完全な貴方達だった」
分かっていたことだが、改めて聞くと余計に怒りと嫌悪感が湧いてくる。彼女の意思も知らない奴が、形だけとはいえ、俺達の姿を真似ることなど絶対に許されない。
だが、そのおかげで分かることもある。
「つまりは、組織の残党か」
「ええ、それも今までにないほどの規模のね」
案の定と言ったところか、あの男の言動から予想は付いていた。そも俺達の技術を再現できるのは組織しかない。いや、そんな理屈などなくても、心のどこかで俺の敵は奴等だと最初から確信していた。
「何時までもしつこい……」
心底うっとおしそうに雪那がそういった。驚いていないところを見ると俺と同じく分かっていたのだろう。
「でも、分かったのはそこまで。五年間もばれずに潜伏し続けてたことはあるわね、尻尾がつかめない」
「八方塞ってことね」
散々コケにされた挙句、その相手を追う事もできない。再編の目処も立たない、状況としては限りなく最悪だ。
「でもないわ、一つだけ、一つだけだけど手がかりはある」
「――?」
だが、滝原は不敵に笑った。五年前でもそうだったが、こういうときの彼女は誰よりも頼りになる。
「永久炉よ、あれだけは組織でも復元不能。ブラックボックスの最終アルゴリズムを知ってるのはこの世に二人だけ……」
「……なるほど」
物憂げに呟いた雪那と違い俺は声を出せなかった。単純なことだ、俺はその単純なことから眼を背けていただけだったのだ。
俺はその二人を良く知っている。誰よりも近く深く長く、始まりから終わりまで付き添った女とどんな敵よりも因縁深く、恐ろしい永遠の敵のことだ、この世の誰よりも理解していると断言できる。だからこそ、向かい合うのが恐ろしかった。
「――あいつはどこにいる」
「……棺桶よ」
俺の質問には雪那が答えた。答えを聞いた瞬間、少なからぬ驚きが俺を打ちのめした。あいつが捕まったという事実はそれほどに衝撃的だった。
「三年前、私が倒した。ほとんど自首みたいなものだったわ、もう地上にいてもつまらないってね」
とことん忌まわしげに雪那がそう答えた。そういえば雪那とアイツは相性最悪を通り越して、出会った瞬間殺し合うレベルで嫌いあってたな。
だが、まあ自分からつかまるとは奴らしいといえば奴らしい。何時だって奴にとっての世界は俺か、それ以外かに分類されていた。だから、俺が消えれば奴も消えた、そういうことなのだろう。
「もし、永久炉を作れるとしたらそれはサーペントしかいない。解式を教えられるのも、サーペントだけ。――だから、会いに行く必要がある」
「――わかった」
やはり最後は奴へと戻る、五年前と同じだ。組織とUAF、瑠璃華と彼等、俺と奴、すべてがコインの裏表、片割れがある限り片割れもまた残り続ける。まるで悪夢だ。
どうも、みなさん速さの足りないbig bearです。
新章開幕アンド説明回でした。次回はヤンデレ?登場かも…?
では、こんなだめ作者と拙い文章ですが、どうかこれからも暖かい目でよろしくお願いします。
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