“ある日の先輩”
日が沈んで夕日の茜色が教室に照らされる放課後、僕は鞄を持ちある場所へと向かった。
そこは本独特の黄ばんだ匂いが立ち込める本と本棚とテーブルにパイプ椅子が幾つかあるだけの狭い部屋だった。
中に入ると少々埃っぽく、つい咳き込んでしまう。
だが窓から流れ込む夕暮れの日の光が一人の少女に照らされ、その光景に目を奪われ咳き込んでいるのも忘れてしまう。
パイプ椅子にお行儀がいいのかわるいのか、きちんと靴を脱いで体育座りで一冊の本を読む姿は宛ら“女神”だった。
そう思わせる雰囲気がそこにはあった。
腰近くまで伸びた黒髪を纏めたおさげに綺麗で染み一つない白い肌、長く膝下まであるスカートはよく似合っていた。
おまけに窓から入る茜色の日の光が優雅な演出をして余計に大人びた雰囲気を醸し出す。
「♪」
たまに笑う仕草はどこか子供っぽくもあり、僕の胸の内をくすぶる。
「……。ん?あ、楼君っ」
楼とは僕の名前だ。
僕に気付くと、本を読む時のくすっとした笑いはなく、純粋な嬉しそうに笑った顔に変わる。
「今日は少し遅かったね」
「寝てましたので」
「うわ、素直な回答」
「それが僕ですから」
さっきまで見惚れていた恥ずかしさを隠すようにてきとーに返して入り口の隣に置いてあるパイプ椅子を組み立てテーブルの前に座る。
「それよりさっさと部活始めましょう」
「うふふ。わかったわ」
彼女、水奈帆和先輩は笑い、ホワイトボードの前に立つ。
「さて、我々“文芸部”の活動を始めたいと思います」
我々って。二人しかいないのに。
「では早速三題噺でも書きましょうか」
三題噺って突然だな。いつものことだけど。
しかも毎日してるような言い方してるけど、実際は今までしたことないのが事実。
大方今読んでいた小説に出てきたんだろう、三題噺が。
なんて物語に影響されやすい人なんだ、この人は。
「恋、夢、嵐の三題で噺を書いてね」
なんでよりによってその選択なんだ。僕にとって苦以外のなにものでもないぞ。
「はい。では始めます。制限時間は50分。よーい、スタート!」
先輩はどこからか懐中時計を取り出して時間を計り出した。
仕方ないので呆れながらも原稿用紙とマイシャープペンシルを取り出して書き始める。
出だしはそうだな……一人の少女は憧れていた先輩に恋をしてしまったのだが、実は先輩には恋人がいて、その恋人というのが友達だったって感じでいいかな。
そして少女は恋に破れ、悔しさを噛み締めながらも持ち前の明るさで幼い頃からの夢を追い求めることを決意する。
その夢を叶える為に数々の試練の嵐にぶつかりながらも挫けずに頑張って夢を叶える。
……。
…………。
………………。
よし、出来た。
「タイムアウトーっ」
丁度時間なようだ。
書いてる時に先輩は何かしてた気もしたが、僕は集中していた為に全然気にしてなかった。
「じゃあはい、貸して」
「……どうぞ」
僕はそれを渡して力尽くして突っ伏す。
てきとーに思い付いたことをそのまま書いただけの駄文を丁寧に、それも、大切なものを扱うように文字をなぞってゆく。
その透き通った優しい目で読み、白磁な肌の指で文字を追ってゆく。
そんな先輩にも突っ伏した顔を上げながら見惚れていた。
「……うん」
先輩は頷き、太陽のような輝きを放つ向日葵のような笑顔をその染み一つない綺麗な顔浮かべた。
「いい感じねっ」
そう言われて安堵している僕がいた。
「憧れの先輩……恋の王道ね。それに先輩には恋人がいて、その相手は大の親友だなんて……なんて切ないのかしら。それを知って主人公の女の子は憧れていた先輩を諦め、幼い頃からの夢だった先生になることに努めるのっ」
自分の書いたものがこうも評価されながら読まれると言うのは、むず痒くてしょうがない。手が届かなくてさらにもどかしくもある。
「でもそこからが一番の難所ね。女の子は先生になる為に勉強をして遂には先生になったわ。そしてクラスを持つ先生として勉を振るの。まだ成り立てで教えられるどころか生徒に指摘されてばかりの生活……それに疲れて投げ出そうとしてしまう女の子。だけど自分の明るさと前向きな考えでもってまた頑張ろうと生徒の前に出る女の子……っ!」
そこから僕は恥ずかしくて顔を突っ伏して真っ赤になった顔を隠し、ついでに聞こえないように耳も閉じた。
心地よい音を奏でる先輩のソプラノボイスであんな風に自分の書いた物語を読まれると言うのはこそばゆくて仕方ない。
こんな即興で作り上げたものを先輩は感情移入しまくりで読み僕を悶えさせた。
なんで僕がこんな目に遭わなくてはいけないのか……それは数ヶ月前、僕が入学してから一週間が経ったある日のこと。
僕は友人に会いに、たまたま茶道部に用があって見学しに行っていた時に部長さんと話し合う先輩の姿があった。
内容はよく覚えてないが、何か楽しそうに話していたことは覚えている。
そして先輩は僕の方を向き、こう言った。
――ねぇ。文芸には興味ないかしら?
唐突過ぎて言葉が出なかった。
確かに僕は見学者だったが、まさか勧誘されるとは思わないだろう。
そうして僕は先輩と出会い、半ば強引な感じで僕はめでたく文芸部の仲間入りしたのだ。
「ねぇ、私の話聞いてる?」
先輩との邂逅を思い出していると、ふいに横から声がした。
というか先輩本人だった。
か、顔が近い……っ!?
ガタンッと椅子が音が立ったと思えば後ろに倒れた。
僕が驚いて背もたれに寄り掛かった反動で体重が後ろに乗っかったのだ。
「――わっ?!」
そして僕は背中と肩を強打して仰向けになった。
「あ、大丈夫楼君っ?」
「……いてて。まぁ、なんとか」
そんなに大袈裟にする程でもない。
先輩に原因があるとはいえ、僕が女子の免疫がないのもどうかしていると思う。
……色気のない高校生活か。
まぁ、覚悟はしていた。灰色な人生になることも、期待や希望はなく、ただひたすらに現実しかないことも。
僕は卑怯な奴なんだから。
「気をつけてね。怪我したら大変なんだから」
「……はい」
返事しながら起き上がり、崩れた椅子を組み立て直す。
「まぁ、埃だらけ」
「え」
先輩は僕の服に付いた埃を払い落としてくれた。
顔が近く、こんなことを先輩になんて……とか思っていながらも、内心嬉しかったりする自分に恥ずかしさやもどかしさが蠢き合う。
「……よし。これでいいかな」
「ありがと……ございます」
「うん。汚れは心の汚れ。綺麗にして心もさっぱりに。ね?」
――トクン
心臓が跳ねる。
頬が熱く、胸の動悸が早い。
これはなんなのだろうか。先輩の微笑みを見てしまったからだろうか。
「そうですね。これからは気をつけます」
「うん。楼君はたまにおっちょこちょいするから、時折心配だったりするの。だけどそこがギャップ?だったりしてかわいいとは思えるのよね」
「……っ」
ずるい。先輩はずるい。
そんなかわいい仕草で笑いながらそんなこと言われたら、男にかわいいはないとか反論が出来ないじゃないか……。
「どうしたの?顔赤いよ?」
――それは先輩のせいです!
それが言えたらどれだけいいか。
僕に勇気があれば、言えるのだろうか。
「……き、気のせいです」
「そう?何かあれば言ってね。私が力貸してあげるから」
「……はい」
言ってしまおうか。
そんな気の迷いが生まれた。
イタズラでも正気でもなくても、先輩後輩な関係を壊してまで別の関係にするのは怖いけれど、一歩踏み出してしまえばあとはどうにかなるものだ。
「……先輩」
「ん?なにかな?楼君」
でもいいのだろうか。
……よくなくても、このままではなにも進まない。きっとぐだぐだしてこのままなにもなくて終わる方が嫌だ。
「……先輩、名前で……下の名前で呼んでけれませんか?」
「え、どうして?」
「それは……先輩に呼んでほしいんです。僕の名前を……」
「……えっと」
先輩は顔を淡く赤らめさせ、迷ってるのか旬順させたあと、
「……穂輝君」
穂輝、そう僕の下の名前で恥ずかしそうにだけど、そう呼んでくれた。
君は取れてなかったけど、嬉しかった。
それが僕には嬉しかったんだ。
「和先輩、好きです」
だからだろうか。
つい言葉が口から出てしまっていた。
「――っ!?」
その時の先輩の慌てよう……愛らしくかわいらしく、僕はいとおしく思った。
「好きです。あなたのことが、一人の女性として……好きなんです」
「~~~~~~っ///」
照れ臭かったけど、それよりも伝えたい気持ちが溢れ、僕は先輩に告白をしていた。
「……えと、その、気持ちは嬉しいけど……あ、待ってっ。~~~~っ」
待てと言われて僕は先輩の返事を待つ。
すーはーと呼吸の乱れを整え、先輩は言葉を紡ぐ。
「……そのね」
「はい」
「まだまだ不出来で至らない点が多少ある私ですが、どうぞ宜しくお願い致します」
――はい、こちらこそ
僕は礼儀正しい礼を見て、こう思った。
なんて奥ゆかしい人なんだろう、と。
「で、でもっ……男の子はそう言うことしたいと思うけど、そ、そう言うことは大人になってからねっ」
なんて意味不なことを言われたが、
「……え、あ、その……え、えっち…///」
なんてもじもじと言われて、あぁ……そう言うこと。なんて、そう言うことを考える方がなんだか意識してるみたいで、さらに先輩をいとおしく思った僕であった。
というか、確かに僕も男だし、そう言うことも考えたりするけど、さすがにそんな風に言われると意識してしまう。むしろ火に油のごとく、この先襲ってしまわないか理性と相談の日々になってしまう……。
大人……か。きっと先輩のことだから成人したらかな……気が遠くなるな。
そんな先輩とのある日の放課後の出来事。
ここまで見てくださりありがとうございます。
どうだったでしょうか?
どんな感想をお持ちになったでしょうか?
その気持ちを忘れずに胸の内に閉まっておいてください。
私からは以上です。
楽しんでいただけたのなら恐悦至極、満悦の極みでありますm(__)m