私のシュトーレン
マリアがロザリアの居室に帰ると、ロザリアは早速カカオ豆を広げ乾燥させているところだった。
にこにこした顔でロザリアが言った。
「明日は料理長に会わなくっちゃ。チョコレートは作るのに時間がかかるから…ちゃんと予定をきかないと。
今年の誕生日はチョコレートで盛大に二人でお祝いしましょうね。」
ロザリアの喜ぶ姿をみてマリアは明日もロザリアの身代わりになることを覚悟したのだった。
次の日の朝、ロザリアは侍女服に身を包み自室を後にした。
「ね、料理長、今度竈をまたかして欲しいの」
侍女マリアのふりをしたロザリアは、前回料理長と会った庭にいた。
「何を手に入れたんだい。」
ロザリアはふふっと笑った。
「カカオよ。」
「珍しい。でも、マリアちゃん、この城にもカカオとチョコレートもあるよ。
気の毒な姫さんを気遣うマリアちゃんに宰相が感動した、ってことで食材は融通できるんだよ。
宰相もマリアちゃんに興味があるのかもな。会う時は必ず教えてくれって言われたしな。」
料理長も笑いながら言う。
「ありがとうございます。でも、さすがに高いものは…ちょっとね。」
宰相の話は聞かなかった事にして、カカオとチョコレートの話だけ返答し、にっこりと微笑む。
ロザリアは最近お菓子を作ったら、出来たと連絡しなくても必ず持って行かれるのは、そういうわけだったのかと納得する。
そして、厨房の予定を聞き次回、厨房を貸してもらえる約束を交わす。
「今日は帰るのかい?」
料理長が尋ねてくる。
本当は何も作るつもりはなかったのだけれど……暇だし…マリアごめんねと、ロザリアは思う。
「作っていってもいいんですか?」
ロザリアが尋ねると料理長は「もちろん。」とロザリアに返事をした。
「材料は何がいる?」
料理長の問いかけにロザリアは何を作るかレシピを思い出す。
「そうね、今日はシュトーレンを作ろうかしら。」
そう言い材料を料理長に伝えると、料理長の相変わらずキビキビした動きの部下達が材料を準備してくれた。
「マリアちゃん。わしはこれで帰るよ。」
そういい料理長は部下を一人残し帰って行った。
シュトーレンの生地を混ぜお菓子を作る時にいうおまじないを言う。
「私のシュトーレン、素敵になって会いましょう。」
おまじないを終えシュトーレンの生地を発酵させる時間、暇を持て余したロザリアは、久しぶりに城の庭園を散歩することにした。
普段、マリアのふりをした時のロザリアは極力出歩かないようにしているが、今日はたまたま姿を知る女官長が今日は執務で外出しているから安心だとロザリアは思う。
料理長の残った部下に声をかけ、庭園に出る。
姿を知る女官長に見つからなければ、侍女のふりがばれないよう立ち振舞うロザリアの姿は、何事もなく周囲をごまかしていた。
ロザリアはこの城の庭園が好きだった。
側室の姿のままでは、庭園に出ても庭を楽しむ前にいらぬ話や人が入ってきて気の休まることがない。
けれど、侍女のマリアの姿をしていればゆっくりと庭も楽しめる。
庭を散策していると、侍女達の噂話が聞こえてくる。
「ついに王様もお妃さまを迎えられるそうですわ。」
「公爵さまの娘ですって。」
「そうなんですの、側室の方は一応王女ですのにね。」
「おきのどく。」
「私は、お相手の方は隣国の王女だって聞きましたわ。」
本当に王宮の侍女の集まりとも思えない身のない会話が聞こえる。
ロザリアの立場であれば、寂しさや焦りを感じなければいけないのだろうけれど…ロザリアはそろそろ祖国に帰れるかなぁ…なんて嬉しさの方が勝ってしまう。
庭から聞こえる声を無視してロザリアは庭園の奥に入っていく。
庭園と呼ぶより林と呼ぶ方が相応しいのかもしれない、本宮に近いはずなのに、そんな事を忘れさせてくれる。
森林の、草木の青い香りが気持ちよく、ロザリアの気持ちも自然と緩む。
冷たい風が流れる。
「ほんと、なんのためにいるのか…。」
ロザリアは気難しいと知られる庭師がいないことを確かめてつぶやく。
マリアに言えば泣かれるか怒られるか、どちらだろう。
そこまで祖国に帰りたい訳じゃない。
国に帰ったとしても問題はある。ただこの暇と、誰からも必要とされていない今が中途半端なだけ…
私が強くあらねばとロザリアは自分を戒める。
風に触れる草木のざわめきではない、人工的な草木の触れ合う音がする。
気のせいではない音。
そして今までとは違う香り。
これは?
「誰?」
ロザリアが声を上げる。
今まで気持ちが良かった庭園の空気が緊張を帯びたものに変わる。
「そう慌てないでください。侍女殿。」
木陰にいたのは背の高い青年だった。
藍色の瞳に風に軽くなびく髪、そして仕立てのよい服…一目で身分の高い人物だとわかった。
もっとも城の庭園に自由に入れるだけの身分を持つ人間は、そこで働く人間を除けば王族か限られた貴族になるはずだが。
「申し訳ございません。」
のんびり侍女が歩くのは場違いだと思い急いで謝る。
「名は。」
咎められているわけではないのに人をひれ伏させる威圧感、上に立つ人間の匂いがした。
料理長や宰相で慣れていなければ答えることすら出来なかったかもしれない。
「ロザ…側室付の侍女をしております。」
目を伏せ礼儀正しく答える。
「お前が…。」
柔らかかった先ほどの口調が少し変わった。
そして青年は納得が言ったようにうなづく。
「それでは失礼いたします。」
腰をおり背を向ける。
「今日は何を作っているんだ。」
ロザリアは反射的に大きく振り向く。
帽子の中に隠していた、きっちりと結った黄金の髪が少し乱れて落ちる。
「シュトーレンでございます。」
咄嗟に一言いい、ロザリアは一礼して立ち去った。
誤字脱字修正しました。
マリアがロザリアの居室に帰るとカカオを早速広げカカオ豆をロザリアは乾燥させているところだった。→表現修正いたしました。
ご指摘ありがとうございます。
文章推敲いたしました。