真実の愛って何なのかしら?
「ねぇ。ジーク。私、愛人を作ってみようと思うの」
「は?」
私は長椅子に優雅に座りお茶を飲んでいるところで、思い立ったように言いました。
そうよね。そういう反応になるわよね。
そして、周りにいる侍女たちは、私の言葉に悲鳴を上げ、物を落とす音や陶器が壊れる音が響きます。
あ、花瓶の破片が遠くまで飛び散っていますわ。
「突然、どうされたのですか」
そう私に聞くのは、この屋敷を取り仕切っている執事のジークフリートです。
肩口で結っている銀髪が鬱陶しいのか後ろに流し、右目につけているモノクルを上げながら聞いてきました。
真面目が服を着て動いていると言っていいジークからすれば、珍しく動揺しているようです。
「さっき夫に言われたことにカチンときたのもあるけど、もういいかしらと思って」
そう先程あったこと。それは……
*
「いつになったら、サインをいただけるのかしら?」
私はとある部屋の扉を勢いよく開けて、押し入ります。
「きゃ!」
「カレン。君は無粋だねぇ」
昼間から引きこもって、いちゃいちゃしている人に言われたくありませんわね。
「無粋というのでしたら、節度というものをもってから言ってくださるかしら? それとも、その女ごと追い出してもよろしくてよ?」
ベッドの上でタバコを吹かしているクソ野郎に、現実を突きつけます。いい加減追い出してもいいと思っていますもの。
「くくくっ。このレリマーレン伯爵家が現在あるのは、誰のお陰なのでしょうかねぇ」
「ちっ!」
逆に現実を突きつけられたのは私ですか。まぁ、このようなことはいつもの話です。
「ならば、レリマーレン伯爵としての仕事をしていただきたいものですわね」
私は早急に伯爵のサインが必要な書類を目の前に突きつけます。
これは一か月前に渡した書類なのですけど。
「仕方がないですね。サインしますから、そこに置いて出ていってくださいね」
「それで、サインされた書類が返ってきたことは一度もないので、今すぐサインをしてください。でなければ、ここで居座ります」
「ほぅ……君も一緒に……」
私は素早く右手を振ります。するとベッドの背にナイフが突き刺さりました。
それも伯爵の仕事をしないバカの横をスレスレに飛んでいったのです。
そしてもう一つ投げつけます。
「私の手元が狂わない内に、サインをお願いしますね」
私はにこりと笑みを浮かべて言いました。ナイフを投げつけながらです。
「この狂犬のレリマーレンが! 誰がお前など、好きこのんで妻にする者がいるというのか」
「それは聞き慣れましたから、もう少しユーモアのあることをおっしゃってください。そして手を動かす!」
はい。この色ボケ伯爵が私の夫です。
その夫の愛人のミレーネは私から身を隠すようにベッドの中に潜っています。
昼間からいちゃいちゃする暇があるなら、サインを一つでも書いて欲しいですわ。
そして私は渡された書類を持って部屋を出ていきます。
「ああ、そうですわね。私も愛人を作れば、貴方は用無しということですわね」
「できるものなら……」
夫の言葉を最後まで聞かずに、扉を思いっきり閉めます。
わかっていますわよ。他の貴族からレリマーレン伯爵家がどう言われているのか。
*
「誰のお陰でレリマーレンが存続できているのかって言われると、流石にもういいかしらと思ってしまったのよね」
はっきり言って、夫のギルフォードは婿養子です。
レリマーレン伯爵家の血筋は、この私、カレンシエラ・レリマーレンにあるのです。
ため息を吐きながら、ティーカップの中の紅茶に映り込む私を見ます。
紅茶の色越しでもわかる漆黒の髪。いつも怒っているのかと勘違いされてしまう鋭い目。
美人の母親似と言われていますが、父親似の目のお陰で、遠巻きにされているのが多いのです。
「それもこれも、私がこんな苦労するのは
、全部お兄様の所為なのですからね!」
そうなのです。私には五つ上の兄がいるのです。
十五歳のときに王都の騎士団に入団して、父がそろそろ跡を継いで欲しいと連絡を入れれば、一通の手紙だけが返ってきたのです。
『真実の愛を見つけたので、後は妹のカレンに任せる』
と書かれた手紙がです。
「何が真実の愛ですか! 剣術バカの兄の真実の愛って、どこかの名工が打った剣とかではないのですか!」
「そこまでのことは、無かったと思いますよ」
「ジーク。お兄様の心友であれば、お兄様の行き先ぐらい知っているのではなくて?」
私の目の前にいるジークは、騎士団で兄と同期だったのです。
何故、その兄の同期であるジークフリート・フィロステア侯爵子息が我が家の執事なんかをしているのかという話になるのですが。
「親友ではなくて、腐れ縁ですよ」
「どこが違うのですか……はぁ。お兄様の捜索に進展はないのですか?」
「そうですね。国内の剣の名工のところと、有名な騎士を排出する貴族の令嬢や隣国にも手をのばしましたが、これと言った情報はありませんでしたね」
あの剣術バカの兄の趣味をよく理解しているので、心友でいいと思います。
その剣術にしか興味をしめさなかった兄の心友が、何故我がレリマーレン伯爵家の執事などをしているのかと言えば。
その兄の手紙を持ってきたのがジークだったのです。
手紙を読んで頭を抱える父。
そう、父はとてつもない境地に立たされたのです。
兄の婚約者のアスメルト伯爵家に説明に赴かなければなりませんでした。そればかりか、兄が私をレリマーレンに譲ったので、私の婚約者を探すことに奔走しなければならなくなったのです。
狂剣のレリマーレン。凶刃のレリマーレン。血の雨を降らせる狂犬。など悪い二つ名を言われているレリマーレン伯爵家の婿養子探しをです。
翌日。探さないでくださいという置き手紙と共に消えた父。
母は私が十歳のときに亡くなっており、説明もなしに消えた父に私はブチ切れていました。
『秋の収穫祭前に消えるなんてワザとですわね!』と。置き手紙をぐちゃぐちゃにして憤っていたのです。
これでは十八歳の私一人で、収穫祭の準備をしろと言っているようなものです。
父の手伝いをすることもあり、何をすべきかはわかっています。ですが、所詮伯爵令嬢の小娘がしゃしゃり出てきたからといって、実際に動くのは領民です。まとまるはずがありません。
レリマーレン伯爵である父の命という理由が、あるのとないのとでは雲泥の差なのです。
それを側で見ていたジークが、収穫祭が終わるまで手伝ってくれると言うではないですか。それは、わらにもすがる気持ちでお願いしますわよね。
そして雪が降り出したころ、父がギルフォード・アスメルト伯爵子息と共に戻ってきたのです。
物言わぬ姿でです。
一瞬、アスメルト伯爵が父を殺したのかと疑いましたが、ギルフォードの説明では、崖崩れに遭い、近くの村人に救助されたと。
自分たちも色々手を尽くしたが駄目だったと。
連絡が遅くなって申し訳ないと。
私との婚姻書を提示しながら言ってきたのです。
確かに父が出ていったあとに、二日ほど嵐の日が続きました。そして父の身体には治療の痕跡もあったので、嘘ではないでしょう。動けない身体であったことも。
死に際の父がアスメルト伯爵に、レリマーレンを頼むと言って私との婚姻の契約書にサインをしたそうです。
どこまでが嘘で、どこまでが本当なのかは、当時の私にはわからないことでした。ですが、レリマーレン伯爵家を潰さないためにも、ギルフォードの婚姻を受け入れることにしたのです。
そう、メイドという名の愛人を背後に控えさせたギルフォードでもです。
そして、その1ヶ月後に執事見習いとして我が家の門を叩いたのが、ジークでした。
『どうされたのですか?』
『私が軽率にアレンの手紙を渡さなければ、このようなことにはなっていませんでした』
『フィロステア侯爵子息様が、責任を感じることはありません。それに我が家の執事見習いなど、もってのほかです』
『五男なので、大したことはないです。それに騎士団は辞めてきたので、ここを追い出されれば、路頭に迷ってしまいますね』
と言われてしまったので、執事見習いとして雇うことにしたのです。
が! そのジークの働きがいい。形だけの何もしない夫よりも、断然仕事ができるのです。
まさに真面目が服を着たと言っていいジークがです。
まぁ、ですから、しなくてもいい責任を感じてしまったのでしょう。
こうして、私のダメ夫と愛人と私との生活が始まったのです。
しかし三年もよく我慢したと思いますわ。
名だけだろうと、夫は国王陛下からレリマーレン伯爵と爵位を与えられたのです。
伯爵の名が必要な書類が山程あるのですが、全くやる気がない夫に仕事をしろという日々。
そして金だけはくれと言ってくる夫。
プラス。アスメルト伯爵家にも金を流せと……くっ、父のサインがはいった婚姻の契約書さえなければ。
ええ、毎年アスメルト伯爵家に金を渡すことが書かれていたのです。
金貨100枚も。
しかし、しかし、三年も待ったのです。もう良いですわよね。
「私が何か動くと、これだからレリマーレンの者はって言われるでしょ? だから愛人を作って、貴方なんて用無しよと言えばいいと思ったのよ」
他国との戦争の時代は、レリマーレンの剣は大いに戦果をあげました。しかし平和な時代は、その剣技が途絶えないように血を残すのみ。
私の役目は、レリマーレンの血を途絶えさせないことなのです。
「何処かに、いい種馬っていないのかしら?」
「ひっ!」
「おおおお奥様!」
「怖い。怖いわ」
何故か私の発言に、恐怖する使用人たち。
ああ、また別の花瓶が割れてしまいましたわ。片付けないと危ないですわね。
腰を抜かしている使用人もいるので、私が動こうとすれば、ジークに肩を押さえられてしまいました。
あの、それでは立てませんわ。
「カレン様の好みを聞いてよろしいでしょうか?」
「私の好み? そうね〜」
私の好みはやはり……
「フィンがやっぱりカッコいいわね。あのしなやかな筋肉。走っている姿なんて、何時間でも堪能できるわ」
「それはカレン様の愛馬です」
あら? 違うのそれなら……
「ビーのつぶらな瞳が好きね。私の言葉を聞いて嬉しそうに走っていく姿なんて……」
「それは猟犬です。主であるカレン様の言葉を聞くように躾けられています」
これもダメなの?
私は手を伸ばします。そして、そっとふれました。
「それなら、私の可愛い……」
「それは猫です」
「最後まで言わせてよ。このティラのビロードのような黒い毛並み。エメラルドのような気品ある瞳。この屋敷の女王様のような気高さ。ああ〜かわゆい」
「凄く嫌そうに前足で突っ張られていますけどね」
そこが可愛いのよ。微妙な距離間でくつろぐティラに、私は癒やされているのよ。
「カレン様が『種馬』とおっしゃったのですから、同種族でお願いします」
あら? 壁際に控えた使用人たちがガタガタ震えているけれど、寒いのかしら?
今は気候のいい春ですのに。
「ジーク。『種馬』に私の好みは必要かしら?」
「必要ではないということですか?」
当たり前よ。誰が、偽装とは言え、悪どい二つ名があるレリマーレン伯爵夫人の愛人に、なりたいという人物がいるというの。
領地内で盗賊が暴れていると聞くと、一人で領地内を駆け回って、捕縛したとか。
農作物を荒らす繁殖時期のワイバーンに困っていると聞けば、剣を片手に討伐したとか。
襲来してきた飛竜を一刀両断したとか。
お陰で、狂犬レリマーレン伯爵令嬢は変わっていなかったと……あ、この話は忘れてください。
いらないことを思い出しますので。
「必要なのは、強いことよ。『種馬』にそれ以外を求めてどうするのよ」
ええ、私の愛人役を引き受けてくれる、強靭な心の持ち主ってことよ。
あのギルフォードを追い出す間、私の隣にいる根性があればいいのよ。
ジークは一瞬だけ何かを考える素振りをし、再び私に視線を合わせてきました。
「それでは、私など如何ですか?」
「は?」
ジークを愛人に?
確かに見た目は、侍女たちや下働きのメイドたちから、キャーキャー言われるぐらいいいです。
が、ジークですか。一番に候補から外す人物ですわね。
「ねぇ。例えば町に出かけて、私とジークがいたとすると、町の人々は何と思うかしら?」
「何か問題がないか見回っていると……ああ、そういうことですか。私では愛人の役不足だと。困りましたね」
……何も困りません。他の人にお願いするだけです。
それにほとんど一緒にいるジークと私の姿をギルフォードが見ても、また仕事の話をしているのかと思われるだけです。
「では、試しにデートをしてみませんか?」
「……デェト? ジーク。どうしたの。別にジークでな……」
「奥様。それはいい案だと思いますわ。さぁさぁ、こちらに来てお着替えをしましょう」
「マリエッタ。ちょっと待って、私はジークでなくても……」
「奥様。春らしい青いドレスは如何です?」
「メリアーナ。私は」
「さぁさぁ。こちらに」
「奥様。楽しみですね」
何故か私は侍女たちに連行され、外出用のドレスに着替えさせられてしまったのでした。
「とてもお似合いですよ。シエラ」
「ふぉ!」
え? 何故にそっちで呼ばれたのですか?
いつもの使用人の服ではなく、貴族が着る上品なスーツを身にまとったジーク。その姿に三年前の姿と重なります。
ジークフリート・フィロステア侯爵子息。本当にこのようなところにいる方ではないというのに、いつまでこの方は贖罪をし続けるのでしょう。
本当に私の愛人候補から一番遠い人。
「あの? いつものカレンでいいのですよ」
「おや? 最初に挨拶をしたときに、そちらで呼んでいいと言われましたよ」
……え? 私はそのようなことを言ったかしら?
記憶にありませんわね。
「そうなのですか?」
「そうですよ」
きっと兄の失踪と父の死で、色々忘れてしまったのですね。
「お手をどうぞ」
首を捻りながら馬車に乗り込みます。
そして今日は何故か隣に座ってくるジーク。
近いですわよ。
「そうだわ。出かけるのであれば、河川工事の状況を……」
雨季になる前に、完成しておきたいので、進捗状況を確認したいと言おうとしましたのに、ジークの指が私の唇を押さえてきました。
ななななななんですの!
「今日は仕事の話はやめておきましょう。デートですからね」
凄くデェトを強調された気がするのですが? 気の所為でしょうか?
まぁ、いいですわ。
今日はギルフォードからサインをもらって、止まっていたことが進んだので、良しとしましょう。
ジークの言うデェトに付き合いますわ。
「そう、それでどこに行くのかしら?」
「それは、このメリアーナにお任せください!」
私の侍女としてメリアーナがついて来てくれています。その手には手帳があり、それをペラペラとめくっています、
「オススメデートスポットを侍女たちからかき集めてきました。まずはですね。最近できたケーキ店に行きましょう!」
「メリアーナ。よだれが垂れているわよ」
「じゅる。失礼しました。中々行けないので、奥様の権力を使って、お土産を買ってくるようにという使命を果たさせてください」
誰に言われたのかは知りませんが、そういうことは口に出さない方がよくてよ。
「確か王都に本店があるベルアモーレというお店ですね。出店の許可が三ヶ月前に出されていましたね」
「あら? そうなの? こんな辺鄙な伯爵領に店を構えなくてもいいでしょうに」
「何を言っているのです。奥様。治安が王都の次にいいというレリマーレン伯爵領で店を構えることは一種のステータスだと聞いたことがあります」
「そうなのね」
私は父のやっていたことを見様見真似で、やってきているのです。今の状況が当たり前なので、一種のステータスと言われても、そうなのねとしか言いようがありませんわ。
「レリマーレン伯爵領の治安の良さは、よく耳にしていましたね」
「それも領兵が治安維持に努めているからですわね」
私は馬車の窓から外を見ます。
半裸のおっさんが筋肉自慢をしているところを見てしまいました。
はぁ、またやってるのですか。
「あれほど隊服を着ろと言ってもわからないのですかね」
「今日は仕事の話はしないということではなかったの?」
ジークも丁度見てしまったようです。
筋肉ムキムキのおっさんたちが集まって、筋肉自慢をしているところを。
「そうでしたね。帰ってからシメておきます」
横目でみるジークは、いい笑顔を浮かべていました。
私からすれば、半裸のおっさんたちが屋敷の敷地内をウロウロしているのが、当たり前の日常だったので、何も思いませんでした。
しかし真面目が服を着たようなジークの癪に触ったようで、領兵の隊服の着衣が義務付けられたのです。
一部の下働きの女性たちからは、残念がられていましたね。
「到着しました。しばしここでお待ち下さい!」
メリアーナが馬車から出ていき、必然的にジークと二人っきりになってしまいました。
取り敢えず、聞いていいかしら?
「どうして、このような私の戯言に付き合おうと思ったのか教えてくださいませんか? ジークフリート様」
「戯言だと自覚があったのですか?」
ありますよ。
ギルフォードとの縁を切ろうと思えば、できなくもないのです。
今回のはただ単に当てつけです。
「当たり前ではないですか。誰が王都を襲撃していた暗黒竜を倒した者を伴侶にと望むのですか」
私が十歳のとき、王都を襲った竜の軍勢。父も参戦するため剣を持ち王都に駆けつけ、魔術師の母も父を援護すると、幼い私と共に王都に行ったのです。
「私はシエラに感謝をしていますよ。あの時王都にいた者たちは、剣を持った小さな勇者に感謝したのですよ」
あれは、私の怒りでした。
父が倒れ、治癒魔法を使う母が襲われ、私は全てを憎みました。
アレが居なくなればいい。
そう思って父の剣をとって振るっただけです。
私の拙い剣は暗黒竜を真っ二つに切り裂き、血の雨を降らせたのです。
それだけでは私の怒りは収まること無く、逃げ惑う竜の軍勢を殺し尽くしたのです。
お陰で手が付けられないという意味を込めて狂犬のレリマーレン伯爵令嬢だなんて二つ名で呼ばれることになったのでした。
「そうですか」
レリマーレンの剣は国の為に奮うようにと言われていましたのに、私は憎しみに囚われその剣を振るったのです。
恥ずべきことですわ。
そこに馬車の扉をノックする音が響き、扉が開かれました。
「奥様。ジークフリート様。店内に……あの? どうかされましたか?」
「シエラの剣は凄いという話をしていたのですよ」
「はい! 奥様の剣で私の家族は救われました! だから精一杯お務めさせていただきます!」
「シエラ。お手をどうぞ」
軍神レリマーレン。初代はそう言われていたそうですが、平和な時代には無用の長物ですわね。何事にも適度がいいのですよ。
私は気を取り直して、ジークに手を差し出しました。
「あら? これ美味しいわね。王都で流行っているという理由もわかるわ」
「ありがとうございます。レリマーレン伯爵夫人」
店主は人が良さそうな恰幅のいい男性でした。支店の店長かと思っていましたら、王都のお店は御子息に譲って、このレリマーレン伯爵領に店を構えたそうです。
酔狂ですわね。
「三年ほど前から王都の治安が悪くなってきましたので、老後はゆっくりと過ごしたいと思ったのですよ」
「王都の治安が?」
おかしいですわね。国王陛下に何かあったとは耳に入って来ていませんのに、治安が悪くなるってどういうことなのかしら?
「はい。上の町ではそうではないとおもうのですが、下町では夜は外を出歩けないほどです」
上の町とは貴族街のことかしら?
しかし下町でも貴族街でも治安維持は騎士団の管轄ですのに、サボっているのかしら?
まぁ、私には関係がないので、とやかく言うことはありませんわね。
「そうなのね。これ気に入ったから、屋敷の方に持って行ってくれないかしら?」
フルーツがたくさん盛られたケーキを指していいました。
「かしこまりました」
にこやかに返事をする店主。老後というにはまだ若いような気がしますが、不安無く暮らせるのが一番いいですわね。
「あの……レリマーレン伯爵夫人。私めから一言だけ言う許可をいただけますか?」
「あら? いいわよ。何かしら?」
王都と比べて不便なことはあるでしょうね。でもそれは仕方がないことだと受け入れて欲しいわ。
でも、聞くだけはしますわね。聞くだけです。
すると店主は床に膝をついたではないですか。いったいどうされたのですか?
「申し訳ございませんでした」
「え?」
えっと、何のことですか? 謝られることなど無いと思うのです。だって、私は今日初めて店主と会ったのですもの。
「騎士のクセに剣を放り出し、逃げ出した不甲斐ない私は愚か者でした。幼い貴女様に剣を取らせてしまい。申し訳ございませんでした。罵声を浴びるべきだったのは不甲斐ない自分たちでした」
床にボタボタと落ちる水滴に、嗚咽が混じって聞こえます。
ああ、暗黒竜との戦いのことを言っているのですね。
楽しかった気持ちが冷えてきました。
罵声。空を飛ぶ竜を落とせば、それは下にある建物を潰すことになります。
母は死に、私を擁護してくれる父は生死をさまよっており、兄は騎士団に入ったばかりで上官の命令で王都中を駆け回っていたのです。
私が起こした二次被害に対する断罪。
私を庇ってくれる人は誰もいませんでした。
あ、一人だけいましたわね。誰だったかしら? 覚えていないわね。
「別に謝る必要はないわ。店主はこうして美味しいものを作れるのですから、これからも美味しいケーキを作ってくださいね」
私はそう言って立ち上がります。
もう、食べる気がなくなりました。
「申し訳ございませんでした! 私の調査ミスです!」
馬車に乗った瞬間に、メリアーナに謝罪されてしまいました。別にメリアーナは悪くありませんわ。
「奥様。私はどんな罰でも受ける覚悟はできています。まさか、竜も倒せない騎士だったなんて」
「メリアーナ。領兵と王都の騎士を一緒にしてはダメよ」
「はい。筋肉よりぜい肉の方が多い豚どもと、筋肉が語ってくると言っている変態を一緒にしてはいけませんね」
どちらも貶しているわね。
「このあと寄りたいところがあるのですがいいですか?」
「別にいいわよ。ジーク。デェトという気分ではないもの」
「申し訳ございませんでした! 奥様」
それはもういいわよ。
今思えば、あの時から人に興味がなくなったのね。
剣を振るっても、感謝されるどころか、屋敷を壊した弁償をしろとか、血と臓物をなんとかしろとか。
十歳の私に何ができるというの。
王都は嫌い。いい思い出がないもの。あれから絶対に王都には近づかないと決めているの。
そしてジークに連れてこられたのが、父と母の墓の前でした。
毎月来ていますわよ。
何度、隣に兄の墓を作ってやろうかと思ったことか。
「初めて会ったときのことを覚えていますか?」
「兄の手紙を持ってきてくれたときのこと?」
「違います。もっと、前に会っています」
……え? いつ? 私はあれから領地から出ていないので、ジークに会う機会は無かったはずです。
「やはり、覚えていませんか。心ここにあらずという感じでしたから」
全然記憶にないですわ。
「シエラ。王都で最後に倒したドラゴンのことは覚えていますか?」
「火竜ね」
「はい。フィロステア侯爵邸が炎の海になり、私は弟と妹を連れて逃げるしかありませんでした。しかし退路はドラゴンの先であり、背後からは炎が迫ってきていました。死が頭をよぎったとき、シエラの剣がドラゴンを切り裂いていたのです。折れて半分しかない剣で」
そう、父の剣は戦闘中に折れてしまったのです。
ああ、思い出しました。
小さな子を抱えた青年がいましたね。
「そのあと気を失ったシエラを抱えたときの小ささに驚きました。弟と変わらないと」
そうね。どこのお屋敷か覚えていないけど、数日間お世話になったわ。
「先程の店主の気持ちはよくわかります。だから、私は騎士になろうと思ったのです」
「あら? お兄様と同期だとおっしゃっていませんでした?」
「同期ですよ。先にアレンが入団していただけです。しかし天才という者は存在すると思わされましたね」
それは兄のことですか? 剣術バカですからね。1日中、剣を振っている姿をよく見かけましたわ。
努力の天才というものですわね。
「アレンがよく言っていました。どれだけ訓練を重ねても妹には敵わないと」
「え? 私のことだったのですか?」
「貴女以外に誰がいるのです」
あ……あの。私の場合は怒りに任せて、剣を振るっていたので、途中で剣を折るという愚行をしてしまったのです。
天才というのは、そんなことはしないと思います。
「アレンは騎士団長にまで一気に上り詰めましたが、それでも満足できなかったようです。剣を極める旅に出ると言っていました」
「ジーク。思いっきり知っているじゃない。おかしいと思ったのよ。あのお兄様が、真実の愛とかいい出すなんて」
「あ、それは本当ですよ。三人目の子供ができたと手紙にありましたから」
「……ジーク。ちょっと帰ってからゆっくり話しましょうか。その子供を養子に出す気はないかお兄様と交渉するために」
知っているじゃない。それから何故に今言うの!
「あの屋敷には、あちらこちらに盗聴の魔術が仕掛けられていましたので、下手なことは言えませんから」
「ちょっと、ジーク。貴方、レリマーレンの執事なのよね。それを私に報告をしないとはどういうことかしら?」
「ギルフォード様には報告しましたよ」
そうよね。そうなるわよね。レリマーレンの執事となると、伯爵であるギルフォードに報告義務はあるけど、妻である私には必要ないものね。
でも。でも。あのギルフォードはほとんど仕事をしていないのに、私に報告しないって……
「ハイメイラー公爵を敵に回すのは流石に、気が引けますから」
「は?」
どこからハイメイラー公爵が出てくるのよ。ハイメイラー公爵ってアレでしょう?
私を断罪の場に立たせて、責任を取れと言ったヅラでしょう?
大声で叫ぶたびに、ヅラが回っていくので、それが凄く気になったからよく覚えているわ。
「しかし、シエラが伯爵と離縁するというのであれば、話はかわって……」
「ちょっと待って、どこからハイメイラー公爵が出てくるの?」
「アスメルト伯爵家に渡している金貨100枚の殆どは、ハイメイラー公爵の手に渡っていますよ」
ということは、父の死は事故に見せかけたものだった可能性が出てきます。
「本当はレリマーレン伯爵領がほしかったようですが、この領兵ですからね。本当に忠犬と言っていいですね」
私の護衛がジークに剣を突きつけていました。
ジークの言動が、領地に害を成すものと思ったのでしょう。
「下がりなさい。父と母の墓前です」
私がそう命じると、剣を収めて下がっていきます。その中には侍女のメリアーナも入っています。
「色々言わずにいたのは、ハイメイラー公爵が兵を送ってきても面倒ですからね。金貨100枚如きで大人しくしているのなら、安いものではないですか」
確かに鉱山を三つもっているレリマーレン伯爵領なので、たいした額ではありません。
「アレンの方もですが、東方の国で暮らしているようなので、あまり言うと国際問題に発展しますからね」
……国際問題。東方……まさか!
「剣姫アキラ第一王女」
確かに東方のアカツキ国は隣国の範囲には入りません。ジークは嘘は言ってはいません。
が! まさかあの剣姫に見初められた? ……ん? いや、兄から言い寄った? 先程三人目とか言いやがりませんでした?
これは、もういっそのこと……。
「ふふふふふふふふふふふふふふ。お父様。カレンはお兄様をぶちのめして、穴に埋めたいと思っています。きっとお父様も同じ気持ちだと思っています。それからヅラも一緒に埋めて頭だけ出して、ヅラをむしり取ってやりたいと思います。ああ、向かい側にお腹を空かせたレッドベアーなど埋めて置くのは如何でしょう? 森にたくさんいますもの。一晩中レッドベアーと見つめ合っていればいいのです」
私は辺りが暗くなるまで、父と母の墓前で愚痴を言っていたのでした。
「シエラ。屋敷に戻る前に、もう一箇所いいですか?」
愚痴を言ってスッキリした私にジークが言ってきました。
もう、日が暮れていますのに、どこに行く気なのかしら?
「かまいませんわよ」
しかし、これなら河川工事の状況を見に行っていたほうが……いいえ、たぶん私が動いたことによる結果なのでしょう。
やはり、碌なことがありませんわ。
あの夫と離縁しようと思わなければ、起きなかったこと。
馬車が止まり降りたところは、古びた教会でした。
ここは町の中心にある教会ではなく、町外れの教会です。
「ここに何か?」
「ここだけ、祀ってある神が違いますよね」
ええ、軍神と呼ばれたレリマーレン。敷地内に彼の墓と言われている墓標もあります。
軋む蝶番の音と共に大きな扉が開いていきました。
教会の中は明かりがともっておらず、窓から月明かりが差し込み、床に丸い月を描いていました。
夜になると流石に肌寒く、ストール越しに、教会内の冷気が触れてきます。
「シエラはいつ決行するつもりですか?」
「何がですか?」
「邪魔者の排除ですよ」
ああ、ギルフォードのことですか。そうですわね。
「ハイメイラー公爵への牽制ができるのであれば、いつでもいいですわ」
ジークが言っていたとおり、いきなりギルフォードを追い出して、ハイメイラー公爵に睨まれても面倒なのです。
公爵にたてつくには、それなりの覚悟がなくてはできません。
ん? あれ? もしかして、私がやらかしたのですか?
「今、ふと思い出したのですが、昔ハイメイラー公爵に私は喧嘩を売ってしまいましたか?」
「ええ、『そのヅラとってしまえばいいのに』と、辺りがシーンと静まりかえっていましたね」
確かに気になっていました。
気になっていたのは事実です。
言ってはいけないなと、思っていたのも本当です。
が、言ってしまったようです。ぐるぐる回って元の位置に戻ったヅラをみて。
お父様。私が思い切り喧嘩を売ってしまっていたようです。しかし、ヅラを指摘されたからといって肝が小さい男ですわよね。
丁度月明かりが床を照らしているところまで来て、ジークが立ち止まりました。
「ハイメイラー公爵の目と耳は、あの女の方ですからね。大金を渡して好きなところに行けと言えばいいでしょう」
あの女ということは、愛人のミレーネですか。ということは、盗聴魔法を屋敷中に施したというのもミレーネですか。
「後は、ギルフォードに用無しだと突きつければいいのです」
「用無し?」
「おや? シエラ自身が提案したではありませんか、種馬がいれば必要ないと」
言いましたわね。
言いましたけど非現実的ですわ。
私の伴侶になりたいという者などいないでしょう。
兄の子をレリマーレンに向かい入れる方が現実的です。
「カレンシエラ様。この私、ジークフリート・フィロステアを貴女の伴侶に選んでいただけませんか?」
突然、私の手をとって跪くジーク。
え? あの? ちょっと待って!
「ジークフリート様。貴方はいつまで、この地に縛られるつもりなのですか? 貴方はこのような場所にいていい方ではありません。このようなバケモノの私の……」
私の言葉は、ジークの人差し指で止められてしまいました。
貴方もあの断罪の場にいたのであれば、知っているはずです。
私が倒して竜の下敷きになって死んだ人がいることに、竜の内臓の毒に苦しんだ者がいることに、私は……私は……
「軍神の力を宿したカレンシエラ様にふさわしくないのは、私の方でしょう。しかし、恩を仇で返すような奴らと、一緒にしてほしくありません。あの時、私は誓いました。今度は私が貴女を守ると。騎士団を退団するのに手間取って、肝心なときに役に立てませんでしたが」
『恩を仇で返すとは何事か!』
青年が怒る声が、脳裏によみがえってきました。
私が引き起こしたことを、私の罪を次々と述べられている中、私を背に庇って立つ青年の姿。
そう、確か銀髪がキラキラしていると思いました。
『そのような罪を並べる前に、あなたたちはドラゴンに襲撃されていたとき何をしていたのか、言っていただきたい。この中で剣を手にドラゴンに立ち向かっていった方はいらっしゃるのか!』
その言葉に会場内が静まり、周りをみると、目を背ける人たちが多くいました。
誰も言葉を発しないことに青年は更に続けます。
『国のために、剣を取らなかった者たちを裁くべきではないのでしょうか』と。
そして療養している父の元に、青年が私を連れて行ってくれたのです。
父はひたすら感謝を述べていました。そのあと自分が不甲斐ないとも。
『不甲斐ないのは私のほうです。いつか必ずこの恩は返します。レリマーレン伯爵令嬢』
『シエラでいいです。あなたは私を父のところに連れてきてくれたので、恩というのはもう、返さなくていいです』
『いいえ。シエラ様。今度は私がお守りすると誓います。それまで、待っていてください』
という記憶が降って湧いてきました。
今まですっかり忘れていましたわ。
「あ……ジークフリート様。私、すっかり忘れていて、今思い出しました。ごめんなさい」
ここは素直に謝りましょう。
「これは私自身への誓いですから、カレンシエラ様が覚えている必要はありません」
「それからジークにそう名前を呼ばれると、凄く拒否感が……」
「それはシエラがジークフリートと呼ぶからです」
嫌がらせだったのですか!
「それで返事はいただけないのですか?」
「これからも、お願いするわ。ジーク」
私が答えるとジークは私の薬指に指輪をはめて、そこに口づけをしてきました。
え?何?このキラキラした指輪?
「これは?」
「三年前に渡そうと思っていた指輪ですね」
「はい?」
「三年前のあの日、手紙と共に先代のレリマーレン伯爵に婚姻の許可をいただきに訪れたのですが、何故か翌日に旅立たれてしまって、渡す機会を失っていたものです」
「え? ここここ婚姻の許可? 私との?」
「はい」
お父様! 何が探さないでだったのですか!
いいえ、お父様はアスメルト伯爵の後ろに、ハイメイラー公爵がいることを知っていたのでしょう。
だから、誰も迷惑をかけないように一人で行かれたと。
せめてウザいほど暑苦しい護衛を連れて行ってくだされたらよかったのに。
「軍神の前で誓いをしましたので、やはり無しにとか言わないでくださいよ。シエラ」
月明かりの中、笑顔を浮かべるジークに私は……凄く嫌な予感しかしないのでした。
翌朝。
「ギルフォード様。早急にこれにサインをしていただきません」
「突然、いったい何だね? それよりもミレーネをどこにやったのです」
「私は貴方の愛人にこれっぽっちも興味はありませんわ。いつもみたいにその辺りに隠れているのではなくて?」
私は朝食をとっているギルフォードの側に立ち、サインする場所を指しながら言います。
私は愛人のミレーネには、何も関与していませんわ。ええ、私はです。
そして、いつも通り何も確認せずに、サインをするギルフォード。
「それでは、その朝食を食べ終わったらアスメルト伯爵家に帰ってくださいね」
「は? 何を言っているのです」
私はギルフォードがサインをした書類を掲げます。そこには私の名前とギルフォードの名前が書かれていました。
「離婚届にサインをされたではありませんか」
「それを渡せ!」
椅子をひっくり返しながら立ち上がるギルフォード。お行儀が悪いですわよ。
「レリマーレン伯爵家の血を残す気がない夫に、教会は何も言わずに受理してくれると思いますわ」
そう、私はこの男とベッドを共にしたことなど一度もありません。
「荷物は使用人たちがまとめているので、お部屋に戻る必要はありませんわよ」
「レリマーレンの血を残せばいいのですよね。それなら……」
「食事ぐらいゆっくりとさせてあげようと思いましたのに」
私に手を伸ばすギルフォードの手が叩き落され、私の視界に銀色の髪が映り込みます。
「もう、伯爵でもなんでもないのですから、出ていってください」
「ただの執事が! 邪魔です!」
「ただの伯爵家の三男が、フィロステア侯爵家の名を持つ私に逆らうのですか?」
ジークは、フィロステア侯爵家の家紋が入ったペンダントを見せつけます。フィロステア侯爵家の家紋を凝視するギルフォード。
流石に侯爵家とことを構えるのは良しとしないでしょう。
「お帰りだそうよ。誰かお見送りをして」
筋肉ムキムキの護衛に連行されるギルフォードに、忘れていたと言わんばかりに、声をかけます。
「そうそう、領内は安全ですが、レリマーレン領から外は危険だと伺いましたので、気を付けてお帰りくださいね」
「ちょっと待てそれはどう……」
父を慕う者は多かったですからね。流石に領地より外では私の管理外ですわ。
何があろうと、私は知りません。
「あの愛人の方はどうしたの?」
「私の部下に任せているので、そのうち報告がくるのではないのでしょうか?」
そうですか。そのうちですか。
情報が出てくるまでということですわね。
まぁ、案外そちらの方が、ハイメイラー公爵家の手が回らなくて安全かもしれません。
保証するのは命だけですけど。
なんだか。すっきりしましたわ。
屋敷の中の空気が変わりました。
「もっと早く動いていればよかったかしら? でも子供が三年間できなかったら離婚が受理されるという法が邪魔だったのよね」
「では領内の法を変えますか?」
「それは国から何か言われそうね。それより、河川工事の視察に行ってくるわ」
「お供いたします」
ん? これってギルフォードが居ても居なくても、変わらないような気がしますわ。
「あと『種馬』の役目も忘れないでくださいね」
「それ、まだ言うの? 言葉のアヤよ」
「言いますよ。他の男を愛人にしようとしていたのですから。私の真実の愛はシエラに捧げていることをお忘れなく」
……真実の愛ってなにかしら? 私に理解できる日はくるのかしら?
【ジークフリートSide】
『俺の剣は国を守るためにある』
突然騎士団長であるアレンが、何かを悟ったように話しだしました。
口よりも手を動かして欲しいものですね。
先日の暴動の鎮圧の報告書が、まだ出来上がっていませんよ。
『そう思っていたが、どんなに努力しても妹に敵わない。聞いたか?先日坑道に出た地竜を瞬殺したってやつ』
『それは噂なので、多少の誇張は入っているでしょう。それよりも、昨日頼んでいた報告書の最終確認をしてもらえましたか?』
恐らく事実でしょう。それよりも、やるべきことをして欲しいのですが?
『地竜って、その岩のような頑丈な表皮で、剣なんて突き刺さらないのが常識なんだぞ』
『レリマーレン伯爵領の領兵は、ドラゴンスレイヤーで有名ではないですか』
『それは山に住む飛竜のほうだ。地竜なんて滅多に出現しない』
『はい、はい。ここにサインをお願いしますね』
どうも、私が置いたままの形で執務机の上に積み重なっていたので、抜き取ってサインを求めました。
言われるままサインをするアレン。せめて、目を通しましょうか。
『だから、ジークフリート。俺は団長を辞めて、修行の旅にでようと思う』
『何が「だから」なのかはわかりませんが、後任を決めてから修行の旅でもなんでも行ってください。もちろんレリマーレン伯爵にも連絡をいれてですよ』
『ジークフリート。俺を殺す気か?』
何か意味が、わからないことをいいだしましたね。
一ヶ月ほど前にアカツキ国の外交官が来て、サムライという者たちと剣を交えたのです。それから、おかしな行動が目立つと思っていましたが、とうとう頭までおかしくなったのですかね。
『そんなことを言えば、妹が魔剣を持って俺の首を取りにくるだろう』
『自覚があるのなら、領地に帰って伯爵を継いでください。ちなみに私を団長には指名しないでくださいね。私は必ず恩返しはすると決めているのですから』
『そこでだ』
……何がそこでだなのでしょうか?
『これをジークフリートに託す』
そう言ってアレンは二、通の封筒を渡してきました。
『何ですか? これは?』
『父と妹への手紙だ。俺がアカツキ国に着いた頃の半年後ぐらいに渡してくれ』
『嫌ですよ。自分で渡してください』
『俺が死ぬじゃないか!』
一度、生死をさまよえば、いいのではないのですかね。そうすれば、修行の旅とかという戯言も言わなくなるでしょう。
渡された二通の封筒は、アレンの机の上に戻し、サインされた報告書だけ受け取ります。
『私は上に報告に行ってきますので、その山積みの書類に目を通してくださいね』
私はそれだけを言って、騎士団長の執務室を後にしました。そして戻って来たときには、部屋が綺麗に片付けられており、三通の封筒が机の上にあるのみ。
思わず遠い目になります。
確か、今日でしたか? アカツキ国の外交団が帰路につく日は。
全て、私に押し付けていきましたね。
私宛の封筒を開くと中には、一枚の紙が入っており、次の団長の指名と、剣姫の剣に惚れたと抜かした文言が書かれていました。
思わず、その手紙を握り潰すしてしまいます。
今から追手を差し向けましょうか。
『副団長! 城下を警邏している者たちから救援が!』
ちっ! こんな時になんですか!
「ジーク。アカツキ国にはどれぐらいかかるかしら?」
シエラが窓の外を見ながら聞いてきました。
今は、河川工事の進捗状況を見に行こうとしているのです。シエラはそれよりも気になることがあるようですね。
「陸路では一年ですね。海路では半年ほどですか」
「随分とかかるのね」
「海路でも一旦海まで行く必要がありますし、陸路は中央地帯を迂回しないといけませんからね」
大陸の中央は、魔物が跋扈する未開の地なのです。ですので、安全に向かうにはその中央地帯を迂回しないといけません。
「そう、時間がかかるのね。どうにかして兄を迎えにいけないかと思っているのだけど、流石に半年や一年も領地を離れるわけにはいかないわ」
「そうですね。部下に連れてこさせるのも可能ですが、アレンの立場がどのようになっているかの情報がないのですよ」
正式に婚姻となると、こちらの国との交渉が入ってきて、レリマーレン伯爵家にその連絡が入るはずなのです。
しかし、この三年間音沙汰なしということは、夫という立場ではなく、第一王女の愛人の可能性が高いです。
「連れて帰らせましょうか? 夫という立場でないのでしたら、レリマーレン伯爵の名を使えば可能でしょう」
今は国王陛下に許可をもらっていない状況ですが、離婚手続きをして国に認められれば、レリマーレン伯爵の名を使って戻せる可能性はあります。
そう、剣姫の邪魔が無ければという話になりますが。
「そうね。そうね。この際だから、この前倒した飛竜の首を手土産に、国王陛下にお願いしてもいいかもしれないわ」
「王都に赴くということですか?」
「嫌だけど。ハイメイラー公爵への牽制も必要でしょう?」
ああ、そうですか。こちらに敵対するのであれば、ドラゴンと同じ末路になると見せつけるのですね。
素晴らしいです。
「そうね。兄が戻ったら、坑道の掃除をしてもらおうかしら? 時々湧いて出てくる魔物に鉱夫たちも辟易しているもの」
このレリマーレン伯爵領の民たちは、好戦的なところがあるようで、鉱夫と言えども魔物と戦うのです。
時々領兵と張り合って筋肉自慢している姿を見かけます。
もちろん、領兵をシバキに行きますが。
「それが終わったら、その修業の成果を私に見せてもらおうかしら?」
「それ、一撃で終わりませんか?」
アレンは言っていました。
妹のカレンシエラは軍神の生まれ変わりだと。
普通であれば鼻で笑うところですが、あの王都での出来事を見れば、それが誇張ではないことがわかります。
誰が折れた剣で、ドラゴンが切れるというのですか。
「あら? ジーク。手加減ぐらいできるわよ。簡単に地面に膝をつかせると思わないで欲しいわ」
クスクスと楽しそうに笑っているシエラ。可愛いです。
アレンには申し訳ないですが、そろそろ戻ってきてもらっても良いかもしれませんね。
修行の旅は終わりです。
「これが一段落すれば、王都に手土産をもって行きましょうか」
「そうね。よりすぐりの領兵も連れてね」
「ついでに国王陛下に婚姻の許可ももぎ取りましょう」
「それは、どちらでもいいわ」
「おや? 種馬の役目を果たさせてもらえないのですか?」
「それは言葉のあやって言ったじゃない」
さて、工事現場が見えてきましたね。大胆に川幅を広げたかいがあるといいのですが。
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