第32章 例外という決断
壁のモニターには、ARCADIAが提示した対象者リストが並んでいた。
顔写真。
年齢。
行動履歴。
予測危険度。
そして──爆発予測タイマー。
残り時間は、すでに十時間を切っていた。
誰も席を立たない。
誰も言葉を発しない。
ただ、時々ため息の音だけが聞こえていた。
最初に口を開いたのはレオンだった。
「……俺は反対だ」
低く、はっきりした声だった。
「粛清はやらない。それが俺たちの出発点だろ」
ルキが椅子にもたれたまま言う。
「気持ちは分かるけど……今回は状況が違わないか?」
「違わねぇよ」
レオンが即座に返す。
「予測で人を殺す。それは同じだ」
サガラが低く言った。
「違う」
その一言で空気が変わった。
サガラはモニターを指した。
「爆発物が確認されている。
搬入経路もある。
時間も出ている」
静かな声だった。
「これは予測犯罪じゃない。
戦闘だ」
レオンの視線が鋭くなる。
「だから殺していいってのか」
「殺したいわけじゃない」
サガラは表情を変えないまま言った。
「だが止める必要がある」
ナッシュが続く。
「拘束成功率62%だろ。
38%は失敗するって」
ルキも言った。
「失敗すれば爆発だ。
何十人、何百人死ぬか分からない」
レオンが机を叩いた。
「だからって殺すのか!」
乾いた音が部屋に響いた。
「俺たちは何のために戦ってきたんだ!」
沈黙。
カイがゆっくり口を開いた。
「僕も……反対です」
皆がカイを見る。
「ここで選んだら……戻れなくなる気がするんです」
声は震えていたが、言葉ははっきりしていた。
「粛清を止めるために戦ってきたのに、
僕たちが粛清を選ぶなら……もう戦う意味がなくなる」
誰もすぐには返さなかった。
その沈黙を破ったのはアヤだった。
「……私も、迷っています」
全員の視線が集まる。
アヤはモニターを見つめたまま言った。
「今回のテロは現実です。
止めなければ多くの人が死ぬかもしれない」
一度だけ息を吸う。
「でも──」
視線を上げた。
「基準を作らずに粛清を認めたら、
私たちはまた同じことを繰り返します」
ルキが言う。
「今回だけだろ」
アヤは首を横に振った。
「“今回だけ”は制度になった瞬間に嘘になります」
誰も言葉を返せない。
「もし今回認めるなら、
どういう条件なら粛清が許されるのか、
明確にしないといけない」
レオンが小さく言う。
「……条件が合えば殺すか?同じことだ」
アヤは答えることができず下を向いた。
サガラが言った。
「時間がない」
タイマーを指す。
「議論している間に爆発する」
レオンが睨む。
「脅されてるだけかもしれねぇだろ」
ルキが苛立って言う。
「政府もARCADIAも裏取ってるんだぞ!」
「AIだって間違える!」
レオンが怒鳴った。
「だから俺たちは戦ってるんじゃないのか?」
空気が張り詰める。
ナッシュが低く言った。
「……でも現実に爆弾はある」
沈黙。
その沈黙を破ったのはアリシアだった。
「もういいわ」
静かな声だった。
だが全員が黙った。
アリシアはモニターの向こうで下を向いたまま言う。
「全員正しい」
誰も動かなかった。
「レオンも正しい。
カイも正しい。
ナッシュもルキもサガラもアヤも
誰も間違っていない」
ゆっくり顔を上げる。
「だから私の責任で決める」
空気が凍る。
数秒の沈黙。
そしてアリシアは言った。
「──粛清を許可する」
誰もすぐには意味を理解できなかった。
空気が一瞬、完全に止まった。
レオンの拳が握られる。
カイの呼吸が止まる。
だがアリシアは続けた。
「ただし条件を付ける」
全員が顔を上げる。
「これは制度じゃない」
静かな声だった。
「例外措置よ」
モニターに表示されたリストを見つめる。
「条件は三つ」
指を立てる。
「第一。
爆発物などの実体証拠が存在すること」
「第二。
拘束成功率が一定値を下回ること」
「第三。
第三機関が設立されるまでの暫定措置として、
ジェネシスの複数メンバーによる承認を得ること」
息を吸う。
「そしてすべて記録する」
レオンが低く言う。
「……前例になるぞ」
アリシアは頷いた。
「だから記録するのよ」
静かな声だった。
「この例外を、制度に変えないために」
沈黙。
誰も納得していない。
だが誰も否定できない。
アリシアが言った。
「異論は?」
レオンは答えない。
カイも黙ったままだった。
数秒後。
サガラが言った。
「……妥当だな」
ルキが頷く。
ナッシュも小さく言う。
「現実的……だね」
最後にレオンが言った。
「……俺は賛成しない」
だが続けた。
「だが止めはしない」
アリシアは頷いた。
カイはまだモニターを見ていた。
並ぶ顔写真。
まだ生きている人たち。
アリシアが静かに言う。
「ARCADIAに送るわ」
誰も止めなかった。
その瞬間、ジェネシスは初めて──
命を守る組織から、
命を選ぶ組織へと変わった。
その選択が、
どこへ向かうのかは、
まだ誰にも分からなかった。
タイマーは、
止まることなく進み続けていた。




