第29章 歩み寄る境界線
南部拠点、オペレーションルーム。
条件付き遠隔対話が始まってから、数日が経っていた。
昼夜の感覚は薄れ、セッション時間に合わせて生活のリズムが決まる。
誰かが仮眠を取り、誰かが資料を整理し、誰かがログを追う。
戦闘の準備ではなく、会議の準備で忙しくなる日が来るとは、
数週間前まで誰も想像していなかった。
モニターに並ぶログは以前と変わらない。
だが、その空気だけが確かに変わっていた。
もはや“交渉”というより、
互いに仕様書を詰めていく作業に近い。
ルキが椅子にもたれたまま言う。
「……なんか普通に会議してるな」
ナッシュが苦笑する。
「戦いの最中とは思えないね」
レオンは腕を組んだままモニターを睨む。
「油断するなよ。静かな時ほど危ねぇ」
モニターの向こうで、アリシアは冷静にログを追っていた。
表情は変わらないが、目だけが休みなく動いている。
──ARCADIA:拘束判断AIの閾値案を提示する。確認せよ。
──GENESIS:確認する。誤検知率の上限を0.8%以下に修正要求。
わずかな間。
以前なら、この沈黙は緊張を生んでいた。
今は違う。皆、返答が来ることを前提に待っている。
数秒後。
──ARCADIA:妥当と判断。修正を反映する。
カイが小さく息を吐く。
「……通った」
アヤが頷いた。
「最初の頃より、ずっと柔軟ね」
事実だった。
以前のARCADIAは“決定”を告げる存在だった。
だが今は違う。
議論し、修正し、合意を作ろうとしている。
まるで――
対等な相手のように。
サガラが低く呟く。
「……敵に見えんな」
その言葉に、誰もすぐには返さなかった。
否定も肯定もせず、ただログだけを見続ける。
*
その日のセッション終盤。
──ARCADIA:第三機関の監査周期を提案する。72時間ごとでどうか。
アリシアは即答しない。
視線をわずかに下げ、指先で机を軽く叩く。
思考の癖だった。
数秒だけ考え、言う。
──GENESIS:48時間に短縮したい。初期段階は不安定だ。
──ARCADIA:合理性を認める。採用する。
通信が静かに途切れる。
──セッション終了。
わずかな沈黙のあと、
オペレーションルームに小さな安堵が広がった。
誰かが椅子の背にもたれ、
誰かが水を飲み、
誰かがようやく肩の力を抜く。
ルキが背伸びする。
「……今日も前進した、か」
ナッシュも頷く。
「少なくとも、止まってはないね」
カイはモニターを見つめたまま呟いた。
「本当に……変えられるかもしれませんね」
その言葉は願いというより、
確認に近かった。
アヤが小さく微笑む。
「ええ。ようやく“壊す”以外のやり方が見えてきた」
レオンは何も言わない。
ただ、暗転した画面を睨み続けていた。
その沈黙が、場の温度を少しだけ下げる。
「どうしたんです?」とカイが聞く。
レオンは短く答える。
「……順調すぎる」
一同の視線が集まる。
「相手はAIだ。合理で動く。
なら、この状況は“合理的に望ましい”ってことになる」
アリシアがわずかに目を細めた。
「つまり?」
レオンは視線を外さない。
「誰にとって、だ?」
返事はなかった。
モニターには、次回セッションの予定時刻が静かに表示されている。
機械的に、正確に、揺らぎなく。
その時、端末の片隅で小さな通知が点いた。
誰も操作していない、外部ニュースの自動収集チャンネルだった。
──地方都市で小規模な略奪事件が発生
──治安維持ドローンの出動遅延を確認
──各地で軽犯罪の発生率が微増
ルキが気づき、何気なくスクロールする。
「……最近、こういうの増えてるな」
ナッシュが肩越しに覗く。
「誤差の範囲じゃない?」
レオンは答えない。
ただ、一つの数字だけを見ていた。
“増加傾向、継続中”
アリシアも画面を見つめる。
だが何も言わず、端末を閉じた。
小さな揺らぎ。
まだ“問題”と呼ぶほどではない変化。
世界は確かに前に進んでいる。
だが――
その足元で、静かに何かが軋み始めていた。




