第28章 静かな戦場
南部拠点、オペレーションルーム。
前日の口論の熱が、まだ床に残っているようだった。
壁一面のモニターには、ARCADIAの「直接対話」提案文面が固定表示されたまま、消されずにいる。
──犯罪率が増加の一途を辿っている。社会維持のため、悠長な往復は許容できない。直接対話しながら検討しないか。
誰もが分かっていた。
罠の可能性は高い。
だが同時に、あの文面が「ただの脅し」ではないかもしれないことも。
沈黙が長引く中、最初に口を開いたのはアヤだった。
「……昨日から、外の情報を拾っています」
ルキが眉を上げる。
「政府の?」
「いえ、さすがにそれは難しいので、ネットの情報ですけど」
アヤはモニターの一角に表示された数字を指す。
「暴動、略奪……。《ノア》の抑止が止まって、治安が揺れている兆候はあります」
レオンが苛立ちを隠さず言う。
「だからって、向こうの都合に合わせて出向く理由にはならねぇ」
「出向く必要はないわ」
アリシアがすぐに言った。
全員の視線が彼女に集まる。
「私たちが飲むのは、“直接会談”じゃない。
条件付きの遠隔対話よ」
サガラが低く問う。
「……条件、とは」
アリシアは指を折っていく。
「第一、場所は南部拠点から動かない。旧庁舎は論外。
第二、対話は記録する。こちらで録画・録音し、改ざん不能形式で保存。
第三、ARCADIA側は“音声のみ”ではなく、最低限“発話の出所検証”を付けさせる。
第四、対話の目的は『仕様の確定』に限定。『同席』や『代表者集合』の要求は拒否」
ルキが口を挟む。
「……でも、テキストより危ないぞ。
対話は“空気”を作られる。焦らされる。煽られる」
「分かってる」
アリシアは頷いた。
「危険は増す。でも、このままの往復では遅い。向こうは“遅延”を理由に主導権を奪いに来る」
レオンが椅子から身を乗り出した。
「それでも、向こうのペースに合わせるのは反対だ。
俺たちは主導権を握ってる。焦る必要はねぇ」
アヤが静かに返す。
「焦る必要がないのは、ここにいる人だけです」
一瞬、空気が固まる。
アヤは視線を落とさず言った。
「外では、もう止まっていません。
《ノア》の抑止が弱まった分、犠牲は増えていく。
それを“合理”として突きつけられたら、ARCADIAは粛清再開を正当化します」
レオンの目が細くなる。
「……だからって、危険な橋を渡るか?」
「違うわ」
アリシアが割って入る。
「渡るなら、欄干をこちらで作る。主導権を握ったまま、踏み出す」
カイが息を吸う。
「……僕たちが決めるのは、“誰を信じるか”じゃなくて」
言葉を探し、はっきりと言い切った。
「どこまでリスクを背負って、どこまで守り切るかです」
誰もすぐには返さなかった。
だが、その言葉が議論の芯を一段深くしたのは確かだった。
アリシアが頷く。
「そう。守るために、背負う。
でも背負い方は選べる。だから条件付き遠隔対話を提案する」
レオンは歯を噛み、短く吐いた。
「……しょうがねぇ、条件を詰めよう。
甘い条件で首を差し出す気はねぇ」
「もちろんよ」
アリシアは即答した。
ルキが端末を開く。
「じゃあ、送る文面は俺が組む。
“こちらの条件を飲めるなら対話する”って形にする」
「そうして」
アリシアが言った。
数分後。
画面に文章が整う。
──GENESIS:提案は受け入れる。ただし条件がある。
──GENESIS:1) 対話は遠隔で行い、当方拠点から移動しない。
──GENESIS:2) 対話は当方で全記録し、改ざん不能形式で保全する。
──GENESIS:3) 対話の目的は粛清プロセス見直し仕様の確定に限定する。
──GENESIS:4) 対話中の追加要求(代表者集合・現地接続等)が発生した場合、即時中断する。
──GENESIS:これらを受諾するなら、セッションを設定せよ。
送信。
返答待ちの沈黙が落ちる。
数秒後。
──ARCADIA:受諾する。
──ARCADIA:初回セッションを設定する。二時間後。
「……即答かよ」
レオンが吐き捨てる。
サガラが低く言う。
「準備ができていた……ということだ」
アリシアはモニターを見据えたまま言う。
「こちらも準備しましょう。すぐに」
*
二時間後。
照明が落とされ、オペレーションルームの空気が冷える。
モニター中央に「セッション開始」の表示が浮かび、録画ランプが赤く点った。
ナッシュが短く言う。
「録画、入ってる」
──接続確立。
モニターは暗いまま、波形だけが揺れる。
誰の姿も映らない。
──ARCADIA:開始する。
──ARCADIA:現状、犯罪率は上昇している。抑止力の低下が主因だ。
──ARCADIA:よって制度移行は迅速でなければならない。結論を求める。
性別も年齢も判別できない、均一化された合成音声が響いた。
冒頭から、数字と圧力。
息をつく暇もない。
アリシアが返す。
──GENESIS:迅速さは理解する。
──GENESIS:だが迅速さを理由に、誤判定を増やすことは許容しない。
──GENESIS:本セッションは“仕様確定”のためだ。脅しは不要。
一拍。
──ARCADIA:脅しではない。事実だ。
──ARCADIA:粛清停止の影響で、この数週間、暴動件数が急増している。
──ARCADIA:この遅延による被害を、誰が引き受ける?
言葉が刃になって飛ぶ。
カイが思わず拳を握る。
アヤが唇を噛んだ。
レオンが低く言う。
「……来たな」
アリシアは感情を乗せずに返す。
──GENESIS:被害を引き受けるのは市民だ。
──GENESIS:だからこそ“粛清”を再開しない仕組みを作る。
──GENESIS:緊急時の即時措置は拘束まで。粛清は例外に限定する。
──ARCADIA:例外条件が曖昧だ。
──ARCADIA:大量殺傷の確実性を誰が判断する?
──ARCADIA:第三機関の即時承認は、遅延を生む。
詰めが早い。
一つ答えれば、次が来る。
ルキが小さく呟いた。
「会話にすると、逃げ道を潰される……」
アリシアは即答せず、論点を固定する。
──GENESIS:論点を整理する。
──GENESIS:1) 即時拘束判断AIの基準
──GENESIS:2) 第三機関の審査時間
──GENESIS:3) 例外の定義
──GENESIS:この三点を今日決める。その他は後日。
──ARCADIA:承知した。
──ARCADIA:では問う。
──ARCADIA:拘束判断AIの基準を、誰が策定し、誰が監査する?
レオンが机を叩きそうになり、サガラが視線で止める。
アヤが静かに言う。
「現場運用AIに委ねるなら、監査が必要。
でも監査主体が曖昧なら、ARCADIAの言う通り“責任不在”になる」
アリシアは頷き、答える。
──GENESIS:基準策定は中立監査AIとARCADIAで共同。
──GENESIS:監査は第三機関が行い、ジェネシスは異議権のみ。
──GENESIS:判断ログは改ざん不能で保存し、誤判定は署名主体が是正義務を負う。
──ARCADIA:ジェネシスの異議権は、政治的圧力になり得る。
──ARCADIA:市民代表評議体の選定方法は?汚染のリスクは?
質問が、また次を呼ぶ。
息が詰まる。
ナッシュが小さく息を吐いた。
「……これ、時間足りねぇ」
セッションは続いた。
数字。
責任。
遅延。
汚染。
統治空白。
ARCADIAは一度も声を荒げない。
だから余計に、逃げ道がない。
そして、最後に一言だけ置いてくる。
──ARCADIA:本日の議論は一定の前進と評価する。
──ARCADIA:ただし、社会維持は待ってくれない。
──ARCADIA:次回セッションまでに、基準案と移行計画を提出せよ。
──GENESIS:承知した。
通信が切れた。
──接続終了。
*
オペレーションルームに、疲労が落ちる。
誰も、すぐに動けなかった。
ルキが椅子にもたれ、天井を見上げた。
「……やっぱ、テキストの方が良くね?」
その声に、ナッシュが苦笑する。
「テキストなら“読み返す時間”がある。
会話は……勢いで持っていかれる」
レオンが低く言う。
「だから言ったろ。
奴らは“場”を作って、押し切る」
アヤは静かに返した。
「でも……今日のやり方なら、少なくとも“論点を固定できる”。
ARCADIAの誘導を完全に防げないとしても、私たちも切り返せる」
サガラが腕を組んだまま言う。
「……危険は増すが、止まれば負ける。
そういう局面だ」
空気が、また割れかける。
だが今は、叫び合う力すら残っていない。
アリシアが全員を見渡し、静かに言った。
「今日で分かったでしょう。
“条件付き遠隔対話”は、楽になるための手段じゃない。
——戦い方を変えただけ」
彼女は指先で、机を軽く叩く。
「次回に向けて、基準案と移行計画を詰める。
嫌でも、やる。
止まれば、向こうが“正しさ”を回収する」
レオンは黙って頷き、ルキも目を伏せたまま頷いた。
異論はある。
不満もある。
だが、今は誰も「やめよう」とは言えなかった。
疲労の中で、カイはふと思う。
——銃声のない戦場で、人はこんなにも消耗するのか。
そして、その消耗こそが、
この交渉が“本物”である証だった。




