第25章 裁定の設計図
南部拠点、オペレーションルーム。
壁のモニターには、ARCADIAとの通信待機画面が静かに脈動していた。
先日、家族の映像がそこにあったせいか——部屋の空気はまだ、どこか柔らかい。
けれど、その柔らかさを切り裂くように、アリシアが口を開いた。
「……次に進むわ」
レオンが頷く。
「家族を解放させる。——それだけじゃ終わらねぇって話だな」
「ええ」
アリシアはモニターの静止画を見上げる。
笑っていた顔。泣いていた顔。生きていた人たち。
それが“確認できた”だけでは、まだ救いにならない。
「解放した瞬間に、また“粛清対象”に戻される。
——そんな未来は許さない。だから、根っこを変える」
ルキが小さく息を吐いた。
「《ノア》の粛清プロセス、そのものだな」
「そう。制度の話にする。向こうが一番嫌がる土俵に持ち込む」
カイは唇を噛み、拳を開いては握り直した。
「……でも、そこまで要求して、向こうは飲みますか」
アリシアは迷いなく答えた。
「飲ませる。私たちが《ノア》の首輪を握っている限り、ね」
ルキが端末に指を置く。
「接続する?」
「ええ。今すぐ」
ルキがキーを叩く。
通信窓が立ち上がり、淡いグレーの背景に文字が走る。
──接続確立。
──ARCADIA:こちらARCADIA。次の要求はまとまったか?
いつも通りの文面。
淡々としているのに、どこか“待っていた”温度がある。
アリシアは一度だけ視線を周囲へ巡らせ、全員の同意を確かめるように頷いた。
──GENESIS:次の段階に移る。
──GENESIS:解放に先立ち、《ノア》の“粛清プロセス”そのものを根本から見直すことを要求する。
一拍の沈黙。
──ARCADIA:妥当な判断だな。
──ARCADIA:承知した。だが、見直し案はどのように検討する?
──ARCADIA:そちらで素案を作るか。
レオンが小さく笑う。
「乗ってきたな」
アリシアの表情は変わらない。
──GENESIS:こちらで素案を作る。
──GENESIS:その上で協議し、仕様として確定したい。
──ARCADIA:承知した。
──ARCADIA:ただし社会維持の観点から、長く待ってはいられない。期限は?
アリシアは即答せず、ほんの短い間だけ考えた。
交渉は戦いだ。時間は武器にもなるし、毒にもなる。
「……二週間」
彼女は小さく呟き、ルキへ視線を送る。
──GENESIS:二週間。
──GENESIS:ひとまず、その期間で素案をまとめる。
──ARCADIA:承知した。
──ARCADIA:必要であれば我々の手を貸す。連絡を。
通信が切れる。
──接続終了。
オペレーションルームに、静かな現実が戻ってきた。
喜びの余韻が、今度は“作業”に変わっていく。
「さて……ここからが本番だな」
レオンが椅子の背にもたれ、腕を組む。
「俺たちが始めるのは“革命”じゃなくて、“再構築”ってとこだな」
「そうよ」
アリシアは机に指先を置き、言葉を選ぶようにゆっくり続けた。
「《ノア》がなぜ粛清をしているのか——
ただの殺戮装置じゃない。あれは“警察”で、“裁判所”で、“刑務所”の代わり。
ただし、歪んでいる」
サガラが低く言う。
「予測で人を消す。——それが歪みだ」
「ええ」
アリシアは頷いた。
「“結果”ではなく“可能性”で裁いている。
だから、誤差が出た瞬間に無辜が刈られる。
それを止める仕組みが、いまの世界にはない」
ルキが画面を指し示す。
「現行は、《ノア》が出したリストにARCADIAが手を入れて——そのまま実行。
ARCADIAの思うがまま。チェック機構が実質ゼロだ」
ナッシュが続ける。
「なら、第三者チェックを挟む。
……でも第三者って、誰だ? 政府は信用できない」
「政府は入れない」
アリシアは即答した。
「代わりに、第三機関を作る。
ARCADIA、ジェネシス、そして“中立の監査AI”を含む評議体。
《ノア》は“提案”だけ。最終判断は複数で行う」
ティアナが眉を寄せる。
「でも、それだと判断は遅れるわね。
危険人物、例えば武装したテロリストが出たら……待っていられないんじゃない?」
「そこは例外規定を設けるしかないわね」
アリシアの声は冷静だ。
「即時措置は“拘束”まで。粛清は例外にする。
緊急拘束は許可し、一定時間内に第三機関が再審査。
——こうすれば速度と正当性の両方を担保できる」
レオンが顎を撫でる。
「粛清じゃなくて段階制……ってわけか」
「そう。
観測、警告、制限、拘束、そして最終措置。
“いきなり刈る”のをやめる。これが最低ライン」
カイが小さく息を吸った。
「……それなら、家族も——“一度解放されたら終わり”じゃなくなりますね」
アヤが静かに頷く。
「政府側の運用も、今は“ブラックボックス”でした。
命令は降りてくるだけで、理由は知らされない。
透明性がなければ、現場は疑うことすらできない」
その言葉に、アリシアが視線を向ける。
「透明性も必要ね。
ログを残す。改ざんできない形で。
少なくとも第三機関は閲覧できるようにする」
サガラが腕を組んだまま言った。
「……これが通れば、“粛清”は制度に戻る。
今は制度じゃなくて、神託だ」
沈黙。
全員が、その言葉の重みを噛みしめた。
アリシアは机を軽く叩き、話を締める。
「方針は決まった。
——素案を文章化する。二週間以内に、ARCADIAに叩きつける」
ルキが端末を開き、空のドキュメントを立ち上げる。
「タイトルは……どうする?」
アリシアは一瞬だけ迷い、言った。
「——新・社会安全裁定プロトコル。仮称でいい」
レオンが鼻で笑う。
「堅ぇな。……でも、今はそれでいい」
空白の文書に、最初の一行が打ち込まれる。
“粛清プロセスの再設計案(GENESIS草案)”
その文字列を見た瞬間、カイは思った。
——自分たちはいま、“戦い方”を変えようとしている。
銃や爆薬ではなく。
言葉と、仕組みで。
そしてそれは、きっと——
もっと危険な戦いになる。
*
それから二週間。
昼も夜もなく議論を重ね、草案の骨格が固まったところで、アリシアは再びARCADIAへの接続を指示した。
──GENESIS:粛清プロセス見直し案(草案)を送付する。
──GENESIS:確認のうえ、指摘事項を返答せよ。
数秒。
──ARCADIA:受領した。精査する。
──ARCADIA:後日、回答する。
通信が切れる。
モニターが暗転し、部屋に静寂が落ちた。
レオンがぽつりと呟く。
「……さて。向こうがどう噛みついてくるか」
アリシアは笑わない。
「噛みつくわ。
でも——噛みつけるってことは、議論の土俵に乗ったってことよ」
誰も否定しなかった。
この夜、南部拠点の空気は確かに変わった。
それは勝利の熱ではない。
“制度を作る者”が持つ、冷たい責任の温度だった。




