第22章 希望の名簿
南部拠点、オペレーションルーム。
壁一面のモニターには、ARCADIAとの通信ログと、まだ何も入力されていないリスト画面が並んでいた。
ジェネシスの主要メンバーが机を囲み、誰もが言葉少なにその画面を見つめている。
空気は重い。
だが、その奥には、抑えきれない期待が確かに混じっていた。
「……では始めましょう」
アリシアの一言で、ルキがキーボードに指を置く。
「『生死確認対象リスト』だな。
まずは……アリシア、あんたからでいいか?」
アリシアは一瞬だけ目を伏せ、それから静かに首を振った。
「いえ、みんなからどうぞ」
みんなが遠慮しているのを見かねて、ルキが先に口を開く。
「じゃあ、俺からいく。……アニキと弟だ。
ジャン・ミクリと、レイ・ミクリ」
カタカタ、と名前が入力されていく。
「じゃあ次、ナッシュは?」
「俺は両親。
エドワードとメイ・ローレンスだ」
「次、ティアナ」
「……私も、両親。
ラウル・カーンと、エミリア・カーン」
「カイ」
「僕は両親と妹。
お父さんがアラン・シエルド、お母さんがミナ・シエルド、妹はリオ・シエルドです」
ルキは何も言わず入力を続ける。
名前がひとつ増えるたび、画面の空白がじわじわと埋まっていった。
サガラが静かに口を開く。
「娘だ。……ミユキ・サガラ。
……それだけでいい」
「あとセラは?」とナッシュが問う。
レオンが答えた。
「あとで本人に名前を確認しておくが……恐らく、あいつだろうな。
数年前に“粛清対象”になった彼氏がいる」
その場に、短い沈黙が落ちた。
「……レオンは?」
「俺は兄貴だ。ライト・ハグリッド」
レオンは短く息を吐き、その名が入力されるのを見届ける。
「……あとはアリシア」
「私は両親。それから弟。
マシュー・ローウェル、マリアンヌ・ローウェル、カイル・ローウェル」
画面に並んだ名前の列。
誰一人として、「すでに失われた」と確定した存在ではない。
みんな、同じ表情をしていた。
期待と恐怖が入り混じった、言葉にできない表情だ。
その中で、カイが一歩前に出た。
「……グレンさんの家族も、入れてください」
それから……アヤさんの家族も」
レオンは即答した。
「そうだな。グレンの家族はこれだ」
レオンが、以前グレンから受け取っていたメモを取り出し、ルキに渡す。
ルキが、淡々と入力を追加していく。
「アヤさんの家族はこれです」
カイが取り出したメモも、ルキの手に渡った。
アリシアは、カイへ視線を向ける。
「そういえば、アヤの状況は?」
「今のところ、特に問題ありません」
レオンが補足する。
「拘束もだいぶ緩和している。危険性は低いと思っている」
カイは少しだけ言い淀み、それからはっきりと言った。
「……もう、解放しても問題ないと思います。
政府側の仕組みにも詳しいですし、きっと力になってもらえます」
アリシアは数秒、黙って考え込んだ。
「……そうね。後日、本人と直接面談させて。
その上で、最終判断をするわ」
カイは深く頷いた。
「話を戻すわね」
アリシアは画面を指し示す。
「まず、この生死確認リストをARCADIAに送る。
結果を受け取ったあと、数名を選んでビデオ通話を要求する」
「本物かどうかを見極める必要があるな」
サガラが言う。
「そうね。いくつか質問を用意しましょう。過去の記憶、癖、仕草……
フェイク動画なら、どこかに必ず綻びが出るはずだわ」
アリシアが冷静に続ける。
「私の家族や、レオンのお兄さんは……年数が経ちすぎてるから、
判断は難しいかもしれない」
「カイやアヤの家族は最近だからいいかもね」
ナッシュが続ける。
「最初の検証には向いてる」
アリシアは頷いた。
「まずは、生死確認の結果を待つ。
直接会談の話は……またその後にしましょう」
*
翌日。
ジェネシスはARCADIAへ通信を開いた。
──GENESIS:生死確認対象リストを送付する。
数秒後。
──ARCADIA:受領した。
確認のうえ、結果は後日伝える。
それだけを残し、通信は切れた。
*
同日、隔離区画にある小さな会議室。
無機質な白壁と簡素な机、それに二脚の椅子だけが置かれた空間に、静かな緊張が落ちていた。
アヤは背筋を伸ばし、落ち着いた表情で座っている。
目の前のモニターの電源が灯り、アリシアが映る。
「待たせたわね」
「いえ……大丈夫です」
モニタの向こう、アリシアは机に手を置き、軽く目を合わせた。
「改めて。私はアリシア。ジェネシスのリーダーをしているわ」
「アヤ・レインです。よろしくお願いします」
ほんの数秒の静寂。
互いに呼吸のリズムを測るような間。
「ご家族は?」
「両親と私の三人です。父は政府職員、母は今は専業主婦ですが……以前は同じく政府職員でした」
「そう。あなたも《ノア》の“恩恵を受けてきた側”の人間、ということね」
「……否定はしません」
アリシアはわずかに微笑み、うなずいた。
「あなたは処理班の士官だったのよね」
「はい」
アリシアは姿勢を少し前に倒し、視線を真っすぐ重ねる。
「部下は?」
アヤは一瞬だけ目を伏せ、すぐに顔を上げた。
「五名……いました。
全員優秀で、よくついてきてくれました」
「“いました”、なのね」
「……はい。
――もう除隊されましたし、戻ることもないと思いますので」
そこに後悔は見えなかった。
悲しみも、恨みも。
ただ、静かな現実だけが滲んでいた。
アリシアは少しの間考え、それから質問の角度を変えた。
「除隊に追い込まれた。彼らを、恨んでいる?」
「いいえ。
むしろ――正常だと思います。
彼らは《ノア》の判断を信じ、制度を守った。ただ、それだけです」
アリシアの目が、わずかに細くなる。
「なるほど。感情と事実を切り分けられるのね」
軽く指を組み替え、次の問いを投げる。
「――なぜ、レオンたちを“殺さずに拘束しようとしたの?」」
部屋の空気が一段階、重くなる。
アヤは一瞬、視線を落とした。
呼吸を整え、言葉を選ぶ。
「……粛清命令に、違和感があったからです」
「違和感?」
「はい。
本来、《ノア》の判断は、“社会のための合理性”に基づくはずです。
なのに、最近は……“危険思想の芽”という曖昧な概念で人間を排除する傾向が増えている」
指先が、机の上で静かに握られる。
「そこには、数値でも理論でもない、もっと……
“誰かの意志”のようなものを感じました」
アリシアの表情が、僅かに引き締まる。
「政府の命令にも?」
「はい。
私はこれまで従ってきました。
それが“正しい未来のため”だと信じていましたから」
そして、静かに続ける。
「でも……
どこかで、“人を部品として扱っていないか?”
ずっと胸の奥がざわついていました」
沈黙が落ちる。
アリシアは、今度は“人”として問いかけるような口調になった。
「あなたは……レオンたちと接触して、何か変わった?」
アヤは少し笑う。
「はい。
いつも陽気で、少し口調は粗暴で……
でも、“生きている”人たちだと思いました」
アリシアの口元にも、ほんのわずかに笑みが浮かぶ。
「ジェネシスと共に戦う覚悟はある?」
その声は静かで――逃げ場がない。
誤魔化しも、曖昧さも、許されない問い。
アヤは顔を上げた。
迷いは――もうなかった。
「あります」
まっすぐな瞳。
「私は、ただ従うだけの“平和”を守りたいわけじゃない。
――納得できる“人としての平和”を、取り戻したい」
そして言葉を締める。
「もし……私が役に立てるなら。
私の未来もジェネシスに預けます」
アリシアはしばらく彼女を見つめ――静かにうなずいた。
「……いいわ。
あなたの覚悟、確かに受け取った」
その声は、正式な認可ではない。
だが“限りなくそれに近い答え”だった。
*
その日の夜。
オペレーションルームにジェネシスの面々が集められていた。
緊張と期待が入り混じった視線が前方へ集まる。
レオンが前に立ち、一歩隣にアヤが立つ。
「……紹介する」
短く息を吐き、レオンは言った。
「アヤだ。
元・政府側の士官だが……今は、俺たちと同じだ」
アヤは一歩前に出る。
その姿勢は硬いが、迷いはない。
「はじめまして、アヤ・レインです。
私は……政府側の人間でした」
まずは逃げずに、その事実を口にする。
「ずっと命令に従ってきました。
でも、違和感から……もう目を背けられなくなりました」
視線を上げ、真正面から皆を見る。
「私は――ただ従う兵士ではいたくない。
皆さんと一緒に戦い、
“本当に守るべき平和”を取り戻したいです」
一瞬の静寂。
そして――
「歓迎するよ」
最初に声を出したのはルキだった。
いつもの軽口混じりの笑みを浮かべる。
「頭使えて、ちゃんと考えられる人間は、大歓迎だよ」
「同感だな」
ナッシュが短く言う。
「政府の中を知ってる人間は貴重だ」
レオンが腕を組んで頷く。
ティアナも小さく微笑む。
サガラは無言で顎を引き、静かな承認の合図。
歓迎の空気が、はっきりと場に生まれた。
その中で――
カイとアヤの視線が、自然と重なる。
言葉はない。
ただ、互いに「同じ場所に立った」という実感だけが、静かに共有された。
*
その後。
カイはアヤを連れて、拠点内の通路を歩いていた。
無機質な壁に等間隔で並ぶ照明が、ふたりの影を静かに揺らす。
「ここがオペレーションルームで、向こうがトレーニングルームです」
カイが指し示す先には、仲間たちが時折笑い合う温度の残る空間と、汗の匂いが漂う訓練施設が並んでいる。
「……少しずつ慣れてください」
「えぇ」
アヤは短く答えながらも、視線をゆっくりと動かし、目に映るものすべてを確かめるように見ていた。
それは、ただの施設確認ではなく──
ここで「生きていく」という覚悟を、胸の奥で確かめているかのようだった。
しばらく歩いたあと、アヤがぽつりと口を開く。
「正直、迷ってたの。
政府を離れて、あなたたちの側に立つってことが、どれほどの意味を持つのか……分かってはいたつもりだけど、怖かった」
歩みが、ほんの少しだけ緩む。
「でも……カイ君が話を聞いてくれたから、決めらたの」
カイは少し目を瞬かせた。
「僕は……何もしてませんよ。ただ、話を聞いただけで」
「いいえ」
アヤは首を横に振り、それからほんの一拍置いて微笑んだ。
硬さを含んでいた表情が、少しだけ人間らしい柔らかさを取り戻す。
「“聞いてくれる”って、思ってるより大きいことなのよ。
命令じゃなくて、思想でもなくて……ただ私の言葉を受け止めてくれた。
話してるうちに頭の中も整理されてきて。“選ぶのはこっちだ”って思えたの」
カイは言葉を失い、代わりに小さく息を吐いた。
「……それなら、よかったです」
「えぇ。本当に」
アヤは前を向きながら、静かに付け足す。
「ありがとう」
ふたりの間に沈黙が落ちる。
だがそれは、気まずさでも、距離を生む沈黙でもなかった。
拠点の空調音だけが聞こえる静かな廊下の中で──
言葉にしなくても伝わる温度を含んだ、穏やかな静けさだった。
ふたりの歩幅は、いつの間にか揃っていた。
距離は、ほんの少しだけ近くなっていた。




