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ヒューマンコード  作者: エイジ


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第17章 揺れる夜明け

南部拠点に戻ったとき、空気は一瞬だけふっと軽くなった。

張りつめていた深夜の緊張が、金属板の隙間から抜け落ちるように和らいでいく。


簡素な食堂には、疲れ切った顔ぶれがぽつりぽつりと集まり、椅子に腰を落とすたび、硬かった肩がやっと沈んでいった。


誰も大声を出さない。

それでも──テーブル越しに交わされる小さな笑顔や、息をつく仕草だけで、


「あぁ、生きて帰ってきたんだ」


その実感が胸の奥にじんわりと満ちていく。


燃え尽きたような倦怠と、確かに勝ち取った一歩。

その両方が、静かに空間に漂っていた。


「よく生きて帰ってきたな」

サガラが柔らかく言う。

その声に反応するように、テーブルのあちこちで缶をぶつける乾いた音が重なった。祝杯というには控えめだが、今の彼らに必要なのは“この静かな呼吸”だけだった。


ルキは仲間に肩を叩かれて苦笑する。

「死ぬかと思ったぜ……」と軽口を叩きながらも、その指先はかすかに震えていた。


ナッシュは腕まくりをして機材の点検を続けている。

“終わったことより、次に備える”──そんな背中だった。


レオンは医療スペースでセラの容体の最終報告を受けていた。

セラは意識不明の重体。だが、命はつながった。


その一言に、レオンはほんの一瞬だけ目を閉じ、深く息を吐いた。


「……そうか。ありがとう」


その声は小さく、胸の奥に溜まっていた緊張をそっと解き放つ響きを帯びていた。



寝室の隣にある小さな部屋──そこに、目隠しと手錠をされたアヤが静かに座っていた。

薄暗いランプの光が彼女の影を細く揺らしている。

ティアナが少し離れた椅子に座り、静かに見張っていた。


南部拠点に戻るまでの道中、アヤを連れて行くかは激しく揉めた。


「拠点まで連れて行って、本当に大丈夫なのか?」

ルキはレオンに詰め寄った。声には不安と苛立ちが混じっていた。


レオンはすぐに答えず、目を伏せて考え込んだ。

情報の扱い、裏切りのリスク、拠点の安全性――

考えるべき要素は多すぎた。


一方のアヤも迷っていた。

処理班の自分がレジスタンスに同行するなど、本来ありえない選択だ。


その迷いを断ち切ったのは、カイの静かな言葉だった。


「戻っても……粛清されるだけですよ。

生きたいなら、こっちに来た方がいい」


その声には、軍の中では決して聞くことのなかった“人の温度”があった。


さらに話すうち、旧庁舎の情報をレオン達に渡したのがアヤだったことが分かる。


それが決定打となった。


「よし、連れて帰る。ただし──拘束は必要だ」


処理班の装備をすべて外し、目隠しと手錠をつけたまま連行する、という条件付きだった。


アヤは抵抗することもなく黙って座っていたが、唇は細かく震え、押し殺した動揺が呼吸に滲んでいた。


見張りのティアナの目を避けるように、小さく俯いたまま、アヤは心の中で何度も何度も問い返していた。


──私は、正しい選択をしたのだろうか。

──あの場で命令に背いてまで、彼らを助けた意味はあったのだろうか。


暗闇の裏側で、封じ込めていた記憶が次々と浮かび上がる。

レイナが最後に見せたあの表情、ユウナと任務の合間に交わした他愛もない会話、そして──

両親と過ごした温かい夕食の記憶。


思い出が胸に刺さるように蘇り、アヤはゆっくりと歯を噛みしめた。

気づかぬうちに、一粒の涙が頬を伝って落ちた。


しばらくして、控えめなノックが部屋の静けさを破った。

ティアナがちらりと扉に目を向ける。入ってきたのはカイだった。


「ティアナさん。代わります」


「了解。頼んだよ」


軽く肩を回しながら、ティアナは部屋を後にした。

扉が閉まると、ふたたび静寂が戻る。

カイは椅子に腰を下ろし、言葉を選ぶようにしばらく黙ったままアヤの方を見つめていた。


「……どうして、あの時撃たなかったんですか?」


アヤの肩がわずかに震えたが、答えはない。

カイは続けた。


「僕たちを殲滅しろって命令、出てたんですよね?」


長い沈黙のあと、アヤはかすれた声で言った。


「あなた……殺されたかったの?」


「そういう意味じゃ……」


「なら、それでいいのよ。

私も……殺したくなかったの」


吐き出された言葉は、胸の底からこぼれたように弱く、真っ直ぐだった。

カイは何と言えばいいか分からず唇を噛む。

アヤがゆっくり続けた。


「……最近の《ノア》の粛清命令、おかしいと思ってたの。

あなた、カイ君よね? 家族も粛清対象だった……」


「知ってるんですか?」


「ええ。あの日、私もあなたの家に配置されたの」


カイの呼吸が止まった。


「……僕の家族は、どこに?」


「……ごめん。私にも分からないの。

搬送後の追跡は不要って……それだけ」


二人のあいだに重い沈黙が落ちた。

その沈黙の中で、アヤは自分の胸に積もったものを押し出すように呟いた。


「あなたも……レイナさんも、ユウナも……

どうして粛清対象なんかにされるの……?

誰も、悪いことなんてしてないのに……」


家族の記憶を抱えたまま、数えきれない矛盾の中で押しつぶされそうになっている。

アヤの声は震え、涙がこぼれた。


カイはゆっくり立ち上がり、彼女の前に歩み寄る。

そして、そっと目隠しを外し、手錠も外した。


迷いと疲労が滲むアヤの瞳。

カイはその瞳をまっすぐ受け止めた。


「あなたは……僕たちを助けてくれた。

だから今度は、僕たちがあなたを助ける番です」


ほんの少し息を吸って、言葉を置く。


「僕たちと一緒に戦いましょう。アヤさん」


アヤは驚いたように彼を見つめた。

その瞳の奥で、一つの決意が揺れ始めていた。



翌朝。

南部拠点のオペレーションルームには、夜の熱がまだ残っていた。

モニターの光が薄暗い空間を照らし、紙コップに残った冷えたコーヒーの匂いがわずかに漂う。


疲労した顔、寝不足の目。

それでも──誰もその場を離れようとはしなかった。


「……接続するぞ」


ナッシュが静かに告げ、通信回線を開く。

数秒のノイズののち、アリシアの顔がモニターに映し出された。


彼女はほとんど眠っていないのだろう。

それでも姿勢は凛とし、背後には別拠点の喧騒が薄く聞こえる。


「レオン、サガラ……みんな。戻ってきてくれて、本当に良かった」


その一言に、レオンの表情がわずかに和らぐ。


「状況を報告して。細部はあとで文書化するから、まずは概要を」


レオンは短く頷き、淡々と語り始めた。


旧庁舎の地下深部で、ログの複製とプロキシの構築に成功したこと。

《ARCADIA》の応答ヘッダを確保し、通信経路を完全に掴んだこと。

退避中に処理班と交戦になり、セラが重傷を負ったこと。

そして──アヤを連れ帰ったこと。


その最後の報告に、アリシアの視線が鋭くなる。


「……政府側の指揮官を連れ帰った、のね?」


「あぁ」

レオンが短く応える。


「彼女は上からの殲滅命令に逆らって、俺たちの捕獲指示を出した。結果、自分が粛清対象になって……カイが助け出した。

逃走中に俺たちを攻撃しようとはしなかったし……今のところは拘束してるってのもあるが

怪しい行動もとっていない」


ルキがモニターに身体を乗り出す。


「それに……旧庁舎の情報を渡したのは彼女だぜ、アリシアさん。オレたちが中に入れたのは、彼女の裏切りのおかげだ」


アリシアは目を閉じ、静かに息を吐いた。


「……なるほど。

彼女の処遇については、慎重に判断する必要がありそうね。今は拘束を続けなさい。

彼女が“どちら側の未来”を選ぶのか、これからよ」


抑えた声に、重い判断の負荷が滲む。


アリシアは視線を切り替え、ルキを指名した。


「通信経路は──本当に《ARCADIA》へ通じているのね?」


ルキは端末を持ち上げ、画面に複数の確認ログを映す。


「あぁ、それは間違いない。応答は生きてる。

ログの改ざん履歴、不正命令のリストも揃った。

今日のうちに接触を試すことはできるぜ」


その言葉に、アリシアの瞳がわずかに光った。


「……ようやく、“敵の心臓”に手が届くわけね」


レオンが腕を組む。


「ただ、交渉になるかは分からねぇ。

この手の相手は、脅しじゃ動かねぇ可能性が高い」


アリシアはモニター越しに全員を見渡した。


「覚悟して臨んで。

《ARCADIA》は旧庁舎で書類を処理するだけの組織じゃない。

《ノア》の根幹、政治の根幹、人類の“価値そのもの”を左右できる存在よ」


空気がわずかに震えた。


通信が切れ、モニターが闇に戻る。


しばらく誰も口を開かなかった。


そして──


「さぁ、やるか」


レオンが低く呟いた。


その声は静かだったが、部屋の全員の胸に火を灯すような熱を持っていた。

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