第16章 交錯する影
夜明け前のエシュリオン。
街はまだ眠りの底にあるはずだったが、遠くで断続的な銃声とサイレンが混じり合い、ゆっくりと街を揺り起こしていた。
薄闇に細かな煙が漂い、赤い警告灯がビルの壁を脈打つように照らしている。
夜の静寂はとうに消え、湿った緊張だけが街路に張りついていた。
サガラは瓦礫の陰で身を伏せ、通信端末の送信キーを親指でそっと押し込む。
「サガラだ。レオン達の退避を確認した。全班、計画通り後退する」
いつもと変わらぬ落ち着いた声だった。
一班と二班の隊員たちは肩で息をしつつ、散発的な反撃を繰り返しながら後退する。
壊れたネオンがちらつき、彼らの影が伸び縮みした。
「急げ! 抜け道まであと三十メートル!」
叫びが飛び、隊員たちは瓦礫を飛び越え、濡れた壁沿いに滑るように移動する。
敵の追撃は迫っていた。
路地の角を曲がるたびに弾丸が地面を叩き、金属の衝撃音が耳を裂く。
それでもジェネシスの兵士たちは慌てなかった。
狭い地形を最大限利用し、丁寧に応戦しながら距離を稼いでいく。
徐々に、まるで闇に溶けるように――
彼らは夜の奥へ姿を消していった。
旧通信設備に潜入していた三班も、エドの手信号を受けて周波数干渉プログラムを停止する。
満ちていたノイズがふっと消え、夜気の冷たさが戻る。
隊員たちは足音ひとつ立てず散開し、影が移ろうように姿を隠した。
まるで霧が夜気に溶けるように――
三班は音もなく、その場から消え去った。
*
そのころ、旧庁舎の地下を抜けたレオン達は、崩れかけた階段を一気に駆け上がっていた。
カイが重傷のセラを抱え、ルキとナッシュは追跡ドローンを妨害するため周波数を乱し、レオンが先導する。
湿った風が吹き抜け、地上の冷気が近づいてきた。
「もうすぐ出口だ!」
レオンが叫んだ瞬間、背後で警報音がさらに強まる。
崩れた廊下の先に、夜明け前の薄光が滲んだ――そのときだった。
「止まれ!」
鋭い号令が響き、全員の足が止まる。
瓦礫の上に、装甲部隊の影が立ち上がる。
旧庁舎外で待機していた処理班。その中央に、アヤがいた。
カイは息を呑み、セラを庇いながら身を屈める。
レオンは反射的に銃を構えるが、アヤが手を上げて制した。
「発砲は待て! 捕獲を優先する!」
声には決意と、抑えきれない揺らぎが混じっていた。
「アヤ班長、殲滅命令が出ています!」
部下の叫びに、アヤは一瞬だけ目を伏せる。
脳裏に、レイナの最期が閃いた。
――命令に従って、救えなかった命。
その痛みが、今また胸を締めつける。
「……わかってるわ。いいから従って!」
震えを押し殺した声だった。
レオンとアヤの視線が短く交差する。
互いの正体を知らないまま――しかしどこかで通じ合う何かが、確かにあった。
アヤが数歩前へ出る。
背中には任務の硬さと、人としての迷いが同時に表れていた。
「ジェネシスね? 負傷者もいるようね。全員拘束する。おとなしく従いなさい」
レオンは鼻で笑う。
「捕まる気はない。力づくでも行かせてもらう。……おとなしく捕まって、命の保証があるとも思えないしな」
アヤの表情がわずかに固まる。
否定できない。それが痛かった。
彼女は無線のスイッチを切り、左手で部下を制してレオンに近づいた。
「あなた達……ここで何を見つけたの?」
声には怒りよりも、“確かめたい”という切実さが滲む。
レオンは平然を装う。
「何も。“散歩”だよ」
「ふざけないで。旧庁舎の地下に……何かあったんでしょう?
ノア? それとも……別のもの?」
レオンは一瞬だけ目を鋭くするが、すぐに無表情に戻った。
「さぁな。あんたの上にでも聞きな」
アヤは言葉を詰まらせた。その頑なさは、逆に彼女の胸に疑念と確信を同時に灯す。
その背後――
アヤの死角で、最後尾の兵士が静かに端末を操作していた。
「ゼクス少佐、こちらアヤ班。ジェネシスと接触。しかし……アヤ班長が殲滅命令を無視し、捕獲指示を出しています」
わずかなタイムラグの後、その報告は本部へ届く。
ゼクスはモニターの点滅を睨みつけ、低く息を吐いた。
「命令違反……か。拘束は?」
「いえ。現在、リーダーと思われる人物と会話中です。無線を切っており内容は不明で……」
短い沈黙。
「……班長は解任だ。拘束を許可する。副班長につなげ」
その声は鋼のように冷たかった。
「こちら副班長のセロ。ご指示をどうぞ」
応答した声は揺らぎひとつなかった。
「今から君が班長だ。任務を遂行しろ。ジェネシスは一人残らず排除だ」
「ラジャー」
班長に任命された男が指示を出す。
「全員、聞け。以降は私が指揮する。一人残らず始末しろ」
処理班の銃が一斉に構えられる。
「全員、銃を下ろせ!!」
アヤが叫んだが、その直後に無線が鳴る。
「アヤ班長、あなたは解任されました。上層部より拘束命令が出ています」
「……なっ、拘束命令!? 私が――?」
その隙を逃さず、ルキがフラッシュボムを投げる。
白光が爆ぜ、視界を焼いた。
カイはセラをレオンに預け、走り出す。
アヤは銃を向けた兵に追い詰められ、背に銃口を感じた瞬間――
「伏せろ!」
カイが横から飛び込み、アヤを抱えて遮蔽物へ倒れ込んだ。
弾丸が壁を砕き、火花が散る。
アヤは驚愕と混乱の中で、カイの腕の力を感じた。
至近距離で伝わる体温が、なぜか胸の奥を静かに揺らす。
「……あなた、なぜ?」
震える声が漏れる。
「理由は後だ!」
カイは短く言い放ち、アヤと共に走り出す。
「今だ、退くぞ!」
レオンの号令が響く。
背後では処理班の怒号と、ゼクスの冷たい指示が交錯する。
「生死は問わない。逃がすな!」
赤い警告灯が明滅し、朝の光が混じり始める。
混乱の渦の中、アヤとカイは並んで駆け抜けた。
敵と味方の境界が溶け落ち――
ただ、生き残るという意思だけがそこにあった。




