第15章 沈黙の扉
「ここが、ログにあったノードの一つか……」
ルキは指先で扉の番号をなぞる。冷たい金属に触れた瞬間、指先の熱が静かに奪われていった。扉には保守ラベルと、年月に刻まれた錆びたロックが残っている。
アヤから受け取った情報にあった“保守モード”の接点――それは、この扉の内側にあるはずだ。
だが扉は電子ロックで堅く封じられている。力任せに開けられるような相手ではない。
ルキは端末を取り出し、周囲の配線を慎重に露出させると、低く呟いた。
「ここから先は正念場だ。時間くうけど……保守ポート経由で、ARCADIAにつながる“小さな会話窓”を作れるはずだ」
ナッシュは無言で腰のポーチから細いツールを取り出す。作戦室では理詰めの設計者だが、実働では指先が非常に早い。
「よし、電源ラインをバイパスする。ルキ、プロトコルの手動認証はどう?」
「もう回してるぜ。保守モードの偽認証でログのシャドウを掴む……来た、応答波形だ」
赤いインジケーターが囁くように点滅し、ルキの画面に断片的な文字列が流れ出す。
*
同時刻、地上では一班と二班の戦闘が続いていた。
雨に濡れた舗道を弾丸が跳ね、閃光弾が夜気を裂く。白い光が路地の壁を照らし、影が一瞬で散った。
二班の指揮官が無線に叫ぶ。
「包囲が早い! 二手に分かれろ、北側へ回り込め!」
そこにサガラの低い声が割り込む。
「下がれ、無理はするな! 敵の流れを変えるんだ!」
その指示に呼応するように、二班の数名が敵の追撃を受けながらも別ルートを選び、包囲を避ける方向へと移動を始めた。
一方の三班は、旧通信設備と近隣施設を縦横に走り回っていた。
エドの短い指示が飛ぶ。
「センサーを十秒照射したら停止、すぐに移動! 断続的に検知させて位置を絞らせるな!」
部下たちは小型EMPを投げ込み、ネットワークを意図的にノイズで満たしていく。
監視網の中央では、ゼクスが複数のモニターを見つめていた。
副官が慌てて報告する。
「旧通信設備付近、複数地点で反応あり! 少佐、どうします? 増援を出しますか?」
ゼクスは視線を動かさず、静かに答えた。
「出せ。ただし全員は動かすな。これは陽動の可能性がある。」
数秒の沈黙のあと、眉をわずかにひそめる。
「近隣設備も同時に反応している。……動きが不自然だな。こっちも囮か。」
彼の瞳が鋭く光を帯びた。
政府側の注意は、完全に陽動班が活動する三つのエリアに釘付けとなっていた。
*
一方、技術工作班。
赤いインジケーターが断続的に点滅し、スクリーン上をコードが流れ続けていた。
冷たい青光がルキの頬を照らし、指先が止まることなくキーを叩く。
画面には断片的な文字列が次々と流れ、暗号化されたファイルが一つ、また一つと解かれていく。
そのたびに、全員の呼吸がわずかに揃い、空気が一段と張り詰めていった。
「まずは接続窓の確保だ。ARCADIA本体と直接話すんじゃない、“仲介役”を立てる。
仮想プロキシを経由して応答を返させる。それで相手の出方を探ろう」
ルキの声はいつもより低く、鋭く研ぎ澄まされていた。
レオンは短く頷き、銃口をわずかに下げながら周囲を見渡す。
まだ監視の気配はない。だが、時間は刻々と削られていく。
「ペースを上げろ。ログの完全複製を取るまでに、プロキシを立てるんだ」
レオンの低い声に、ルキが小さく息を呑む。端末のファンが唸りを上げ、暗号化プロセスが流れ出す。スクリーンの中で数字が崩れ、再構成され、一瞬だけ赤いエラーコードが点滅した。
「通れ……通れ……!」
ルキの小さな呟きが、端末のノイズにかき消される。
指先の動きは止まらない。機器の低い唸りとともに、彼の額に汗が滲み、青白い光に照らされて輝いた。
*
「まさか……旧庁舎か……」
モニターに映る地図を睨みつけ、ゼクスの目がさらに鋭くなる。画面の青白い光がその輪郭を浮かび上がらせる。
ゼクスは素早く体を起こし、副官を手招きした。
「大尉、まだ動ける部隊はあるか。旧庁舎に向かわせろ」
副官が端末を操作しながら声を返す。
「はい! 旧庁舎ですね?──ライアンの部隊が近くで待機しています」
ゼクスは短く頷き、低く言い放つ。
「すぐに向かわせろ。潜入しているなら、地下にいるはずだ」
副官は即座にライアンに通信を飛ばし、指示を下した。
「承知しました! 直ちに展開します!」
*
「アヤ! ライアンだ、聞こえるか?」
無線越しに短く響く声。背後で金属音がかすかにする。
「はい、ライアン中尉。聞こえます!」
アヤは端末に身を寄せ、応答する。声に緊張が滲む。
「これから旧庁舎で後方支援に当たってくれ。レジスタンス潜入の可能性あり、ケインの部隊が監視に向かっている。」
ライアンの口調は簡潔だ。手元で地図を指し示すようにして、アヤに要点を伝える。
「旧庁舎、ですか……」
アヤの声が一瞬途切れる。記憶と現場の乖離が胸に刺さる。
「どうした、問題か?」
短い問い。無線越しでもライアンの苛立ちが伝わる。
「いえ。あそこは確か廃ビルのはずで……もう何もない、と聞いていました」
「詳報は上から降りてきてない。だが命令は地下すべて確認しろ、だ。到着次第、正面と裏手に分かれて地上で待機してくれ」
ライアンは命令を重ねるように伝えた。画面の向こうで部下が動く気配がする。
「承知しました。すぐ向かいます。五分ほどで着きます」
アヤは返事を詰め、端末のスイッチを切らずに準備を進めた。
「了解。急いでくれ。到着次第、状況報告を」
無線が切れ、室内に再び静寂が戻る。アヤは深く息を吸い込み、班員とともに部屋を飛び出した。
*
再び、旧庁舎に潜入中のジェネシス技術工作班。
ルキとナッシュは息を詰め、端末に向かって指を走らせていた。
薄暗い部屋には、サーバーの低い駆動音とキーボードを叩く音だけが響く。
ナッシュがケーブルを押さえ、セラとカイが背後の通路を警戒する。
レオンは銃を構え、扉の前で短く息を吸った。
そして――
ルキの画面に “ACK(承認)” の文字が浮かぶ。
その瞬間、全員の胸に小さな電流が走った。
それは冷え切った地下に差し込む、わずかな光のようだった。
「……やった。複製完了。ログのシャドウコピー、二重保存。プロキシも立った」
ルキが顔を上げる。スクリーンには、ARCADIAと見られるシステムの断片的な応答ヘッダが表示されていた。
確かに――“会話の窓”が開いている。
「これで……問いを差し向けられる」
レオンは短く答え、拳を握りしめた。
セラの瞳がその光を捉え、ナッシュが深く息を吐く。
だが、その瞬間――
地下の奥から、金属が擦れる音がした。
足音が近づく。
処理班の到着が、想定よりはるかに早い。
彼らの潜入時間は刻一刻と削られていく。
「検知された……!?」
セラが振り返る。通路の奥で金属の足音が連なった。
「検知はされていないはずだが……とにかく退避だ、今すぐ!」
レオンが命令を下す。
その時、ルキの画面に流れていたコードが一瞬止まり、緑のラインが完成を示した。
「……できた。これでログも、プロキシも完璧だ」
彼の顔に安堵の笑みが浮かぶ――が、その瞬間、頭上の警報ランプが赤く点滅を始めた。
「待ってくれ! もう一つ、仕込んでおきたい……!」
ルキは端末から目を離さず、指を走らせる。
「ルキ、急げ!」
セラが叫び、銃を構える。
数秒後。
通路の奥に、処理班の影が現れた。
閃光が走り、銃声が地下に反響する。
セラは咄嗟にルキたちを庇い、反撃した――
次の瞬間、焼けつく衝撃が背を貫き、彼女はその場に崩れ落ちた。
「セラさんッ!」
カイの叫びが響いた。
レオンは怒りと悲痛を押し殺し、正確に二射を放つ。
処理班の兵士二名が倒れ、通路の奥に煙が立ちこめた。
カイがセラを抱き上げ、ルキが最後のコマンドを打ち込む。
「完了……! 接続は切った!」
「撤退する!」
レオンが叫ぶ。
彼らはセラの身体を抱え、暗闇の通路を駆け抜けた。
背後で警報が連続し、赤い警告灯が地下全域を染め上げていく。
やがて、音が途絶えた。
後に現場へ駆けつけた処理班が見たのは、停止した端末と、微かに熱を残した機器だけ――
そこに、もう誰の姿もなかった。
残響のように、機器のファンが一度だけ低く唸り――そして、沈黙が戻った。




