第12章 残された真実
レオン、セラ、カイの三人は、ぎりぎりのところでアイグリッド南部拠点へ戻ってきた。
三人とも全身に傷を負い、特にレオンは太腿を幾重にも包帯で巻かれ、血が滲んで真っ赤に染まっていた。
その血痕は拠点へ向かう道沿いにも続いており、もし追跡されていれば、拠点の位置は容易に割り出されたかもしれない。
拠点の入口で崩れるように倒れ込む三人を、仲間たちは叫び声を上げながら抱え上げ、応急処置に取りかかった。
誰もが顔を青ざめさせ、震える手で止血し、薬を塗り、包帯を巻く。
夜を徹した手当ての甲斐あって、翌朝には三人とも意識を取り戻した。
だがその瞳は虚ろで、生き残ったという実感より――失ったものの大きさが、胸の奥を支配していた。
翌日。
レオンはまだ痛む足を引きずりながら食堂へ姿を見せた。
その歩みは重く、背中には言葉にできない疲労が滲んでいる。ルキに目で合図し、「みんなを集めてくれ」と静かに告げた。
ほどなくして仲間たちが集まり、ざわめきがすっと消える。
レオンは椅子の背にもたれ、深く息を吐いた。包帯の下に隠しきれない痛みが、その顔に刻まれている。
「……今回の作戦では、十二名の精鋭を失った。完全に俺の判断ミスだ。――申し訳ない」
掠れた声は短く、それでいて重かった。
沈黙が広がる。セラは唇を強く噛み、ルキは拳を握りしめたまま視線を落とす。
カイは俯いたまま、肩を震わせていた。
*
その頃、アヤはライアンからの呼び出しを受け、政府庁舎の執務室へ向かった。
分厚い防音扉の内側は、外の喧騒とは別世界のように静まり返っている。
モニターの明かりだけが室内を照らし、青白い光がライアンの顔を硬く浮かび上がらせていた。
彼はいつになく険しい表情でキーボードを叩き、淡々とデータを呼び出す。
「レイナの提供した情報をもとに、先日ジェネシスを庁舎別館へ誘導し、確保作戦が実行された」
その声は、いつもの柔らかさを失い、珍しく暗かった。
「処理班は施設内で待ち構えており、ほとんどのメンバーを殲滅できたらしい。……だが、三名が逃走している。こちらに捜索命令がきた」
乾いた報告が、アヤの鼓膜を鋭く叩く。
ライアンは無表情のまま、粛清された者たちと逃走した三名のリストを差し出した。
アヤは震える指でそれを受け取り、目を落とす。白い紙面の文字が、滲んで見えた。
(……やっぱり。レイナの情報は――偽装されていた)
ライアンは立ち上がり、椅子の軋む音が静寂を切り裂いた。
「ゼクス少佐が直接指揮している。北部や東部でも捜索が始まった。……君も近いうちに任務にあたるだろう。内容は頭に入れておいてくれ」
そう言い残すと、彼は短くうなずき、防音扉の向こうへ消えた。
重たい閉扉音が、アヤの胸の奥で鈍く響く。
彼女は机の上にリストを広げ、逃走した三名の名前を指先でなぞる。
――レオン・ハグリッド。セラ・カーン。そして……カイ・シエルド。
カイの名前を見た瞬間、胸が締めつけられた。あのとき、なぜか追いかける足が止まり、逃がしてしまった青年。
彼のまっすぐな瞳が脳裏に浮かぶ。(……生きていたのね)
さらにページをめくると、粛清されたメンバーのリスト。
先頭に記されていたのは──グレン・イワナミ。検索に応じて、淡々と経歴が表示される。
元企業家。四人家族。妻と二人の息子は三年前に捕獲され、その後の記録は途絶えている。
今回の作戦で、本人も死亡。罪状欄は空白のまま。
他の名も同様だった。
前科はなく、特筆すべき犯罪歴もない。まるで“罪”ではなく“存在そのもの”が消されたかのように。
アヤはモニターを閉じ、ゆっくりと目を伏せた。
かすかに唇が震える。
「……どうして、こんな人たちが……」
空調の微かな唸りだけが、彼女の震えを吸い取るように続いていた。
*
数時間後、アヤは自室に戻り、レイナから託されていた秘匿通信端末を手に取った。
黒い筐体は冷たく、手のひらの汗でじっとりと張りつく。指先がわずかに震えた。
スイッチを押す。低く唸るような電子音、暗号化回線が立ち上がる。
静まり返った部屋に、心臓の鼓動だけがやけに大きく響いた。
画面の入力欄に、ジェネシスのハンドルネームが並ぶ。
アヤは息を整え、唇を噛みながらキーを叩く。
「あなたたちはジェネシスね?」
送信。回線の光が一度だけ瞬き、静寂が訪れる。
数秒が永遠のように伸びていく。
──やがて、返答。
「レイナじゃないな? あなたは誰だ?」
喉がひゅっと鳴る。
「レイナさんの知り合いです。名前は明かせません」
「証拠は?」
アヤは短く息を吐き、再びキーを叩く。
「証拠はあります。彼女から受け取った情報を、あなたたちに渡したいのです。
先日あなたたちに伝えられた情報は、政府によって改ざんされた偽情報でした。
彼女はあなたたちを裏切ってはいません。彼女はお子さんと共に粛清されました。
けれど、彼女は私に“真実”を託していたのです」
沈黙。回線の向こう側の冷気が伝わってくるようだった。
「信じられると思うか?」
疑念と痛みの混ざった短い一行。
アヤは迷わず打つ。
「とにかく情報を渡したい。受け渡し場所を指定します。直接会うことはできません。
私も家族を危険に晒すわけにはいかない。
レイナの遺した“真実”を、あなたたちに託します」
送信音。画面は沈黙に戻る。
アヤは端末を見つめたまま拳を握りしめた。汗と涙の境目がわからないほど、手のひらは熱い。
──もう、後戻りはできない。
*
数日後。
指定された路地の影で、セラ、カイ、ルキの三人は身を潜めていた。
夜風が頬を撫で、遠い街灯がまばらに瞬く。足元の枯れ葉が小さく震え、街の雑音は壁に吸い込まれていく。
「待ち伏せはなさそうね」
セラが低く呟く。声は風にさらわれないよう抑えられていた。
「……ありました」
カイが指差した先、影に小さな金属製の箱が半分埋もれている。錆びた表面に薄い土が付着していた。
ルキが膝を折り、手袋の先でゆっくり蓋を開ける。中には小さなデータチップが一つ、慎ましく収まっている。
金属の冷たさが指先に刺さり、夜の冷気を一層鋭く感じさせた。
ルキはチップを小型端末に差し込む。スクリーンに文字と図が次々に展開された。
「旧政府庁舎の地下構造図……通信経路……IDの相関表。――本物っぽいな」
作成者名は“ジェームス”。政府直属のデータラボ所属の署名。日付はレイナが偽情報を受け取る二日前。時間軸に矛盾はない。
セラは画面を覗き込み、眉を寄せる。地図の一部を指でなぞり、低く言った。
「まだ信じ切るわけにはいかないけど……自分が罠に使われるのを察して、残したのかもしれない」
ルキは拳を固め、目の奥に怒りと哀しみを宿した。
「命懸けで、本物を託してくれたってことだ」
カイは黙って表示を反芻するように見つめ、こわばった唇を結ぶ。
「……無駄にはできないですね」
言葉以上の誓いが、三人の間を通り過ぎた。
風が再び路地を抜け、箱の蓋のかすかな金属音だけが夜に溶けた。
*
作戦ルーム。
モニターの光がレオンたちの顔を淡く照らす。
誰も口を開かず、機械の低い駆動音だけが空気を震わせていた。やがて、レオンが口を開く。
「すぐにでも“ARCADIA”に接触したいところだが……残ったメンバーは十名。
戦えるのは、俺とセラ、カイ、それにロッドだけだ」
言葉の端に、焦りと自責の影。
セラが腕を組み、険しい表情で言う。
「他拠点に助けを求めるしかないわ。アリシアに話を通しましょう」
ルキがうなずき、端末を操作して回線を開く。
通信画面の向こうに、長い黒髪をひとつに束ねた女性――アリシアが映った。
ジェネシスの統括リーダー。静かな威圧感を纏う。
「レオン。ずいぶん顔色が悪いわね」
「……悪い報せばかりでな」
レオンが状況を説明すると、アリシアの表情がわずかに曇る。
「……そう。潜入前に一言、連絡がほしかったわ」
皮肉めいた一言ののち、すぐ真顔に戻る。
「でも、状況は理解した。こちらから東部拠点に連絡を取る。彼らの戦力なら助けになるはず」
通信の向こうで、指が動く微かな音。
レオンは深く息をつき、目を閉じた。セラもルキも、何も言わずその横顔を見つめる。




