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離魂病

作者:

 森に迷った旅人が、夜に飛ぶ蝶を目にした。

 蛾ではないと判じたのは、鮮やかな青の鱗粉を舞わせていたからだ。その痕跡は光り輝き、木立を縫うしるべとなる。

 とうとう幻を見たか。野宿をしていた旅人は自嘲した。日が暮れるまで彷徨さまよい歩き、樹木の迷路から脱することは叶わなかった。疲労困憊ひろうこんぱいとなって、火打ち石で焚火を起こした。路銀などの貴重品が入った胴乱を枕にして、身を休めていた。

 最初は蛍と見間違えた。あわよくば水辺があり、川筋を辿ればこの森から出られるかもしれない。ただ蛍が飛ぶには少々季節外れであり、何より黄緑の発光ではなく、青ざめた微細な光の粒だった。

 夜の森で歩き回るなど自殺行為だ。旅人は幻覚だと断じて、目を瞑って眠ろうとした。ところが瞼の裏を青白い蝶が舞い、あの光が乱舞している。

 どうにも眠れず、半身を起こす。蝶が飛び去った方向を見れば、輝く鱗粉が尾を引いている。薄っすらと目を開けた。

 そのさまは離魂病りこんびょうに似ていた。旅人は立ち上がり、大事な旅道具も置いて蝶の痕を追った。その頭上では、枝に張られた蜘蛛の巣に同じ色の蝶が囚われていた。

 森の中を彷徨う。その足取りは覚束おぼつかなく、足袋たびを履いた足を何度も木の根に引っかけた。旅人は気にした素振りはない。ただ盲目的に鱗粉の痕跡を追った。

 奥に進むにつれて、周囲には絹糸で編まれたらしい楕円形の繭が樹上や地面に糸を張っていた。ただしその大きさは虫のものではなく、大の大人さえ入るだろう。

 曖昧模糊あいまいもことした視界で、その様子を眺めていた。これは何の繭だろう。蝶にしては大き過ぎる。そう思っていると、繭の一つが裂けた。中から光が飛び出した。蒼白な光を帯びた、蝶の群れだった。目を奪われた旅人の眼前で、夜空へと舞い上がっていく。

 何と美しい。

 ため息が漏れた。繭から生まれた光の柱に見とれる。余韻よいんが冷めると、闇の中から気配がした。何かがひっきりなしに動いている。そちらへと目をらした。

 木と木のあいだに、白く眩しい蜘蛛がいた。地面から垂直の円網を張り、中心のこしきに陣取っている。八本脚の剛毛が見て取れるほど大きく、鹿や狼でさえ捕食してしまうだろう。

 突如現われた化け物を前にして、立ち尽くした。ところが白い蜘蛛は茫然自失とする旅人には目もくれず、大きく膨らんだ尻の紡ぎいぼから糸を吐き出して器用に何かを編んでいる。既に餌食になった哀れな動物だろうか。

 白い絹で編まれたものには見覚えがあった。楕円形をした繭だった。そこら中にあった蝶の繭は、この蜘蛛が編んだものだったのだ。

 まるであべこべだ。蝶を捕らえる蜘蛛が、その繭を編むなどと。

 旅人はふと思った。蜘蛛が蝶を直接生むだろうか。あの繭の中には、本当は何が入っていたのだろう。

 一心不乱に繭を編んでいた白い蜘蛛が脚を休めた。八つの赤い単眼が、誘われた獲物を捉えた。

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