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眠れない夜〜Sideレイモンド〜

 

『用事があるから、今夜は必ず部屋に戻って欲しい』

 実家から戻ってきたロザリアからのそんな伝言を聞いた。

 少しでも寂しいと、俺と話したいと思ってくれたんだろうか。

 身体は疲れながらも、浮き足立つ気持ちをグッと押し殺して、俺は夜、久しぶりに夫婦の寝室へと足を運んだ。


 そして突きつけられたのは

 

「離縁しましょう」


 思考が停止した。


 なんの冗談かと思ったが、彼女の真剣な瞳が冗談ではないと証明していた。


「だって、あなたは聖女を娶りたいのでしょう?」


「っ……俺は……!!」

「最近は聖女のところに入り浸りなんでしょう? 舞踏会でもエスコートをし、二度も続けて踊っていたし。よかったじゃない、待ち望んでいた聖女が現れて。昔から、あなた言っていたものね。きっと聖女様は心清らかな乙女だ。きっと聖女様は優しくいつも穏やかな女の子だ」


 積もりに積もった後悔という波が、一気に押し寄せてくるような感覚に陥る。


「だから、離縁してあげる」


 ロザリアは涙を浮かべたままにこりと俺に向かって微笑んだ。

 一粒の涙が彼女の頬を濡らすのが見えて、俺はたまらずロザリアの手をぐいっと引き寄せた。


 「だめだ!! 離縁なんて、俺は許さない!!」

 プライドも何もかもいらない。

 欲しいのはロザリアだけだ。

 そう思った俺は、何もかもを投げ出して叫んでいた。 


「な、何で? だってあなた、聖女を娶りたいんでしょ? だから私はお飾りの妻で……、だからあなたは初夜を行わなくて……、だからあなたはここに帰ってこなくて……。私は、あなたが──、愛する人が他の女性と仲良くする姿を死ぬまで一生見続けていられるほど強くない!!」


 次第にポロポロと涙をこぼしながら、俺に言葉をぶつけるロザリア。


 彼女の口から出た言葉に、俺はまた思考を停止させた。


 今、愛する人って言ったか?

 俺を?

 動ききらない頭のままたずねると、ロザリアがキッと俺を涙目で見上げてから口を開いた。


「えぇそうよ!! 私は小さい頃からずっとあなただけを愛していたもの!! でも、あなたは聖女のことばかり!! 私のことが嫌いなら結婚なんてしなきゃよかったのに……!! だけど……こんなに辛い思いをしても私はあなただけが好きで……だからこそもう耐えられないの!! もう私を解放して!! 私は、一人でひっそりと生きて──っ!?」

 

 気づけば俺は、ロザリアのぷっくりと愛らしいその唇に、自分のそれを重ねていた。

 ずっとこうしたかった。もう、何年も前から。

 想像していたよりも柔らかく滑らかなその唇を、少し乱暴に堪能する。


 

「俺だって小さい頃からお前だけが好きなんだよ!! 聖女様は、確かにすごい存在で、憧れはあったけど、それは異性への好きとかそんなじゃない。でも、何の話をしたら良いのかわからないし、女が好きそうな話題とか知らないし……。お前を前にしたら緊張して、聖女様の話しか出せなくなって……。……昔、聖女が好きなら聖女と結婚したらどうかって言われた時、俺、否定しなかったろ? あれもその、売り言葉に買い言葉で……ずっと、後悔してた。でも何の弁解もできないまま、そのままズルズルとここまできてしまった……」


 唇を離してから、自分の思いを全て曝け出す。

 俺が情けないばかりにずっとロザリアを傷つけて、後悔を重ねて……。


「じゃぁ、何で初夜をしないって……」

「俺だってしたいわ!! ……でも、自業自得だけど、お前は俺のこと嫌ってるみたいだったし……。無理矢理なんてしたくないし……」


 つい口から本音が飛び出して、気まずくなって徐々に小さくなる声が情けない。

 はぁ、俺、一応王太子のくせにカッコ悪すぎだろ。 


「で、でも……あなた、アリサを側妃にするんでしょ?」

「するか!! 俺の妃はお前一人だ!! ……でも、そう思わせてしまったのは、俺のせいでもあるよな。アリサ殿を強制召喚した犯人を突き止め、彼女を元の世界へ還そうとしていたとはいえ、お前に何も告げることなく進め、誤解を招くようなことをしてたくさん傷つけた……。本当に、申し訳なかった……!!」


 俺はロザリアの手を引き、彼女をベッドへとエスコートする。


「ずっと悲しい思いさせてごめん」

 言いながら俺は彼女の足元に膝をつき、彼女の手を取ったまま見上げた。


「あらためて言わせてくれ。俺は、ロザリアのことを、ロザリアのことだけを愛している。小さい時から変わらず。生涯、お前だけを愛すると誓う。だから、ロザリア……。俺と──結婚してください」


 言えないままだった、プロポーズの言葉。

 ずっと言いたかったけど、言うことのできないまま流されるままに結婚してしまった。


 その言葉を聞いた瞬間、ロザリアの瞳から再び大粒の涙がこぼれ落ちた。



「っ……はい……っ!! 喜んで……!! 私も、レイモンドのこと……、愛してるわ」 

 ポロポロ涙をこぼしながら、それでも嬉しそうに瞳を細めて笑うロザリア。

 こいつのこんなに幸せそうな顔を見たのは、いつぶりだ?

 そうだ。

 小さな頃は、こんなふうに笑い合っていたんだ。

 

 掛け違えたボタンが、ゆっくりと解け、元の穴へと収まっていく。


 ロザリアのYESの返事に、俺はまた彼女をギュッと抱きしめ、そのままベッドに沈んだ。


「あーもう、今日は仕事とかいいや……」

 幸せすぎて仕事どころではない。

 今は一分一秒でも長くロザリアを抱きしめていたい。


「聖女のこと?」

「ん? あぁ。アリサ殿は昨夜元の世界に還したから、その報告書の作成と、宰相の処分の件、あと諸々の後処理に今追われてる」

 言いながら抱きすくめた彼女の頭にぐりぐりと頬擦りする。

 やば。幸せ。


「レイモンド?」

「ん?」

にやけた顔でロザリアの顔を覗き込めば、そこにはのっぺりとした黒い笑顔の妻がいた。


「詳しく、一から話、聞かせてくれるわね?」

「え、ちょ、ロザリアさん?」

 顔。

 顔面崩壊してるぞ。

「き、か、せ、な、さ、い、ね?」


 俺の妻が強い。



 ──そして俺は今、床の上で正座した状態で最愛の妻を見上げている。

 全ての事情を聞いた後、彼女は難しそうな表情をして言った。


「なるほど。事情は分かったわ。じゃぁ、本当に聖女とは何もないのね?」

「あ、当たり前だ!! 夜は絶対に訪ねなかったし、彼女の誘いにも乗っていない!! 俺はロザリアしかいらん!!」

思わず大きな声が出てしまったが、誤解をされたままでは困る。


「そ、そう……。でも、影でこそこそ動かれて辛い思いをするのはもう嫌よ。レイモンド、あなた、新婚旅行からの帰り、あの塔の上で言ったこと、覚えてる?」

「塔の上で?」

「……『1人では全てを守るのは難しいだろう。だから……お前にも一緒に、同じ景色を見て、同じものを守っていってほしい。王太子妃として、未来の王妃として、そして俺の妻として、この国を一緒に守っていってくれ』そう言ったのよ?」


 そうだ。

 プロポーズというにはあまりにも遠回しなあの言葉。

 覚えていてくれたのか。


「一人じゃ、無理だったでしょう?」

「……あぁ」

「なら今度はちゃんと、同じ景色を私にも見せて。私も、もう前を向くから」

「っ……!! あぁ……ありがとう……!! ……たくさん傷つけて、ごめんな」


 緩む涙腺もそのままに、俺は彼女の頬に手を添えると、そのまま吸い寄せられるように唇を近付け──。


「待って」

「むぐっ!?」


 重なることなくロザリアの手によって塞がれた俺の唇。

 嘘だろ。

 今の流れでこれか。


「事情はわかったし、レイモンドの気持ちもわかったわ。でもね──?」

 ロザリアがにっこりと美しい満面の笑みを浮かべて、俺の口を塞いだまま顔を近づけた。


「私、お仕置きは必要だと思うの」

 お……!? いや、だがそうだな。それは……必要だ。

「わ、わかった。なんでも言え。パンチでもキックでも、なんなら剣で切り刻んでくれても──」

「私をこれ以上最強の王太子妃ポジションにしないでくれる?」


「じゃぁ何を……」

「そうねぇ。一つは、私の地位の回復。舞踏会での一件でおそらく王太子は聖女を側妃にするつもりだって皆感じているし、私のことはお飾りの王太子妃だと侮っているものも出てきているはずだもの」

「あぁ。その件については、宰相の件と合わせて全てを明らかにさせるつもりだ」


 何もないままに流してしまっては、信頼はどんどん落ちていく。

 それに、ロザリアの名誉についてもそうだ。


「そう。……ならその際、これは私も同意の上だったと言ってちょうだい」

「同意の上?」

「えぇ。きちんと私に相談があり、舞踏会でのことも、容疑者の反応を伺うため私もその許可を出していた。それなら全て考えあってのことだとわかってもらえるし、私も王太子に信頼されている、と認識させることができる」

「そう、だが……」

 俺がもっとしっかりしていればこんなにならなかったのに。


「レイモンド、王太子として皆から信頼されるのはとても大切なことよ。そのための多少の事実のねじ曲げは必要だと思うの。その分、本当のヘタレイモンドは、私やゼル達にだけ見せてくれたらいいわ」

「ヘタレイモンド……。わ、わかった。だがそれだけではお仕置きにはならないだろう。やっぱりひと思いに俺を──」

「殴らないから!!」

「まったく……。そうねぇ……レイモンド個人へのお仕置きとしては──」

 

 ロザリアは良いことを思いついたように少しいたずらっぽい笑みを浮かべると、隅に置いてあったトランクの中から一冊の本を取り出した。


「これを寝る前に朗読してもらうわ」

「な、なんだこれ? ……【聖女系遺恨日誌】?」

「あなたのこれまでの言動を書き綴った日誌よ」

「!?」


 パラパラと軽く読んでみると、俺が何年の何月何日に何を言ったかが記されている。

 言わば俺のやらかし記録……!!


「約束よ、レイモンド。夜は必ず帰ってきて、私と眠ること。だけど、寝る前、必ずこれを朗読してちょうだい。もちろん私にもダメージが0というわけはないわ。私にだって反省点があったのだから、これくらいのダメージ受けて当然だもの。1週間、これを続けてもらうわ」


「1週間……」

「大丈夫、201話の軽い読み物だから」

「いや重いだろ」

 1話ずつ噛み締めて読んでたら読み終わる頃には俺の精神死んでるんじゃないか!?


「読み終わるまでは、キスも初夜もすることはないわ」

「うっ……わ、わかった……」

 やるしかない。

 やり切ってみせる。


「レイモンド?」

「ん?」


「今夜から──簡単には寝かさないわよ?」


「っ……そのセリフ、なんか違う……!!」


 俺の妻がカッコ良すぎる&可愛すぎる……!!


 こうして俺の眠れない夜が始まったのだった。


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