愛しい記憶
熱い……。
胸が苦しい……。
息ができない……。
どこもかしこも真っ暗闇。
ふわふわとした無重力空間で私はまるで母のお腹の中で漂う赤子のように、流れに身を任せぷかぷかと浮いていた。
あぁでもこの感覚……気持ちいいわ。
誰もいない。
何を考えているのかわからないレイモンドも、人の夫に依存する聖女も、煩わしい貴族たちも。
いるのは私、ただ一人だけ。
もういっそずっとここにいようかしら。
本気でそんなことを考えたその時だった。
私のすぐ目の前に、大きなモノクロの映像が映し出された。
「これ──……」
男の子が一人、庭の隅で蹲っているところ。
その隣にいるのは──私だ。
これは私たちの、出会いの場面。
前世の記憶が少しだけあった私には、レイモンドに関わる気なんてなかったのに。
あまりにレイモンドが苦しそうで、放っておけなかったのよね。
『上辺だけの友人や婚約者なんて嫌だ。皆、ギラギラした目で、俺の地位しか見てない。もう嫌なんだ。怖いんだ』
そんなレイモンドの弱音をひとしきり聴いて、私は持っていた自作のクッキーを彼にあげたんだ。
モノクロだった映像は次第に色付き、二人の声が流れ動き始めた。
小さな私が小さなレイモンドの口にクッキーを突っ込む。
『ゴフッ!! むぐっ、むぐぐっ(お前、何をっ)……!! ……ん……これは……美味しい……!!』
『つかれたからだには、【あまいもの】と、てきどな【しおみ】が良いんですよ。おつかれさまです、でんか』
『あぁ……ありがとう……』
『でんか、だいじょうぶです。でんかのことをほんとうにあいしてくれるひとはかならずいます。ともだちだってそう。むりにつくらなくていい。しぜんでいいんです。あいするひとをみつけたら、そのひとをしっかりまもってあげてください。おうじさまは、おひめさまをまもるためにいるんですから』
『!! ……あぁ。必ず守るよ。──ロザリア』
『わたしじゃないです。あいするひとを、です』
『わ、わかっている!! ……ほら、手、出せ。公爵のところまで送っていく』
『はい!! ありがとうございます、でんか』
映像はそこで終わって、ゆっくりと暗闇に溶けた。
それと同時に今度は私の背後で映像が浮かびあがった。
今度は何だろう?
ぁ……小さなレイモンドが小さな私をおんぶしてる。
それに小さなゼルが心配そうにそれを見てる。
……これ……。
『レイモンド!! 危ないから私が背負います』
『いえ、私どもが!!』
『だめだ。ロザリアは俺が背負う』
『殿下、おろしてください。一人で歩きますから』
『お前は大人しくしていろ』
私がスチュリアス公爵領のアクセルの服屋の通りで転けて怪我をした時の記憶だわ。
ゼルや護衛が止めるのも聞かず、レイモンドは私をおんぶして歩いていく。
『俺は、お前を誰かに任せるのは嫌だ』
『え?』
『絶対に守ってみせる。王子は、姫を守るためにあるんだろう?』
『殿下……』
そうだ。
あの時私は、レイモンドに恋をした。
それはまだ小さな蕾で、目で追うごとに彼を知って、好きになった。
ひどいことばかり言うけど、その後自分も泣きそうな顔をしたり。
城で働く人たちの事情まで把握して、皆が働きやすい空間になるように配慮していたり。
お勉強も剣の修行も、いつも頑張っていた。
笑顔の裏でたくさんの努力を重ねていたレイモンド。
どれだけ疲れていても弱音を吐かずに頑張り続けるのよね。
実際、出会った時以来、彼の弱音を聞いたことはない。
一人っ子で、国を背負うのは自分しかいなくて、きっとたくさん苦しんだに違いないのに。
そんなレイモンドだから、そばで支えたいって思ったんだ。
「ロザリア……。ごめん──。……愛してる──」
誰かの苦しげな声が脳内に響いて、やがて映像はまた闇に紛れ、刹那、私の身体は深い思考の海から、ぐんっ──と浮上していった。




