食べさせて?
「ふんふんふーん♪」
カチンッ。
音と共に目の前のオーブンの小窓から見えていた火が消える。
「できた──!!」
黒く重厚な扉を開けると、天板の上には美味しそうにこんがりと焼き上がったクッキーが姿を現し、甘い香りが調理場を満たす。
今日はレイモンドは1人公務で騎士団の訓練所に行っている。
騎士達の訓練を視察して、ついでに騎士団長に稽古をつけてもらうらしい。
「粗熱が取れたらラッピングをして、騎士団に持っていきましょう。あぁでも、まだいるかしら、レイモンド」
「この時間ですと、まだ騎士達の訓練も終わっていないかと」
「ならよかった!! ……レイモンド、喜んでくれるかしら?」
作ったは良いけれど、少し心配になってきた。
「聖女様が作ってくれたならきっと美味しいんだろうな」とか言われたら私、多分実家に帰るわ。
「大丈夫です。最近の殿下なら、きっと素直に喜んで下さるでしょう」
「……だと良いんだけど……。それにしてもレイモンドが羨ましい。私もたまには剣の稽古を団長につけてもらいたいわ」
私は王妃教育の一環として、レイモンドと婚約してからずっと剣の稽古をしている。
いざという時、夫を守れるように。
夫は自分の力で妻を守れるように。
お互いに守りあえるようにと、この国の王と王妃は剣を扱えるようにしておかなければならない。
「もう十分お強いでしょうに。幼少期より大変努力なさって来られたのですから。あなたは」
「ふふ、ありがとう。騎士団長が熱心に稽古をつけてくれたおかげよ」
小さい頃の私は、いずれ婚約破棄され追放された時には冒険者になれるようにと、精一杯自分を鍛え上げた。
筋トレは毎日欠かすことなく行い、剣技の稽古も毎日レイモンドやゼルと一緒に、騎士団長に稽古をつけてもらった。
そんな私は、今やそんじょそこらの騎士よりも強い【剣豪王太子妃】になってしまった。
「でもその代わり、女なのに手は剣ダコだらけなのよね。ふわふわすべすべの手になりたいわ」
令嬢らしからぬ手になってしまったのが難点だ。
今更どうにもできないけれど。
「そうですか? 私はそのままで十分美しいと思いますが……」
「っ!? ……あ、ありがとう……」
ゼルって本当、時々無意識にたらし込むから厄介だわ。
恐ろしい子……!!
「あ、もう粗熱も取れたみたい。急いで包んでレイモンドのところに行きましょう!!」
「はい」
私はせっせとラッピングの包みにクッキーを包みリボンで結ぶと、それを持ってゼルと一緒に訓練場へと向かった。
キンッ──!!
「っ!!」
「はぁっ!!」」
ザッ──!! ──カンッカンッキンッ!!
「くっ……!!」
あ!!
もうレイモンドと騎士団長の稽古が始まってるわ!!
って、レイモンド押されてるじゃない!!
さすが騎士団長ね。
「レイモンド様ぁー!!」
「頑張ってくださいましぃーっ!!」
向こうで見学の令嬢達が黄色い声援を送っている。
「……相変わらずモテモテね、あの男」
私の応援なんていらなさそうね。
終わったら彼女達も手に持っている包みを渡すんだろうし。
私のクッキーも無意味になっちゃった。
たくさんの中のひとつになるなんて……。
はぁ、作らなきゃよかったわ。
でも最近レイモンド、疲れてるから……。
彼の好きなクッキーを作りたかったのよね。
少しでも歩み寄りたくて。
少しでも力になりたくて。
それが突然、全部無意味に思えてきて、私は思わず俯いた。
「……来なきゃよかったわ」
私がぽろりと弱々しく言葉をこぼすと、背後に控えていたゼルがそれを拾い上げた。
「王太子妃殿下、自信を持ってください。諦めずに歩み寄るのでしょう?」
「っ……!!」
そうだ。
諦めないって決めたばかりなのに。
私ったら卑屈癖が直らないんだから……!!
「ありがとうゼル!! そうね……。そうよね……!!」
私は息を一度吐き切って、それから大きく吸い込むと──
「レイモンドーーーーー!! 頑張ってーーーーー!!」
出せる限りの大声で彼に声援を送った。
「っ!!」
一瞬、レイモンドのサファイア色の瞳と視線が交わって、そして──。
「はぁぁぁぁっ!!」
カァァァァン──ッ!!
「っ!?」
カランカラン、と音を立てて払い落とされ転がる──騎士団長の剣。
やった……!!
レイモンドの剣が、騎士団長の剣を弾いた!!
稽古を終えて、レイモンドがランガルから受け取ったタオルで汗を拭きながら私に視線をよこすと、彼はこっちへ迷わず歩き出した。
レイモンド……気づいてくれた……!!
うれしさに飛び上がりそうになる気持ちを抑え、私はレイモンドが来るのを、彼から視線を逸らすことなく待った。
が……。
「レイモンド様、お疲れ様でしたぁ!!」
「素晴らしい剣技でしたわぁ!!」
「さすが王太子殿下ですぅっ!!」
令嬢達がすぐさまレイモンドに駆け寄って彼を取り囲んでしまった。
うわぁ……ここに妻がいるにもかかわらず、わかっていてあからさまな妨害……。
舐められてる。
完全に舐められてるわ。
ある程度王家に近い人たちは、喧嘩ばかりだった私たちのことを喧嘩するほど仲が良いと微笑ましく見ていたけれど、一部の貴族や令嬢の中には、王太子と王太子妃は不仲だから自分たちの娘も側妃として寵愛を受けるチャンスがあると思っている人は多い。
そしてそういう親の娘達もだいたいは同じように期待を持っているし、自分が選ばれるという自信を持っている人間ばかりだ。
結婚してからは喧嘩も減ったし、レイモンドも【妻】を強調して回っているからか、そんな声は少なくなったけれど……まだこんなのもいたのね。
どうしようかしら。
外面が良くて皆に優しいレイモンドだもの。
きっと一人ひとり丁寧に話を聞くわね。
彼のその態度がまた誤解を招く一因になっているとも知らないで。
うん、見たくない。
帰ろう。
「ゼル、いきましょ」
「は? いや、しかし……」
ゼルを連れて訓練場から出ようとしたその時。
「すまんが、それらは受け取らん。俺には──」
カツカツとブーツを鳴らし、令嬢達の壁を退けて私の方へと歩いてきたレイモンドは、がっしりと私の方肩をホールドして──
「──俺には【これ】だけあればいい」
そう言って私に微笑みかけた。
「〜〜〜〜〜〜〜っ!?」
一体どうしたのレイモンド!?
キャラが……!!
キャラが違うわ!!
あなた、見た目だけイケメンキャラのはずでしょう!?
心と言動までイケメンになってどうするの!?
「何か失礼なこと考えてるだろう?」
じっとりと私を見下ろすレイモンド。
「い、いいえ? 別に……」
「まぁいい。それは俺のだな?」
めざとく私が持っている包みを見つけるレイモンド。
「え、えぇ。お疲れだと思って……」
「……もしかして、手作り?」
「えぇ。久しぶりに作ったから、味がどうかはわからないけれど……クッキーを焼いたの。その……あなた、クッキー好きだったでしょう?」
私が言うとレイモンドの息を飲む音が聞こえて「覚えてたのか……」とつぶやいた。
当たり前だ。
だってこれは、私と彼の出会いの思い出だもの。
「……もらう」
私から包みを奪い取り、その場で包みを開けるレイモンド。
今食べるの!?
「あ、すまん。手、汚れてるから、食べさせてくれ」
はいぃっ!?
た、食べさせ……て……!?
「た、食べ……食べさせ……食べさせてって……!!」
「仕方ないだろ。汗と泥だらけなんだ」
じゃぁ後にすれば良いでしょうにーっ!!
「ほら早く」
「うっ……わ、わかったわよ!!」
もうどうにでもなれ!!
ドキドキしながらも、クッキーをひとつつまむと、私はレイモンドの薄い唇へと持っていった。
ぷ、ぷるぷるするわ……!!
「はむっ」
大きな口を開けてクッキーをぱくりっ。
サクサクと良い音が私にも聞こえてくる。
「ん。うまい」
「っ!! 本当に!?」
「あぁ。やっぱり俺は、お前が作ったクッキーが1番良い」
とろけるような笑みを浮かべるレイモンドは、まさしくキラキラ輝く王子様。
「〜〜〜〜っ!!」
私の心臓、多分今、ショートしたわ……。
私はそのままご機嫌なレイモンドに支えられるように肩を抱かれたまま、訓練場を後にするのだった。
いかがでしたでしょうかっ(*^^*)?
面白かったよ~♪続きが気になるよ~など思っていただけましたら、ブクマや感想、下の☆のところで評価応援していただけますと嬉しいです!