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一方、村人に連れられて村の集会場へと急ぐマインは、この村にかなりよくない何かが起きているということをなんとなく感じ取っていた。
それは先を行く村人の表情や顔色からも窺えるものであったし、目的地である集会場へと近づくにつれて雰囲気というか空気のようなものが急に重くなりつつあるということを感じ取ったからだ。
決定的であったのは、集会場の敷地への入り口を抜けた時のことであった。
先導していた村人は気が付かなかったのか、或いは知っていて無視をしたのかは分からないが、マインの目と鼻は地面に落ちていた血の跡と、そこから立ち上っていた血臭とを感じ取ったのだ。
農村で誰かがケガをするということは、特に珍しいことではない。
擦り傷や小さな切り傷程度のことであれば日常茶飯事であるし、流血や骨折を伴うような中程度から重傷に分類されるようなケガも、一年を通せば数件から十数件くらいは発生する程度の話である。
しかし、周囲の雰囲気の重さから考えれば、ケガの類で終わるような話だとは思えず、そう考えると血の臭いは実際に感じるよりもさらに強い不安を想起させた。
「何があった?」
普段通りの声で前を行く村人に尋ねようとしたマインは、視界の端を村の子供らが駆けていくのを見て、慌てて声を潜める。
子供は村中、どこにいても不思議ではない。
下手に不穏な会話を聞かれ、不安がらせてはいけないとマインは考える。
「マインは王都の学校で色々学んできたんだろ? そのマインの意見を聞きたい」
答えになっていない答えを返しつつ村人がマインを案内したのは、村の集会場の中の一室であった。
窓は閉め切られており、外からの明かりがない部屋の中はどことなく不気味な雰囲気を漂わせている。
何となく部屋に入ることに抵抗を覚えたマインなのだが、中に入らなければ話は進みそうになく、気が進まないまでも部屋の中へと足を踏み入れた。
「これは……」
部屋の中の空気は淀んでいた。
それはこの部屋がしばらく、窓も扉も開けられていない状態にあったということを示している。
そんな淀んだ空気の中で、マインの鼻はひときわ強烈に漂う、濡れた鉄錆のよういな臭いを嗅ぎ取っていた。
その臭いの元は閉め切られた部屋の床に横たえられている。
マインの記憶は、たぶんそれが見覚えのある村人の一人だったはずだと告げていた。
村で何度も顔を合わせているはずの相手を、たぶんというレベルでしか見分けられなかったことには理由がある。
「これは酷いな」
思わずマインがそう漏らし、案内役だった村人が口元を手で長終えて顔を背ける。
それほどまでに、横たえられている村人の状態は酷かったのだ。
顔は腫れあがっていて、どうにか本人だと分かる程度。
体の方は元々、どんな服装をしていたのか分からないくらいに血で汚れ、何か刃物や鈍器で手当たり次第に攻撃されたかのように、体のあちこちには切り傷や打撲跡が多数見受けられる。
そんな状態だったのだ。
これが人の手によるものなのだとすれば、この村人は余程誰かの恨みなりなんなりをその身に受けていたのだろうなとマインは考えたが、村の中でそれ程の恨みやら何やらを抱くような者は、マインの知る限りでは思いつかない。
そもそもこの村は、本当に田舎なのだ。
村人同士がそれほどの恨みを抱いて生きていけるような環境ではなく、助け合わなければ明日の生存も危ぶまれるようなそんな場所なのである。
負の感情が生じないとまでは言わないが、仮に発生したとしてもそれは殴り合い程度で発散されるくらいのものでしかない。
獣にやられたという線もないだろうなとマインは思う。
確かに村の周りには荒野や森があり、そこには人を襲うような獣も生息しており、年に何人かの犠牲が出ることも珍しいことではない。
だがしかし、とマインは事切れている村人の様子を再度観察し、獣の仕業ではないだろうなと結論付ける。
獣にとって他者を襲うという行為は主に捕食の為であり、その殺害方法はいたずらに傷を負わせるようなことはなく、少ない手数で確実に獲物を仕留める類のものだ。
一部、獲物を弄ぶようなことをする獣もいないこともないのだが、人を相手に遊ぶような獣をマインは村の近辺においては知らない。
だとするならば、直視することも憚られるような状態になるまでただいたずらに人を相手に傷を与えるような存在とは一体なんであるのか。
マインはその存在にすぐに思い当たると、傍らに立つ村人に尋ねた。
「これは魔物の仕業じゃないか?」
獣と魔物との違いは何かと問われれば、一般的には邪悪かそうでないかで分類されるということになっている。
自然の存在である獣に対して、魔物とは人や人に類する者達に対して積極的に敵対する存在なのだ。
種類や外見は様々であり、その脅威もまた様々ではあるのだが、時たま魔王と呼ばれる強力な個体の下に統率され、世界にとんでもない被害をもたらすことがある。
その反面、魔物がもたらす皮や牙、肉や骨や爪といった色々な素材は世界のあちこちで武具や防具、薬などの素材として利用されており、こういった物を専門に狩ることを生業としている者までいるので、魔物の存在は人にとって一概に害悪であるとは中々に言い難い。
ただ、マインのいる辺境の村にとっては魔物の存在は死活問題だ。
出没すれば村の財産である家畜や農作物、そして村人自身に被害が出る。
魔物の種類によっては、村自体を捨てることまで考えなくてはならない。
可能であれば領主に助けを求めたりするのも手ではあるのだが、それを行う余裕があるのかどうかはマインには分からなかった。
「あぁ。魔物だ。こいつがやられて嫁と娘が攫われた」
被害者は村の端の方に住んでいた村人で、農作業中に襲われたらしい。
他の村人がそれに気が付いた時には被害者は地面に倒れ、その妻と娘が悲鳴を上げながら引きずられていくところだったと村人は語る。
人を食う魔物は多い。
しかし男性を殺し、女性を連れ去るような魔物は比較的少ない。
魔物にとっては基本的に、人の性差など関係ないからだ。
女性を連れ去ったという事実と、弄ばれたように殺されている村人の姿。
この二つの情報から考えて、マインは思い当たる魔物の種類を口に出した。
「これ、ゴブリンの仕業じゃないか?」
「見た奴らの話じゃ、緑色の小さな人型だったって話だが……やっぱりそうなのか」
ある程度予想していた事だったものがマインの言葉によって裏付けされて、案内役だった村人は沈痛な面持ちでがっくりと肩を落とし、項垂れるのであった。
書き続けるためには燃料が必要です。
そして書き手の燃料とは読み手の方なのです。
というわけで。
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