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村の夜は真っ暗闇である。
国の中央から離れた場所。
所謂、田舎の村と言うものは大抵の場合は貧しいもので、日々食べていくだけでやっとであることが多いのだが、そんな村がわざわざ貴重な燃料を消費して明かりを点けたりはしないからだ。
全くない、というわけでもない。
村に何かあった場合に村人達を叩き起こすために寝ずの番をしている村人がおり、その村人が詰めている小屋だけは夜通し火が焚かれていて明るくなっているが、これは例外というものである。
つまるところ、夜は起きていればいるだけ費用がかかるような時間なのだから、やることをやったらさっさと寝てしまえというのがどこの村においても基本なのだ。
それはマインの家でも同じで、ベッドを家主のマインと客のリドルとのどちらが使うかで少々もめたものの、リドルがベッドを使わないのならばリドルの家に強制送還させると言うマインにリドルが折れた。
ただその過程でマインが子守歌を歌うという要求がされ、さっさとリドルを寝かしつけてしまいたいマインはこれを承諾。
最後に子守唄を歌ったのはいつのことだったかと考えながらも落ち着いた声で歌い始めたマインは、リドルがベッドの中からとても嬉しそうな顔で自分のことを見ていることに気が付き、これはどうも長くなりそうな気がすると考えて方針を変更。
歌っているフリをしながらこっそりと、<スリープ>の魔術を使用して、強引にリドルを眠りの中へと突き落とした。
少しばかり酷いことをしたかもしれないと気が咎めはしたものの、一曲分以上はちゃんと歌って聞かせたのだからまぁいいだろうと自分に言い訳をしたマインは、ベッドの上で幸せそうに眠っているリドルの体へ毛布を掛け直してやると、ふと何かに気が付いたかのよういに寝室の窓を開ける。
開いた窓の向こうにはただ闇が広がるばかりであったのだが、マインの目はその闇の中の一点に焦点を結ぶ。
「問題ない。今夜は俺が責任をもって面倒を見る」
マインが誰に言うでもなく闇の中へとそう告げると、その闇の中で何かが動く気配がし、土を踏む足音が遠ざかって行った。
それを見送ってからマインは開いていた窓を閉めて鍵をかける。
「心配性だな。まぁそのようにしたのだから当たり前か」
リドルを起こしてしまわないように、小声で一人呟いたマインは寝室を後にすると居間へと移動する。
外は明かりなどほとんどない暗闇であるが、マインの家の居間はマインが足を踏み入れると歩くには困らない程度の明るさに光が灯った。
わざわざ薪や油を消費して明かるかを確保しているわけではない。
魔術師であるマインにとって、指定した点を光らせる<ライト>の魔術は何気なく使ってしまえる程度の初歩の魔術でしかなかった。
その魔術の明かりを頼りに、マインは今夜の寝床となるソファの上に座る。
今日は半日程、リドルの相手をしていて自分の時間というものを取ることができなかった。
寝る前に少しばかり、読書の時間を取るということは悪いことではないだろうとマインは思う。
居間にある本棚から、何か寝る前になんとなく読みふけって、そのまま眠れるような物はないだろうかと、背表紙の表面を視線でなぞったマインは、並ぶ背表紙の中にあった一つの作品に目を止める。
それは今日の話題となった騎士王物語であった。
娯楽小説であり、マインがもっている物の中では難しい言い回しもなく、文字も大きく書かれているので村の子供達からの人気はまぁまぁ高い。
立身出世のようなものを題材としているというのも高い人気の理由であった。
元々はただの村人であった主人公が、村を襲う魔物退治から始まってその実力を見出され、魔物の討伐や戦争を経て王になるというところが受けているらしい。
らしいというのはマインはあまり、この騎士王物語という作品の終わり方が好きではないからだ。
もっともそのエンディングはマインのみならず、世間一般の読者達からも受けが悪かったようで、世間に広く出回っている物は修正が加えられ、王となった主人公は幸せに暮らしましたとさ、というようにその結末はぼかされて曖昧な形になっており、マインの家の本棚にある物もその改訂版であった。
原典を用意しておくべきだっただろうかとマインは今更にして思う。
実のところ、騎士王物語に刺激されて、騎士を志す少年少女というものは、噂の域を出ない話ではあるのだが、毎年一定数。
少ないとは決して言えないくらいの数が出るらしいという話があった。
ただ、村を出ることに成功した例というものは非常に少ない。
何故なら大半は周囲の大人やら何やらによって計画の内に阻止されてしまうものであったし、何かの間違いや手違い、或いは類まれなる幸運か、身を滅ぼしかねない程の不運によって話自体が通ってしまったとしても、大人達や村長などよりもずっと権力を持つ領主が村人の移動などというものを認めてくれるわけがないからだ。
村から村を往復する程度の移動であるならばともかく、村を出ていくような移動。
それこそ領地間の移動や国を出るような移動についてはそんな移動を領主が認めましたという手形が必要となるのだが、村の生産量とはそのまま領主の収入に直結するもので、村人の減少はその生産量の減少に繋がる。
おいそれと領主がそれを認めてくれるはずがなかった。
ただ、この問題には合法、もしくは非合法な抜け道がいくつか存在している。
もちろん騎士王物語にはその辺りの面倒なことは書かれておらず、主人公は志を掲げて旅立ったとだけ記されていた。
抜け道の詳細がいくつかでも記載されいていれば、読み物としてはもっと面白くなったのかもしれないが、すぐに発禁処分になっていただろうなとマインは思う。
「まさか気付いてないよな?」
抜け道の記載はされていないものの、それをぼんやりと仄めかすような表現は作中に使われていたりする。
リドルがその辺りの情報に気が付けば、おそらくそれらの方法を使ってしまおうとするはずで、それは誰にとってもロクな未来にならない。
ただ、仄めかされた情報に気が付くということは賢さや聡明さの表れでもあり、教え子のそういう姿もちょっとは見てみたいかもしれないと思いつつ、マインは読書に費やすべき時間を思索に費やしたことに気が付くと、ソファの上にゆっくりと横になるのであった。
書き続けるためには燃料が必要です。
そして書き手の燃料とは読み手の方なのです。
というわけで。
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