03-27
「え?」
目で見たものが理解できず、意識が空白になる感覚をリドルは味わう暇がなかった。
自分もまた、エルドア同様に棒立ちになりかけたところをマインに腰を抱かれてパニックになりかけ、マインがかざした掌の向こう側で目を焼くような強烈な光が弾けたのを目にして、思わず両手で目を覆う。
「意外とべたなのが出て来たな」
左腕をリドルの腰に回し、右の掌をかざした姿勢でマインは、さもつまらないものを見たような声を出した。
その視線の先を目で追ったリドルは、先程まであの黒い箱のあった場所に、箱の代わりのように出現していたものを目にして息を呑む。
それは人の形をしていたものの、背丈は見上げるような巨体で、衣服の類を身に着けてはいなかったが、性別を示すような証は体のどこにも見受けられない。
肌は赤銅色で、手足には黒いかぎ爪。
顔に目鼻や口はなく、その代わりのように見ているだけで気分が悪くなるような禍々しい模様が書き込まれている。
最大の特徴は、背中から生えている一対の蝙蝠のような羽根であった。
これを大きく広げたそれは、知識のないリドルの目から見てもこの世のものとは思えず、また確実に良くない存在であるということが分かる。
「何あれ……」
「多分、悪魔の類だな」
声を震わせたリドルとは対照的に、何の感慨も抱かなかったかのように平坦な声でマインが答えた。
「感じからしてどこぞの神話体系から来た上位悪魔だと思うが、詳しいことは見た目からではさっぱり分からないな」
「分からないんだ?」
「大きめの神話からその辺の土着信仰まで含めると、この手の存在はそれこそ本当に星の数ほどいるからな。余程有名な奴じゃないと分かるわけがない」
マインが悪魔だと言ったそれがかぎ爪でマインのことを指さす。
瞬間、再び目を焼くような閃光が空中を走り、マインに到達するかなり手前で見えない壁にぶつかったかのように弾けた。
二度の攻撃失敗に悪魔が獣のような唸り声を立てたのだが、口もないのにどこから声を出しているのか、リドルにはさっぱり分からない。
ともあれ、それの攻撃をマインは二度にわたって防いで見せた。
実は大したことのない相手なのかなと思ってしまったリドルは、次の瞬間に耳をつんざくような絶叫と共に、悪魔の本来ならば口のある辺りから、逃げ場がない程の広範囲に広がる真っ赤な炎が噴き出したのを見て体を硬直させる。
「マイン!?」
「<プロテクション・フロム・オール>」
眼前まで迫ってきてた炎の塊が、先程の閃光同様に何かに止められて弾ける。
防げたとほっとしたのも束の間、弾けた炎を割るようにして接近してきた悪魔のかぎ爪が、卵の殻でも割るかのよういにいとも簡単に、不可視の壁を突き破ってマインへと襲い掛かった。
「ちょっ!? うぇっ!?」
何か言いかけたリドルは勢いよく振り回される感覚に、あまりよろしくない類の呻き声を上げてしまうが、それがマインの回避行動によるものだと分かれば文句など言えない。
「も、もしかしてあれ、強いの!?」
立て続けに繰り出される悪魔の攻撃を、ひょいひょいと回避していくマインは回避するたびに振り回されてかなり大変なことになっているリドルの悲鳴に、少しだけ思案顔をする。
「生贄の数から考えると大したことのない奴だな。あの箱に術式を書き込んだ誰かは余程未熟だったと見える」
「じゃ、じゃあ……」
「ただ、上位悪魔は敵として相手をするには、かなり手ごわい相手だぞ? 下手をするとどこかの地方じゃ土地神として信仰されていた存在かもしれないし」
「信仰! 神様!?」
「その辺は色々とあってなぁ。今、大陸で主に進行されている神々以外の超常の存在を、面倒だからと悪魔やら天使やらに適当に押し込んだという過去があってな」
「その話、長いかな!?」
「長いというか……宗教関連の話になるので、非常に面倒かつナイーブな話になる」
「後回しにしてっ!」
「俺も詳しく説明する気はないなぁ」
誰も聞いてはいないと思うものの、誰かに聞かれれば時として非常に面倒なことになりかねない話であるし、リドルがその辺りのことを知らずに人から聞いた話として誰かに話してしまっても、おかしなことになりかねない話題であり、マインとしてはリドルにこの手の知識は教えなくてもいいかなと考えている。
知らない方が幸せな知識というものは確実に存在しているし、知らなければ余計なことを口走ることもないだろうということだ。
「とにかく、これは危ない敵だという認識でいいんだよねっ!?」
「それでいい」
リドルの問いにマインはあっさりと頷いたのだが、本当のところを知る者がもしこの会話を聞いていれば、リドルの認識は非常に甘すぎるものだと悲鳴を上げるところであった。
上位悪魔とは本来、個人が相手をするような存在ではない。
相当な手練れ。
冒険者でたとえるのであれば、白金級の一党ができる限り装備をがちがちに固めてどうにか討伐できるだろうかと言うくらいの存在なのだ。
その一つ下になる黄金級では複数の一党を動員し、かなりの犠牲者が出ることを覚悟しなければならない相手であり、リドルが属している黄銅級では何百人か集めてみたところで何の成果も挙げられないままに全滅しかねない。
そんな上位悪魔の攻撃を、リドルを抱えたまま回避し続けていたマインは、攻撃が当たらないことに業を煮やしたのか、力任せに大振りになった上位悪魔の一撃をかわしつつ、その体へと接近すると空いている右の拳を上位悪魔の脇腹目掛けて鋭く打ち込む。
何かがまとめて砕ける音と、何か重く湿った打撃音が響き渡り、打たれた上位悪魔がきりもみしながら吹き飛んで、数本の木立を圧し折った。
「殴ったの!?」
左腕に抱えられたままのリドルがそう尋ねると、マインは握っていた拳を解いてから軽く振る。
「上位悪魔ともなると、幾重にも障壁やら結界やらで体を守っているから、魔術が効きにくいんだよ」
「だから殴るの?」
「障壁も結界も、体に魔力を巡らせて直接叩いた方が壊すの簡単な場合が多い」
一瞬、なるほどそういうものなのかと納得しかけたリドルだったが、離れた場所でアイが激しく首を横に振っている姿が目に入り、何かマインがとんでもないことを言っているのだろうなと察するリドルであった。
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