03-26
変化は唐突に始まる。
それまで好き勝手に四方八方へと黒い触手を伸ばし、当たるを幸いに犠牲者を取り込み続けていた箱が、その触手を箱の内側へと引き戻し始めたのだ。
もちろん戻る際にも触手に触れてしまったエルフ達は瞬時に絡みつかれて触手と共に悲鳴を上げながら箱の中へと消え去っていく。
「我々の仲間達が……子供らが……」
短い攻防の時間で、エルフの子供らは戦う術も身を守る術もないままに箱に飲まれてしまっており、成人しているであろうエルフ達の方もそのほとんどが触手にやられて箱の犠牲者となっていた。
エルドアが呆然となるのも仕方がないくらいに、他に言いようもない壊滅である。
しかし、それを哀れに思う余裕などその場に居合わせた者の誰にもなかった。
「マスター、どこかで装備の補充をお願いしたいところです」
二本のナイフを両手に、逆手で持ったアイが溜息を吐きつつそう言った。
「ナイフの在庫が底をつきそうです」
「まだ底をついていないことに私は驚いてるんだけど」
「リドル。メイドのスカートの下は魔境だ。何せたまに人を食う」
「そうなの?」
「マスター、何も知らない純真な少女になんて下ネタかましてくれるんですか。何と答えていいやら困りますし、その眼差しがとてもまぶしくて痛いです」
本当に心底困り果てたと言わんばかりのアイから、マインはそっと目を反らした。
短い時間の中で、信じられないような数の死がこの場から生み出されてしまったことにより、殺伐としてしまった雰囲気をなんとか和らげることはできないだろうかと考えたマインの試みだったのだが、大失敗したなとマインは反省する。
「何なの?」
「すまん。忘れてくれ」
掘り下げてみたところでいいことなど何一つないのだからと言いつつ、マインが視線を箱へと戻すと箱は吐き出していた触手をあらかた引き戻し終えていて、黒く染まった箱が少しずつ、その大きさを減じていくところであった。
ぱきぱきと音をたてて箱としての形を失いつつ小さくなっていく様子に、リドルが呟く。
「あのまま小さくなり続けて、なくなってくれたらいいのにね」
「全くだな」
リドルの言葉に同意しながらもマインは頭の中で計算を始めていた。
何の計算なのかと問われれば、目の前で小さくなっていく箱から何が出てくるのかという計算だ。
箱の底面に書かれていたであろう召喚の術式は、マインの見立てでは特定の存在を呼び寄せるような代物ではないだろうと考えていた。
それは術式が起動した後も触手を生み出すことによって、追加の犠牲者を箱の中へと取り込もうとしていたからだ。
特定の何かを呼ぶのであれば、必要とされる力が集まって術式が起動した時点で、それ以上の力は必要とされない。
しかし目の前の術式は起動後さらに力を求める機能がついていたことから、最低はこのくらいの存在で、そこから先は力の集まり具合で呼び出される何かがランクアップしていくような召喚術式なのだろうとマインは推測している。
では今回、術式が取り込んだ力を使用したら、どれ程の何が召喚されると言うのか。
それについて考えようとすると、マインは背中に嫌な感じを覚えるのであった。
何せこの術式が取り込んだのは二十人近い冒険者と数名の使用人とダリル。
これに十数人のエルフと数十人くらいのエルフの子供が追加されているのだ。
「人数が多すぎる」
「多いと何か拙いの?」
「呼び出される何かの危険度が急激に跳ね上がる」
こういった場合、捧げられる生贄で重要なのは質と数である。
今回の場合、数が多い上に質は半数以上がエルフということで、かなり高いと考えられた。
「なんだか低位の魔王くらいなら呼び出せそうだな」
魔王というのは色々な存在につく称号で、一概にこれが魔王というものはない。
魔物の王であったり、魔族という人によく似た姿形の、能力が完全に人外という種族の王であったり、よくない存在の取りまとめという意味合いでの王であったりと出現するたびに違う存在であるので、何となく誰が言うともなく魔王と呼ばれる。
総じて非常に厄介な存在で、討伐された後も何故か召喚術式に応じて降臨したりする謎の存在だ。
これに呼応して出現するのが勇者と呼ばれる存在で、勇者は魔王を倒す存在と言うことになっているのだが、魔王が出たから必ず勇者が生まれるというわけではなく、どの分類の魔王が出現した時に勇者が出現するのかは、現在に至るまで魔術師達の研究対象の一つとなっていたりする。
「ちょっと桁が一つか二つ足りなくないですか? 百足らずの生贄で魔王なんて呼ばれてしまっては世界中魔王だらけになってしまいます」
アイがそんな意見を呈する。
確かに町一つを丸ごと捧げたら一人か二人は呼べてしまうようでは、世界に魔王があふれかえるようなことになりかねない。
そう考えてのアイの意見だったのだが、マインは事も無げにこう言い放った。
「俺、十人位で最低位の魔王を呼べるぞ?」
「はい?」
信じられないと目を丸くしたリドルだったが、マインの頭にアイが拳で突っ込みを入れたのを目にして、さらに顔が驚愕に染まる。
「マスターったら、いいとこ見せたいからと適当な嘘でイキがるのはおやめくださいな」
「今のはすまん。反省する」
殴られたところをさすりつつ、マインがぺこぺこと頭を下げるのを見て、どうやら冗談の類だったようだとリドルは胸を撫でおろす。
その視線がマイン達から外れた瞬間、アイはマインの胸倉を掴んで自分の方へを引き寄せつつ、極めて小さな声で囁くように言った。
「バラすならバラすで言っておいて頂けないでしょうかっ」
「悪かった。口が滑った。基本、秘密にしておく路線に変更はない」
「私は常にそのつもりなのですが……というか本当に十人位で?」
「きちんと術式を建てて、足りない部分は魔力で補えばいける。過去に実例もある」
マインの魔力で補う、という場合は実は生贄なしでもいけてしまうのではないか。
人並外れて強力なマインの魔力である。
生贄数百人分に相当すると言われても不思議に思わないなと思いつつ、マインの胸倉から手を話したアイはふとエルドアが妙に静かなのに気が付く。
「えぇっと……」
リドルは無事。
マインも無事なのを確認してからエルドアの方へと目を向けたアイは、エルドアがいた場所に首から上を失ったまま棒立ちになっている細身の男性の、おそらく死体と思われるものを見つけて目が点になるのだった。
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