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武光と懐良・敗れざる者  作者: 橋本以蔵
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第3章 征西府の旗揚げ (2)

三、


 親王一行が着到されて少し菊池に慣れた頃合い、菊池に春が来ようとしている。

 花々が咲き始めた菊池の外れの山道を、鞍岳(くらたけ)の麓を回り込んで阿蘇外輪山に抜け北上するコースを辿り、今一人の雲水が旅立とうとしていた。

 僧として寂しく菊池を去る菊池武士(きくちたけひと)だった。

 ただ一人、大智禅師(だいちぜんじ)以外、見送るものもない旅立ちだった。

 菊池の大勢は武光の元に運営が始まり、征西府が置かれ、皆が心から武光に心酔しているわけではなかったが、武断派の武光に今逆らう勇気のあるものはおらず、追われる先代をいたわるものなどない。まして菊池を混乱の中に放置して去ろうという前代未聞の負け犬に優しさで報いるものはなかった。

 武士の母たる慈春尼でさえ、武士を見放して見送りには来ていない。

「…よろしいか、ゆめ自分は敗れたなぞと思い召さるな、…ただ行く道が違っているだけのこ と、精一杯歩き、精一杯お座りなさい、…その先に何が見えるか」

 肩を並べて歩きながら、大智(だいち)がせめてもの慰めを言う。

「…何か見いだせましょうか?…分かりませぬ、今は只苦しい、…苦しいのです」

 顔を歪める武士に、大智がどう諭そうかと思ったその時、道脇から不意に姿を現した者がある。武光だった。

「十郎」

 何のために姿を現したのか、勝ち誇って勝利を実感するためか、と武士(たけひと)は思ったが、仏教に傾いた武士はあえて穏やかな面差しを向けた。

「後は頼んだ、武光殿」 

 武光はかけるべき言葉の文句を思いつかないためか、困ったような顔をしかめながら、ぶっきらぼうに頷いた。

 武光は二人に肩を並べて黙って歩いた。

 大智(だいち)武士(たけひと)も、武光の真意を測りかねた。

 やがて峠の上に差し掛かり、武士が二人に向きなった。

「もう十分です、ありがとう、お達者で」

 頭を下げて一人武士が歩み去っていく。

 大智と武光はいつまでも見送った。

 武光は自分の中の感傷を無理にしまい込んで目に厳しい光を取り戻した。

 武光が突然小さく言い放った。

聖護寺(しょうごじ)に先はありませんぞ」

 大智禅師は驚いた。いい関係が作れれば、武光を通してこの先も菊池の人々の精神的指導を続けようと思っていたのだが、いきなりのこの挨拶とは。

 ふと嫌な予感が兆した。

 この男は菊池をどうしようとしているのか、私してその富を握り、無謀ないくさで領地拡大を狙うのではないか、菊池の民人を悲惨な運命に導いていくのではないか、

 厳しい顔で武士(たけひと)を見送って、突然くるりと踵を返した武光。

 大智(だいち)を置き去りにしてさっさと来た道を帰っていった。

 大智には不得要領だった。

 その一言を言うために、武光はここまで出向いたのか?


起請文(きしょうもん)をよこせと?」

 御殿広間に寄合内談衆の面々が押しかけてきている。

 本家から菊池武澄が来ており、赤星武貫(あかぼしたけつら)と、今日は城隆顕(じょうたかあき)も同道してきている。武光は何やら大きな紙に描かれた地図らしきものを点検していたが、顔を上げた。

 古老が膝詰め談判に及ぼうとする。

「武重公の時から頂いており申す、菊池運営のための互いの取り決めでござる」

 要は武重(たけしげ)武士(たけひと)起請文(きしょうもん)(なら)い、寄合衆の意見に従えという要求だった。

「菊池では棟梁の独断専行は許されもうさぬでの」

 皆が切羽詰まって武光を睨みつけている。

 だが、武光はにべもなくはねつけた。

「必要なか、それより、ご一同、これを見られよ」

 あまりにも軽くいなされて、老人たちが激怒しかけたが、武光が言う。

「本城を隈府守山(わいふもりやま)に移転し、御殿を築いて征西府(せいせいふ)の政庁となす、その前面に新市街を建設し、広く惣構(そうがま)えを構える」

 武澄(たけすみ)城隆顕(じょうたかあき)の目が光り、地図に吸い寄せられた。

 武光が見ていたのは筑紫坊(つくしぼう)に作成させた守山から隈府にかけての巨大な地図だ。

 武光自身が墨を入れて構想を書き込んだものだった。

 武光が続ける。

「内に市街と田畑を備え、兵糧や暮らしの糧をまかない、外敵に攻められても一切防ぎきる、迫間川(はざまがわ)の切明より菊池川の菊の池まで堀を割りとおし、背後の山岳地以外の三方を水の手で囲い敵の侵入を阻止する」

 城隆顕は地図を見つめ、武光の構想が並みならぬ新しい発想であることを感じ取った。

 武光が目を上げ、城武顕に向き合った。

「これより菊池は総員の力を持ってこの事業に取り掛かる、御一同の中から作事奉行や資材調達の担当、人夫の割り振り役その他を人選し、早々に始めたか、誰に何を担当させるか、ご意見を伺おう」

 だが、殆どの老人たちには武光の言うことが理解できていない。

「いきなり何を!?」

「勝手なことを申されるな!」

「本城移転などと、途方もなか」

「そげな重大事を独断で決めてよかと思わるるか!」

「では聞こう、菊の城は合志一族に簡単に落とされた、今征西将軍懐良親王せいせいしょうぐんかねながしんのうをお迎えして征西府を開くにあたり、その政庁をどこに置く?また、そこに相応しい守りをどう固めるか、お考えやいかに、いや、万一の場合、責任が取れ申すか?どなたが責任を取られる?」

 そう言って武光にじろりと見まわされて、誰もがたじろいだ。

 そんな老人たちを鼻で笑って武光は地図に目を落とした。

「まず、現隈府守山(わいふもりやま)の砦は詰めの城となし、その麓に構えつつあるこの館を菊池本城となす。征西府政庁とするのじゃ」

 守山は標高一二〇メートル、比高八〇メートルで、平山城と言えたが、山城が戦いに有利であるというのは楠木正成(くすのきまさしげ)が立証して見せ、日本中の武士団で気の利いたものは守勢に立ってのいくさには山城を使う、という流行に乗り始めていた。

 楠木正成の千早城や上下の赤坂城は修験道の聖域を城として使い、尾根を伝って縦横に駆けて敵に対して上の位置取りをし、石を落とし矢を射て、時には糞尿や熱湯を落としかけて敵を苦しめるという、いわばゲリラ戦を基地防衛戦に活用したような戦い方だった。

 すなわち少数で攻め寄せる大軍を迎え撃って防衛戦を戦うなら尾根上に砦を展開すべきというセオリーが誕生し、それはそのまま山城の有益性に武士たちを目覚めさせることになったのだった。

 戦国時代の後半で領地経営の基地として山城は不向きであるとされるまで、防衛の要としての山城は日本中に流行するのだが、菊池本城の山城利用は当時としては最先端を行くものだった。  その流行りの先端で、武光は詰めの城と居館をセットにした菊池本城を構想していたのだ。

「詰めの城では今、曲輪(くるわ)削平(さくへい)と杭をめぐらす作業、見晴らしを良くするための樹木伐採作業が繰り広げられておるが、竪堀を巡らせ、逆茂木(さかもぎ)を配置する」

 のちの戦国時代に比べれば素朴な城塞の巨大なものに過ぎないが、この新たな菊池本城の場合、麓の居館とセットになっていることがみそである。つまり、武光の脳裏には領地経営の政庁をも本城の機能として取り込むことが既に計画されていたのである。

 城隆顕(じょうたかあき)はじっと武光の地図を見つめている。

 だが、頭の固い古老たちには理解ができない。

「菊の城をないがしろにするとは!」

「いかに棟梁といえど、本城は菊の城、それが三〇〇年の伝統じゃ」

「そもそも城には詰める兵が必要、巨大な城にこもる兵があるのか!」

「本家の負担を考えたことがおありか!」

 武光はこともなげに言う。

「資金は本家、分家庶子家で石高に応じて分担し、廻船業や卸売業、金融業、材木商などの長者たちから借財もしよう、各寺社、神社からも供出させる、守備兵は城一族や赤星ほか、配下の領主たちから兵を交替で動員する」

「途方もなかこつ、今の菊池にそげなゆとりはなか」

 赤星武貫(あかぼしたけつら)が反論しようとしたが、武光が遮った。

「ゆとりのある一族なぞ九州中におらぬわ、やるのかやらぬのか⁉」

 赤星武貫(あかぼしたけつら)が言葉に窮し、武光は全員をねめつけた。

「菊池は生き残るのか、滅びてよいのか、お手前方はどう考えるのか」

 単純素朴な頭の主である赤星武貫は正直にその問いに対して答えは一つしか出てこない。

「おいは庶子家の分裂など一切認めぬ、一所懸命、菊池の為に総員が合力する、よかな」

 断固たる意志そのものとなって武光は座っている。

「親王様の征西府には相応しい構えが必要である!それを不服というなら反逆罪を持って処断する、これが親王の綸旨(りんじ)を頂いたわし武光の意向じゃ」

 この時に至り、寄合内談衆の一同は全く異質な棟梁が登場してしまったことを痛感させられた。だが、それは既得権益を一切奪われかねない大革命であり、受け入れるわけにはいかない大異変であった。皆が平伏はしたもの、座に敵意と憎悪が満ちた。

 武澄がじっと武光を見つめた。


四、


 武尚(たけひさ)武義(たけよし)が守山の工事現場に駆け上ってきた。

 砦の補強作業現場の端にひっくり返った武光がいる。

「武光兄者、一族中が大騒ぎじゃ」

「武光兄者のいう事を聞くべきか否か、寄合内談衆を含め、坊さんや長者たちまでが上を下へ、あっちで会合、こっちで会合となっておりますぞ」

「そうかい」

 日向ぼっこの武光があくびをする。

「いずれ皆の判断は落ち着くところに落ち着こうよ」

 武尚と武義は顔を見合わせた。意外なことに武光は話し合いを分家の者たちや重臣に一切任せかけ、自分は手持ち無沙汰にして、どう動く気もないらしい。

「棟梁として指示されんでよかつか?」

「重臣たちそれぞれの家格に対し、あらたな役回りの仕切り直しをするとか、本家、庶子家、受領の年貢の取り分はどうするのか、武光兄者から指示すべきであろうに」

「おう、たしかに、よし、武尚(たけひさ)武義(たけよし)、おまんらに任せた!」

 二人は大きく伸びをする武光の本心を推し量った。

 武辺の腕は間違いない、だが、もしやただの怠け者?国を差配する器量がないのか?

 しかしそれでは武光反対派に付け込まれる、実権を奪い返したい勢力は虎視眈々(こしたんたん)と狙っているだろう。年長の武澄(たけすみ)はあの寄り合いの後、そっと武光にそう忠告もした。

「おいたちは兄者に従う、なんでも言いつけてくだされ」

「おいもじゃ!」

 若い武尚や武義は武光の鮮やかな菊池デビューにすっかり心を奪われて信奉者となり、武光の支配する菊池の未来に夢をはせ始めていた。

「新しか時代が来るばい、このままでは菊池は腐る」

「寄り合い内談衆は排除するしかなかと思うておったつばい」

「ああ、次の手はどがいに考えておられるのじゃ!?兄者よ」

「うん?…そうよなあ」

 だが、気のない返事を返すばかりで、武光は草の上にひっくり返っている。

 太陽に手をかざして光に透けるおのが手指に、はあ、と感心した。

「お陽さんが光はすごかねえ」


 間もなく、武光の肝いりで、親王は山鹿郡吾平村(やまがぐんあいらむら)吾平山医王院相良寺ごへいざんいおういんあいらでらに参詣した。

 筑紫坊や伊右衛門、弥兵衛達親衛隊に守らせ、行事一切を武光が仕切った。

 六月の梅雨の雨が続いていた。

 国家安泰、南朝興隆、九州平定の祈願をこめての参詣だった。

 雨がちな日々の中、一七日間の参籠が行われた。

 その参詣には菊池に征西府を置き、そこから南朝方の勢力を拡大していくという姿勢を周辺地域の者に宣言する意味合いが込められていた。

 頼元は阿蘇氏や他の武士団を糾合しようと焦っていた。

 この期に及んでもその目途はたっていない。

 惟時(これとき)殿はなぜ動かれぬ!?阿蘇一族さえ味方にできれば!

 そう焦ったが、九州の武士たちの荒くれた頑固、片意地な肥後もっこすの精神は容易に従わせられないだろう、との予測はすでに立っている。

 武光にはそれがやれるのか!?との思いがいら立ちを募らせる。

 実質菊池の内部さえまとまってはいない。

 だが武光は平然と構えている。

 親王も淡々と仏事を勤めていったが、その姿はひたすら美しかった。

 成人して菊池一族に守られ、晴れて征西将軍として仏に詣でた親王だった。

 その瞳は相変わらず何をも見ていない。

 親王はいまだに己の生きる道が定まっていないかのようだった。

 頼元の気は晴れない。


 迫間川(はざまがわ)を挟んで増永城の対岸に新牧、あらまき、という地名が存在し、かつては高台があって牧場が営まれていたという。だが、現地に高台の名残りはない。

 新牧とは「荒い巻き」、水の荒れる場所だとすると、迫間川の急流の地を指す地名が起源で、であればさらに牧場地の推定地として適さない。牧場は(うてな)台地の上あたりに営まれていたのではないか。

 当時、武家には馬が最高の兵器であり、その養成には最大の注意が払われた。

 その牧場へ武光は親王を連れ出した。

 近頃は親王の動きを追うて生娘や後家などの女どもがどこへでもついてくる。

 その女どもの目を十分意識して、武光は懐良に恥をかかせる気でにやつく。

「当面ゆっくりされるとしても、あまりにもご退屈でありましょう、今日はおいが無聊(ぶりょう)をお慰めいたそうと思い立ち申してな」

 五条頼元(ごじょうよりもと)中院義定(なかのいんよしさだ)もついてきている。

 頼元たちは連日会議を重ね、九州中の武将たちに合力の呼びかけをする手紙を書くのに忙しく、そんな暇はないはずだったが、どうやら武光を警戒している様子だ。

 親王に万が一のことがあってはと、自分たちも暇を持て余した体でついてきた。

 彼らに構わず、武光は乗ってきてつないである颯天(はやて)の身体を撫でてやり、修復したひずめの様子を見ながら、馬について熱く語り始める。

「馬は好戦的で小ぶりでも逞しい馬を選ぶべきでありますな、中型で骨格と肉付きがしっかりしたものを選ぶこと、気の強さがなければいくさで打突するのに役には立ちませぬ、かというて乗り手を軽んずるようでは使え申さぬ、気の強い馬を従えさせ、共に一心同体となって敵に当たる、馬は武者の相方でござるでの」

 懐良は見まわして、一頭の馬に近づいた。

「この馬に鞍を乗せよ」

「宮様、その馬を選ばれたわけは?」

「気が強そうじゃ、打突で負けぬためには大きい方が良い」

 武光がにやりと笑った。

「違いますな、大きい馬は小回りが利かず、気が強ければ御しがたい、さらに乱戦となって一たび落馬すれば、重い鎧で再度跨り乗るのは困難、敵に討たれるか、味方に無様な様をさらして笑われるかです、その馬では」

 牧場の郎党たちが鞍を運んでくるのを待たず、親王は馬のたてがみを掴み、無理に背に乗ろうとする。たちまち馬は暴れだした。

「親王さま!」

「危ない!」

 見物の女どもが思わず声を上げている。

 馬は大きく跳ねまわり、たちまち親王は振り落とされてしまう。

 女どもからキャーと悲鳴が上がった。

「宮様!」

「お怪我は!?」

 侍従の中院持房(なかのいんもちふさ)たちが大慌てに慌てるが、武光は笑う。

「この馬にも勝てぬで九州の武者は使いこなせませぬぞ」

 烏帽子(えぼし)を落とし、泥で顔を汚した親王は武光を睨み上げた。

 それへあざ笑うように言い募る武光。

「九州武士団を使いこなさなければ、お前様に明日はなか」

 と背後の女どもの目を意識して悠然と立って見せた。

「無礼であろう!武光殿、菊池の棟梁は礼儀を知らぬか!」

 持房が抗議するが、武光は怒鳴り返した。

「ここでは実力がものをいうばいた!御所から人に命をかけよと令旨(れいじ)を発行するだけで肥後人は動かぬでな」

 武光は懐良の前に立ちはだかった。

「侍どもは平時ならあなたを親王様と犬のように這いつくばろうが、いざいくさとなれば腰は砕ける、軍忠状に基づいて所領安堵、報奨金、官位の発行と、お前様の力が頼りじゃが、北朝勢に押されてしまえば、それもどこまで当てにできるか知れぬ、となれば、問題はお前様の生まれや地位ではなかです、お前様に肥後侍の先頭に立とうという気組みがあるかどうかですばい、それを我らが眼前にお示しいただく」

 都から来た見るからにやわそうな貴種に対し、武士の力を見せつけようというのだ。

 にやけて言う武光の目を見返し、懐良は死に物狂いで睨み付けた。

「菊池はお前様に命を懸け申す、南朝の命運はお前様次第、…親王様にこたえるお力がおありですじゃろか?」

 言葉を返す余裕がないまま、懐良(かねなが)は立ち続けた。

 懐良は年の近い武光に、自分にはない逞しさを感じ、負けたくなかった。

 侍従たちからひ弱さを嘆かれているのは分かっていた。

 負わされた責務を果たすには変わらねばならぬことを十分承知していた。

 だが、みなには自分に対する遠慮がある。

 それを余人と違い、真っ向から突き付けてくる武光に対して怒りを感じた。

 いや、実のところそれは怒りでなく、懐良の中の男子の意地が刺激されていたのだった。

 武光に負けたくない、武光の向こうを張りたい。

 生まれて初めて懐良はがむしゃらな負けん気を起こしていた。

 身を翻した親王は武光が乗ってきた颯天(はやて)に駆け寄った。

「お」

 と武光が笑った。

 いきなり親王は颯天に乗馬して駆けだす。

「親王さま!」

「頑張って!」

 女たちが祈るように声援を送る。

 だが、主人ならぬものを簡単には受け入れない気の荒い颯天(はやて)は親王を振りほどき、荒れ狂った。親王は落馬して叩きつけられ、武光が笑い転げた。

 泥にまみれた顔で見上げた親王は無様だった。

「ひどか!」

「新王様、かわいそう!」

「武光、ひっこめ!」

 女たちが叫んで、武光は睨み付けたが、女たちはひるまない。

 皆で武光を睨み返した。

「宮様を笑いものにするか、菊池武光!」

 中院義定(なかのいんよしさだ)が刀に手をかけ、頼元が抑えた。

 義定の目にはこらえがたい怒りがある。

 武光はそれをふんと鼻であざ笑い、颯天に飛び乗った。

 颯天の腹にけりを入れ、笑いながら駆け去った。

「武光のばかーっ」

「無骨ものの田舎侍!」

「今度親王さまをいじめたら、承知せなんぞ!」

 女たちの声を背に、懐良(かねなが)は駆け去る武光を見送った。

 その気配を感じながら、武光は颯天(はやて)を駆る。

 武光は懐良を背後に置き去りにして、笑みを漏らしていた。

 厳しく当たったのは女たちの親王さま熱に水を差したかっただけではない。

 懐良の人となりを確かめたかった。

 だが、初めの思惑と違い、むきになって張り合おうとする懐良のひたむきさに胸を突かれてしまっていた。端正な顔に浮かぶ張り詰めた目の輝きに気圧されていた。

 武光は懐から懐紙に包んだ何かを取り出して見やった。

 擦り切れた紙のひな人形だ。

 あの日、懐良が砂浜に捨てた紙のひな人形。

 なぜか気になって拾ってきていた武光だった。

 懐良のデリカシーに触れた気がしている。武光の知らない感性をあの親王は持っているらしい。それが何なのか。武光はその紙の人形を再び懐にしまい込んだ。

 再度、武光は颯天(はやて)の腹にけりを入れた。

 颯天を思いきり駆けさせた。

 元の牧場では義定(よしさだ)懐良(かねなが)を助け起こした。

 戻りましょう、と義定が懐良に言うが、懐良はあの大きな馬を見やった。

 駆け寄り、たてがみをつかんで引き寄せ、飛び乗った。

「親王さま!?」

 鞭をくれて走り出す懐良(かねなが)

 またしてもたちまち振り落とされて地面に叩きつけられた。

 腰をしたたか打って起き上がれず、泥の中に体を投げ出した。

「宮様!」

 頼元たちが駆け寄る。

 女たちは涙目になって悲鳴を上げるが、親王自身には笑いがこぼれた。

 高い天空に雲が浮かび、その雲を見上げて懐良が笑う。

 晴れ晴れとした笑顔だった。

 頼元が驚いて懐良(かねなが)を見つめた。

 そんな笑い方をした懐良を、頼元は初めて見た気がした。


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