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武光と懐良・敗れざる者  作者: 橋本以蔵
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第3章 征西府の旗揚げ

一、


 海からの襲撃は突然で、島津勢は驚き混乱した。

 上級将士までが(かぶと)(よろい)はつけても、尻はしょりをして兵士を指揮する様は異様だった。

 島津の東福寺城を牽制する忽那、河野、村上の瀬戸内海族軍団の群れだった。

 東福寺城は島津の主力が詰める城であり、この睨みが親王一行に圧力をかけて動きを封じていた。

 その城の前面に展開する集落は既に火がかけられ、混乱の極みにある。

 相当な数の小早が集落前の浜に乗りつけられ、兵士たちが襲撃にかかっている。

 整然たる統率などまるで見えない乱暴狼藉ぶりで、城へとりつき縄を投げ、梯子をかけて乱入し、矢を射かけ、得物をふるって相手を打ち殺して回る。

 城からは不測の事態を島津の他家に知らせたり、救援部隊を呼びに早馬が各方面へ散っていく。

 あくまで牽制なので、海族衆の側には城を取るつもりもなければ城主の首を上げるつもりもない。

 実を言えば、その騒ぎの間に征西将軍(せいせいしょうぐん)懐良親王(かねながしんのう)とその手勢が島津氏の目をかいくぐり、とある湾から沖の軍船へ小早船をこぎ出していたのだった。

 忽那(くつな)水軍の船三〇艘に守られ懐良親王と頼元たちが薩摩を脱出していく。

 海賊衆の軍船といっても未だ特別なものは開発されておらず、後の時代の小早船や関船に似たようなものが工夫されつつある時代だった。

 安宅船(あたけぶね)のような巨船もあったという説もあるが定かではない。

 今、安宅船ほどの規模のものはおくとすれば、小早は水夫二〇名に兵士が一〇人程度、関船は水夫四〇人に兵士が三〇人程度乗船できた。

 護衛についた三〇艘がその規模のものだったとすると、小早二〇艘、関船一〇艘と仮定して護衛についた兵士は約五〇〇人程度だろう。

 親王一行はそれに守られて肥後を目指した。


 懐良一行は河野水軍に送られ海路宇土の津へ入った。

 懐良親王の一行を出迎えた側の代表者は豊田の十郎であった。

 宇土の海上に忽那の軍船が浮かび、小早が砂浜にこぎ寄せ、谷山の将士に守られた征西将軍一行が上陸してきた。

 周囲に幔幕を張り巡らせて武士団に警護させ、砂浜に盛装した武士団が平伏している。

 十郎は武澄、武尚、武義ら若手を引き連れ、正装で浜にひれ伏した。

 恵良惟澄も配下を引き連れて平伏している。

 五条頼元や中院義定に守られ、小早を降り立ってくるのは十七歳になった親王だった。

「面を上げられよ、菊池武光殿」

 頼元が呼び掛けた。十郎はあえて菊池姓を使い、武光と名を改め、菊池の棟梁としての威儀を示していた。今日まで菊池の衆に対し、強引に懐良親王受け入れを申し渡し、準備をしてきた十郎だった。

 五条頼元も決意し、菊池に賭ける腹を決めて打ち合わせを重ね、今日を迎えていた。菊池の衆が十郎棟梁就任を受け入れたのは、征西将軍牧の宮懐良との交渉を締結させ、菊池入りを決定した功績のためだった。

 反対者もあったが、後醍醐帝の皇子が渡ってこられるという事実は菊池の人々を畏敬させた。それを実現させた十郎の手腕に誰も逆らえなかった。

 いずれにせよ危ない橋ではある。

「鎮西の宮、征西将軍、牧野宮懐良(まきのみやかねなが)様、お渡りである」

五条頼元に促されて顔を上げた十郎(二〇歳)と親王の目が絡まりあう。

 皇家に遠慮こそあれ、気後れするなど肥後武士の名折れだと思うから、十郎は親王とやらをしっかり見届けようと傲然目を上げた。

 ところが、はっと胸が騒いで平静さを失った。

 そこにいたのは白面の貴公子そのまま、透き通るような肌のほっそりとした若武者だった。少年から大人に脱皮しようという危ういはかなさが、色合いの美しい水干の上に鎧を着こみ、烏帽子姿で進み出た。

「征西将軍、牧の宮懐良(まきのみやかねなが)である」

 透き通ったその目で見られて、思わずぼうっと見つめたものの、次の瞬間、情けなくも思わず目を伏せていた。

 卑屈か!?とおのれに怒りを感じ、無理にでも視線を返そうと目を上げた。皇室の権威何するものぞ、との向こうっ気だった。

 だが、再度親王の眼差しに射られた時、十郎は赤面してしまう自分に驚く。

 瞬間的に親王の上品さに気圧され、己の野卑さを恥じていた。

 そんな自分の感情にうろたえる十郎は、ところがすぐにおやとなった。

 親王が武光を睨み付けている。

「このお方は…」

 懐良は手に何か握りしめていたが、手首でそれを足元の砂に投げ捨て、歩みを進めた。

 傲然と胸を張り、顔を強張らせたまま、進んで行く。

 一同、はっと平伏しながら見送る体制に体を入れ替えた。

 十郎は気になって見返り、親王の捨てたものを目で探した。

 そこに半分砂に埋もれてあったのはどうやら紙の人形のようだった。

 古ぼけてすり切れたひな人形のいわれや、懐良がなぜ今それを捨て去ったのか、十郎には分らなかった。


 高燈明の炎が揺れている。

 ここは取り戻された赤星館の一室。館の主の赤星武貫(あかぼしたけつら)が主人の席にいる。慈春尼、武隆、他、寄合評定衆の古老たちが渋面で集結している。

 座は正月の祝いの形をとって、膳部が用意され酒も出されてあるが、女房衆の酌やもてなしはなく、人払いされて寒々とした板の間に火鉢の火が赤い。

 今日は慈春尼の用人で矢敷宗十(やしきそうじゅう)という郎党も末席に参加している。

 端正ではあるが、頬のこけた顔に鋭い目が油断ならぬ顔つきを作っている。

 古老の一人が唸った。

「十郎たちは今頃、御船城で親王をおもてなししていよう、数日後には菊池入りじゃ」

「すべて、十郎の意向通り、まずか、まずかぞ」

 懐良親王の菊池入りを十郎と恵良惟澄とが図って段取りしてしまっていた。

 合志一族撃退の功績は、菊池寄合評定衆の者にもいかんともなしがたかった。

「恵良惟澄が呼び掛けて、南朝方の武将たちが北朝勢をけん制し、今のところ敵方に大きな動きはない、このままでは親王は菊池に入られ、新しい流れはもはや止められぬ」

「やむなし、かくなるうえは親王様をお担ぎし、南朝方として忠誠を示す外は」

「何をお前さま方は情けなかコツを、それではこのまま十郎めに菊池を乗っ取られましょう!」

慈春尼は焦れ切っている。

「じゃが、民どもがのう…」

 菊池の南朝の旗印が周囲に鮮明となり、その流れで十郎の存在感は犯しがたいところまで膨れ上がっていた。民衆は都の皇子の菊池入りに興奮して、近頃は誰もかれもが寄ってたかってその話でもちきりとなっている。

「このままいけば、十郎を棟梁に据えざるを得ん、…というこつですな」

 その意見が慈春尼(じしゅんに)には歯がゆい。

「十郎めは十分計算の上なのじゃ、親王を担ぎ、その威でもって菊池を制する、菊池を己の意のままに操るつもりなのじゃ、乗っ取りじゃ!お前さま方はそれでよかつか!?」

「…良い訳はない、…今ならまだ、武隆殿を十五代に頂く芽はあり申す、今ならまだ…」

「しかし、新王様が菊池入りされる以上、そいをひっくり返すちゅうこつは南朝に弓引くちゅうこつぞ、そうなれば内戦じゃ、敵味方に分裂し、菊池は滅ぶ」

「周囲の北朝勢もその機を見逃すはずはなか」

 皆の思案が完全に行き詰った。

「うかつには動けぬのう…」

 と、赤星武貫が腕組みをして考えあぐねた時、慈春尼が宗十を見返った。

「宗十、お前に妙案があるのであろう?」

 皆が、え、と慈春尼を見返った。

 宗十は二年ほど前から慈春尼に拾われて才覚を現した男だった。今では建前隠棲した尼の暮らしを才覚して取り廻す用人(ようにん)の役を果たしていたが、使用人たちの間では慈春尼の間夫(まぶ)、愛人であると囁かれている。

 慈春尼は宗十と相談の上でこの場に臨んでいると皆は思ったが、口には出さない。

 やがて宗十が口を開いた。

「身共は多年、広い世をあっちこっち渡ってきて、物事には流れというものがあると知り申した、…その流れを制するのでございます、…いくさも大事でござるが、要は一呼吸の機先」

「一呼吸の機先?」

 赤星武貫が怪訝に見やった。

 すると今度は慈春尼が宗十より先に口を開いた。

「武貫、おまんが配下の手練れを集めるのじゃ」

「慈春尼様、なんごつされようとでっしゅう?」

 武貫が問うのに対し、慈春尼は顔を歪めて笑った。

 その背後の無表情な宗十の顔に高燈明の明かりが揺らぐ。


 懐良親王(かねながしんのう)の菊池入城の日となった。

 一三四八年、正平二年一月一四日のことである。

 雪はないが、肌を切る冷たさの空気の中を、征西将軍の一行が進んで行く。

 菊池は八代海(やつしろかい)の河口から菊池川をさかのぼったどんつきに位置し、阿蘇外輪山を背後に控え、前面には広大な平原を擁する美しく広い大地を持つ。

 菊池川流域には早くから稲作が渡来し、古墳時代には装飾古墳群が多く作られた。

 山岳部は菊池の背後、阿蘇外輪山や鞍岳(くらたけ)矢筈岳(やはずだけ)こと八方ヶ岳(やほがたけ)を連ねて、大きく開けた西の方面は菊池川、迫間川(はざまがわ)両河川が蛇行して絡み合ってつながり、広大な湿地帯となる。

 菊池入りする親王の一団は御船城を出て海を回り、船で菊池川をさかのぼってきて、七城の馬渡城(まわたしじょう)の渡し場で船を降り、田の中の道を進んで切明から隈府を目指した。頼元は薩摩谷山から一族郎党二〇騎を引き連れ、それに栗原貞幸の三〇騎が加わり、徒歩一〇〇名を繰り入れて近衛軍とし、親王の輿を守っての菊池入りだった。

 それを鎧兜で盛装した十郎とその郎党たちが先導していく。

 輿が用意できなかったため侍従たちは騎馬での行進だった。

 一行はしずしずと歩みを進め、切明に差し掛かり、見えてきた菊池の繁華街はまさに荒廃の中からの建て直し最中で、至る所で家の建設が行われていた。

 金烏(きんう)の御旗が先頭を飾る。

 後醍醐帝(ごだいごてい)より重大な使命を帯びて西下を命じられた親王に与えられた八幡大菩薩旗である。太陽の中に二本足の烏がおり、縦が一九一、二センチ、横が七二、六センチある。

 行列が目指すのはさらに先、隈府の田畑や林を抜けた彼方に新城を建築中の中にしつらえられた仮御殿のある隈府守山の砦だった。

 深川の館城は合志幸隆から取り戻すために、あえて十郎が焼失させてしまっている。

 そこに新たに館を再建してはあったが、十郎は既に本城移転を命令していた。

 評定衆との会議の席上、多くの反対派を抑え、お迎えする親王様のために絶対の安全を保障しなければならぬ、との主張には大義があり、評定衆はこの問題でも十郎に押さえつけられていた。

 評定衆と十郎の威は拮抗しているが、誰もがこの拮抗はいつか破られる、と予感している。

 十郎は恵良惟澄の軍事力を背景にしており、菊池奪回の武功と共に有無をも言わせぬ圧をかけている。だが、長年の既得権益集団たる評定衆のしぶとさはなまなかではない。

 いつ、どんな形で両者が激突するのか、その時菊池は分裂するのか、北朝方に付け込まれて滅亡していく運命に見舞われるのか、百姓衆までもが噂でもちきりとなり、不安や期待が入り乱れて、昨年末から菊池はピリピリと緊迫の絶頂にあった。

 その問題含み、波乱含みの新城へ、十郎率いる親王一行は進んでいく。

 その前方、隈府の林の中に騎馬軍団が声を殺して待ち伏せしていた。

 殺気が充満している。

 そうとは気付かず進んでいく行列の前後に、突然、異変が起きた。

 いきなり騎馬武者たちが表れて取り囲んでいた。

「征西将軍様ご一行とお見受けいたす、待たれよ!」

 武隆、赤星武貫に率いられた本家生え抜きの将士たちが行く手を塞いだのだった。

 背後の林の中には矢敷宗十もいて、様子を見ている。

「菊池本家、菊池武隆にござる、礼を尽くしてお迎えいたしたく、新城まで我らが先導いたす!」

 武隆が口上を叫ぶや、赤星武貫が一行を守る武士団に指示する。

「警護の方々はそのまま背後に従われれば良い!」

「まずは我ら菊池本城、菊の城におはいり頂き、ご休憩の後、菊池の将士が集まりおる隈府守山の新城にご案内いたすゆえ、親王様には左様心得られたし」

 そう宣言した武隆、赤星武貫たちの計画は、親王入城の主導権を十郎から奪い去り、この晴れ舞台から締め出そうというものだった。

 武隆、慈春尼派の功績として親王を菊池城に迎え入れる。行列を力ずくで奪い去り、武隆が先頭を切って菊池の人々に晴れ姿を見せつけようというのだ。

 それで既成事実が出来上がる。

 だが、金烏の御旗の粗雑さを見て、赤星武貫が、はっとなる。

 妙に安手の絵が描かれており、地の色も朱がはがれて柄に色落ちして流れている。

「むむ、ご無礼!」

 親王の輿に駆け寄り、じっと顔を見た武貫に対し、田舎じみた顔いろの風采の上がらぬ男が、へへ、と愛想笑いをして見せた。見事な衣装で着飾ってはいるが、そこらの雑兵だ。

 赤星武貫は先導する十郎の馬に駆け寄るも、兜で顔の見えない十郎だが、馬が違う!と、気が付いた。

 十郎の馬は見事な体つきの芦毛(あしげ)だが、この馬は平凡な体形の鹿毛(かげ)だ。武貫は相手の兜を引きはがしたが、十郎の郎党の太郎の顔があった。

「ぬしゃ⁉」

「ど、どうも」

 強張りながら、笑顔を作ろうとする太郎。

「親王は替え玉か!?」

「十郎めの姿もない!」

(はか)られたばい」

 唖然となり、次いで憤怒の表情となった武隆。

 武貫が引き倒した御旗を馬のひずめで踏みにじり、悔しがったが、いかんともなしがたい。

 林の中で宗十の目が暗く光った。

「豊田の十郎、…あやつ」


二、


 行列の先頭で、本物の金烏(きんう)の御旗が揺れる。

 本物の親王の一行は別ルートから本城入りしようとしていた。

 御船から阿蘇の麓の山際を回り込み、途中にある合志一族の領地を迂回して、菊池川深川の少し上手の浅瀬から渡河して、隈府の守山新城を目指すルートで来た一同だった。

 当時はまだ阿蘇北宮神社はなく、菅原神社であったその辺り。

 本物の金烏の御旗がはためき、それに並ぶ並び鷹の羽の菊池軍旗が進みゆく。

 先頭を十郎が行き、惟澄が並んでいた。

 背後をしずしずと騎馬で来る懐良親王以下、五条頼元たち侍従一行だった。

 兵はすべて豊田勢及び、恵良惟澄(えらこれすみ)の手勢で固められている。

 筑紫坊が遠目に警護に当たりながら、襲撃を警戒している。

 守山へのなだらかな坂に差し掛かると、筑紫坊を使った十郎の工作で手配された前触れにより、大勢の民人が待ち構えていた。

 数百名に登る町人や百姓衆だった。

 みなは違う方向を見ていたが、やがて誰かが気が付いて叫んだ。

「親王様はこちらから来られたばい!」

 側面から行列が表れて驚いて戸惑ったが、やがて歓声を上げた。

「親王様」「征西将軍様!」と口々に叫び始めた。

 わっと駆け寄り行列を取り囲んだ。

 懐良親王(かねながしんのう)は戸惑った。

 初めての経験で、皆が自分を歓迎しているのだとは初め、理解できなかった。

「筑紫坊、しかと根回しを成功させて、民人を集めてくれより申したな」

「親王を奪われ、評定衆の案内で新城入りされては、お前の影が薄くなる、それ以前に直接民人に親王と自分の姿を売り付ける、十郎、よう気が回ったな」

惟澄(これすみ)が苦笑するのへ、にやりと笑って見せた十郎。

「今下手を打てば庶流末流のわしの存在など吹き飛ばされてしまおう、…ここを乗り切らねば始まらぬのよ、始まりもせぬのに引きずりおろされとうはないでの」

 惟澄は義理の息子とも思ってきた十郎が、自分の想像以上の器であることに改めて思い至り始めている。この男は行くかもしれない。自分の思惑をはるかに超えて。

 親王と結びついたことで、この男の人生は全く新たな局面に入るのだ、と。

 だが、同時に、それが危ない橋であることも惟澄は感じた。

 高く飛ぼうとする者には落ちるべき高さが生じる。わずかな高みなら落ちてもケガで済むが、この男の場合、落ちれば叩き潰され、四肢四散の危険がある、そんな高みへ飛ぶのかもしれない、そんな気がした。

 民人の興奮はどんどん高まっていった。

「征西将軍様!」

「牧の宮さま!ようこそ菊池へ!」

「いらせられませ!」

 自分たちの居場所を九州の片田舎、と思っていた菊池の民人は、そこへ宮家の皇子をお迎えできて、自分たちの思った以上に感動を覚えていた。

 能隆(よしたか)の時代に承久の変で後鳥羽上皇に味方して以来、菊池の人々は宮方びいきだった。

 そんな群衆の狂喜の様に、五条頼元や中院義定は不覚にも感動した。

 四国でも、薩摩谷山でも民人に直接これだけの歓迎を受けたことはない。

 だが、親王自身は笑顔を民に向けることができない。

 この歓迎をどう受け止めればいいのか。

 それに手を振ってこたえたのは十郎だった。

「菊池の衆、お出迎えかたじけなか、ご苦労!」

 菊池の人々はそれが菊池奪回のヒーローであることに気付いた。

「あれは豊田の十郎じゃ!」

「合志勢を追いはろうた功績者の十郎」

「十郎様が親王様をお連れした!十郎様!」

 ひょうきんな笑顔を見せて大きく手を振った十郎。

 娘や後家さんがたくましい十郎に手を振って黄色い声を上げる。

 わっと民が笑い、明るい空気が満ち満ちた。

 かくて親王お迎えの手柄は十郎の手に帰し、菊池の民人に十郎の存在感をいやがうえにも見せつけたのだった。

 端正ではあるが、笑うと目じりが下がり、人の好さを丸出しにした。    

 誰も反感を持たない。十郎の笑顔は人たらしだった。

 ところがすぐに女たちは懐良親王の品のいい貴公子ぶりに気が付いた。

 ここらでは全く見かけることのない美しく品のある容姿やたたずまいに衝撃を受けた。

 ポーとのぼせて見つめる女たちが十郎の存在を忘れ、十郎は、む!となる。

 女たちの視線を追えばその先には愛想など毛ほども持ち合わせない懐良の姿がある。

 愛想もないのに女たちは一瞬にして懐良のとりことなっている。

 十郎は、あああ!?と目を丸くして女たちと親王を交互に見やった。

 群衆の中からそんな十郎を見上げているのは鋭い眼差しをした武士、城隆顕(じょうたかあき)、二十八歳だった。


 隈府守山の麓、仮御殿大広間で菊池一族や麾下(きか)の武将たちが平伏している。

 まだまだ表周りや外交は工事途中だが、広間は突貫工事で使用に耐えられるように仕上げられていた。

 正装の侍どもが多数控えているその未だ白木も生々しい広間に、おもむろに懐良親王が式服で登場し、畳の段の敷かれた上座に座られた。

 大袖姿に牙笏(げしゃく)を持たれ、飾り太刀も美々しい装いだ。

 上座に御簾(みす)が張られて尊顔を隠したまわれた親王に対し、菊池一族の本家、庶子家、重臣の一族らがあらためて平伏する。

 本来なら格式に縛られて誰一人としてお目見えなどかなわぬはずの身分だったが、征西将軍に対し、臣下の制約をする場として特別に許された。

 今はその場に、他郷への進軍を引き上げてきた城隆顕(じょうたかあき)の姿もある。

 さっきは菊池へ戻ったばかりのその足で、親王の菊池入りの場に出かけた城隆顕だった。

 そこで親王ご一行とそれを案内する豊田の十郎を観察した。

 恵良惟澄の軍勢と共に親王一行と共に群衆に対して手を振っていた十郎の笑顔。

 城隆顕(じょうたかあき)は菊池に新しい風が吹いてきたことを感じ取っている。

 それが逆風か追い風か、城武顕は慎重に見定めようとしていた。

 続いて現れた頼元や中院義定たち侍従が上座近くへ武将たちに向かって着座し、最後に入って来た直垂姿(ひたたれすがた)の十郎は頼元たちと同じ向き、武将たちに向かって着座した。

 自然武将たちは十郎にもかしこまることとなり、十郎は尊大に皆を見まわした。

 赤星武貫(あかぼしたけつら)の鋭い目がそんな十郎の挙動を忌々しく睨み据える。

「菊池のご一統衆、征西将軍、牧の宮懐良親王さまである」

 十郎の言葉にあらためて一同が平伏した。

「…牧の宮懐良じゃ、…よろしう頼む」

 強張った顔の親王の言葉足らずに頼元がはらはらするが、十郎が構わず言う。

「これより宮様を菊池にお迎えし、我が菊池一族は親王様へのご忠誠をお誓い申し上げねばならぬ、じゃがその前に、親王様より帝代人(みかどだいにん)としての勅旨を賜る」

 十郎に促され、頼元が書付を持って十郎に向き合い、勅旨である!と宣言した。

「征西府の決定を伝える、本日をもって菊池の十郎武光を肥後国司に任命する、また従四位の下(じゅうよんみのげ)叙爵(じょしゅく)する」

 五条頼元らと十分な打ち合わせの上での大芝居だった。

 宮家によって肥後国司に任命された以上、十郎は菊池家当主以外の何者でもない。

 一座のものは皆がはっとなったが、この期に及んではなすすべがない。

「かたじけなき拝命、不詳豊田の十郎、いや、今日より名を菊池武光と改め、親王様をどこどこまでもお守りいたし申す」

 慈春の尼や武隆、評定衆の古老たちが呆然となり、体を震わせる。

 裏打ちの直垂に大口袴をはいた礼装で、こういう際の十郎は見栄えが良く、押出が利いた。

 平伏して後、居並ぶ菊池衆の方へ体を向けた十郎武光。

「肥後国司、菊池十郎武光である、今日より菊池に征西府(せいせいふ)を置くことを宣する!親王様の名において九州を統一、その先に東征を果たし、南北の皇統を統一する親王様のそのご使命をお支えする、それが菊池のゆく道じゃ」

 矢敷宗十の言う一呼吸の機先とはまさにこれだろう。

「異存のあるものはおるか!親父殿、武時公が生きておられればそれを目指されたぞ!北朝になぞ、夢、ぶれることは許さぬ、そういうものがあれば今名乗り出よ、討ち取る!」

 城隆顕、赤堀武貫、武隆、武士や武重の息子たち、菊池の衆、恐れ多くも皇統統一までを口にする決然たる態度に唖然となる。五条頼元さえ唖然だった。

十郎を菊池守護に任命し、菊池一族を十郎の元に統一、とまでは打ち合わせできていたが、今、 自分が皆を説得しなければならない未来への見通しがズバリ語られていた。

 菊池の方針を一気に決してしまっていた。

 この仁は…と、頼元はたじたじとなった。

 並の人間にはこの段階で九州統一、皇統統一など、口にするさえ負担だろう。

 それをここまで平然と言い切る神経は常人のものではない。

 大ぼら吹きの与太者か、無責任な異常者か!?

 懐良もまた、まじまじと十郎を見やった。

 十郎、いや武光はさらにダメ押しをした。

「武隆殿、寄合内談衆の方々よ、菊池統率の為にお力を尽くされよ、征西府への帰順、異存はなかろうな」

 武隆、唖然となっていたが、渋々ではあれ、平伏するしかない。

 すると、さっと親王に向けて体を入れ替え、武光は両手をついた。

「牧の宮さま、不肖菊池武光、向後命を懸けて宮様にお仕えいたす、控えおる菊池の武将どもも、民人共も、すべて身共と同じ覚悟と決意でござる、神仏に二心(ふたごころ)なきをお誓いいたす、拙者らの命は向後親王様のものであると思召(おぼしめ)されよ」

 まっすぐに見てくる武光の目を、懐良はじっと見返した。

 武士共の中にこれほどまっすぐ忠誠を誓ってきたものはかつてないと思った。

 かつてないという事は比較ができないという事だ。

 懐良には武光は謎だった。

 信用が置けるのか、とんでもない不忠な化け物なのか。

 武尚、武義、城隆顕、赤星武貫達重臣も最早声が出せない。

 一座のものにも同じだったろう。武光とは何者なのか。

 歯噛みする比丘尼慈春(びくにじしゅん)にも理解の外だった。

 今、慈春尼にはすべての権利を奪い去ろうとする武光は悪魔に等しく見えている。


 天皇制は大化の改新以来この国の礎となっており、国の根幹をなしている。

 だが、皇室は神的血筋の高貴さを表象してきただけで権力そのものであったわけではない。権力は常に藤原家や源氏、平家、北条、そして今は足利という時の政権によって握られてきている。 後醍醐帝(ごだいごてい)のしたことはそこに革命を起こして天皇の元に権力を集中させようというもので、こんな異端的な改革はこの南北朝時代と、明治維新の革命の時だけだった。 明治維新の時も徳川政権を打倒するためにお題目として勤皇が使われただけで、やはり天皇に実権はなかった。南北朝の争いとは皇室に権力をよこせという派と、武家が国を仕切るのだという派の争いだといえるだろう。

 そして皇室に権力をという派、すなわち南朝も実質は武家に支えられなければ成り立っていない。 南北朝の争いはそんないびつな構造となっているが、南朝を担いだ菊池一族他の武士たちにその理屈のおかしさが理解できていたわけではない。

 九州武士団は、日本全国そうだったのだろうが、要は己の所領安堵と領地拡大、恩賞獲得、それだけしか考えてはいなかった。

 たまたま己の欲望を満たすのに、北か南か都合のいいお題目がそこにあったから引っ担いだにすぎない。

 その点は武光も、菊池一族も同じことだった。

 ただ、彼らは建前を割り切って利用し、使い捨てる、というようなすれっからしな人々ではなかった。彼らは目の前の人間や事実に対し、純情で誠実だった。

 この物語はそう言う素朴な純情さの上で繰り広げられている。


 夕刻となって、御殿中庭に沢山のかがり火がたかれた。

 本城仮御殿中庭で親王歓迎の宴となり、お能が演舞される。

 親王歓迎の意味を込めたと共に、武運を祈る神事だ。

 この日の為、武光が惟澄の手を借り、筑紫坊を博多に放って準備した。

 能は平安、鎌倉の頃行われた仏教行事としての法会から始まったとされる。

 密教的悪魔払いの儀礼でこれを呪師猿楽(じゅしさるがく)と呼ぶ。この猿楽から能が生まれたらしい。

 仮面劇や亡霊劇の形をとるが、庶民の間での芸能ごととしても流行した。

 すべて仮面が使われていたわけではないらしく、菊池に伝わる御松囃子能(おんまつばやしのう)は仮面を使わない。  

 おそらく仮面を用いないタイプの能が神事として執り行われ、懐良親王の為に演じられたのが始まりだったのだろう。その最初の能が演じられた。

 この時の能の出し物の詳しい中身は分っていない、後の時代には勢利婦(せりふ)、老松、能の順番で演じられるようになった。想像を逞しくすれば、狂言も上演されたかもしれない。

 能の演舞が終わり、広間に移った一同に酒肴が用意される。

 初めは緊張していた宮家の人々と肥後の人々の間に垣根があったが、酔いが回るにつれて、親しい言葉が交わされた。

 頼元以下侍従たちも昨日今日都を出てきた人たちではない。

 既に十年を四国や薩摩の片田舎で苦労してきている。

 頼元の息子の良氏が四国で覚えたざれ歌を歌い、菊池の衆からも地唄が披露された。

 十郎改め武光は親王の横顔を盗み見る。

 端座して静かに食べ物を口に運ぶ懐良は美しかった。

 女房たちも親王の美しさにときめいて常ならぬさんざめきようであり、武貫たち肥後の将達も見ほれてしまい、大声で喚き合うことを控えている。

 親王には人をそうさせる気品と美しさとはかなさがあった。

 武光は見惚れていた。

 素朴な感情で美しいと思った。同じ性の者に対してそんな感覚を持ったのは初めてだった。懐良の性を超えた美しさに胸を打たれていた。

 だが、それは感傷だと、武光は自分を叱り付けた。自分が見極めなければならないのは、この都から来た貴種に自分が運命を共に生きるに値する器量はあるのか、ということだ。

 さっきは大見得を切ったが、武光の神経は研ぎ澄まされて周囲のすべてに向けられていた。菊池を担いで繁栄の道に導いていかねばならぬ、と武時の遺志を継ぐ気でいる。

 だが、それにはおよそあらゆる困難を潜り抜けなければならぬとの緊張がある。

 それには人だ。それぞれのものの思惑を把握し、食うか食われるか、あらゆる場面で機先を制していかねばならぬ。この親王はもとより、誰にも甘い目を向けてはならない。

 やがて親王様おもてなしの女衆の舞が披露された。

 早乙女の姿に着飾った女衆が大勢進み出て、笛や太鼓の男衆も座の端に勢ぞろいする。

 この時、武光は舞いのもてなしの女衆の中に駆り出された美夜受の姿を見た。

 武光は、え?となった。

 美夜受は武光と目があい、フフッと笑って、曲が始まり踊り始めた。

 豊田から駆け付け、担当奉行に願い出て採用されたものだと察した。

 母親譲りの白拍子(しらびょうし)の血で、舞いが好きで、舞えるチャンスは逃さない美夜受だった。 しかも、それで十郎の手助けになるなら、美夜受には至福のイベントだろう。

 そんな美夜受の心持が分かって、武光は苦笑しながら杯を口に運ぶ。

 十九歳の美夜受は美しかった。その舞姿の美しさは群を抜いている。

 踊りは田植えの田舎舞いで優美には程遠い出し物だったが、美夜受の舞だけは優雅だ。

 と、武光は気が付いた。

 盃の手が止まり、親王は美夜受の美しさに目を奪われていた。

 懐良(かねなが)には忽那島、薩摩谷山とさすらってきた中で、これだけの女らしい女の姿は初めてだった。田舎娘の中では確かに群を抜いており、舞姿の美しさに見惚れてしまう。

 武光はそんな親王と美夜受を交互に見やった。

 親王の目がずっと美夜受を追って輝きを失わない。

 明らかに懐良の胸には甘美な恋心が芽生えているようだ。

 武光が戸惑ったように二人を見比べた。

 美しい美夜受、そして美しい懐良親王(かねながしんのう)

 武光は混乱に陥っていた。それは嫉妬だったかもしれない。

 何も気付かず美夜受は踊り続けている。



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