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武光と懐良・敗れざる者  作者: 橋本以蔵
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第1章 豊田の十郎(3)

五、


 均吾の知らせで、作務(さむ)を途中で投げ出して、探題館のすぐそばの犬射の馬場に駆けつけた十郎と均吾、太郎だった。

 聖福寺の大方元恢に当て身を食わされて足止めされてから一〇日ばかりも後のことだった。探題館は残党狩りに血眼になり、菊池にまで攻め込もうとしていた。

 忠義ずらで北条探題の歓心を買おうと菊池狩りをする諸族もあって剣呑(けんのん)な空気が続いた。

 巷間(こうかん)では北条勢に斬りたてられての壮絶な最期だった菊池武時のことは評判になっていた。だが、その首がさらされて、勇壮な最期のことがかすんで悲劇になってしまっている。

 この時、戦死した菊池頼隆の妻の悲劇なども伝わっているが、ここでは語るまい。

 夫の霊が乗り移っての愁嘆場だが、十郎との関わりはない。

謀反人(むほんにん)等の首、菊池二郎入道寂阿、子息三郎、舎弟、二郎三郎入道覚勝」

 柵の上に並べられた菊池の人々の首の脇に高札が掲げられてある。

 あの懐かしい武時の顔が首となって置かれ、十郎たちは髪が風になびいているのを見た。

 噂通りの父や郎党のさらし首を見て十郎は怒り狂った。

「…取り戻す、…菊池へお連れする」

 首を奪いに進み出ていこうとするので、均吾と太郎が慌てた。

 周囲の見物人たちが十郎を見返る。

「やめろ」

 均吾と太郎が十郎の袖を引き、その場から離れようとするが、十郎が振り払う。

 探題館の兵が怪しみ、近づいてくるので、均吾と太郎の心臓が早鐘のように鳴る。

「小坊主ども!寺の仕事をさぼると承知せんぞ!」

 そこへやってきたのは大方元恢(たいほうげんかい)で、十郎の襟首掴んで連れ戻す。

 探題館の兵たちが怪訝に見送ったが、坊主に引きずられていく子供を見て鼻で笑った。

 引きずって行かれる子供が菊池武時の息子とは気づかなかった。

 その後も聖福寺僧堂で修行僧と同じ生活をした十郎、均吾、太郎たちだった。

 三人とも必死に働いて作務をこなした。

 暁天打座(ぎょうてんたざ)朝課(ちょうか)をこなし、作務(さむ)をし、食事も僧たちと同じに応量器(おうりょうき)を使い()を唱えて頂く。

 各種鳴らし物に従って規律正しく行動した。

 探題方による菊池残党の探索は厳しく、まだかくまわれて動けない。

 菊池へ向かうものへの詮議が厳しく、見つかればただでは済まない。

 大方元恢が管主の秀山元中(しゅうざんげんちゅう)に頼み込み、十郎たちをかくまってくれていた。秀山元中は修行の進んだ高僧で、武家を恐れることなく当たり前のように子供たちを養ってくれた。ただ、禅について学べという条件を付けた。

 それで他の修行僧と同じ日課をこなしている三人だった。

 さらに六〇日ばかりが過ぎたある日、博多でまたしてもいくさが起こった。

 今度は宮方の武将たちが寄ってたかって北条探題館に攻めかけたのだった。

 その騒ぎにお坊さんたちが修行を忘れてざわついている中、再び均吾が使いから戻って十郎と太郎に報告をした。

「探題館が落ちたぞ!少弐と大友、他の武将どもが大軍で押し寄せたのじゃ!」

 少弐、大友が鎮西探題を滅ぼしたと聞いて驚く十郎。

「少弐、大友、あ奴ら、どがいな神経をしておるのじゃ!?」

 中央では鎌倉幕府が、足利尊氏を使った後醍醐帝の宮方に攻められて追い詰められ、落ち目だとのもっぱらの評判だった。その為だろう。菊池を裏切っておきながら、大勢を見て今度は探題を討つ。不条理でしかなかった。

「では、親父様はなんのために死んだ!?あの時奴らが今日のこの動きをしていてさえおれば!」

 人は信用できない、身勝手だ、おいは誰をも信じない、と十郎は身もだえする。

「…少弐、大友、…あやつら、いつか必ず」

 とはいえ、憎悪をたぎらせながらも、やはり動けず、聖福寺に日を送るしかない。

 大方元恢はひたすら十郎たちを作務に追い使い、座禅を務めさせた。

「十郎、均吾、太郎、何をしておるか、もう皆揃うておるぞ」

 十郎を急き立て、均吾と太郎は僧堂に駆け込み、与えられた単に座る。

 臨済宗は観話禅(かんなぜん)である。初入の学者に対しては狗子仏性(くしぶっしょう)の公案が授けられる場合が多い。

「恨みなぞ小さい、無を見よ、十郎、犬に仏性はあるのか?お前に仏性はあるのか?無い、犬にもお前にも仏性なぞない、なぜだ?なぜお前には仏性がないのだ?」

 だが、怒鳴っておいてすぐに居眠りを始める。

 年中酒浸りで、酔っての居眠りなのだが、なぜか時間が来ると目を覚まし、修行僧たちに「経行(きんひん)!」なぞと怒鳴りつけて指示を与える。

 均吾と太郎も座るが、足が痛いばかりで身動きしてはならぬという座禅というものに阿保らしさを通り越してうんざりしていた。思うのはうまい団子や握り飯のことばかり。

 十郎の場合は座禅の中、父の死のイメージや合戦の狂気、恐怖と怒り、悲しみが奔流となって渦巻く。笑いかけた武時の笑顔。

「十郎、菊池を頼むぞ」

「父上!」

 そこに覆いかぶさるのは冷酷な悪魔、少弐貞経の笑い声だ。

 目を血走らせ、狂笑するその姿に、十郎はすくめられ、恐怖のために金縛りにあう。

 その金縛りから逃れようとして絶叫する。

「うああああーっ!」

 均吾と太郎は僧たちの手前、うろたえながら十郎を抑えにかかろうとするが、はねのけられた。喚いて立ち上がり、履物を取って鎮座する文殊(もんじゅ)像を睨み付けた。恐怖と怒りと無力感に押し潰されそうになって、負けまいとしてまた喚く。

「なんが文殊か、何が仏道か!太刀を寄こせ!馬を貸せ!」

 文殊像に履物(はきもの)を投げつけた。

 その履物を拾い、にこやかに見やるのは尼かと見まがう痩せぎすの老僧で、大方元恢の師の秀山元中だった。十郎の苦しみを柔らかい眼差しで受け止めながら言う。

「苦しいか、恨めしいか、菊池の災難が、武時公の死にざまが」

 覗き込まれてなぜか恐怖を感じ、怯える七歳の子供に元中が畳みかける。

「逃げるな、十郎、その苦しみに真っ向から立ち向かい、恐れの正体を掴め」

 気が狂いそうな圧を感じて必死に喚き返す十郎。

「くそ坊主、寝言を抜かすな!」

 穏やかだった元中のまなこがかっと見開かれた。

「恐れは汝が作り出す幻じゃ、父母未生以前(ふもみしょういぜん)本来の面目に恐れなし!」

 仁王様より恐ろしい目で睨まれて、十郎は爆発したように泣き出した。

 地べたを転がりまわって泣きじゃくり、喚きまくる十郎。

 十七歳の今日の座禅にもそんな記憶が荒れ回る。

「うあああああーっ!」

 と、十郎が吠えて転げ回った。


 博多の阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄絵も、父が炎に飲み込まれて消えるあの姿も、少弐貞経の悪魔じみた姿も、十七歳になった今でも決して消えてはくれなかった。

 当の少弐貞経(しょうにさだつね)が打ち取られてしまっているからこそ、始末が悪かった。 座禅をして安らぐどころか恐怖や怒りや果ては狂気までがこみ上げてきて乱れ、明け方の陽が昇るころ、緑川べりの岩の上で疲れ果ててやっと眠れるのだった。

 十郎に今確かな望みは一つ、いつか少弐や大友と戦い、父武時の恨みを晴らすことだった。仇の張本人と目した少弐の入道妙恵(貞経)が死んでいても同じことだった。

 その少弐は足利尊氏側についている。大友もだ。

 だから十郎は足利尊氏の一味を嫌った。理屈ではない。


六、


 館裏手の立木に向かい、深夜木剣をふるう少年がある。懐良(かねなが)、十六歳。

 乱れ髪が頬にかかって、直衣(ひたたれ)姿にたすき掛けのまだ中性的な面影の美しい少年だ。指導するのは中院義定(なかのいんよしさだ)だった。

「まずは素振りの繰り返し、体幹が定まってくるまで、もっと、もっと!」

 貴族のくせに鉄漿(おはぐろ)もつけぬ変わり者の義定は剣術の使い手で、懐良を指導する。強くなってもらいたかったが、皇子である懐良に対して義定には手加減があった。木剣をふるいながら、懐良には燃えるような思いはない、課せられた使命に切実な感情は抱けない。思い返す後醍醐帝(ごだいごてい)の面影はただ不気味なばかり。

「小休止!」

 息が上がり、懐良は木の根方によろけ込む。

 それへ義定が清水を満たした竹筒を差し出す。

 ごくごくと喉を鳴らす懐良を励ますように声をかける。

「息が整い、腕に力が戻られたら、再度木剣をふるいましょう」

 汗をぬぐいながら中院義定が見返っても、懐良には反応がない。

 気持ちは沈み込んでふるい立つことはなく、ぼんやりと座り込む。

 懐から取り出した紙のひな人形を手の中に見つめ、母の二条藤子を想い、涙がこぼれた。

 親王にしくしく泣かれ、義定はなすすべなく、成人しようかといういい年をして、とは思うが痛ましさが先に立ち、顔を歪めて立ち尽くすのみ。

 そこへ冷泉持房(れいぜいもちふさ)が義定を呼びに来た。

「義定さま、吉野よりの使いが到着いたしました」


 薩摩の国谷山郡司谷山隆信の居城谷山城は小城だった。

 足利尊氏の武家方、島津氏の居城東福寺城が北方九キロの地点にある。

 征西将軍懐良一行の九州計略のための拠点である。

 五条頼元と息子の良氏、公卿武士の中院義定、冷泉持房らが城内御所の館内に居並び、それへ忽那義範(くつなよしのり)からの密使が手紙を届けて来て、一同で回し読みし終わったところだった。

 高燭台の炎が揺れ、頼元が静かに皆を見まわして言う。

「後醍醐帝の後を受けられた後小松(ごこまつ)天皇から、少しも早く南朝に味方する勇者を伴って吉野へ戻ってほしいというお手紙じゃ」

「…再三のご催促ではあれど」

 皆の顔は浮かない。

 一三四六年 正平元年、薩摩谷山城の懐良親王は成人すべき年ごろである。

 征西将軍一行が後醍醐帝の命を受けて比叡山を出発してから早くも十年が経過している。

 懐良親王を西へ向かわせた後、比叡山を降りた後醍醐帝は足利尊氏に偽の三種の神器を差し出して恭順の意を見せながらも、花山院(かざんいん)への軟禁状態から女装して逃れ、楠木(くすのき)一族によって吉野へ入り、そこを足利一味打倒の拠点とした。

 しかし、尊氏は三種の神器はわが手にありとし、光明寺統を立てて皇室となした。

 天皇家に南朝、北朝という二家が並立する事態となり、戦乱は益々収拾のつかない事態となってきたのだった。南朝は後醍醐帝がシンボルだったが、北朝側は実質足利尊氏が支配しており、 武家諸氏たちがカリスマ尊氏に率いられた。

 北朝側の天皇には尊氏の傀儡(かいらい)後光厳(ごこうごん)天皇が即位された。

 新進の武士勢力の武力に対し、宮方はひ弱で勢いがない。

 後醍醐帝の頼みは各地へ派遣した皇子たちだったが、味方についてくれる有力武士団を探す旅は困難を極め、恒良(つねなが)親王、尊良(たかなが)親王、義良(よしなが)親王も次々と 敵に倒されていった。

 その後醍醐帝は病を得て先年崩御(ほうぎょ)されている。五十二歳だった。

 五条頼元や親王侍従の者たちは深く落胆した。

 頼元は数日間喪に服し、冥福を祈り続けた。

「しかし、我らはそれでも使命を忘れることはできない」

 確認するように頼元が言う。

 吉野の後小松帝在所はわびしいもので、南朝の希望は唯一九州に派遣した懐良親王ただ一人となっていた。後醍醐帝亡き後、帝位を継いだのは懐良には兄にあたる後小松帝で、その後小松帝から何通もの手紙が五条頼元に届けられたが、懐良親王が巻き返しの軍勢を組織して東上することを期待するものばかりだった。

「なんとしてでも親王さまを奉じて戦う武家を味方につけねばならぬ」

「と、四国からこの薩摩まで前進しては参ったが」

 中院義定(なかのいんよしさだ)が腕組みして瞑目した。

「新帝を守るのは北畠親房(きたばたけちかふさ)、楠木正幸達、わずかな悪党一味のみ」

 冷泉持房は、彼らを助けるためにも、少しも早く北朝勢を平らげ、分裂したこの国を吉野に統一する。その使命を懐良親王に果たして頂きましょう、と声を励ました。

 無論、五条頼元にも絶対の悲願となっていた。

 とはいえ、現実の厳しさは誰の胸をも暗くさせている。

「頼元殿、その後、九州武士団糾合の呼びかけに対する反応はいかがでござる?」

 反応が良ければとうに耳に入れられているはず、と思いながらも義定が訊いた。

「何度も令旨を 発してはおるのじゃが、肝心の阿蘇大宮司(あそだいぐうじ)家が動かぬ」

「様子見しているのでしょうね」

 冷泉持房もため息をつきながら言う。

「平安の御世から阿蘇社大宮司を世襲する肥後の名族阿蘇家こそ、後醍醐帝の求めた宮方に味方してくれる実力ある武家の条件を満たしておる、…しかし」

「しかし、その阿蘇家からしてそのざまではのう」

 と、この頃の頼元には失望感がつのっている。

「武士は所領安堵の為にいくさするのであり、利のある方へ付きたがるもの」

 持房が武士という生き物への失望感を滲ませて言い、控えたこの城の城主谷山隆信をちらりと見やる頼元。気を悪くされては困る、という頼元の本音が滲む。

 この谷山もまた弱小でいつ裏切るか、と苛立つものの、頼るものは今は谷山以外にない。

「このままではまずい、…島津の脅威からいつまで持ちこたえられようか」

 中院義定が唸り、谷山隆信が膝を進め出た。

「ご心配召さるな、不肖谷山隆信、全力でお守りいたす」

 と、再度忠誠を誓う。

「お頼みしますぞ、谷山殿」

 谷山氏は律令制下の官人系土豪であり、その荘官職としての既得権益は幕府側に立った島津氏に脅かされていた。谷山氏としては宮方について所領安堵(しょりょうあんど)を狙う立場だった。だが、所詮田舎土豪に大勢を変える力はない。


 その後、頼元は一人で懐良親王の部屋へ伺候した。

「宮さま、吉野から手紙が参りました、入りますぞ」

 明かりがついているのでまだ眠ってはいないとみた頼元だったが、はっとなった。

 御簾(みす)の巡らされた部屋の畳の上に端座した懐良の美しさはまさしく白面の貴公子だった。自ら育て上げてきた頼元でさえ、毎度思わず息を呑んだ。

 その白面(びゃくめん)が九州の荒くれ武士への恐怖と不信感を隠し、強張っている。

「…上方の情勢は思わしうありませぬようで、…少しも早くこの九州にお味方の勢力を作り上げ、東征を急がねばなりませぬ」

 そう言われて、しかし顔を上げない懐良の手元には、母の藤子から渡された紙のひな人形があるのを見て取る頼元。常に触られ、もう擦り切れている。

「しっかりなされませよ、宮様」

 いつしか師としての口調になっている頼元は、思い返す。

 紀伊半島を海へ急いでいたみじめなあの日の懐良の面影。

 四国忽那一族に匿われた日々、まろは都へ帰りたいと泣いていた親王。

 そして遅々として状況の変わらぬ九州での日々。

 先を思うと目が眩みそうな絶望感がこみ上げ、この貴種の担わねばならぬ重圧を考えると、思わず目頭が熱くなる。しかし、このお方を担ぎ通す以外にない、と思う頼元だった。

「我ら宮方へ味方せよとの呼びかけはいくらでもできまする、されど目の前の宮様に皆を率いていくだけの器量がないとみれば、続きませぬ、…お心を強く、…分かりまするな?…宮様次第なのです、…あなたのご器量こそが」

 ひな人形を見つめる懐良の顔が苦しく歪んだ。

 その表情を見て、これ以上言うのは酷だと、頼元は胸を掻きむしられる。

 誰かが必要だった。現状を打開できる強い武者が。

 しかし、そんな武者が一体どこにいるというのか。






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