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武光と懐良・敗れざる者  作者: 橋本以蔵
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第5章 懐良と美夜受 (2)

三、


 一三五〇年、正平四年、熊耳山(ようじざん)正観寺の落成式が盛大に催された。

 武光の命により菊池五山別格として正観寺が禅宗寺院として再建されたのだ。

 宝地院、万松院、龍雲院、など十四坊が建ち並び、末寺が十五を数えた。

 六六町歩の寺領寄進が発表された。

 皆が驚いた大事業だった。

 寺は今後さらに拡張していき、一千人の僧を収容できる規模を目指しているという。

 この落成式に菊池の総員を集めた武光(二三)の元にすべての将士が参集した。

 正観寺落成は一三四〇年だというが、武光が主導して整備したのはその年ではないだろう。一三四〇年にはまだ豊田の荘で冷や飯食いの若者だった武光に豪壮な寺院を建立する力はない。菊池の棟梁として有無を言わせぬ実力がなければそれだけの寺は起こせない。

 開山は秀山元中(しゅうざんげんちゅう)大方元恢(たいほうげんかい)和尚の二人だ。

 博多聖福寺で数か月匿われ、ほとぼりの覚めるのを待って元恢に送られて豊田に戻った十郎は、道々元恢(げんかい)から禅理を諭され、殆ど理解はできなかったが、彼らの語る禅というものが単に宗教というより死生観につながる哲学であり、武門に生きる者にはどうしても必要となる、という事だけは理解した。

 死は誰でも恐ろしい、しかし、恐ろしがっていては武士は務まらぬ。

 死の恐怖を克服するためにも、その向こうに何があるのかを見極めたい、と多くの武士は思った。死をいとわぬもののふになりたい。鎌倉幕府の北条一門もだ。

 その北条一門が禅の五山一〇刹制度を制定した。

 今や京でもそれを真似、全国の武士たちにも流行した。

 菊池に五山一〇刹を整備する計画を武光はすでに進めている。

 禅で真理を知りたいというだけでなく、征西府を開くにあたり、菊池を宮家のいますところとしてふさわしい威厳ある都としたかった。さらにこの正観寺を創建したことにはもう一つの重大な理由があった。

 寄り合い内談衆に主導された時代の菊池は信仰のよりどころを聖護寺に求めた。

 その状態を放置すれば新しい体制に抵抗するものの精神的支柱を残すことになる。

 その精神的支柱を破壊し、新しい信仰のもとに菊池を統一することを狙った。

 武光は菊池の一切合切を塗り替えようとしている。

 元は東福寺であった菊池氏の菩提寺を正観寺に奪われたことや、息子武重の建立した聖護寺(しょうごじ)を無視されたことに、慈春尼(じしゅんに)憤懣(ふんまん)やるかたない。

 これは踏み絵だ、逆らうものには容赦をしない!との武光のメッセージだと思った。

 武光の菊池支配の構想は念入りだったが、慈春尼はしぶとい。暗殺事件を不問に付されて表面上武光に逆らう動きはやめていた。

 だが、菊池での派閥勢力を守り、実権を握るため、新たな画策を慈春尼はしている。

 美夜受(みよず)の件を、武光が親王に女をあてがって飼いならそうとしているものとみなし、それに対抗して本家の勢力を温存するため、我が娘重子(しげこ)を親王に(めあ)わせようと考え、重臣や古老たちに根回しを開始させていた。

 それぞれの思惑を含みながら、正観寺落成式はつつがなく執り行われた。


 それから間もなく、大智禅師(だいちぜんじ)(六十一)は城隆顕(じょうたかあき)だけが見送る中、聖護寺(しょうごじ)を寂しく去っていこうとしていた。土地の世話人が従者を伴い、荷車を押して鳳儀山(ほうぎざん)を降りようとしている。

「武重さまが懇請してお招きしておきながら、申し訳もござりませぬ」

 城隆顕が頭を下げた。

「…武光殿のお考えは分り申す、新しい棟梁には人はどうしても懐疑的になる、昔を懐かしむ者ばかりではまつりごとは難しい、皆の気持ちを切り替えさせるには信仰を根こそぎ覆すのが最も手っ取り早い、その為の正観寺であろう」

 大智はあの日の武光の言っていた言葉がそれだったのだなと思い当たっている。

「さようですな、…信仰の大本を抑えておのれの信奉者で菊池を満たす気で御座ろう、…強引なやり口でござるが、…確かにそうでもせねば菊池はまとまりますまい」

 城隆顕にはもはや武光を否定する気持ちは失せている。

「わしが去れば片付くよ、…寂しい限りじゃが」

 その時、あの日のように突然武光が姿を表し、荷車に取り付いた。

 えっと驚く城隆顕だが、武光がにやりと笑った。

国境(くにざかい)までお送りいたす、途中の腹の足しにいかがか」

 と、懐から弁当を取り出して荷車の上に置いた。

 城隆顕は意外な武光の行動に戸惑った。自分が追い出した大智禅師を見送りとは何の酔狂か。だが、大智には違う感情が沸いている。

 武光を見つめながら、大智にはふとこの若者のことが分かってきた気がした。非情さを装いながら、実のところ情に飢え、人恋しい若者ではなかろうか、という気がしたのだった。   

 大智に対しても、実は心苦しい思いを抱いているのではないか、と感じた。

 父武時を幼くして失い、以後、家族もなく他人の中で育ってきた。

 力を頼み、独力で人生を掴もうとする頑なさがあるが、一方で孤独にさいなまれ、人とのつながりに飢えているのではなかろうか。

「ご老師、今後は?」

 ぶっきらぼうに訊いてくる武光に、大智はなぜか口元がほころんだ。

八代(やつしろ)に落ち着いて、また考えましょう、禅の古事究明(こじきゅうめい)はいずくにおいても差しさわりはないもの」

「八代か、…菊池ほどよかところがまたとありましょうかの?」

 重畳(ちょうじょう)たる山々の連なりのそのまた上から矢方が岳(やほがたけ)が見下ろしている。

「あの日、…武光殿が武士(たけひと)殿を見送ったのは、…あれは実は優しいお心持ではなかったのかな、…気づきませなんだがな」

「優しさなど持ち合わせぬ、けじめよ、菊池はわしが預かるとな」

 武光が強がったが、大智は笑った。

「ふふふ、そうしておきましょう、…じゃが」

 今度は大智の方が厳しい顔となって忠告めいたことを言う。

「お気をつけなされ、物事は移ろい、人は浮沈を繰り返す。貴方の行く手もいずれ…」

「いずれ滅ぶと?平氏のように、…ふん、どうかのう」

「…滅ぶかどうかは知らぬが、…哀れなお人じゃ、…本当は人好きにお生まれじゃのに、…おのれの才や、父の末路の哀しみや、所領を背負うてなど、幾多のえにしに運ばれて、思い詰め、いくさを呼び寄せなさる、…あなたの行き着く先に安らぎはあるのかのう?」

 武光に反発の心は起きず、ふと素直な質問が口を突いて出た。

「仏道とは回りくどいもんばいな、秀山元中(しゅうざんげんちゅう)老師も、大方元恢(たいほうげんかい)坊も、時折わしに何か言うが、わしにはとんと分からぬ、…大智さま、仏道とは人に何を示そうとするものなのか」

 大智はこの若者が、意外にも疑団(ぎだん)めいた事を口にしたことに驚いた。

 この若者を手元に置いて鍛え上げれば法要を伝えることができるかもしれない。だが、二度と会えぬとするなら、時間をかけて只管打坐(しかんたざ)の向こうに真理を掴ませる指導は無理だ。黙照禅(もくしょうぜん)が建前の曹洞宗(そうとうしゅう)だが、大智はこの時、あえて言葉を用いた。

「…私の境涯から言えることは大きく二つ、一つは命の正体をお掴みなされという事、見性成仏(けんしょうじょうぶつ)を果たせばこの世の真相が掴めるのです、掴めればどう生きればよいか、正しい生き方が得られる、苦しみを離れることができる」

「…苦しみがなんかい、ぎゃんもんの怖うてこの乱世が生きらるるか」

「もう一つ、…見性成仏を果たし、この世の真相が掴めたならば、今度は衆生(しゅじょう)回向返照(えこうへんしょう)する、おのれの悟りで人々を救う」

「いくさは飢えから人を救い、命を保証する道じゃ、それ以上の功徳(くどく)があろうか」

慈悲(じひ)という言葉をご存じか、慈悲とは人の哀しみを慈しむと書く、…財宝を得ようが、権力を掴もうが、長生を得ようが、何もせいでも、死の時が来ればすべてを人は失う、行きつく先は虚無にすぎぬと知り、結局は敗北者になる」

「!」

「悟らぬ限り、人は仏を自覚できぬ、人は悲しい、…いくさで殺されるもの、殺すもの、皆哀しい、楽しく暮らしても病に倒される、…その悲しみに寄り添う、その悲しい人々を慈しみ、抱きしめる、…それが仏者の道、棟梁の道、覇者(はしゃ)の道もそうではござらぬか?」

「覇者の道?」

「…真の覇者となりなされ、慈悲の覇者と」

 ここらで武光の理解が追い付かなくなり、武光は反発した。

「おだててたぶらかそうとか、悟りやら、慈悲やら、性なし武者ならその世迷いごとに縋り付きもするのであろうが、わしには用なしじゃわい」

「ここからさきは不立文字(ふりゅうもんじ)、言葉では言えませぬわい、あなたが体得するしかないのだが…」

「ふん、なにが不立文字か、仏道とはやはり怪しいもんばいな」

 禅の学習は体得以外にはありえない。

 言葉で語れば、必ず相手はついてこれなくなり、心を閉ざす。

 大智は締めくくる以外にない。

「…覇者(はしゃ)の道もまたえにしがもたらすもの、…人はえにしに運ばれて、その先端で舞うしかないよ、精一杯舞いなされ、見事な舞を、のう、武光殿」

「たわごとには飽いた、同道はこれまでと致す、せいぜい仏道を弄びながら長生きなされ」

 荷車を突き放し、武光は怒ったように踵を返して去っていく。

 城隆顕(じょうたかあき)は訳が分からず見送ったが、大智は種は撒いた、と思った。

 えにしがあるならば、武光は何かを掴むかもしれない。

 掴めればよいが、と目で笑った。

「幸いに復田衣下の身となりて

 乾坤かちえたり一閑人

 縁あれば住し、縁なくば去る

 清風の白雲を送るに一任す」

 大智禅師の残された詩であるが、おそらくこの時のものと思われる。

 こののち、菊池一族の中に玉名に寺院を建立して大智禅師に寄進した女がおり、大智禅師は開山としてその寺に入られた。寺は広福寺と名付けられた。


 武光は寄り合い内談衆からの報告を受けた。

 慈春尼(じしゅんに)と頼元の間で、親王の婚姻の話がまとまったという。

 一族の重臣たちはみんな賛成していると。

 政略結婚はこの時代の常で、頼元が話を受けたのは当然といえた。

 双方とも婚姻というつながりで、安心のために互いを縛りあいたいのだ。

 すべて根回しの上武光の意見が求められた。

 慈春尼は親王を婿(むこ)とすることで本家の派閥強化するつもりだろう。

 他愛のない自己満足だとは思ったが、それで気が済むならそれでよかろうと思った。

 反対する余地はない、親王様さえご納得ならばとなった。

 ただ武光は美夜受(みよず)のことを想った。武光の心がずきりと痛む。

 貴種にとって田舎暮らしには慰めが必要であろうと思い、深く考えずに美夜受を親王に差し出したが、あらためて正妻を立てられると美夜受の立場がない。

 そもそも素性の確かならぬ女であれば、弊履(へいり)のごとく捨て去られても文句は言えない。親王が美夜受を大切に思えば十分な待遇で愛し続けるだろう。ただ、それを美夜受が受け入れるか。

 今になって武光は初めて美夜受(みよず)の気持ちというものを思いやっていた。このいびつな若者はこ こに至るまで、美夜受が傷ついたり苦しんだりするのではないかということを考えなかった。心とはどういう働きをするものか、真剣に考えるものの少ない時代だった。

 そういう時代に生まれ、母と死に分かれて以後、女と接しずに生きてきてしまっていた。

 女には思春期以降、性の対象としてしか触れ合ったことがない。

 ただ抱くだけならいくらでも若い娘たちを誘惑できるが、自分を紛らわせても仕方がない。それでは何も解決しないと、武光は今突き付けられている。

 そのせいか美夜受の面影が毎夜座禅のさなかに立ち上がってきた。

 今になって、武光は人を思う心を意識したのかもしれない。

 武光の脳裏に美夜受(みよず)懐良(かねなが)がむつみあう姿が浮かび上がった。

 絡まりあう二人の裸体が悩ましくくねった。

 夜、座禅に逃れようとしたが、武光は激しく心を乱した。

 いら立ちがつのり、うおおおっ、と喚いていた。


 その夜、親王の(しとね)に美夜受が滑り込んでくる。

「やめてくれ!」

 懐良(かねなが)は悲鳴を上げるように美夜受(みよず)を遮った。

 自分の婚姻が決められて、親王は納得がいかない思いにさいなまれている。

「武光の次は頼元じゃ、菊池の慈春尼(じしゅんに)様までもが!…やりきれぬ、お前も私もかごの鳥だ、周りの思惑のままにいいようにあしらわれる、わしがお前をすいた気持ちも、まず武光に汚された、今度は頼元や慈春尼殿に、わしはどこまでも人の操り人形なのか、どうなのだ、美夜受⁉私は木偶(でく)人形なのか⁉」

 懐良が泣いており、美夜受は驚いた。

 肩を震わせ、懐良が声を忍ばせて泣いている。

 親王の孤独を痛ましく感じ、美夜受はたまりかねて抱こうとする。

 だが、はねのけた親王は、純粋な想いではもう抱けない、と叫んだ。

「政治とあきらめて妻となる女は抱けよう、しかし、お前を抱くことはもうできぬ!私はお前を想っていたのだぞ、私は、私はお前を!」

 親王が突っ伏して泣き、美夜受はその頭をなでようとして、触れえなかった。

 美夜受の胸にも激しい痛みが襲い掛かっていた。

 武光への想いとはまた違った感情が懐良に対して生まれていた。

 自分や武光が、この美しい人の心に取り返しのつかない傷をつけた。

 それに気が付いた。

 武光へ抱いた怒りから意趣返しだけを思い詰めてきた勝気な美夜受だった。

 美夜受の胸に激しい後悔の念が渦巻いた。




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