第4章 暗殺隊(2)
三、
上半尺、二つ野、中村と、長谷部の一党は穴川川沿いに下ってきて、鳳木川との合流地点を過ぎようとしていた。ここから先は川の呼び名は迫間川となる。
折からの暗夜だ。足で水際を確かめながら、川の浅瀬伝いに進んでいくしかない。
ゆっくりと長く歩き、やがて龍門に差し掛かった。
迫間川の脇に両サイドの山が迫り、一番狭くなっている場所を「龍門」と言い、そこには滝がある。一気に落下する垂直の滝ではなく、岩の斜角を水が滑り落ちている。
そこを降りて、さらに市之瀬を過ぎ数キロ下流に進めば菊池本城城域の裏手に出られる。
その裏手からは宗十が御所と武光邸へのルートを掴んでおり、案内できる。
深夜には使命を達し、穴川の峠を越えて夜明け前には津江の領地に逃げ込む計画だった。
ざあざあと滝の流れる音が人の気配を押し隠す。
その滝の岩陰に分散し、黒い影たちが潜んでいる。
太郎と伊右衛門、弥兵衛たちが闇に息をひそめる。
辛うじて間に合い、ここまでたどり着いて待ち伏せできた。
太郎は目だけ出して斜面上方の鬼面党員からの合図を待った。
鬼面党員が敵の動き次第で火縄を振って、その振り方で指示を出す手はずだった。
武者震いがし、太刀を掴んだ太郎の手が震えた。
武光のいない初めてのいくさ場で、おまけに自分が指揮官とされた。
太郎としては武光と一緒でないいくさは初めてで、恐怖感がせりあがった。
生まれて初めて死を意識した太郎が隣にいる伊右衛門に問う。
「伊右衛門よ、死んだらばどぎゃんなると?」
「あ?」
「生まれてくる前、死んでから後、おいはどこいおったつか?どこい行くとか?」
「げんの悪かこつ聞くな、臆病風に吹かれたか」
伊右衛門が声を潜めながら叱り付け、弥兵衛が笑って言う。
「やるばいた、家のため、女房持つため」
自分を励まし、泣き顔になりながら、太郎が決意を固めていく。
龍門の滝の岩場に取り付き、長谷部の暗殺隊が降り始めた。
長谷部隊に隙が生まれた。崖にとりついて足場に気を取られ、周囲を警戒する余裕がなかった。それを見張りの猿谷坊は待っていた。
あと一息誘い込むべし、との火縄の振り方を変えることによる合図を送った。
伊右衛門、弥兵衛は体を低くするが、太郎はもう立ち上がってしまう。
「行け!切り倒せ!」
と 、うわずって叫んでしまった。
「ば、ばかたれ!」
「合図が違う!」
伊右衛門と弥兵衛が慌てるが、相手が気づいてしまい、もう遅い。
やむなく伊右衛門や弥兵衛が突撃していく。
「なんじゃ、なにごとじゃ!?」
宗十が慌てふためくが、幸い闇でこちらを認識できない、と筑紫坊は見て取り、分散した鬼面党員に合図を出した。
猿谷坊はじめとする鬼面党員が松明に火をつけ、相手の傍にいくつも投げつけた。
長谷部勢の周囲に炎が立ち、その姿が浮かび上がる。
「け、消せ!わしらの姿が丸見えじゃ!ばれたのか⁉」
長谷部山城守が叫んだ。
だが、岩を下りかけて足場が悪く、機敏には動けない。
長谷部隊からは炎の向こうは闇となって相手を視認できない。
滝の上部の流れを渡り、駆け寄せた太郎と手のものが襲い掛かる。
「うやーっ!」
弥右衛門や伊兵衛も切り込んだ!
だが、太郎がこけた。
「うわ、うわ、うわっ」
太郎は切りかかられるのが怖くて夢中で太刀をぶん回す。
双方身軽さを重視してそもそも鎧草刷り等はつけていない。
籠手に脚絆をつけて胴丸で体を守り、襷をかけて袖を上げて太刀をふるう。刃が当たれば体は切り裂かれて簡単に致命傷を負う。
足場の悪い岩場で戦闘が開始された!
最初は先手を取られた長谷部の武士たちが切り倒された。
芋を切るように打ち取られていったと土地の伝承には伝わっている。
筑紫坊も裏の技で次々と相手を倒していく。
巻きびしで相手の足元を危うくし、駆け寄って山刀で斬りつける。
だが、相手側が巻き返した。
「相手はすくなかぞ、ひるむな!押し返せ!」
長谷部の兵たちは勇猛果敢だった。
兵力は長谷部側が多数で、次第に太郎と筑紫坊一派は苦戦した。
無闇に太刀が振り回され、腕が落とされ、腹から腸が噴き出した。
滝を転げ落ちて相手の刃を逃れるものや、岩に叩きつけられて骨を折るものもある。
戦いは滝の上でも下でも展開されて、黒部のふちには斬られて落ちた武士たちの死骸が滝の斜面を流されてきて溜まった、という。
後に切り込み渕と呼ばれた。
双方に必死の覚悟があったため、戦いは長引いた。
互いに一歩も引かず激戦が続き、やがて太郎は敵の大将格を追い詰めた。
滝の中間部の平たい踊り場様の場所だった。
大将格は滝壺に落ち込まぬために踏みとどまるしかない。
肩が大きく上下して荒い息となって太刀を向ける太郎は目が吊り上がっている。
「名乗れ」
戦場でも名乗りあうような戦いをしてこなかった太郎は、なぜかこの時相手に問うた。
相手は名乗らなかったが、太郎は名乗りたかった。
「豊田の十郎が家来」
そこで詰まった。名乗れるような立派な姓がなかったからだ。
それで仕方なく、
「太郎!」
と喚いた。
「…長谷部山城守信経」
長谷部は軽く口先で答えた。
その頃には大方の戦いが終わり、数多く生き残った武光親衛隊の面々が集まり始めていた。長谷部側のかなりのものが打ち取られ、多く残ったのは武光の旗本たちだった。
長谷部山城守は焦った。
宗十!と、心の中で助けを求めたが、宗十の姿は見えない。
牛のような鼻息を漏らしながら、太郎がじりじりと押していく。
長谷部は下がり、やがて滝の上部の端に追い詰められた。
水に足を取られそうになり、こらえた。
顔は泣きべそでもまなじりを上げ、太郎がさらにじりじりと押していく。
息が上がってハアハアとあえぎ、よだれをしたたらせた。
相手はどこかでこらえきれなくなり、切りかかってくるはずと読んだ。
その瞬間に勝負は決まる。
双方の神経が限界まで研ぎ澄まされて緊張が極みに達する。
ついに耐えきれなくなった長谷部が足場を蹴った。
「うわあああーっ!」
上段から袈裟懸けに切り下そうとした。
太郎はその瞬間、一切の妄念を離れた。
体を投げ出すように飛び込みながら太刀をふるった。
太郎は肩を斬りつけられたが、太郎の刃は長谷部の首を下から切り上げて致命傷を負わせていた。長谷部の体が跳ね飛んで水に叩きつけられ、そのまま滝の斜面を流れ下って行った。下の滝壺辺で戦いを終えていた鬼面党の一人が、落ちてきた長谷部の遺体を見た。
首はちぎれかけており、その死を確認して上へ合図を送った。
伊右衛門や弥兵衛が駆け寄り、太郎を助け起こした。
「ようやったのう、太郎」
「見事じゃ!」
太郎は言われても事態が把握できず、呆然となって腰を抜かしている。
長谷部の兵は生き残った数人が逃げ散っていた。
武光親衛隊の者が追ったが、あまりに暗く、すぐに追跡は断念された。
宗十も逃げていた。
「しくじった、くそ、くそ」
すべてが無駄になったと宗十のはらわたが煮えくり返っている。
高慢な婆あの尼に取り入り、下働きをして数年耐え、やっと掴んだ手柄の端緒を武光の手勢に叩きつぶされた。その事実が宗十の血を逆流させていた。
絶体絶命の危機を逃れ、山中に逃走していく矢敷宗十だった。
「武光、邪魔しやがった、親王の奴、首を取ってやる!」
矢敷宗十は闇に消え、筑紫坊たちは敵味方の遺体の確認作業に入った。
滝は凄絶な戦いの時を終え、またざあざあと変わらぬ音を立てて岩を伝い流れた。
滝つぼに遺体が浮いて渦を巻いている。
以降、この滝は「勢返しの滝」と呼ばれるようになって今日に至る。
菊池龍門ダム直下である。
四、
明け方が迫っており、高燈明の火はすでに消えている。
菊の城の奥の間で落ち着かぬ慈春尼と武隆が宗十からの知らせを待っている。
武隆はウトウトしかけているが、慈春尼は神経が冴えて数珠を手繰っていた。
この深夜、表に人の気配がした。
慈春尼は反射的に腰を受かしていた。
「宗十かえ?」
「慈春尼様、おいでござるよ」
その声に慈春尼はぎょっとなって硬直した。
酒徳利を持って入ってきたのは武光だった。
愕然たる慈春尼は硬直してしまう。
武隆が目を覚まし、武光を見てうろたえた。
這いずって背後に立てかけてあった太刀に手を伸ばしたが、武光の声が制した。
「武隆殿、一献いこう」
武光は懐から盃三つを差し出し、徳利から酒を注いだ。
「互いに眠れぬ夜は昔語りがよか、親父様、武時公の思い出など聞かせてくださらんか、…おいは共に暮らしたこつがなかで、思い出らしきものがなか」
盃の一つを慈春尼に、もう一つを武隆の前に押しやった。
警戒心と緊張と憎悪で慈春尼は体を震わせた。
「…こげな夜中に奥の間まで忍んで来るなぞ、無礼であろう!」
構わず杯を口に運び、笑った武光。
「おいの思い出といえば、博多の夜のこつだけじゃ」
武隆も慈春尼も何を言い出すかと硬直して動けない。
「尼御前、親父様んこつを聞かいてくだされ」
慈春尼が憎しみを込めて言い放つ。
「お前と分かち合うべき思い出なぞなか!」
慈春尼を見やった武光の顔には頼りなげな寂しさが浮かんでいる。
慈春尼は、う、と思わず胸を突かれた。武光の声には物悲しい響きがある。
「親父様はわしに菊池を頼むと申された、…そいがかけて頂いた最後ン言葉じゃった、…菊池を頼む、…おいにはその言葉だけが親父様とのつながりじゃ、…じゃから、おいは親父様に応えたか、…菊池を守り、…末代まで栄えさせたか、…こん気持ちに偽りはござらぬ」
「それがなんじゃ?」
憎しみをぶつけて慈春尼は思いを吐き出す。
「お前には本家の意味が分かっておらぬ、菊池とは本家のことである、武重が跡を取り、武士が継いだ、その跡を継ぐのはこの武隆か、武尚、武義、さもなくばその子らでなければならぬ!お前にはその資格はなか、お前は、お前は豊田の女の」
「…いつかお返ししてもよか」
え?となって慈春尼が武光を見つめた。
「それだけではない、…いつかあなたに討たれてもよい、…ただその前に果たしたいことがあるのじゃ、…少弐と大友を討つ」
慈春尼と武隆は言葉の意味を探った。
「親父殿の仇敵を討つ、…それまでは死ねぬよ」
武光が厳しい顔を上げて、はっと身を固くした慈春尼と武隆だった。
慈春尼はこの時、武光にすべてが漏れていると直感した。
ことは露見し、未然に防がれてしまった。がくがくと震えが来た。体中から嫌な汗が噴き出した。表には兵が押し寄せているのではないか。
殺される!
「…親父殿の無念を晴らす為には、まず菊池が生き延びねばならぬ、…生き延びるには欲得では無理じゃ、…志が要るばいた」
と、武光が慈春尼と武隆に向き直った。
「…皆が一致団結するには志なのじゃ、…だけん南朝に賭けるち決めた、…有利な道ではないが、右往左往するものに掴める未来なぞ知れておる、…奴らを討つことなぞできぬ、…おいを信じてくだされ、…結果を出しもうそう、そいでそん時は貴方の前にわしの首を差し出し申そう」
言葉を失う慈春尼と武隆は今にも武光から死を宣告されると思った。
長い間をおいて、寂しい笑みを残して武光が立った。
静かに出て行ってしまった。徳利が残されている。
取り残されて恐怖に固まり、座っている慈春尼と武隆。
静寂が続いた。
何も起こらない。
どういうことなのか。ことが露見したと思ったのは勘違いか?
武光は本当に武時の思い出語りをしたかっただけなのか。
そんなはずはない。武光はすべてを知って責め立ててこなかったに違いない。
後で罪を突き付け、処断を言い渡す気なのか!?
違うだろう、今斬って捨てることが一番明快であと腐れがない。
慈春尼はあらゆる可能性を考えて、武光の真意を推察し、結論にたどり着いた。
武光は不問に付す気なのだ。それも下手に出て穏便な解決を図っている。
菊池を支配していくための政治的決断だろう。
慈春尼が怒りをこらえて手の中の数珠を握りしめ、引きちぎった。
数珠の球が部屋中に散って転がった。
「…許せぬ、豊田の十郎、…あ奴の器量はぬしなぞよりはるかに上じゃ!」
え?と武隆が慈春尼を気弱に見やった。
「…菊池をすべるには、あの器量が必要かもしれぬ、じゃが、だからこそ許せぬ、…わしは生涯あ奴を憎む、…菊池の棟梁はあ奴にやらせよう、じゃが、あ奴を許さぬ!」
慈春尼の頬を滂沱の涙が流れた。
武隆は気まずくうなだれて言葉がない。
まばゆい光が深川の街並みを照らし出している。
太陽はすでに鞍岳の上に登っている。
菊の城の裏手から、武光が出てきた。
その武光の前に太郎と筑紫坊が姿を現してくる。
二人とも血にまみれ、太郎は包帯で肩を吊っている。
太郎の無事な姿を見て、武光は密やかに安堵のため息を漏らした。
「復命せよ」
武光の言葉に、筑紫坊につつかれて太郎が答える。
「長谷部山城守を打ち取り申した、敵勢死者十七、重症十八、じゃが、長谷部の家来十三名と、矢敷宗十は逃してしまい申した、我が方の犠牲は重傷三、軽傷七、死者はありまっせん」
武光の顔に喜色が浮かんだ。最悪菊池側と大友勢が相打ちで滅んだとしても、暗殺は未然に防げる訳で、そこまでの勝算はあったが、情としては皆に生きてほしかったし、太郎に手柄を立ててほしかった。その太郎が怪我は負っても元気に戻ったのだ。
硬くなって申告する太郎の肩を、武光ががっしりと掴んだ。
「よか、十分じゃ、ようやったのう太郎、いや、緒方太郎太夫」
太郎がえ?と武光を見やった。
「今日からおまんは苗字持ちじゃぞ、穴川からの敵を打ち取ったのじゃから、おまんに穴川を領地として与える、家を構えて郎党を持て、これを、感状じゃ」
感状(公式な手柄の認定書)を差し出した。宛名には緒方太郎太夫とある。
受け取って、字は読めぬながら、太郎は感激してあえいだ。
「お、おいが緒方!」
「おお、太郎太夫じゃ、緒方は豊後に伝わる名家の名ぞ、不足はあるまい」
「立派な名前じゃのう!」
筑紫坊が大笑いした。
「系図も作れよ」
と笑われて、感激してうれし泣きする緒方太郎太夫が、おおおおお、と泣き崩れた。
この時、筑紫坊がはっと背後に身構えた。
姿を現してくるのは城隆顕だった。
クールなまなざしで武光主従をじっと観察した。
「…何やら騒動があったげな」
「なんのことかのう」
武光が笑ってごまかしたが、城隆顕は鋭く突き付けてくる。
「慈春の尼御前をどうされるのか」
どうもなにも、ただ酒を酌み交わしてきただけじゃよ、と笑ってごまかしたが、城隆顕は鋭く言う。
「…本家と事を構えられるなら、心されよ、おいは菊池本家をお守りする覚悟じゃ」
武光と城隆顕が睨み合った。
武光は真顔になった。
「今が菊池の正念場、分裂は破滅を招く、わしは必ず菊池を繁栄に導く、古いものにこだわる勢力は時代に対応できん、必要ならわしは鬼にも蛇にもなる、…たとえ父武時の奥方といえど、断罪すべき時には容赦はせぬ」
武光と城隆顕の目が激突して火花を散らしている。
「…じゃからこそ自重してもらいたか、あのお方ご自身にそれができぬとあれば、寄合内談衆がお相手をし、二度と過ちを起こさせるな」
武光の目にはそれを不服とするなら、おぬしとの対決も辞さぬ、という意思がある。
城隆顕は武光のまなざしに不退転の決意を見て取った。
言い捨てて武光が立ち去り、太郎と筑紫坊も去った。
城隆顕は圧倒されて声を失って見送った。
武光の後ろ背を見つめ、この男には確かな器量がある、初めてそう感じた。
事件はこれで一応の決着を見た。
この時の太郎への武光からの感状が今に残っている。
「その元、数度の軍功、あへてかぞうべからず、ことにこの度、勇戦を励み、長谷部を追い散らし候事、菊池郡のうち、班蛇口郷を加増いたし候、依って証状くだんのごとし
正平二年三月〇日
肥後守武光 花押
緒方太郎太夫殿」
「数度の軍功、あへてかぞうべからず(あえて数えるまでもなく)」とあるのは、武光から太郎をからかった言葉であったろう。感状でふざけるほど、武光には太郎はかわいい家来であったということか。




