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武光と懐良・敗れざる者  作者: 橋本以蔵
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第3章 征西府の旗揚げ (3)

五、


 春にはまだ間があって草木は冬枯れしたままだ。

 道に伸びる黒い影は美夜受(みよず)が母と共に御船から引っ越してきた荷車の影だ。

 美夜受は武光から差し向けられた伊右衛門や弥兵衛たちや郎党の力を借りて、汗にまみれて荷車を押す。伊右衛門や弥兵衛たちも菊池へ引っ越しだ。

 おえいと顔を見合わせながら笑みをこぼす美夜受には希望の光がある。

 と、脇の崖を駆け下りてきて武光と太郎が姿を現してきた。

「驚いた」

 と美夜受が笑い、武光は太郎と共に荷車を押し始めた。

「新しい屋敷はどこに建てよると?」

 美夜受が訊き、武光が見返る。

迫間川(はざまがわ)の断崖を背にして本城御殿のほど近くじゃ」

「そうか」

 美夜受は館での武光との暮らしを夢見て、浮かれている。

 祝言は上げていないが、美夜受はすでに十郎と結ばれた気でいて、菊池の棟梁となった十郎、いや、武光との新たな蜜月が始まる、との期待が膨らみ切っていた。

 太郎が美夜受を見返った。

「お前様方が菊池へ来るこつ、惟澄(これすみ)様は承知なされたのかや?」

「惟澄様に有無は言わせぬ、な、かか様」

 うん、とおえいは笑ったが、何も言わない。

 惟澄にしてみれば気まぐれで囲った女に過ぎないと、おえいにはあきらめがある。

 世の仕組みは男が決めて、女はその範囲の中での自由を享受するしかない。

 引き止められなかった以上、もはや自分は新しい生き方を探すしかない。

 そんな母親を見て、美夜受は自分の選んだ道を行く、と決めていた。

「武士のやり口は同じじゃ、人質が必要なら、どうせ本妻の娘が政略に使われよう、私は自由じゃ、男の思惑には使われてやらぬ、な、十郎」

 笑う武光だが、ふと、表情が曇った。

「…美夜受、…お前、懐良親王(かねながしんのう)さまをどがいに思うと?」

 え?となる美夜受に、男として感じるところはあるかと聞いた。

 何も感じていない美夜受には無意味な質問でしかなかった。

「…そうか」

 それきり武光は黙ったが、武光のもとには頼元からの相談が来ていた。

 入城の宴の夜、親王の前で舞を舞った女人に親王さまが思いをかけられたといい、その女人を探し出したいというのだった。

 武光には心当たりがあった。

 あの宴での親王の目はずっと美夜受を追っていた。

 その時以来、武光の心はざわついている。

 ある考えが湧いてきて、抑えられない自分に驚いている。

 一行はそのまま荷車を引いて本城御殿建設中の平坦部を通り抜け、林の向こうが迫間川(はざまがわ)の崖になっている武光の新邸に進んだ。

 堀が巡らされて檜皮葺(ひわだぶき)の武家屋敷が真新しく建てられてある。

 新しい家のはしためたちが急ぎ迎え出てきた。

 その邸内に荷車を進めて停め、伊右衛門や弥兵衛たちが荷物を運びこんでいく。

 日は陰り始めてはいても、なお太郎は汗みずくになって働いた。

 太郎はまだびくびくしている。

 本当に十郎と自分はこの立派な屋敷の住人となって暮らせるのか。

「十郎、この荷物はどこへ運ぼうか」

 おえいと美夜受はうきうきと引っ越しを楽しんでいるが、武光は浮かぬ顔となっている。

「十郎、この荷物」

「美夜受、来てくれ」

「え?」

 武光は美夜受を伴い、屋敷の裏手へ行く。

 そこからは直下に十メートルはあろうかと思われる断崖が切り落とされており、下を迫間川が波頭を立てて流れている。

 いざとなればこの崖と迫間川が菊池本城の城域を守ってくれるというのが武光の計算だった。 今は冬の雲に覆われて、対岸の林や田畑が寂しげな風物を作り出している。

 その一帯は武光の所領として新しく開墾されている。

「なに?」

 美夜受が問い、武光は頭を掻いたが、やがて意を決して言う。

「…お前、親王さまのもとへ行ってくれ」

 美夜受は武光の言いたいことがにわかには理解できなかった。

「…お前とは一緒になれんばいた、とりあえずはおふくろ様とここに住め、じゃが、おまんは親王さまのもとへ上がれ」

 そう言ってじっと見つめた武光の意を、美夜受は考えをめぐらし、掴もうとした。

「新王様がお前を見初めなった、…舞を披露した夜のことじゃ」

 そこまで言われて美夜受の中でやっと武光の意が形を作った。

 愕然とする前に頭が真っ白になった。

 そして怒りが込み上げた。美夜受(みよず)は睨み付けた。

 どす黒い怒りのマグマが腹の底から渦巻いてほとばしり出て、憎しみとなった。


 月が明るく、水面がそれを反射して辺りが照り返しに浮かび上がっている。

 菊池川の水とつながっているのか一帯は湿地帯の様相を呈しているが、森に囲まれた池は水底から幾筋もの湧き水が噴き出して清くたゆとうている。

 池全体が菊の花の形をしていたから菊の池という名がついたという説もあるが、その時代の菊は古代菊という小ぶりの野草で、それがたくさん咲いたからだともいう。

 真相は定かでない。その菊の池の水の美しさに、菊池氏初代則隆公が土着をこの地に定められ、菊池一族が起こったという。そして深川に菊の城を建設したと。

 伝説かもしれなかったが豊かな水が得られる事実は豪族土着の理由にはなるだろう。

 その菊の城から菊の池はほど近く、この時代には森もあり、水は豊かで美しい景色を形作っていた。そんな菊の池を一度見ておきたくて、月明かりに誘われたこともあり、懐良(かねなが)は散策に出かけて来ていた。懐良はそもそもそういう穏やかな文化的な人格を持っていた人なのだろう。思索的な人物だった。頼元が少し離れて親王に静かに同行する。

 月下に蒼ざめて美しい親王の姿が池の水に映し出されている。

 立木の陰から親王の風流を邪魔だてしないよう親衛隊の武士たちが警護をしていた。

 その親衛隊を率いるのは中院義定(なかのいんよしさだ)である。

 懐良(かねなが)は月下の風流な景色を堪能した。

 そしてその幽玄な風景の中に、不思議なものが立ち現れてくるのを見た。

 はじめは一個の白い影と見えたが、ゆっくりと水辺をこちらへ近づいてくる。

 なぜか緊張もせず、意識が引き寄せられ、懐良はその影を待っていた。

 女であることがはっきりしてきた。

 着ているものは質素だが、黒髪は月灯りを受けて輝いており、肌は透明感をもって白く浮き出し、しっかりした眉の下に濡れたような瞳が黒い。

 その目で懐良を正面に見据えながら、女は進んでくる。

 頼元は静かに歩みを止め、親王と女の出会いを邪魔しないよう控えている。

 武光から女が見つかった、送り込むとの連絡があり、手はずは打合せされていた。

 中院義定や親衛隊士たちはさらに遠く森の向こうに控えて、存在感を殺していた。

 女はさらに近づき、懐良は女があの夜の女だと知った。

 能が演じられた後の宴で舞った早乙女たちの中にいた女。

 美夜受(みよず)だった。

 美夜受は親王の目の前まで進み、親王を見つめた。

 懐良はもう目が離せず、心臓が早鐘のように鳴り、息が上がった。

 夢に見て頼元に打ち明けたあの女が何の前触れもなく目の前に現れたのだ。

 頼元が手配したのかとちらと頭をかすめたが、どうでも良かった。

 美夜受は自分の美しさを十分意識してしなを作った。

 懐良の喉ぼとけが鳴り、美夜受はクスリと笑った。

 そして懐良の胸に静かにもたれかかっていった。

 懐良はおずおずと美夜受の体に手をかけ、抱き寄せた。

 美夜受は懐良の見えない角度で表情を消した。

 誘惑のまなざしは消え、冷え切った己の本心を垣間見せていた。


 正平三年、一三四九年、菊池氏の棟梁となり、二十一歳となった武光は惟澄(これすみ)の援軍を借り、合志城(こうしじょう)、すなわち合志一族の主城竹迫城(たかばじょう)を攻めた。武光の(かぶと)の前立には既に並び鷹の羽があしらわれている。菊池の家紋である。

 その兜姿で思うさま兵を動かし、攻め放題に攻めた。

 菊池からは低い丘陵を隔てただけのわずかな距離にある北朝勢の城だ。

 竹迫氏の政治軍事の拠点だったが、都から来た合志(こうし)一族と婚姻の結果、合志一族の名を立てて治めていた。今はその棟梁が合志幸隆なのである。

 武光によるこの攻撃は先年の合志幸隆による菊池占領に対する返礼だった。

 武光と惟澄の軍勢の猛攻は熾烈を極めて竹迫城は追い詰められた。

 合志幸隆はいち早く逃れ去ったが、借りは返したと武光は笑って深追いはしなかった。

 合志はかつては菊池に臣従していたが、北朝を選んで強豪化を望み、菊池に反旗を翻してきた。それにも相応の挨拶をしておかねば示しがつかなかったのだ。

 そんな小さないくさはいくつかあったが、この頃の武光は外征するより菊池内部の結束固めに重点を置いていた。

 菊池を征西府の置かれた都として整備することでしっかりとした地盤を築きたかった。

 不穏な空気は菊池の内外に垂れこめている。

 そこを越えなければ前に進めない、武光はそう考えていた。




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