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武光と懐良・敗れざる者  作者: 橋本以蔵
1/36

序章 博多合戦


 


一、


 博多の街が燃え上がっている。

 三月の凍てつく闇夜、町場を焦がす業火の中、町人である倭人だけでなく、アジア人の船頭や遊び女たちが阿鼻叫喚(あびきょうかん)の中を逃げまどう。それぞれ眠りについていたものが突然時代の恐ろしい奔流に巻き込まれ、往来へ駆けだしている。

 火の手は一ヵ所ではなく、辻から辻へ広がっていく。

 一三三三年 元弘三年三月、夜明け前のことである。

「火事ではない、いくさじゃ!」

「こげな夜中にいきなりか!?」

「どこじゃ!?どことどこが争う?」

 新たに家屋の中から飛び出したものが既に街を走るもの達から叫ばれてさらに混乱する。

 その騒ぎを横目に見ながら、速歩の馬と徒歩で走るものがある。

 従者の均吾、太郎と共にしきりに火事の方向の様子を窺う馬上の十郎たちだ。

 共に一〇歳前後の少年三人だった。

 彼らは不穏な空気に満ちた街を一方向に声も立てずに急ぐ一団のしんがりにいる。

 町の騒ぎを路地に避け、建屋に隠れながら小走りに行く騎馬と徒歩武者たち。

 菊池氏の武装集団三十名程度がその一行だ。

 菊池の人々を率いているのは十郎の歳の離れた兄武重(二十三歳)だった。

「声を立てるな、町場を抜けてから一休みする、それまで頑張れ!」

 彼らが目指すのは、博多の危機を避けて故郷の菊池へ逃げおおせること。

 その一団を追いながら、馬の鞍に揺られて十郎は気が気でない。

「おいの行きたか方角は違う!」

 十郎は何としてでも父と配下の武士団に合流したかった。

 菊池への道を求めてひたすら逃走する人々の群れから離れようと、気がはやっている。

 焦れた十郎が均吾と太郎に合図をした。

 均吾と太郎ははっと戸惑うが、再度十郎に目配せされて、観念する。

 棟梁筋の子だから仕方がないが、十郎のわがまま勝手さには毎度悩まされる二人だった。

 一番年長らしく、逃げる一行や街の様子を交互に見やってタイミングを測り、今だ、と合図を出す均吾。十郎の馬のたずなを引いて太郎が小走りに隊を離れ、塀のある辻に駆け込んだ。

 菊池の衆は気付かず行き過ぎた。

「後で武重さまに叱られよう、おとろしかのう」

 太郎が悩み顔になるが、十郎が睨み付ける。

「しょんなかばい」と、均吾が腹をくくった。

 それから三人はすぐに別方向に駆けだした。

 子供ながらも従者の太郎(九歳)に(くつわ)を取らせた十郎(七歳)は、武家の子供らしく水干姿に烏帽子えぼしをかぶり、必死に馬の鞍にしがみつく。

 前方を警戒しながら物見の役を果たし、手招きしては十郎と太郎を誘導するのは胴丸や草摺りを付けて武装した十郎の従者の均吾(一〇歳)だ。

 しかし、馬が大きすぎて十郎に制御は難しい。

 逃げ惑う町の人々の注意をひいてしまう。

「馬がこげなわらわに何の役に立つ」

 均吾が十郎を引きずりおろし、太郎の引いていた十郎の馬のたずなを振りほどいて尻に一打ちくれて走り去らせた。

「おいの馬を、どげんすっとや!?」

「この先へ進むには、馬なんぞつこうて武家の姿じゃどぎゃんもならん、怪しまれて捕まえられたら終わりじゃ」

 均吾は十郎の烏帽子を脱がせ、佩刀はいとうの小太刀を取り上げて傍らの寺の敗れ塀から中へ投げ捨てた。水干姿になっても、十郎のどこか武家の子然とした風貌は免れず、太郎は眉をしかめるが、今はもうこれが限界だった。

 太郎と均吾も胴丸を脱ぎ捨て、草摺りを外し、境内に蹴り入れ、あたかも巻き込まれた街の民人のように見せかけようとした。

 進むにつれて町の混乱はいや増していく。

 牛車が暴走し、人々が炎に追われて悲鳴を上げる。

「そもそもいくさ場はどこなんじゃい!?」

「あの火の方角じゃろ、ええ、こいはいったい!?」

 鉢合わせして興奮した武士に町民が訳もなく切り倒される。敵が判明せず、興奮のままになんでもいいから切り伏せたくなったどこかの豪族の末端兵士だった。

 訳の分からぬ情勢が、折しも北条探題に呼びつけられて博多市内各地に在陣していた各武士団をさらに狼狽させていた。

 十郎と均吾、太郎たちはひた走ったのち、やがて火事におののき騒ぎ立てる群衆たちの悲鳴より格段に切羽詰まった絶叫のような雄叫びを聞いた。

 馬がいななき、刃物が打ち合わされる音もする。

 はっとなって三人が駆けだすと、激突して戦い合っている一団のシルエットを見た。

 数百人の人間が入り乱れて争闘している。

「お、並び鷹の羽の軍旗、我が菊池の衆じゃなかか!」

「相手は北条の軍旗、探題軍のようじゃ」

「探題じゃと⁉」

「じゃが、ここはまだ探題館には遠かろう」

「なんが起こったと!?」

 鎮西探題北条秀時の軍と、肥後の武士、菊池武時率いる菊池軍が激突していた。

 菊池側は阿蘇大宮司惟直だいぐうじこれなお率いる百騎と、葉室親善はむろしんぜん赤星遠基あかぼしとおもと加恵入道かえにゅうどうら菊池軍百五十騎である。

 菊池も阿蘇大宮司の兵士たちも、それぞれが死に物狂いの乱戦をしていた。

 どうやら待ち伏せされて劣勢の菊池、阿蘇連合軍が押しまくられている様子だ。

「立て直せ、ひるむな!」

 菊池、阿蘇大宮司の合同軍を率いて指揮するのは菊池武時(きくちたけとき)(四十二歳)、菊池氏第十二代の棟梁だった。

「なんでわしらが探題討ち入りすると気が付いた!?ええ、考えても始まらん、押し返せ!菊池魂見せてやるばいた!打ち返せ!切り崩せやあ!」

 真っ赤な胸懸むねがけ尻懸しりがけ勇ましい駿馬(しゅんめ)にまたがった武時は既に入道しており、号を寂阿じゃくあと言った。熱誠の気性は肥後もっこすそのままで、直情径行、こういう際は後先なく興奮して郎党を叱咤激励し、派手な古式の大鎧も目立って、敵からは格好の標的となる。敵は武時の首に狙いをつけている。

「菊池武時はあそこにいる!あの首を取れ!」

 探題軍の指揮官が叫んだ。

 うぬと顔を赤くして、高い血圧をさらに高くしながら太刀をむちやくちゃに振る武時。

 菊池の郎党や共に出撃して来ている同盟の武将たちが武時を庇うように必死に戦う。

 武時の周辺ですさまじい闘争が繰り広げられていく。

 この博多市街地戦はどうやって引き起こされたのか。


 そもそも菊池一門の今回の博多入りは後醍醐帝ごだいごていによる討幕の動きを警戒した鎮西探題北条秀時が九州有力武士団に呼び出しをかけ、それに応えてのことだった。

 後醍醐帝の討幕旗揚げの動きは必ずしも順調ではなかったが、天皇による討幕ののろしは全国の武士団に衝撃を走らせた。

 鎌倉幕府に不満を持つ武士も多くいたことから、中央の動きとはまた別に、九州博多の鎮西探題方としても安閑と見ているわけにはいかなかった。

 北条探題の狙いは、「あたら動揺せず、鎌倉幕府の指示に従い、鎮西探題の守りにつけ」、とでも発令するか、もしくは後醍醐帝に味方する敵に対しての威嚇とするつもりなのだろう。

 鎮西探題とは二度の元寇を受けて異賊警護の責任部局として博多において御家人を直接統治しようとした鎌倉幕府による警察機構だが、時と共に本来の趣旨は失われていた。

 単に御家人統治、そんな役目に特化していた。

 源平合戦の昔、平氏に味方したとして源氏政権の下で不遇をかこっていた菊池一族としては鎌倉幕府討幕の動きには大いにそそられるものがあった。

 菊池一族は肥後の北部、菊池川上流域を領地とする名族で、三〇〇年の歴史を誇る。

 鎌倉幕府を倒し、後醍醐帝の新政の下、討幕の勲功に対し、所領を増やしてもらい、肥後守護の地位を安堵してもらうこと。

 そんなビジョンが武時や本家跡継ぎの息子武重、分家した庶子家、家臣団の葉室、加恵、赤星などの重臣たちの頭にはあった。だが、形勢次第では鎌倉幕府に倒されてしまう危険もあり、うかつな判断はできなかった。

 そして昨日、幕府方からの呼び出しに応じた形で博多の津へ到着後、探題館の奉行所に出頭した菊池勢だったのが、遅参を理由に広田新左エ門なるものから着到名簿に記入を拒否されたのだ。

「約束の刻限は違う、出直されよ」

 探題館のいつもの横柄なやり口だった。

 九州の田舎侍と見下し、威を持って脅しつけることで優位性を示そうとする。

 その態度が武時をぶちぎれさせた。

「なんかあ、あの言い草は」

 憮然として探題館前を離れた武時率いる菊池一族。

 いったんは陣屋を構えた息のおきのはまに引き返したが、単純で熱性の武時の反感、怒りが頂点に達し、後醍醐帝にくみして鎌倉幕府を倒す、との思いががぜん熱くこみ上げた。武時は鎮西探題攻撃を発作的に決意していた。

「やるばい」

 準備不足は明らかで、勝てる見込みは少なく、決死の覚悟を固めていた。

 武時は少弐、大友の博多陣営に伝令を走らせ、探題館襲撃への合力を呼びかけた。

 今回の博多入りに際し、宮方から誘いの連絡が入っており、有力豪族である少弐一族、大友一族とは前もって意見交換がもたれてあった。

 鎮西探題設置以前まで勢力をふるっていた少弐氏、大友氏は既得権益の利を削がれて探題に反感を持っていた為、探題を滅ぼして昔の威勢を取り戻そうという思いから、後醍醐帝からの誘いには大いに揺さぶられていた。鎮西探題に対する敵意は菊池よりさらに大きく、むしろ菊池側の方が慎重ですらあった。

 少弐、大友は既に着到し、陣を構えているはずで、まず間違いなく共に合力してくれると当てにしたところに武時の甘さがあったことは否めない。

 そもそも菊池を出発するときはどこか物見遊山なのんきな精神状態だった武時。

 あまり深い先を読む力や洞察力には欠けていたと言わざるを得ない。

 だが、人間的魅力はまた別物だ。

 単純明快、人が良くて思い込みが激しい、そんな武時を菊池の人々も一族内も愛した。

 あまり先読みをしない武時は幼い子供までも引き連れてきていた。

 子供たちに博多を見せ、よその武士団にも接して広い世界を感じてもらいたかったのだ。

 今はそれが悔やまれたが、惣領息子の武重に命じ、「わきゃーもんを菊池へ連れ帰り、生き延びて菊池一族の再興を謀れ」と命じた。計画性には欠けていた。

 そして辞世の句を読んで武重に託した。

「故郷に今宵ばかりの命とも、知らでや人の我を待つらん」

「四十あまり二とせまでは、ながめきぬ花や主と我をまつらん」

 明らかに菊池を出るときはこの事態を予想だにしていない句であろう。

 武重は若手を呼び集め、帰郷準備にかかる。

 その時、突然、一人の少年が武時の前に進み出た。

「おいも父上と行く!」

 甲高い声で進み出たのは、七歳ばかりの少年だった。武家の子ながら、いかにも田舎育ちのわんぱく坊主で、気の強さが眉根に表れている。

「探題館を攻めるのじゃろう、おいな父上と行くばいた!初陣を飾りたか」

 第十子の十郎がむきになって言うのを見やる武時は、お、十郎か、と思った。

 ほとんど交流もないためどんな性分かを知らぬ我が子の向こう気に初めて気が付いた。

 菊池からは飛び地の領地、豊田の庄で気に入った女に産ませた子供で、滅多に会いに行きもしないので、やんちゃな子供だとは認識していたが、この子も今回同行してきていたのかと今更ながらに思った。

「十郎や、おまんは帰れ、気持ちだけありがたく受け取っておくばいた、武重」

 武重に十郎をこの場から離せと合図し、武重が十郎の手を取ろうとするが、十郎は振りほどく。十郎の幼馴染で従者の役を仰せつかった小者の均吾が「よせ」と十郎の袖を引くが、十郎はそれも振りほどいた。

 太郎は気が小さいのか首をすくめて十郎の背後に隠れる。

「なんでいかせてくれんのじゃ!?」

 興奮性だったのだろうが、戦場で興奮して攻撃的になるから優秀な武人とは限らない。

 しかし、今の十郎は血気にはやって、好戦的になっていた。

 その程度のことは十分皆が分かっていて、相手にするものはなかった。

「ぎゃんこつぬかすな!お家の為ぞ、父上のお心が分からんか!」

 自分の軽挙の為に若いものを犠牲にはしたくない、菊池一族の未来を担うもの達を、何としても生きて帰らせねばならない、武時の優しい心持が武重には痛いほど分かっていた。

 今回博多に十郎を伴ってきたのは武重だった。

 母を早くに亡くして飛び地で暮らす庶流末流の幼い十郎が哀れで情けをかけたのだ。

 殴りつける武重を十郎は睨み付ける。

「十郎、菊池を頼むぞ」

 武時が最後に十郎に、微笑みながらかけた言葉だった。

「!」

 幼いわが子を納得させるためにかけた、深い意味があったわけではない言葉だったかも知れない。だが、十郎の胸には強く残った。

 その言葉一つが十郎の生涯を決めたのかもしれない。

 一刻後、少弐、大友の合力があれば勝機は十分あるとの読みで、武重一行を菊池に向かわせ、攻撃部隊を探題館に向かって進発させた。

 少弐、大友側には襲撃を辰の刻(午前四時頃)と伝えてあり、共に鎮西探題北条館を取り囲む考えだった。地元では俗に袖ケ浦の別れという愁嘆場が語られるが、あれは「桜井の別れ」に似せた美談にすぎない。実際にはこんなものであっただろう。


 武重一行と別れた後、博多の総鎮守櫛田神社近くにある探題館を目指し、菊池軍は並び鷹の羽の軍旗を先頭に立て、松原口、辻堂を経て街に火をつけながら進撃した。

 北条探題の兵力は十分だし、呼び出されて博多に着到している武士団はあまたあり、むやみに探題に宣戦を布告してこれを相手に戦い勝ちを得る見込みは少なかった。

だが、生来の単細胞、血圧も高めな剛腕武時は斟酌しんしゃくしていなかった。

「武士の意地ば通すばいた」

 ところが意外なことが起こった。

 櫛田浜東方の探題館に向かって進むも、辿り着く以前に北条勢に待ち伏せされたのだった。

 北条軍は既に準備万端迎え撃ってきていた。

 いくさ始めの鏑矢かぶらやを放つこともなく、いきなり矢が雨あられのごとく射かけられてきた。これは明らかな待ち伏せで、つまり、情報は漏れていた。

 なぜだ!?とうろたえた武時。

 家の建てこんだ街路のこととて兵を展開もできぬまま、敵勢の突撃を受け、乱戦に持ち込まれた菊池軍。十郎と郎党の太郎、均吾はまさにそんな場面に出くわしている。

「なんが起こっちょると!?」

 目の前の壮絶な光景を、十郎は呆然と見やる以外になかった。


二.


 これから襲撃するはずの鎮西探題方の待ち伏せにあって、菊池軍は狼狽していた。

 激しい乱戦の中で、大勢を立て直そうと必死の菊池軍だった。

 十郎たちが立ち尽くして息を呑む。

 まさに、その時だった。

 突然新たな軍旗が翻った。それも二種の軍旗だ。

 姿を現した少弐、大友が背後から菊池に襲い掛かる。

 驚き狼狽する菊池軍。

 均吾が思わず叫ぶ。

「少弐軍の旗印!」

「あっちは大友!?」

「探題軍と少弐、大友の新手とで、挟み撃ちされよるじゃなかか!」

「共に探題館を攻める手はずじゃろうが!?」

 少弐、大友は後醍醐派と幕府方との優劣を観じて、間一髪幕府方についた方が身のためだと判断、態度を翻したのだった。

 彼らが内通したために襲撃が露見し、待ち伏せを食らったのだ。

 両軍は示し合わせて探題軍の支援に駆け付けたのだ、と十郎にも分かった。

 少弐、大友の旗印を見やって、武時も、さすがにはっと悟った。

 少弐の指揮者は少弐の入道妙恵貞経にゅうどうみょうえさだつね、大友の指揮者は大友の入道具簡貞宗おおとものにゅうどうぐけんさだむね

 探題の北条に媚びて報奨を狙うか、お家の安泰を図るか、いずれにせよ、卑怯!と、武時は思った。この正直で裏のない男はしばし呆然と虚仮こけになった。

 その利害得失に敏感な変わり身の早さは武士の風上にも置けぬ節義廉恥せつぎれんちのなさだが、今それを言ってもどうにもならない。

 やっと正気を取り直し、怒りで顔を満面朱に染めた武時。

「おのれ裏切りおったつか、みな、ひるむな!打ち返せ!押し返せ!初志を通すぞ、狙うは北条秀時が首、探題館へなだれ込め!」

 武時が喚きたてるが、並び鷹の羽の旗印が踏みにじられる。

 それでも勢いで探題軍を押し返し、次第に探題館の方向ににじり寄る菊池軍だった。

 十郎と均吾、太郎がなすすべなく立ち尽くして見つめるその目の前で、菊池軍としては死に物狂いで暴れる以外に道はなかった。

 こういう不意打ちのいくさの場合、皆が興奮の坩堝に陥るから意識は飛び、ひたすら血を逆流させ、喚きたてて暴れまくる狂気じみた事態となる。戦術もくそもない。

 十郎も均吾もあまりにも激しい戦闘に、茫然自失した。

 血がしぶき、肉が飛ぶ。

 体が震え、すくんだ。

 十郎も均吾も、もう菊池軍を追えなかった。

 太郎はどぎゃんすると!?と見返る。

 三人は顔を見合わせ、恐怖に捕まえられてしまった。

 十郎も顔を歪めた。

 気が付けば博多の街を逆方向へ走り出していた。

 逃げながら十郎はその時、脇手、視線の先に気を引き付けられた。

 炎を背に、いくさの状況を冷酷に見据える騎馬武者の姿があった。

 少弐貞経しょうにさだつねの、口ひげを蓄えて残忍そうな(十郎の目にはそう見えただけのことかもしれないが)横顔がそこにあった。

「貞経さま、最早菊池の者共、一兵たりとも逃がしはいたしませぬ!」

 との声が耳に入ってきた。

 十郎も貞経の名は聞いていた。少弐の棟梁入道妙恵貞経にゅうどうみょうえさだつね

 それが菊池を裏切った敵の総大将であると、十郎は瞬間的にそう思った。

 父を追い詰め、故郷の人々を叩き殺していく敵。

 その時、少弐貞経は笑った。

「!」

 十郎の内部で血が逆流した。

 立ち尽くす十郎の腕を太郎が引いた。

 だが動けず、十郎は菊池軍を追って馬を進めていく少弐貞経を見つめていた。


 少弐軍と大友軍に追い立てられて、菊池軍は探題館に討ち入り、激戦となった。

 もはや誰の頭にも死ぬも生き残るも意識になかった。

 鎧直垂よろいひたたれが切り裂かれ、かぶとが割られ、草摺りが引きちぎられる。

 興奮と狂気が理性を吹き飛ばし、アドレナリンの噴出のままに荒れ狂う。

「秀時はいずこぞ!出会え!」

 武時が喚きたてたが、やがて結果がはっきりし始めた。

 武時の弟二郎三郎は中庭で激闘の末、配下七十人もろとも討ち死に。

 武時の息子三郎頼孝も探題館傍の犬射いぬいの馬場で壮絶な最期を遂げる。

 それを見て、武時は馬ごと炎の中に突撃していく。

「うおおおおおーっ!」

 古式の大鎧に身を包んだ武時は大鍬形の大兜をかぶっている。

 剛強な膂力りょりょくが自慢であるとはいえ、かつての一騎打ち時代のいでたちでは今日のような身も蓋もない数を頼んでの何でもありの集団戦闘では動きが取れない。

 陣に控えているなら自軍のシンボルとしてその姿でも良いが、この博多合戦ではいかんともなしがたい。矢を雨あられと浴びながら、虚しく太刀を振るばかり。

 ひたすら突っ込んでいくしかなく、たちまち飛来する矢でハリネズミにされてしまった。

 それでも獣のように吠えながら鬼神のごとく馬で探題館に突入していく武時だった。

 炎に飲み込まれてその姿は見えなくなってしまう。


 十郎と均吾、太郎はもはや正常な判断を失い、悪夢に追われるように走り続けていた。

「うわあああああーっ」

 すでに泣きべそをかいたただの子供三人だった。

 顔中を涙でぐしゃぐしゃにして博多の街を突っ走る。

 行く手に軍勢が現れれば、引き返し、逃げ惑う人々に鉢合わせすれば、方向を変えて走った。博多の街を右往左往して際限がなく、悪夢に追い立てられる思いになった。

 博多宿営中の九州各豪族たちが何事かと慌てふためきながら軍を動かし、どこまで走っても、そこここで誰何すいかしあったり、何事かと怒鳴り合ったりしている。 

 やがて逃げまどう女子供や町人、異人達が新しい情報をがなり合い始めた。

「大門が封鎖されたぞ、探題軍が逃れ出るものを押し戻しておるそうじゃ」

「賊軍の探索が始まった、怪しまれれば捕らえられるばい、気を付けろ」

 そんな声が聞こえてきて、十郎たちは焦った。

反対側から来る人並みにもみくちゃにされ、三人は押し戻された。

「逃げきれん、子供だけのわしらでは、いずれ怪しまれて捕まるぞ」

 と、太郎が泣き声を出す。

 均吾がアッと思い出して、聖福寺しょうふくじへ、と言い出す。

「菊池の侍が坊さんになって、修行しておるそうな!」


 聖福寺は建久六年(一一九五年)、鎌倉幕府初代将軍源頼朝公より栄西禅師ようさいぜんじを開山として創建されたわが国初の禅寺であり、山号を安国山、寺号を聖福仁禅寺という。元久元年(一二〇四年)、後鳥羽天皇より日本初の禅寺である「扶桑最初禅窟」(ふそうさいしょぜんくつ)の勅額を賜っている。創建当初は方八町、七堂伽藍を建立して丈六の釈迦・弥勒・弥陀の三世仏を安置した。 塔頭たっちゅうは三八院。五山十刹制度の十刹第三位に叙せられた。

 その名刹の総門前では多くの僧たちが暁天打坐ぎょうてんたざを打ち切って駆けだしてきて、明け染めていく空の下の博多の火の手を見やって騒いでいた。

「なんごつじゃろか」

「ありゃあ、兵火じゃな」

「風の具合じゃ、まずかぞ」

 火事がやってくるのなら、大事な仏様やお経を運び出さねばならない。

 そこつものは鍋窯なべかまを持ち出そうと慌てふためいている。

 そこへ三人の子供たちが駆けてくる。

 僧たちの脇をすり抜け、駆けこんでいこうとする均吾、太郎、十郎の三人を一人が見とがめた。首根っこを捕まえられる十郎たち。

「おんしら、どこへ行くとか⁉」

「わしら、菊池のもんです、こちらに菊池のお坊さんがおらるるって聞きました、お会いしたか!」

 と、均吾が喚いて、僧たちは顔を見合わせ、誰のことじゃ?分かるか?なぞと言い合ったが、やがて背後からのっそりと一人の坊さんが進み出てきた。

「そん菊池の坊主というは、大方元恢たいほうげんかい和尚のことかいの?」

「は、はい、そうです!」

 均吾が駆け寄った相手はまだ若い修行僧で、筋骨隆々たる体の上にごつごつとした顔を乗せていた。明らかに酒気を含んでおり、顔が赤く、足がふらついた。

 酒くさっと均吾が後じさったが、酒飲み坊主がニヤッと笑った。

「おいがその大方元恢じゃ、何ぞわしに用かい?」

 相手の異様さに、均吾が思わず口ごもった時、十郎が睨み付けて叫んだ。

「おいは菊池武時が一子、豊田の十郎じゃ、わしを探題館に案内せい、親父様と共に討ち入る!」

「なんてや!?」

 坊さんたちが集まってくる。

「ち、違う、かくもうてほしかとじゃ、討ち入るなぞと、十郎、狂うたか⁉」

 均吾は慌てるが、元恢は彼方の火の手を見て、おおよそのことを瞬時に理解した。

「坊主、グズグズすな!わしを探題館に連れていけ!分からんか!少弐貞経を打ち取る、あ奴だけは許しておけんばい!行くんじゃ、おいは行くたいっ!」

 唖然たるお坊さんたちの真ん中で、十郎はどんどん興奮していってもはや理性でものを言ってはいない。のぼせが募って瞬間的に錯乱していた。

 十郎の頭には悪魔のように笑った少弐貞経しょうにさだつねの顔がある。

 少弐、許さじとの激情が燃え盛っていた。

 その十郎をじっとみて、おもむろに大方元恢は当て身を食らわせた。

 均吾と太郎が、えっと大方元恢を見上げた。

 意識を失って倒れた十郎を見下ろし、大砲元恢は、げっぷした。

「皆、かまうな、こやつは気狂きぐるいしておる」

 と、肩に担ぎあげた。

 見やれば博多の街は盛大に燃えている。

 陽が昇ってくる。


















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