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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

死魄を往く

作者: 首領房

「ああ、畏まらなくていいよ。


だって君、合格だから。」

 

乾ききった口内から返答の言葉が出る事は無かった。前衛的な放物線を描く照明器具は正面に座る子供の薄墨色の髪の毛を撫でるように照らしている。朱に染まった壁紙はテイルコート姿の彼をよりいっそう際立たせていた。静寂が室内を支配する。この部屋には私と彼の二人しか居ないのだ。慮外の事態に直面した私は花瓶に活けられたエリカの花に視線を逸らした。本来なら嬉々として受け入れる提案に彼は内心苦虫をかみ潰していた。


――怪しすぎる!!


彼は今朝の呑気な自分を回顧した。


 




灰色の無機質なカーナビが不鮮明なラジオの音を流している。


――速報です。南アメリカ大陸のイグアス沈水洞窟ダンジョンから複数の魔物が地上に脱出した事、それに伴った一時的な両国の入国、出国規制の開始をアルゼンチン、ブラジル両政府が発表しました。突然の出来事に現地の人々はとても混乱しているように見られます。また、専門家の見解では今回の事件はスタンピードの前触れだと――


「いやぁ、相変わらず物騒ですねぇ。」

制帽を被った運転手がハンドルを回す。


「そうですね。魔物より求人が来てくれたら嬉しいんですけどね。でも、あれこれ騒いでも仕方ないですよ。一般人には何も出来ませんから。それに魔導師が助けてくれますよ。」


お祈りメールを携帯の受信ボックスから一斉削除した後、ミラー越しに運転手に話しかける。


「……本当にそうだと、良いんだけどねぇ。

あ、お客さん着きましたよ。」


「ありがとうございます。」


走り去るタクシーを後目に、数日前投函されたハガキを読み直す。


「ええと……面接はこのホテルでやるんだよな。」


仕事内容はシッターのバイトである事しか分からない。時給1200円と妙に高く、履歴書不要、交通費支給、そして週に2、3日から働けるという厚遇。きな臭いが仕事を選り好みしている余裕は無い。


「……よし、頑ば――」


意気込む私の前を車体の長い黒塗りの乗用車が通り過ぎる。目で追った先には大勢のホテルスタッフ達が整列していた。


「本当にこの場所でやるのか……。」


降りてきたアフタヌーンドレスの淑女を見て、私がハガキを二度見したのは言うまでもない。


その日、私は幼い面接官によって、席に着くなり合格を言い渡された。


 


 


 


 


「う〜ん。これ美味しいね!

井谷さん、いつもありがとう。」


薄墨色の髪の男子は牛丼を頬張っている。私は再びあのホテルを訪れていた。結局この子供の元で働く事にしたのだ。主な仕事は週に3回、夜7時に彼が予約しているホテルの一室に料理を届ける事だ。


「あの……本当にこれで良いんですか?ホテルディナーの方が美味しいと思いますよ。」


部屋に辿り着く迄に見かけた館内レストランはメニューの値段が書かれていなかった。こんな場所に来てまで1杯数百円ぐらいの牛丼を食べる必要も無いはずだ、と彼が庶民的な欲念を抱かないのかと訝しんだ。


「そうかな?どっちも美味しいよ。ご馳走様。」


彼のナプキンで口を拭う所作は、富貴な雰囲気を滲ませていた。マホガニーのテーブルの上に紙製の使い捨て容器がちょこんと鎮座している。


「それと、もっとフレンドリーに喋ってもらっても構わないよ。ほら、僕の事を暁って名前で呼んでほしいな。」


暫く談笑を続けていたが、微笑を浮かべた暁の双眸は、一瞬たりとも私を離さなかった。


 


 


太陽が群青の空に滲む中、今日もあのホテルへと向かう。カサカサと音を立てるビニール袋の中には牛丼が入っている。最近彼はおろしポン酢牛丼に目がないようで、帰り際には明日も買うようにと強請る程には夢中である。


「給料は貰えるけど、変だよな……。」


形式上ではシッターとして雇われているが、実際の所は出前持ちをしているだけである。交通費まで支給してパシリを雇うより、電話で出前を頼む方が手間も掛からないし安上がりで済む。


「そもそも、彼は何者だ?」


不思議な事に彼の親を1度も見た事が無い。家族について尋ねてみても彼はいつも話をはぐらかす。それどころか、この数日会話をしていて彼が自身の情報を口にした事がほとんど無いのだ。今、私が知っているのはスイートルームで寛いでいる年齢不詳の少年の姿だけである。


「わあああああ!」 


甲高い絶叫、鼻にかかる舌っ足らずな口調、声の主は相当若いのだろうと無意識に推察する。この時間帯に外に出ているとPTAが黙っていないのではないだろうか。丁度、裏路地から声の主と思われる子供が私の目の前に飛び出てきた。早く家に帰れ、等と叱ろうかと口を開けると――


路地裏から緑色の醜悪な巨人が現れた。2mは下らない背丈、鉄骨のような肢体、猪のような牙、正しく怪物と形容するべき生物である。


「こ、来ないでっ!」


子供は飛び出した弾みですっ転んでしまい、その場から動かなくなった。彼の悲痛な要求は、残念ながら怪物に静止力をもたらさない。ドシンと足を踏み鳴らしながら、怪物は子供の目の前まで迫っていく。


「……させるか!」


遅れて事態を理解した私は、腰を抜かした男児の元に駆ける。怪物の真っ赤な瞳が私を捉えた。巨人は逞しい腕を、岩のような拳を私の鳩尾に叩き込もうと体を捻る。


「くたばれ!」


鈍重な巨人の腕が私を殴り飛ばすよりも、私が男児の元に辿り着く方が幾分か早い。私は彼のベルトに括り付けられていた青色のストラップを見つけるや否や、安全ピンを引き抜いた。


――ギャァァァァ!


ストラップが淡く光を放つ。すると怪物は手で顔面を覆いながら、呻き声をあげ始めた。


「ハァハァ……。間に合ったか!」


一か八かの賭けだったが、魔物避け装具は意外と効き目があるようだ。小学生の頃に国から支給されるのだが、滅多に魔物に遭遇しないので無用の長物として扱われていた。ほっと安堵のため息を漏らす私の目の前で、未だに怪物は頭を横に大きく揺らしている。今が警察に通報するチャンスかもしれない。そう考えて携帯に手をかけた時、魘され続けていた怪物が腕を大きく振り上げた。嫌な予感が脳内を駆け巡る。咄嗟に私は子供を抱き抱え、真後ろに倒れ込むように跳んだ。


「うおっ!」


次の刹那、頑強な双腕が地面に突き刺さる。コンクリートで舗装された道路は落雁の様に砕かれた。もし飛び退いていなければ、私達が粉々になっていた事が容易に想像できた。このまま追撃されれば次こそ命は無いだろう。冷や汗をかく私を知ってか知らずか、化け物は踵を返した。そしてこの場から一目散に逃げ出した。


「やった……。」


吃る口内から捻り出た言葉だった。


緊張した体は未だに動かない。唯一出来ることは怪物の背中を目で追う事だけだった。しかし、私の瞳が映したのは怪物だけではなかった。


「さ、暁……?なん、で!」


怪物の向かう先には、ホテルに居るはずの暁が立っていた。暁は大きく目を見開いているが、全く動く素振りを見せない。このままでは、暁は殺される。しかし緊張で腰が抜けた私は立ち上がる事すらままならない。


「逃げ――」


私の精一杯の忠告は彼には届かなかった。


 


 







なぜなら膝から崩れ落ちる()()の悲鳴によってかき消されたからである。そこには跪く化け物を前にして、銀手のステッキを振り抜く暁の姿があった。怪物は前方へ乱暴に腕を突き出すが、彼は体を逸らしながら、剛腕の内側に潜り込む。そのまま振り下ろされた杖の柄は巨人の首元に吸い込まれた。


――バキィィィィ


柄の先が宙を舞う。怪物の肉体の硬さが杖のそれを上回ってしまったのだと理解するのに時間は要らなかった。今まで殴打され続けていた怪物が顔を上げた。化け物の反撃はすぐそこに迫っている――筈だった。


化け物が彼と目を合わせる前に、その首から青色の液体が吹き出した。それは紛れもなく化け物の血液である。カラン、と杖の持ち手の部分が音を立てて落ちる。暁の右手には小さなナイフが鋭い光を湛えていた。そのまま鼻背に刃を突き立てられた怪物は大きな音を立てて倒れ伏した。


「う〜ん、ご飯が勿体無いな。」


ゆっくりと此方に歩み寄る彼の能天気な台詞から、漸く地面にぶちまけられた牛丼の存在に気づいたのであった。

 

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