うちの猫は異世界で強くなってもやっぱり猫だった
オレは高橋晴明、十七歳の男子高校生だ。
うちでは二年近く前から一匹の猫を飼っている。
母親が知り合いからもらってきたキジトラ(黒と茶色のしましまのことらしい)の雄猫、チャモだ。命名は母親。なお、去勢済みである。二歳二ヶ月で、人間でいえば二十代前半といったところか。
毎日学校から帰ると、チャモをもふもふ撫で回すのが日課になっている。
今日もリビングでチャモを膝に乗せて撫でていると、突然身体の周囲が光りだした。
あまりの眩しさに目を閉じ、光が収まったのを感じて目を開く。そこは、さっきまでいたリビングじゃなかった。
石の壁に囲まれた、中庭のような場所。土の地面に、オレはチャモと一緒に座っていた。
「人間だ! ついに人間が召喚されたぞ!」
大勢の人が周りを取り囲んで、歓声を挙げている。その歓声に交じって、か細い悲鳴が響いている。
どこから? ……オレの腕の中からだ。
「きゃあああああああああああああ!」
チャモが目をまん丸に見開いて、シャーッと言いそうな顔で牙を見せている。
「ハルアキ! ここどこぉー!?」
「どこだろう」
「なんでチャモしゃべってるの!?」
「なんでだろうね」
茫然と返事を返す。
とりあえず、チャモが逃げて行方不明にならないよう、しっかり抱きしめた。
◇
客間みたいな部屋に、オレ達は通された。
ソファーに腰かけ、チャモは膝の上で丸まっている。
「ハルアキー、外に出ないの? おうち帰ろうよ」
幼い子供のような声でチャモが問いかけてくる。
「これからオレは、ここの人とお話しするから、チャモは寝てなさい」
「えー」
オレだってチャモと色々話してみたいけど、とりあえず現状を把握しないといけないんだ。
チャモは不満そうに答えながらも、すぐに眠ってしまう。なんなんだ。
……いや、猫か。
絵にかいたような衣装のメイドさんがお茶(たぶん紅茶)を淹れてくれるのを眺めながら考える。脳裏にちらついているのは、最近スマートフォンで読んでたウェブ小説によく出てくる設定。
普通の学生や会社員が魔法のあるファンタジー世界に召喚され、勇者として活躍し、強敵を倒したり世界を救ったりする。
オレとチャモの身に起こっているのは、まさにそれではないだろうか。
ウェブ小説では、言語の異なる異世界で言葉が通じる理由として、翻訳スキルのようなものが身についたことになっていることが多い。
それが召喚された人間だけでなく動物にも適用されているなら、猫であるチャモと会話できるのも説明がつく。
お茶を淹れ終わったメイドさんが壁際に下がると、客間の扉が開いて一人の女の子が中に入ってきた。
年齢はオレと同じくらいだろうか。細かな刺繍で彩られたドレス、サラサラした長い金髪、きりっと整った顔立ち。ティアラこそつけてないものの、物語にでてくるお姫様のようだ。
彼女はテーブルを挟んで対面に立つと、挨拶して一礼してくる。
「お初にお目にかかります。わたくしはこの国、カナン王国の王女でジャネット=アガサ=カナンと申します。どうぞジャネット、とお呼びください」
あ、本当にお姫様だったらしい。
「オレは高橋晴明です。晴明が名前です。今寝てますが、こちらはうちの飼い猫、チャモです。よろしくお願いします」
俺も慌てて立ち上がって挨拶を返す。抱え上げたチャモが「う?」と、呻いたのが聞こえた。
◇
お姫様――ジャネット様の説明によると、ここは予想通り異世界で、オレとチャモは勇者として召喚されたということだった。
この国は比較的小さい国で、カナン王国と言うらしい。
王様は今病床に臥せっているため、代わりに王女であるジャネット様が説明に来たそうだ。オレとそんなに歳も変わらないだろうに、大変だなあ。
この世界は邪神の使徒という、また別の異世界からの敵に侵攻されている。
邪神の使徒への対抗手段として勇者の召喚が各国で行われており、召喚された勇者はほぼ例外なく強力な力を授かるらしい。
勇者召喚の魔術(召喚式というらしい)は、各国でそれぞれ研究された秘伝のものが使われていて、カナン王国の召喚式は成功頻度は高いものの、呼ばれるのが人間とは限らないという欠点があるとか。それでチャモまで呼ばれちゃったんだろうか?
過去には一本の木や、昆虫の群れ、狼のような獣、果ては空気なんてものまで呼び出されたらしい。
近年はただの石ころや、よくわからない道具などが出てくるだけとなっていて、小国であり国力に余裕のないカナン王国はやけくそ気味に召喚を繰り返していたところ、オレ達が呼び出されてしまったというわけだ。
元の世界に帰る方法を聞いたところ、勇者を元の世界に戻す送還式は、カナン王国には残っていない。
そもそもここ百年あまり、この国ではまともに勇者が召喚されていないため、召喚できたときのことをあまり考えていなかったとのこと。
申し訳なさそうに話すジャネット様は、急に呼び出してしまったことを謝罪した上で、オレ達が帰るまでの生活は保障すると約束してくれた。
隣の大国、シエンスディア帝国には送還式があるそうだ。でも、今まで勇者のいなかったカナン王国は帝国から戦力面で既にかなりの支援を受けていて、すぐにそれ以上の協力を求めるのは難しいらしい。送還の儀式を執り行ってもらうよう、これから地道に交渉を繰り返すことになるそうだ。
オレが勇者として名を挙げ、シエンスディア帝国に恩を売るほど活躍すれば、もっと早くに帰れる可能性もあるみたいだけど。
なお、勇者として活動する気がある場合には、武器の支給や戦闘の訓練を受けさせてくれるらしい。
剣や魔法で戦うのってちょっと憧れもあったし……早く帰れる可能性が上がるならということで、オレは邪神の使徒との戦いを引き受けることにした。
なお、チャモはジャネット様の説明中に目を覚まし、ずっと俺の膝の上で毛づくろいしていた。おまえそんなに神経太かったっけ。順応早いよ。
◇
オレとチャモがしばらく生活する場として、お城の中に部屋が用意された。
客人が滞在する部屋ということで、品のいい調度品が揃っている。チャモがツメを研いだりしないよう注意しとかないとな。
猫用の出入り口や、チャモが寝床に使う布を敷き詰めた木箱も、急いで用意された。あと流石に、この世界に猫用トイレはない(少なくともこの城にはない)ため、チャモは中庭で用を足すことを許してもらう。
……部屋の説明を聞いていたときに、
「ハルアキ―、おしっこどこですればいい?」
って急に訊かれたときは焦ったなあ。幸い中庭まで走ってことなきを得た。
「ママ―おなかへったー」
そういえば、学校から帰って夕飯食べる前にこの世界に呼ばれたから、オレも腹減ってきたなあ。ところで……
「ママってオレのこと?」
「うん。ハルアキは時々チャモにごはんあげて、なでなでするからママなんだよ」
くりくりした目でオレを見つめ返しながら、チャモが言う。
「チャモにいつもご飯くれる人はオレのママなんだけど、あの人はチャモのなんなの?」
「ハルアキのママ? ママのママはママじゃないの?」
そういう認識か。母の母は母。1×1みたいだな。
猫は飼い主を親だと思っていると聞いたことがある。だからそこまでは驚かないんだけど――
「パパじゃないの?」
「パパってなに?」
猫に父という概念はないらしい。うん、猫の雄は普通子育てに参加しないもんね。
「なあ、うちにオレとオレのママの他にもう一人いるだろ? あの人は何なんだ?」
「え、あのへんなおじさん?」
「……そうか。うちの親父は変なおじさんか」
親父はそもそも、そこまで猫好きじゃないから、チャモにあまり構わないんだよな。とはいえ、変なおじさん扱いか。
城の食堂に案内されると、夕食が用意されていた。チャモにも猫が食べられそうなものを用意してもらっているけど――よしよし、ちゃんと食べてるな。猫って妙に偏食だったりするから心配だったんだ。環境の変化もストレスになるはずだけど、チャモは比較的若いからか順応してるみたいだ。
色々話を聞いてるうちに夜も更けてしまっていた。夕飯を食べたあと、チャモを木箱に寝かしつけてオレも寝た。
◇
次の日、オレとチャモは会議室のような場所に通された。
長い机と十数脚の椅子の端っこの方に座って、宰相さんから説明を受ける。
宰相さんは50歳くらいの髪の毛が寂しくなってきた感じのおじさんで、中学の社会科の先生に少し似ていた。
「これがこの大陸の地図で、我がカナン王国はここに位置しています」
チャモの肉球をフニりながら机の上に広げられた地図を見ると、ひと際大きい国の端っこにくっつくようにして、小さな国がある。
「お恥ずかしながら、我が国はたいへん小さな国でして、百五十年前に召喚された聖樹様の加護により今日まで永らえてきたのです」
「聖樹様っていうと、あの窓から見えるあれですか?」
「ええ」
窓の外には巨大な木が見える。室内からだと全貌がわからないくらい高い、杉の木みたいなまっすぐな針葉樹だ。
聖樹っていうとなんとなく、太く曲がりくねった幹と広い樹幹をもった広葉樹を想像していたので、意外だった。幹自体はその高さに比例するように太いんだけどね。
「勇者として呼び出されたものは、人間、動物、植物皆、召喚される際に強力な力を授かるのです。
召喚されたのが凶暴な獣だった場合、魔獣となり甚大な被害を及ぼすこともありますが、多くの場合は有用な力です。
例えば、聖樹様は強力な結界で王都カナカントを守護されています。」
「へえ……結界というと魔法ですか?」
「はい。ハルアキ様やチャモ様も、何かしらの魔術が身についている可能性が高いかと」
おお、やっぱり異世界物のテンプレどおりに魔法ってあるんだな。
宰相さんからステータス魔法(魔力を必要としないので、厳密には魔法じゃないらしい)を教えてもらい、さっそく自分のステータスを見てみる。
目の前に浮かんだぼやけた白い靄に集中すると、靄はレンズでピントを合わせるみたいに文字となって並んだ。
名前:高橋晴明 職業:魔法戦士
HP:3120
MP:4290
攻撃力 :120
防御力 :109
魔法攻撃力:216
魔法防御力:187
素早さ :154
器用さ :170
習得スキル
異世界言語翻訳 剣術 水魔術 光魔術 魔物使役
数値は基準がわからないから高いのか低いのか判然としないけど、攻撃・防御より魔法攻撃・魔法防御が高いな。
魔法戦士とあるけど、魔法使い寄りの魔法戦士なのかな。職業は何を基準に決められてるんだろ? 総合的なステータスから導かれる、向いてる職種とかかな?
あと気になるのは習得スキルだな。異世界言語翻訳、やっぱりあるんだな。きっとチャモにもあるんだろうな。
なお、チャモは説明が始まってから二分くらいで飽きて、オレの腕から抜け出して会議室内をうろうろしている。
今は窓枠に登ってじっと外を見ている。外で囀っている小鳥が気になるらしく、耳をピコピコ動かしている。
スキルの話に戻るけど、剣術、水魔術、光魔術はわかるけど、魔物使役ってなんだろう?
まさか、チャモって魔物扱いになってるのかな?
オレのステータスを宰相さんに伝えると、「流石勇者様ですな」と、喜ばれた。
なかなかに良いステータスで、最初から複数属性の魔術をスキルとして習得しているのも珍しいらしい。
魔物使役についても教えてもらった。仲間として協力関係にある魔物の能力を底上げしたり、離れた状態でもおおまかな位置を掴んだり、様々な効果がある優秀なスキルだそうだ。
他国で勇者として活躍している人で、本人はそれ程強くないけど、強力な魔獣を多数使役している勇者もいるらしい。
チャモも俺の仲間の魔物扱いで、試しに目を閉じてチャモに移動してもらっても、だいたいの位置と距離がなんとなくわかった。
あまり遠くに行っちゃうとわからなくなるらしいけど、これでチャモが迷子になるリスクは大幅に減ったな。
「そういえば、チャモも自分のステータス見れるのかな?」
「う? すてー?」
チャモが顔をコテンと傾ける。かわいい。
「できるのではないでしょうか。勇者様の仲間となった魔獣達もステータス魔法は使えるそうですから」
チャモにステータスの見方を説明するのが一苦労だったが、なんとかチャモも自分のステータスを見れたようだ。しかし、困ったように首を傾げている。
「どうした、チャモ?」
猫って近眼だから上手く文字が読めないのかと思ったが、そういうわけでもなさそうだ。
「ハルアキ―、数字とか文字とかいっぱいあって、よくわかんない」
……仕方ないか。スキルの影響で人の言葉こそ理解できるようになったものの、チャモは昨日までただの猫だったのだ。
もちろん、並んだ文字を読み上げる根気なんて、猫にはない。
「た、か……は、し……ちゃ……も……? これチャモのことか……?」
そこまで読んで飽きたのか、チャモはあくびをすると大きく背伸びをして椅子の上で丸くなった。また寝るのか。猫は一日二十時間寝るから仕方ないか。
この様子だと、チャモに魔術とか邪神の使徒とか説明しても、わけわからないだろうなあ。
オレ達は今、カナン王国に世話になっている身だ。役に泣てるならできることはするつもりだけど、チャモの分まで飼い主のオレが頑張るしかないな。
◇
「そういえば、チャモ様は山猫の幼体、ということでよろしいでしょうか」
剣術の訓練を受けに行くため、チャモを抱っこして歩いていると宰相さんに尋ねられた。チャモも様付けされるって少し違和感。
オレに剣の稽古をつけてくれるという、宰相さんより幾分か若い騎士団長さんも一緒に首を捻っている。
「この世界に普通の猫はいないんですか?」
「ネコですか? 少なくともこの国では聞いたことはないですね。山猫もカナンにはそれ程いませんし」
えっ、猫、いないの? 山猫はいるのに猫を知らないってのも不思議だな。
もしかして、この世界の言葉では『山の猫』ではなく『山猫』という意味合いの一つの単語になっていて、逆に『猫』に相当する言葉がないのかもしれない。
「オレの世界では山猫の一種を、鼠を獲るための家畜として飼い慣らしたものを、猫と呼んでいます。正式には『イエネコ』ですかね。これでも大人ですよ」
「なるほど。この世界にはキャスパリューグという魔獣の伝説があるのですが、元々はハルアキ様の世界のイエネコだったのかもしれませんね」
――ん? キャスパリューグ?
宰相さんの説明では、たまに勇者の召喚の失敗で動物だけが呼び出されてしまうことがあるらしい。
人語や強力なスキルを身に着けたその動物は、魔獣と呼ばれるそうだ。飼い慣らされた動物ならまだしも、野生動物の場合は人を襲うようになれば討伐対象となってしまうことになる。
伝説に出てくるキャスパリューグという山猫型の魔獣は、数百人の騎士団をたった一匹で壊滅させたそうだ。
チャモも一歩間違えたら、魔獣として暴れたり討伐されたりしていたかもしれない。オレと一緒の召喚で良かった。
「チャモは討伐されたりしませんよね?」
「ご安心ください。首輪やスカーフは人間に協力的な生き物の証です。むやみに殺すことはまずありません。
明日には、勇者様の来訪を国民に公表する予定で準備を進めております。山猫のような外見の魔獣を連れていると併せて知らせれば、混乱も起きないでしょう」
「そうですか、ありがとうございます」
ちなみにチャモの首輪は母さんのお手製である。留め具でつけ外しするのではなく、首輪自体が平ゴムでできていて、びよーんと伸ばして頭を通すのだ。
ふとチャモが口を開いた。
「ハルアキー、ネコってなに?」
えっ。
「チャモ、チャモは猫なんだよ? 知らなかったの?」
「チャモがネコ。ハルアキもネコ?」
「オレは人間だよ」
「えっ」
「えっ」
その日の夕方、一時間ほどかけてチャモに『猫とは何か、人間とどう違うのか』を説明する羽目になった。最終的にわかってもらえたかは微妙である。
剣術の訓練所は魔術の訓練所も兼ねているらしい。同心円上や案山子型の的には焦げたような跡もある。
魔術は剣術と別に訓練しておいて、剣での立ち回りに余裕が出てきたころに戦闘に使い始めるといいと教わり、その後しばらく剣と魔法の稽古や、この世界のことの勉強に費やした。
魔法系のステータスの方が高かったから心配だった剣の訓練も、順調に進んでいく。
オレが戦うことになる邪神の使徒は、いろんなタイプがいるけど四足歩行の獣型が多いらしい。剣の扱いに慣れてきたら、魔物の駆除を兼ねて実戦での訓練もしましょうと言われた。
◇
騎士団に護衛されながら、野良魔物を相手の実戦もつつがなく終了した。
稽古をつけてくれた騎士団長さんは筋がいいと褒めてくれた。勇者相手のお世辞かと思ったけど、自分でも驚くくらいのスピードで戦えるようになってきた。こっちの世界に呼ばれてから、まだたったの一週間なのに。
勇者の力ってすごいんだな……魔獣を召喚してしまうリスクを冒してでも召喚したがる気持ちが少しだけわかった。
その間チャモはフリーダムに過ごしていた。最初の頃はおっかなびっくりだったけど次第に城の環境にも慣れて、トコトコ歩き回ったり中庭の樹の上で寝たりしている。
猫を見慣れない城の人たちも次第に安全な生き物だとわかってきたみたいで、メイドさんたちに「かわいいかわいい」と撫でられたり、厨房でお肉をつまみ食いして怒られたりしている。
つまみ食いはやめてほしい。恰幅のいい料理長のおばちゃんにオレまで説教されるんだからさ。
俺も訓練や勉強の合間にチャモを撫でて癒されている。指先でおでこを撫でてやると、気持ちよさそうに「うー」と声を出しながら首を伸ばした。
「ハルアキ―、まほーやって。あのピカピカするやつ」
本当は魔法じゃなくて魔術って名称が正しいらしいけど、難しいかと思ってチャモには『魔法』と説明していた。
「ああ、光魔法な。いいぞ」
簡単に呪文を呟いて小さな光の玉をいくつか飛ばす。灯りの魔法の応用だ。チャモは光の玉を捕まえようと前足を振ってじゃれついている。
「まほーすごいね。チャモもまほーやる」
「チャモも魔法……魔術が使えるのか!?」
「まじゅちゅできると思うよー」
……うん、魔術って喋りづらいよね。
ぽぽぽんと音がして、ゆらゆら燃える火の玉が三つ、俺の出した光の玉に交じる。内心驚いていた。こんなに簡単に魔術を発動できるなんて、もしかしてチャモは天才じゃないか? なんか自分のことみたいにうれしくなってチャモを撫でてやる。
「チャモはすごいなー」
「えへへ、すごいか」
「こんなにすぐに魔術が使えるなんてなあ。チャモは炎魔術なんだな」
おもむろにチャモが火の玉を捕まえて、案の定飛び上がった。
「あっつ!」
「だいじょぶか、チャモ?」
肉球を見ると、幸い火傷はしてないようだ。水魔術の応用で冷やしてやる。
「まじゅじゅあっつかった」
「危ないから魔術はオレと一緒のときしか使っちゃだめだぞ」
「はーい」
その後、王城に務めている魔術師の人に、チャモの魔術について相談した。どうやら動物は本能的な部分で魔力の感知や制御を行っているらしく、単純な魔術なら人間よりも簡単に使えてしまうものらしい。
さっきみたいに魔術で危ないことをしないように、城内の人にそれとなくチャモを見ていてもらえるように頼んだ。
◇
ある日、王都からしばらく南に行ったところにある農村の近くに、邪神の使徒が出没したという情報が入ってきた。
騎士団や魔術師団の人達と一緒に、転移の魔法陣に乗って俺も現場に出向く。
転移の魔法陣は召喚式と同じような仕組みのもので、国の要所要所に配備されているらしい。転移に魔石が必要なので、緊急時以外はあまり使用できないみたいだけど。
「ハルアキー、どこいくの?」
「あ、こらチャモ、ついてきちゃダメだろ!」
チャモは置いていくつもりだったのに、一緒に来てしまった。仕方ないので、チャモが比較的懐いている兵士さんの一人に預かってもらう。後方の支援部隊の中なら危険も少ないだろう。
農村に向かって走ると、真っ黒な獣の大群が荒野の向こうから駆けてくるのが見えた。あれが邪神の使徒だろう。今回は狼に似た形だが、いろんなタイプの使徒がいるらしい。村の反対方向からは、避難する人が我先にと逃げ出している。
黒い波が押し寄せてくるような光景。獣たちの足音と振動につられて、心臓がバクバクと鳴り出す。これからいよいよ戦うのだと思い、緊張しているのを自覚する。
騎士団長さんの号令で、騎士団の人たちが使徒の群れに向かって駆け出す。魔術師団の人たちも魔術の詠唱を始めながらそれに続いた。
この数日間使い続けて手に馴染み始めたショートソードを構え、オレも騎士団の後ろの方でついていく。
獣の群れが騎士団の先頭と交戦してすぐに、剣戟や魔術の破裂音が戦場を満たした。
魔術師団の魔術が使徒たちの集団内ではじけ、騎士団の人達が土煙の中からまばらに飛び出してくる黒い狼へ剣を振るう。
オレも人の間を掻い潜って勢い任せに飛び掛かってくる獣を斬り伏せた。重い手ごたえに反して、斬られた相手は黒い靄となり、すぐに掻き消えてしまう。
オレがいるのは騎士団の後方だから、ここまで辿りつく使徒は多くない。一頭ずつ、落ち着いて剣を振るい獣を倒していく。
オレが五頭ほど倒したところで、土煙から飛び出してくる獣が途絶えた。時間が経ち視界が腫れてくると、あれほどいた使徒の群れは影も形もなく姿を消していた。
「総員、戦闘を止めろ! 第三部隊は村の被害の確認、第一部隊は使徒の打ち漏らしがないか探索しろ! それ以外は周辺を警戒しつつ、負傷者の救護だ!」
騎士団長さんが指示を飛ばし、戦闘中とはまた違ったざわめきが聞こえてきた。
気づくと汗をびっしょり掻き、ショートソードを握った手が震えていた。
「勇者様、大丈夫ですか?」
第二部隊の隊長さんだという騎士さんが駆け寄ってくる。オレは大きく息を吐いた。
「はあ……終わり、ですか? 緊張しました」
余裕があれば魔術を使ってみようと思っていたのに、いざ戦いが始まるとそんな考えは吹っ飛んでしまっていた。立ち回りはあれで良かったのか、訓練中騎士団長さんに指摘された変な動きの癖が出てなかったか、目まぐるしく色んな想いが胸中を駆け抜ける。
「いざとなると、頭が真っ白で――オレ、ちゃんと動けてましたか?」
「ええ、初陣でパニックになる者も多い中、あれだけ動けるなんて大したものです。おつかれさまでした」
騎士さんが肩をポンポンと叩いてくれて、ふっと力が抜けた。
◇
農村の傍に設けられた陣地で休憩しつつ、怪我の応急処置や回復魔術による作業を見学させてもらう。幸い被害は少なかったみたいだ。
「ハルアキ―」
チャモがトコトコ走ってくる。
「チャモ、いい子にしてたか?」
「チャモいい子! 抱っこ―」
立ち止まったオレの足にすり寄ってくるチャモ。毛むくじゃらの身体を抱き上げおでこを撫でてやると、ゴロゴロ嬉しそうに喉を鳴らす。
「次からはついてきちゃダメだぞ」
「はーい」
わかってるんだかわかってないんだか、軽い返事を返すチャモ。
チャモのほっぺたをムニりながら周囲を見回していると、ふいに蹄の音が近づいてくる。あれは……使徒の残りがいないか探していた、第一部隊の人かな?
「竜種だ! 竜種が出たぞ!!」
そんな声が聞こえた途端、騎士団内にざわめきが広がる。
「そんな、竜種だなんて」
「ちくしょう、まだ死にたくない!」
そんな声も聞こえて、オレは近くにいた第二部隊の隊長さんに訊いた。
「竜種ってなんですか?」
「……使徒の中でも特に強力とされる、ドラゴン型の使徒です。過去に、竜種が二体同時に出現したときには、5名の勇者様と数万の軍勢、数十万の民が犠牲になったと言われています」
オレは絶句した。それって大ピンチじゃないか。チャモを抱きしめる手に力が入る。
「勇者様とはいえ、召喚されて一週間の方の手に負えるものではありません。ここは我々に任せてお逃げください!」
隊長さんはそう言い残すと、竜種の出現を伝えにきた騎士さんの方へ走っていく。
「竜種を足止めして、勇者様や民衆が逃げる時間を稼ぐぞ! 死にたくないものは逃げて構わんが、せめて非戦闘員の避難誘導に当たれ!」
騎士団長さんが号令を上げる。パニックが広がりつつある騎士団の人達は大半が逃げ始めるが、ちらほらと武器を構えて騎士団長さんについていく人達もいる。
「なに!? どうしたの!? ママ!?」
目を見開いているチャモの声にはっとする。そうだ、チャモを守らなきゃいけない。猫とはいえ、オレにとっては大事な家族だ。一緒に元の世界に帰るんだ。
「チャモ、逃げるぞ。オレから離れちゃだめだからな」
「う?」
逃げる人の群れに混ざりながら、様々な想いが脳裏を過ぎる。
このまま逃げていいのか? でも、さっきの戦いだって思い通りに戦えたとは言い難い。オレが行っても足手まといになるだけだろう。
勇者だなんだと持ち上げられて、剣や魔法での戦いに憧れて……オレの考えは甘かったんだ。戦いは危険なものだ。もっと考えてから、覚悟してから参加を決めるべきだったんだ。
走りながら振り向くと、巨大な黒いドラゴンが暴れているのが見えた。あれが竜種だろうか。近くにいる騎士団の人の大きさから考えて、全長十メートルは超えていそうだ。
そうするうちに、前方からひと際大きな悲鳴が上がり、前方に視線を戻す。
「こっちにも竜種だ!」
「……!?」
前方の林の陰から竜種が、二体。
大きな翼を広げ、黒い咢を開いてこちらを威嚇している。地鳴りのような咆哮が空気を揺らした。腕の中のチャモが耳を寝かせてシャーッと恐怖の声を上げている。
魔術の仕える人が炎や風の魔術をぶつけているが、使徒はびくともしない。
火炎の吐息でも吐こうというのか、二体の竜種が頭を大きく持ち上げ、ぐっと息を呑みこむ。オレは思わず目を瞑った。その時――
「こっちくるなあああああああっ!!」
チャモの叫び声と同時に、身体の前方に熱を感じて目を開く。
オレの胸の前、数十センチ離れたところに白い光が轟音を立てながら渦を巻いていた。
光は野球ボールくらいの大きさまで圧縮されると、弾かれたように竜種の前に飛んでいき、次の瞬間大爆発を起こした。
ちゅどーん、と漫画みたいな音を響かせ、灼熱の火炎が膨れ上がって使徒を飲み込む。天空高くまで眩しく火柱が数十秒上がり続け、収まったと思った時には二体の竜種は影も形もなくなっていた。
何が起こったのかわからない。周りの人々もそれは一緒のようで、誰もが唖然としながらクレーターのように抉れた地面を見つめていた。
「……何が起こったんだ?」
ポツリ呟くと、風を切る音がして、オレ達のいる場所に影が差す。
慌てて振り向くと、はるか後方で騎士団長さんたちと戦っていたはずのもう一体の竜種が、空を飛んで向かってくるところだった。今の火柱を見て、何か刺激されたのかもしれない。
「グルルルルァアァアアアッ!」
竜が吠えるのに合わせるかのように、またオレの目の前に光が現れて使徒に向かって飛んでいく。
「こないでってばあああああ!」
再びチャモが叫ぶと、光の玉は使徒の目の前で爆発し、今度はその巨体を遠くへ吹き飛ばす。荒野の中ほどに落ちた竜はそのまま掻き消えた。
時が止まったかのように、みんな動けない。遠くに見えている騎士団長さんたちも唖然として固まっていた。
「うええぇえ……ママ―」
チャモだけがオレの腕の中で、胸にぐりぐりと頭をこすりつけてくる。
――まさか、今のチャモがやったのか……?
ふわふわの頭を撫でながら、オレは呆然とするしかなかった。
◇
城に戻ると、チャモとオレは再び会議室に通された。
王女様や宰相さん、騎士団長さん、その他初めて見る人が集まっていて、チャモがびっくりしたように目を見開いている。ちなみにチャモは、机の上に置かれたクッションの上でお座りをしている。
王女様が一歩進み出て話し始める。
「まずは御礼を申し上げたいと思います。ハルアキ様、そしてチャモ様。竜種の出現にも関わらず、ほとんど死傷者が出なかったのはあなたがたのおかげです。本当にありがとうございました」
「いえ、オレは竜種には何もできてなくて……そもそもあれは、本当にチャモがやったことなんですか?」
チャモの後頭部の縞模様に目を向けながら答える。
「おそらくは。竜種襲来の際に目撃された光の玉は、高位の炎魔術を行使する際に現れるものとよく似たものです。光の玉はチャモ様を抱いたハルアキ様の目の前に出現しました。ハルアキ様は炎魔術を使用できないことから、チャモ様が咄嗟に放ったものに間違いないかと」
確かにチャモは炎魔術を使える。でも、あんな規格外な爆発、本当にチャモが起こしたんだろうか。
「――それを明らかにするためにも、チャモ様のステータスについて、調べさせていただきたいと思います」
オレもチャモのステータスは気になるけど、どうやって調べるんだろう。
話を聞いていくと、稀に他人のステータスを参照できる、いわゆる鑑定スキルを使える人がいるらしい。魔術師団の一員らしきおじいさんが進み出た。
「では、鑑定してもよろしいですかな」
おじいさんがチャモと視線を合わせる。チャモが助けを求めるようにこちらを見たので、声を掛ける。
「大丈夫。チャモがステータス魔法で見れる文字をこの人に読んでもらうだけだよ」
「あれ読むのか。わかったー」
チャモが頷いたので、おじいさんはチャモををみた。直後、二人(一人と一匹)の間でパシッと音がした。
「ふむ、弾かれましたな。同意を得ている場合は弾かれにくいのですが……」
その後も何回か続けて鑑定を試みているみたいだけど、パシッ、パシッと弾かれる音だけが響く。チャモがネコ目をパチパチさせている。
「鑑定できないんですか?」
おじいさんに聞いてみると、ふむ、と考え込んだ後で答えが返ってくる。
「鑑定スキルは相手のステータスが使用者より高ければ高いほど成功しにくいのです。チャモ様は予想していた以上にステータスが高いようで……同意があるのにここまで続けて失敗するのは初めてのことです」
まじか。チャモ、どれだけ強いんだろう。
◇
その後、チャモ自身にステータスを読んでもらったところ、魔法攻撃力の値が少なくとも1000を超えていることが明らかになった。
チャモはすぐに飽きて寝てしまったため、ステータスの全容を知るには至らなかった。スキルに関しては、竜種を倒した炎魔術の他、闇魔術や魅了、ネクロマンシーが使えることがわかった(自分で獲った鼠の死体を動かして、狩りごっこをして遊んでた)。
スキルが妙に禍々しいのが気になるけど、すやすや眠ってるチャモを眺めていると「まあどうでもいいか」という気分になった。
そう、チャモはどれだけ強かろうと基本的にはただの猫である。進んで戦果を上げたり、逆に世界に厄災をもたらしたりするわけではない。
カナン王国の人達は、可能性の塊みたいなチャモを放置しておくのをもったいなく思っているようだけど、猫なんだから仕方ない。正に猫に小判。
結局オレらが元の世界に帰るには、飼い主のオレが頑張るしかないんだよな。
◇
(おにく……ねこか……ん)
一方チャモは、ハルアキ達の想いも知らずに惰眠を貪っていた。半分は起きていて、その耳は周りの人々の声を拾ってぴこぴこ動いている。
(なんかチャモのこと話してる?)
どうやらチャモが使った「まじゅつ」やチャモの「すてーたす」について話しているようだ。そういえば、チャモが「すてーたす」の一部を読み上げたときには、とても驚かれた。
「すてーたす」の意味はチャモにはよくわからないが、気になる部分はあった。あとでハルアキに訊いて勉強してみてもいいかもしれない。
(しょくぎょう:まおーってなんだろう……?)
名前:高橋チャモ 職業:魔王
HP:7012
MP:11601
攻撃力 :1560
防御力 :898
魔法攻撃力:1078
魔法防御力:1285
素早さ :1947
器用さ :1291
習得スキル
異世界言語翻訳 爪術 炎魔術 土魔術 闇魔術 魔力吸収 隠密 魅了
ネクロマンシー 鑑定 眷属使役 領域生成 身体操作
完
◆おまけ 登場人物紹介
主人公 ハルアキ(高橋晴明) 17歳 男性 人間
男子高校生。本作主人公。無類の猫好き。
チャモからはママ、もしくはハルアキと認識されている。
自宅でチャモをモフモフしていたときに異世界に召喚されてしまう。以後、チャモの面倒を見ながら帰る手段を探している。
召喚されたことで言語翻訳スキルの他にそこそこの戦闘力を手に入れたが、チャモの前で霞んでしまっている。主な仕事はチャモの世話とフォロー。
猫 チャモ(高橋チャモ) 2歳2か月 雄 イエネコ
短毛キジトラで顎だけ白い。去勢済み。名前はハルアキの母がつけた。
人見知りするタイプ。ちょっとおバカだが素直でやんちゃな性格。
異世界に来て言語翻訳スキルを手に入れたため、人間と意思疎通ができる。また、それに伴い、本来猫にない想像力や人間の幼児程度の知性、文字の知識なども身についている。ただし数字は5までしかわからない。
また、途方もない魔力を保有し、敵の軍勢も一瞬で薙ぎ払うチート猫となった。
宰相 サミュエル=イジョーマ 52歳 男性 人間
自分も忙しいが、忙しすぎる王女に代わって世界のことを説明してくれるいい人。でも実は動物が苦手。最近年頃の娘が口をきいてくれないのが悩み。
騎士団長 デラウェイ=ウィーナブ 39歳 男性 人間
主人公に戦闘の基礎を教えてくれる人。そこそこ強く、他国の勇者との共闘経験なんかもある。
王女 ジャネット=アガサ=カナン 17歳 男性 人間
ハルアキ達を呼び出した王国の代表として対応してくれる。年齢のわりにしっかりしていて、外交や表立った仕事は一手に引き受けている。
コミュ障な兄と病弱な父を抱える苦労人。残念ながら犬派。
聖樹様 322歳 雌雄同株 ヒバ(ヒノキアスナロ)
樹高約50メートル。150年程前にカナン王国の召喚魔法により召喚され、その後今の大きさへと成長した。
チャモをはるかに超えるチート植物。カナン王国が今まで存続していた大きな理由。
常に結界を張っていて、王都周辺に邪神の使徒を寄せ付けない。また、土魔術の使い手であり、カナン王国ほぼ全土の土地に加護がかかっていて、作物の実りなどが少しだけよくなっている。
◆以下設定はしたけど未登場の人達。
メイドさん メイベル=シルヴァスピス 275歳 女性 夢魔
勇者の世話役に急きょ抜擢されたメイドさん。若い頃は人間との戦争で暗躍したらしい。
それなりに強いので勇者の護衛も兼ねている。
王子 チャールズ=アルベルト=カナン 25歳 男性 人間
内務や魔法研究では優秀で、召喚魔法で生成されたアイテムの輸出を提案したり、召喚式を改良している才人。
しかし、人の目を見て話せず無理すると緊張で倒れるガチコミュ障。ほとんど部屋に引きこもっており、ジャネットと一部の使用人としかまともに接することができない。周囲には申し訳なく思っている。
送還式の構成に興味を持っており、切り札の一つとするべく密かに研究している。
魔術師団長 ユリナ=ワンド 51歳 女性 人間
いわゆる宮廷魔術師団の団長。炎と水の魔術を使う。
子供5人を女手一つで育て上げた肝っ玉母さん。長男は実家で農業、次男は魔術師団員、長女は嫁いでおり三男は騎士団に所属、末っ子の次女だけ家に残っている。
王様 ナダニエント=モンタギュー=カナン 男性 44歳
病床に伏せており、ここ数年はほとんど部屋から出ていない。
12年前亡くなった王妃との間に、男児を二人儲けている。
うちの猫に捧ぐ