私の農作業
二〇二〇年五月、私は、毎日のように田んぼに入って、さし苗をした。大概の地方の田では、田植え後、よほどのことが無い限り、苗が消失するという事はないだろう。
しかし、私たちの地区はなぜか、みるみるうちに、苗が無くなってしまう。
それは、ある家で養殖を試みたジャンボタニシが排水路に流出した為、田植え後の苗を食べてしまうせいである。
二〇一九年の冬は、凍結もしない田が続くほどの暖冬で、暖かい気候を好むジャンボタニシが越冬しやすい条件が揃ったためだろうと思われる。
田植え直後にツバキ油カスの忌避剤を散布したのだが、タニシに耐性が出来てしまったのか、それとも、忌避剤の油カスの含有量が少なくなったのか、今年は効果が薄い。
結局、私は五月一杯、消失した苗を植え続けなければならなかった。
田んぼの中には、タニシが無数にうごめいている。
そして、不気味なほど赤い二ミリくらいの何百個というかたまりの卵を田んぼの縁の壁に産み付ける。私が数えたら、百メートルに、二百か所以上産み付けられていた。それが、また産まれて成長し、翌年の苗を食べるのである。
しかし、早稲品種はあまり食べられず、コシヒカリや餅の苗が食べられてしまうようだ。
田んぼの中で歩いたり、腰をかがめてさし苗をすることは、本当に疲れる。
かつて母は、こんな苦労を四十年続けながら、私たちを育て、夜中は父や、父の友人の迎えでワゴン車を運転し、帰宅は五時という生活を続けていたのだ。
「よう子さんが田んぼを管理していた時は、きちんとしてたよ。」近所の農家の親子がそう私に話してくれた。
「忌避剤が無い時、よう子さんはバケツを持って、見つけたタニシを拾って歩いていた。だけど、やっぱり少しは苗が喰われた。でも、苗の間を何度も歩いて、根が切れたことで、一株一株が大きくなって、収穫量は多かった。」
私は、母が毎日コツコツと、私たちの知らない所で努力を積み重ねていたことを知り、胸が熱くなった。
この田の土には、母や先祖の汗と涙が染み込んでいるのだと思うと、大切に米を作ろうと思う気持ちがこみあげてくる。
早苗を揺らすさわやかな風と、水面に映る白い雲や、青空が今日も私を励ましてくれる。私は、大地にしっかり足を降ろして、若手農業後継者として、季節を感じながら、生きて行こうと思っている。




