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ロゼッタ、家出する

 アゼル魔導学院の城門を出るとそこには地元民が「上町(かみまち)」と呼ぶ門前街が広がっている。

 くわえて市場地区をはさんで丘の下に広がる街を「下町(しもまち)」と呼び、これらを含めてアゼルの城下町となっている。


 門前街の大通りから少し離れた、上町の静かな住宅街に瀟洒(しょうしゃ)な屋敷があった。

 そこはルインゼス家の邸宅。アリステリア、ルミナ、ロゼッタの三姉妹が住んでいた。


 料理の皿を前にしてロゼッタはうなだれていた。

「ロゼッタ? 貴女さっきから一度も手をつけておりませんわね」

 テーブルの向かいに座るアリステリアがそう声をかけるとロゼッタはびくりと反応した。

 あわててナイフを動かし始めるロゼッタだが、上等な肉料理も食が進まない様子だ。

「せめてお茶くらいおあがりなさい」


 花茶をすすめるアリステリアにロゼッタはうなずくが、それでも彼女はしぶしぶといった態度でカップに口をつけていた。

 そんなロゼッタの様子を眺めながらルミナは問いかけた。


「カイト君……だったね。彼の味に舌が肥えてしまったのかな、ロゼッタ?」

「……っ!」

「はしたないですわよ、ルミナ。食事の場では慎みなさい」

 ルミナは頭を下げるが微笑をたたえた表情は崩さない。



 吸血鬼である彼女たちの食事風景は言わば普通の人たちの真似事であり、人間社会に溶け込むための所作にすぎない。

 普通の食物からほとんど栄養を摂ることができない彼女たちにとって、本来であれば血液が主たる栄養源となる。人や動物の生き血から精気を取り込むことで生命の糧を得ているのだ。


 そんな彼らが人間社会の中で生きるために自らを律し、人の生き血を求めずにこられたのは《代用食》のおかげだ。

 その代用食が、今まさにロゼッタが口をつけている花茶なのであった。



「ロゼッタ、私たちがこの人里にとけこんで静かに暮らしてゆくには、こうして花の蜜から精気をもらうほかありませんのよ?」

「……わかってます、アリス姉ぇ。でも、そうじゃないんです、ボクはただ……」

 何か言いかけてロゼッタは困ったように口をつぐむ。


 そんなロゼッタを横からフォローするように、ルミナが胸のあたりを指差して言った。

「アリス、わかっているでしょう? ロゼッタは恋の病なんです。それもかなり重い……」

 それと同時にロゼッタは重い溜息をつく。

 まったく溜息をつきたくなるのはこっちの方ですわ、とアリステリアは天井を仰ぎ見た。


 御山入りから謎の失踪をとげて一月以上も経って奇跡的に帰還できたロゼッタは二人の姉と再会を果たしたわけだが、帰ってきたロゼッタは以前とは様子が違っていた。


 失踪する前のロゼッタは物静かで冷静沈着で思慮深く、瞳の奥に強い意志の力を秘めていた。ところが帰ってきた彼女は落ち着きがなく、心ここにあらずといった覇気のない状態が続き、瞳を潤ませては溜息をつくばかり。このことはアリステリアを心配にさせた。

 経緯についてはロゼッタ本人や関係者から話を聞いている。そしてロゼッタがこうなってしまった原因も分かっているつもりだ。


「はぁ〜、わかっておりますわ……。しかし、ですわね」

 アリステリアは厳しい目つきになる。

「カイトさん、とおっしゃいましたわよね? ロゼッタ、貴女本当に……、そ、その方に好意を抱いてらっしゃるの?」

「……はい」

「……」

 表情こそ変えないものの、アリステリアは少なからずショックを受けていた。


「調べたところによれば、カイトさんは幼少期に孤児院で過ごし、家族の居ない天涯孤独の身だというじゃありませんか」

「確かにそうですが……」

 話の流れを察したロゼッタの瞳の奥がにぶく光った。

「由緒あるルインゼス家の者がそんなどこの馬の骨とも知れない者をですね──」

「カイトを侮辱しないでっ!! アリス姉ぇのバカーっ!」

「ぃっ!?」


 アリステリアの心無い言葉に激怒したロゼッタはバーンと席を立ってバーンと廊下に飛び出てバーンと自室に閉じこもってしまった。

 これにはルミナもフォローする暇がなかった。

「アリス、今のは……無いっスよ」

「あ、ぁぅ……」

 絶句するしかなかった。


 この出来事は、ソルフィス・シャナトリア姉妹の学院体験入学ツアーの前日のことである。

 アリステリアはすぐにロゼッタに謝罪するのだが、二人の間に多少のわだかまりは残った。



 そして次の日。

 ロゼッタは学院の食堂でヴィヴィアンと盛大な大ゲンカをやらかしてしまう。

 偶然その場に居合わせたアリステリアとルミナは、そこでカイトと初対面を果たすのであった。



   * * *



 それから数日後。

 ソルフィス・シャナトリア姉妹との手合わせで力の差を見せつけられたアリステリアとルミナだったが、それで精神的にヘコたれている様子はなかった。


 それよりもアリステリアは、食堂でクラスメートと乱闘騒ぎという、以前では考えられないような失態をやらかしてしまったロゼッタに失望し、彼女を責めた。

 風紀委員としての責任感がそうさせるのかもしれなかったが、ロゼッタがおかしくなってしまった原因であるカイトにも複雑な思いを抱いているせいでもあるようだ。


 いつもの昼食のテーブルにて、またロゼッタは食が進まないといった様子だ。

「はぁ……」

「また溜息ばかりついて。ロゼッタ、しっかりなさい」

「……はい」

「カイト君のことを考えているのかい、ロゼッタ?」

 ルミナの問いにロゼッタはこくりとうなずく。その顔には悩み事がたくさん浮かんでいる。

「……あれからカイトが冷たくって」

「……」


 "あれ"というのは、ヴィヴィアンとのステゴロファイトのことであろう。


「ボク、嫌われちゃったのかな……」

 ロゼッタは重い溜息をつく。

 まったく溜息をつきたくなるのはこっちの方ですわ、とアリステリアは天井を仰ぎ見た。


「ロゼッタ、貴女の気持ちに水を差すようですけれど、カイトさんが貴女に釣り合うような立派な方だとは、わたくしには思えませんわ」

「……っ!」

 話の流れを察したロゼッタの瞳の奥がぎらりと光った。

「先日だって終始ボサッとしておられたし、貴女とヴィヴィアンさんの喧嘩だって仲裁もせず黙って見ていただけ……。あの体たらくでは紳士と呼ぶには」

「わかってない! アリス姉ぇはカイトのこと何もわかってないの!」

「いいえロゼッタ。いくらあの方が命の恩人だからといって、血を授けられたからといってですね。貴女とカイトさんは同じ──」

「同じってなに? カイトが男だからダメなの? ボクがカイトを好きになっちゃダメなの?」

「いいえ全然、問題はそこじゃなくてですわね」

「わぁーっ!! アリス姉ぇのバカーっ!」

「ぃっ!?」


 アリステリアの話も聞かずに激怒したロゼッタはバーンと席を立ってバーンと廊下に飛び出てバーンと屋敷を飛び出してしまった。

 これにはルミナもフォローする暇がなかった。

「アリス、今のは……どんまい……」

「あ、ぁぅ……」

 絶句するしかなかった。



   * * *



 家出をしたロゼッタは激情の(おもむ)くままに走りつづけて学院までやってきた。

 休日の魔導学院はいつもより静かだ。ロゼッタは普段なら足を踏み入れることのない、修練生寮の敷地を歩いていた。

 ここに来ればカイトに会えるかもしれないと無意識のうちに体が動いたのだろう。


「にゃにゃにゃ〜♪ ゆくぞ〜無敵のオレしゃま〜♪ すなわち〜オレしゃま無敵〜♪」

 向こうから可愛らしい鳴き声とともに見覚えのある黒猫がやってきた。


「ティノ!」

「あにゃ? ろじぇったじゃねーか」

 黒猫はてててーと駆けてきた。


「ティノ、おさんぽ?」

「ふんー! おさんぽじゃねー! パトロールだぞ! オレしゃま街の平和守っとんぞ!」

「あはは、そっかぁ。偉いねティノ」

 ティノはむふーんと鼻をならして得意げだ。


「ろじぇった、おめーこそこんなとこでナニしてだ?」

 ロゼッタは肩をおとして溜息をついた。


「ボク、家出しちゃった……」

「にゃんだとー?」

「カイトのことでアリス姉ぇとケンカしちゃって……」

「こりは事件のニオイ!」

 脳内にある異常検知システムが異常を検知したので、ティノはロゼッタをそのへんに座らせて事情を聞くことにした。



 ロゼッタはこれまでの事情を話し、アリステリアがカイトのことをよく思っていないことも話した。

「アリス姉ぇは何もわかってないくせに、カイトのことを悪く言うんだ!」

「そっかー。ろじぇったの姉ちゃんは人を見る目がないからにゃー。このオレしゃまをカワイイなどとぬかしおったんぞ。見誤っとるにもほどがある」

「え、ティノはカワィ……」

 言いかけてロゼッタは口をつぐんだ。


「ろじぇった、このあとどーすっだ? 姉ちゃんと仲直りすんのかゃ?」

「やだ! あんなわからず屋」

「でもろじぇった、家出したら帰るとこねーじゃねーか。どーすっだ?」

 ロゼッタはうつむいてしばらく悩んでいたが、真剣な顔つきでティノに向き直った。


「ねぇティノ、お願いがあるんだけど……」

「なんぞー 言ってみろぃ」

「あのね、しばらくティノの部屋に泊めてもらえないかな?」

「にゃんですと」


 現在のティノはソルフィス・シャナトリア姉妹の部屋に寝泊まりしている。だから元々ティノがいた部屋には彼のベッドが使われずに放置されている。ロゼッタはその空いたベッドを使わせてくれと頼み込んできたのだ。


「ふーん、オレしゃまは別にいいけど、カイトがいるからにゃ。あいちゅがオッケーってんならそれで……ってゆっかろじぇった! そもそもおめーは寮に入れにゃいぞ!」

「なんで?」

「寮は、男子寮と女子寮に分かれてんのぞ! おめーは男子寮に入れにゃいだろが!」

 ロゼッタは「うふふ」と妖しい笑みを浮かべた。


「大丈夫だよ。ボクこう見えても、オトコ……なんだよ?」

「あにゃ? 男ぉ? そーなのかゃ?」

「そうだよ。この前言ったでしょ、食堂で一緒にごはん食べたときに」

「ふにゃー。そーだったかゃ……そーだったかも」

「……ティノ、わりと驚かないんだね。もっと叫ぶとか反応すると思ったのに」

 黒猫はとくに何ともない様子でロゼッタを見つめている。ロゼッタは急に恥ずかしくなって顔を赤らめた。


「たしかにおめーの顔はオンにゃに見えるし、実際オンにゃのカッコしてるし、オレしゃまはおめーを完全にオンにゃだと思ってたのぞ。これはにゃ、ろじぇった、オレしゃまが完全におめーを見誤ってしまったというわけよ」

「えっ、あ……。そ、そうなの?」

「おぅ。だが、ろじぇった、このオレしゃまを見てみよ。オレしゃまは何に見えるかゃ?」

 ティノはその場に立っちしてバンザイした。


「……ネコかな?」

「バカモニョ!! オレしゃまがネコなわけありゃせんのぞ、このアホタレめ!」

「ええっ!? ご、ごめん」

「いいかゃ、ろじぇった、これでわかったろう。おめーもまた完全にオレしゃまを見誤っとるわけよ。おめーの姉ちゃんと同じようににゃ……」

「そ、そっか……」

 でもネコ以外の何に見えるんだろう。ロゼッタは思った。


「しょせん、誰しも間違いをおかすものにゃ。しかしそれをおそれて何になろうかゃ、ろじぇったよ……」

「う、うん」

「おめーの姉ちゃんがカイトを見誤ったとて、誰がそれを責められようか」

「……」

(なんの話だっけ?)


 知らず知らずのうちにティノの論説に引き込まれて、ロゼッタは肝心の頼み事がまったくできていないことに気づいたので軌道修正を試みた。


「よくわかったよ、ティノ。肝に銘じておく。それでね、君の部屋の場所、教えて?」

「にゃ。いいですとも」

 ティノはあっさり教えてくれた。


「恩にきるよ。それじゃあ、部屋のベッド借りるね?」

「にゃー。カイトにもよろしく言っといてにゃー」

「うんっ。ありがとうティノ、じゃあね!」

「おーぅ」


 ロゼッタは手を振って別れを告げ、嬉しそうに男子寮の方に向かって駆けていった。ティノもそれを見送る。

(はー、イイことしたにゃ)

 人助けした達成感につつまれ、ティノは晴れやかな気分にひたっていた。



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