姉妹も、迷子になる
ティノとスプリーを見失ってしまったソルフィス・シャナトリアだったが、なおも二匹の猫を探して走っていた。
すでに自分たちが迷子状態の姉妹は工房の出口を求めて動いてもよかったのだが、どうしてもティノのことが心配で仕方がなかったのだ。
二人ははぐれないように手をつないで走った。
このあたりの路地は非常に複雑な構造で、見通しの良いまっすぐな道は皆無だった。
蛇のように曲がりくねり、そこかしこに分岐があり、荷箱を踏み台にしたような段差がいくつもある。道が途切れて袋小路かと思いきや、突き当たりの建物内部がそのまま公共の通路として利用されていたりもする。
それは計画されて作られたわけではなく、いきあたりばったりの利便性を求めて増築解体を繰り返されたかのような奇怪な構造ばかりだ。
「うぅ、ティノったらどこ行っちゃったのよぅ……」
「シャナ、手を離さないでね」
「うん……」
建物内部にはいくつにも仕切られた部屋の中で、職人風の格好をした人たちが様々な作業に打ち込んでいた。姉妹の姿に驚いて少し目を留める職人もいたが、ほとんどは熱心に作業や仕事の会話に没頭している。
ソルフィスとシャナトリアは驚きと不安の連続のなかでティノの姿を求めて歩いた。
「きゃーっ!」
前を行くソルフィスの足元を突然ネズミが横切っていったのでシャナトリアは悲鳴をあげた。
シャナトリアはバランスを崩し、その時たまたま近くにいた通行人のお婆ちゃんにぶつかってしまった。
「あッ」
「あやっ」
お婆ちゃんの背負っていた荷物が崩れ、カゴの中にあったモノがいくつかその場にバラまかれた。
「あややぁ」
「ご、ごめんなさい!」
「ごめんね、おばあちゃんケガはない?」
「だいじょうぶ、大丈夫よぉ」
姉妹はお婆ちゃんと一緒になって落ちてしまったモノをカゴに戻すのを手伝った。そこで二人とも少し驚いたが、カゴの中に入っていたモノは黒い光沢を持つ石くれだった。
「ぬ? 石?」
「お、重たっ。おばあちゃんこんな重いカゴ背負ってたの?」
カゴを持とうとしたシャナトリアが予想外の重さに驚いた。
お婆ちゃんはからからと笑う。
「これはね、ケラっちゅうの。鉄のカケラよ」
鉄片ならば重くて当然なのだが、そんなものをこんな小柄なお婆ちゃんが楽々と担ぐとは。
よく見るとお婆ちゃんは腰にハンマーと手ぬぐいをぶら下げ、いかにも職人風といった姿だ。
二人はお婆ちゃんが再びカゴを背負い直すのを手伝った。
「ふぅ、あんがとさん。あんたら修練生さんだねぇ。工房で見かけるのはめンずらしいけども」
「うん。わたしたち、先日入学したばかりなの」
「先日ゥ? あんたら二人とも?」
「はい、あたしたち姉妹で……学院に入学したのは五日前です」
「あややぁ〜、ハァ。新入生さんかえ。へえぇ〜」
お婆ちゃんは少し驚いた風にうなずいていた。
「そいで、こんなとこでなにしてたの? 道に迷うてたかい?」
「あ、えへへ……。実はそのとおりで」
ソルフィスは照れたように頭を掻いた。
「やっぱりねぇ。このあたりゴチャゴチャしてるもんねぇ」
「あたしたち、猫を探してたら迷い込んじゃったんです」
「猫ぉ?」
「うん。黒猫の子どもでね、ティノっていうの。わたしたちの大切な友達なの。おばあちゃん見なかった?」
「いんや猫は見てないねぇ」
しょんぼりとする二人の様子を見てお婆ちゃんはフームとうなり、続けて言った。
「ほらっ、元気だしなや。あんたらの友達の黒猫ちゃん、うちで探してあげるから」
「えっ?」
「ほんとう? おばあちゃん!」
「はいな。工房で起きた問題はね、工房のモンに任しとき。黒猫の子どもやね?」
お婆ちゃんがその場で振り返ると、いつの間にかそこに若衆が控えていた。職人風とは微妙に違う格好だ。
一言二言ボソボソとお婆ちゃんが伝えると彼は静かに退がり、影のように消えていった。
「今ね、うちの若いモンを遣らせたから、安心おし。黒猫ちゃん見つけたら、すぐに連れてきてあげる」
「……!? あ、ありがとうございます!」
「ありがとう、おばあちゃん!」
お婆ちゃんはにっこりとうなずいた。
姉妹はお婆ちゃんに感謝するとともに疑問もわいた。このお婆ちゃん一体何者なんだろう?
* * *
お婆ちゃんは近場の建物に姉妹を招いた。
粗末だが小綺麗なテーブル席があり、休憩するようすすめた。そこは作業人の休憩所といったふうな簡素な部屋だった。
そしてまたもや、どこからともなく若衆を召喚してお茶を持って来させた。
「すっかり紹介が遅くなりましたわねぇ。おばあはね、マガネと申します。この《工房》で鍛冶師をやっとります」
「はじめまして。わたし、ソルフィスです」
「はじめまして。シャナトリアと言います」
「はいな。ソルフィスさんと、シャナトリアさんね。どうぞよろしゅうおねがいします」
お婆ちゃんは丁寧にぺこりと頭をさげた。
「マガネおばあちゃんは、学院の魔導士さんなの?」
「そうですねぇ。おばあはもう結構な年になりますが、この学院でずっと鍛冶の仕事をやらせてもらっとります」
鍛冶師といってもお婆ちゃんである。リノー学院長よりずっとご年配の様子だ。
きっと相当な腕を持つベテランだろうし、先ほどの若衆に対する手早い指示を見るかぎり親方的な職分にあたる方なのだろうか。
「このあたりはね、工房と呼ばれてるんだけども。窮屈なようで意外と広く、広いようで意外とせまい。ま、黒猫ちゃんはすぐに見つかるだろうわさ。安心して待っとりなさい」
「はい」
「ありがとう、おばあちゃん」
「ささ、楽にして。いただきましょ」
マガネお婆ちゃんがお茶をすすめると、姉妹は遠慮なくいただいた。
「このお茶、不思議な味だね」
「そうね。緑色だし、ちょっと苦いような……でも悪くないわ」
澄んだライトグリーンのお茶に二人とも興味津々な様子だ。それを眺めつつマガネお婆ちゃんはにこにこしていた。
「これは緑茶と言いましてな。ここから遥か遠く、東方の島国で採れる茶葉を煎じたものなんですわ」
「ふーん、そんなものがあるんだねぇ」
「あたしコレは好きになりそう」
薄暗い光の加減でソルフィスはこれまで気付かなかったが、マガネお婆ちゃんの柔和な風貌は他の人たちと少し変わっていた。雰囲気とかではない、肌の色や目鼻立ちそのものが違うのだ。
「おばあちゃんの顔って、リノー先生とか他の人たちとも、なんだか違った感じがするね」
「あややぁ、やっぱりわかるかい?」
ソルフィスは真剣な顔でうなずいた。マガネお婆ちゃんはくすくすと笑う。
「実はね、おばあもここから大陸をこえて海をこえた先のずぅーっと東の、島国が故郷なのよ。このお茶と一緒ね」
「ふへえぇぇ〜」
「よくわからないけど、おばあちゃん、すごく遠いところから来たのね」
「ええ、そうなんですよ」
お婆ちゃんの故郷がどれくらい遠いところなのか知るすべもないが、二人が世界の広さに少し触れることができた最初の出来事となった。
* * *
お茶を飲み終える頃に再び若衆が現れた。
報告を聞き終えたお婆ちゃんはうなずいて姉妹に向き直った。
「黒猫ちゃん、見つかりましたよ」
「やったぁ!」
姉妹が席から立ち上がろうとしたときに、部屋の奥から若衆に抱かれた黒猫ティノが現れた。
「にゃにゃにゃにゃーっ! ハニャセ! ハニャセ!」
なんとなくわかっていたことだが、やっぱり黒猫は暴れる暴れる。
「ティノ!」
「あっ、しょる! こいちゅなんとかせー!」
黒猫は若衆からソルフィスの腕の中に渡された。
「ふーん!」
ソルフィスに抱っこされても、ティノは腕をブンブンして精一杯の威嚇を続けた。
「大人しくなさい、このおバカ」
「にゃにゃにゃ! ちゃな、今なんつった!?」
「おちついてティノ。この人たちにキミを探してきてもらうように、わたしたちがお願いしたんだよ」
「にゃんだとー?」
若衆からの報告を聞くマガネお婆ちゃんの後ろからのっそりとスプリーが現れた。
「あややぁ、書庫のヌシ殿も黒猫ちゃんといっしょだったのかい?」
にゃーん。
すました様子のスプリーはお婆ちゃんの隣にちょこんと座った。
「黒猫ちゃんたちは服屋の作業場にいたそうだよ」
「ふくや?」
「仕立て屋だね。あんたら皆が着てる服を作るところさ」
「なんでそんなところに……?」
「にゃにゃにゃにゃにゃんだおめー! 余計なコト言わなくていいのぞ!」
「こらっ、ティノ!」
ティノはその場に居合わせた見知らぬお婆ちゃんに食ってかかった。
ところがマガネお婆ちゃんはまったく動じず、ニコニコ顔のままで意外な反応を示した。
「あややぁ、可愛い黒猫ちゃんだねぇ。しかも人の言葉までしゃべりよる」
「にゃにゃ!?」
これにはソルフィスもシャナトリアも驚いた。
「おばあちゃん、ティノの言葉がわかるの?」
「ええ、わかりますよぉ。とっても元気な声だこと」
ティノは目を丸くした。
「ばっちゃ、ナニモンだ?」
「はい。おばあはね、マガネと申します。この工房で鍛冶師をやっとります」
マガネお婆ちゃんはペコリと頭をさげる。
つられて黒猫もペコリと頭をさげる。
「オレしゃま、ティノだぞ」
「はいな。ティノちゃんね。どうぞよろしゅうおねがいします」
「しゅゴイ! ばっちゃオレしゃまの言ってることわかるぞ! しょる! ちゃな! ばっちゃスゴイぞ!」
ティノは興奮に鼻息荒げてバタバタした。
「おちつけティノ」
「それで服屋さんだっけ? 今のあなたに服なんて必要ないでしょう。そんな場所に何の用事があったの?」
黒猫はピタリと動きを止めた。
「……ひみちゅ」
「ヒミツぅ? あなた隠し事することなんてあるの?」
「ふんー、うっせーぞちゃな! オレしゃまがどこいこーと勝手だが! それよりおめーらこそなんでこんなトコにおるんぞ!」
荒ぶるティノを宥めるのはもっぱらソルフィスの役目だ。
「……ひ・み・つ」
「にゃんだとー? オレしゃまのマネしよってナマイキなー。おめーらあれほどついてくんにゃと言ったのに、ついてきおったなー?」
ティノたちがワイワイやってる傍らで、マガネ婆ちゃんとスプリーが何やら話しこんでいる。
「なになに……? ほうほう」
にゃーん。にゃーん。
どうやらマガネ婆ちゃんはスプリーとも会話ができてしまうようだ。
「あややぁ、そういうことだったんかぇ。あいわかった、じゃあこうしましょう……」
マガネ婆ちゃんはスプリーに何かを伝えた。
「ばっちゃ、ナニ話してだ?」
「そりゃあティノちゃんたちにとってイイことだよぉ」
「にゃにゃ??」
マガネ婆ちゃんはニコニコ顔でそう言ってスプリーを寄こした。
「ティノちゃんも見つかったことだし、あんたたち今日はもう家におかえり。ここの出口はヌシ殿が連れてってくれるからねぇ」
「お世話になりました」
「おばあちゃん、また来ていい?」
マガネ婆ちゃんは姉妹の手を取ってぽんぽんと手を重ねた。
「いつでも遊びにきなされ。道ならマガネばあちゃんちと言えば、工房の連中なら誰でも教えてくれるからね」
「ばっちゃ、またにゃ〜!」
こうしてティノと姉妹はマガネ婆ちゃんのもとを後にし、スプリーの案内で帰路についた。
結局、ティノは仕立て屋マシューのアトリエを見つけることができたものの、肝心のマシュー本人は不在だった。
ところが後になってスプリーからマガネ婆ちゃんからの伝言を聞かされた。
それによると、仕立て屋マシューが戻り次第、マガネ婆ちゃんが連絡を寄越して、さらにドレス制作の件の口添えまでしてくれるそうだ。
どうやらマガネ婆ちゃんは工房の中で広く顔がきくらしい。
「ばっちゃ、タダモンじゃねーにゃ!」
この日以降、ティノはスプリーと共に工房をお散歩することも多くなったようだ。




