黒猫、迷子になる
ルーシィと別れたあとも、ティノはさらにズンズンお散歩を続けていた。
(さーて、どうしたものかにゃー)
ルーシィのお悩み相談を安請け合いしてしまったティノだったが、考えてもみればこのアゼルの街で滞在中かどうかもわからない神出鬼没の仕立て屋をどうやって探したらいいのだろうか。
今のティノは普通の人とは言葉が交わせない。自分だけで調査するのは絶望的に困難を極めそうだ。
かといってソルフィス・シャナトリアの手を借りるわけにはいかない。二人は依頼人ルーシィが目的とする最終対象の人物だからだ。
「フーム、どしよっかなー。師匠に聞けば知ってるかにゃ。最悪ここはビビとカイトを巻き込んで……あにゃ?」
はたと足を止めると、ティノは見知らぬ路地にいた。
「にゃにゃ? ……ここどこ?」
どうやら考え事をして歩いているうちに迷い込んでしまったらしい。
見上げれば、雑踏の中を道急ぐ人々がドタドタと騒がしく足を踏みしめて行き交っている。小さな黒猫の姿など目に入らないかのようだ。
以前ならなんでもないことだったが、仔猫の視点ではいつもの街の風景でも危険で無慈悲な世界に見えた。
ティノはこんなところにぽつんと一人でいることが心細くなり、なぜか急に不安に襲われた。
「ふぐっ……にゃ……ふにゃ……」
黒猫はたちまち涙目になってぷるぷる震えた。
これまでずっとティノを尾行し、気づかれないように物陰から見守り続けていた姉妹は黒猫の異変にすぐに気がついた。
「ねぇソル、あの子震えてるわよ。一体どうしたのかしら」
「わあぁ〜、困ってるティノもすごく可愛いねぇ〜」
無邪気な笑顔ではしゃぐソルフィスにシャナトリアは呆れてため息が出た。
「もうっ、こんなときに何言ってんのよ……。で? どうするの、助けるの? あの子」
「もちろんだよ! いよいよとなったらねぇ、わたしがバーンと出ていってねぇ、こう……」
「あ……、ちょっと待ってソル! あれは……」
シャナトリアはのこのこ出て行こうとする姉の頭をつかんで引っ込めた。
彼女の視線の先には、ティノにゆっくりと近づいていく一匹の猫の姿があった。
「あのフサフサの猫って……」
シャナトリアはその猫に見覚えがあった。
確かティノたちと初めて出会ったときにルーシィが抱っこしていた大きな猫だ。
「にゃにゃ? おめーしゅぷりーじゃねえか」
ティノは潤んだ目をこすった。
にゃーん。
思いもよらない者と出会えてティノは驚いた。
「こんなとこでなにやってだと? おめーこそ何やってだ? てゆかオレしゃま、なんでおめーの言葉がわかんだ?」
スプリーは驚きにうろたえるティノをつんつん押して、道の端っこにうながした。
人の目につきにくい小さな仔猫が道路の真ん中をウロウロするのは危険だというのだ。
「す、すまんにゃ。オレしゃま道に迷てしもてな……」
ティノは自宅の庭で遭難するかのような気恥ずかしい思いがした。
以前ならば想像もしなかったことだが、仔猫の姿だと今後もこういった不便な思いに悩まされるのかもしれない。
「おめー爺っちゃんとこ帰ったんじゃねえのか? てゆかここどこなのか知らないかゃ?」
にゃーん。
スプリーは現在の場所について答えてくれた。
「にゃ、にゃんだと? ここは《工房》なのかゃ?」
現在ティノがいる場所は、学院関係者たちが言うところの《工房》と呼ばれるところらしい。
工房とはアゼル魔導学院の外縁区画の通称である。そこは様々な技能魔導士たちが集まって仕事をしている職人たちの街だ。
ティノが道に迷うのも当然だろう。この外縁区画はごちゃごちゃした立体的で複雑な構造で知られており、学院関係者でも道に迷いやすいことで有名だった。修練生たちも特別な用事でもない限り、足を踏み入れることをためらうような場所だ。
「にゃるほど、どおりで……」
どうやらティノは考え事をしているうちにお散歩コースを外れ、外縁区画まで来てしまったようだ。
お散歩ごときで道に迷っていては笑いものにされてしまう。
「オイ、しゅぷりー。見た感じ、おめーこのあたりも詳しいらしいにゃ。すまんが、ひとつオレしゃまを出口まで案内してくれんかゃ?」
ティノはスプリーに頼みこんで外縁区画から脱出することにした。
にゃーん。
スプリーは快く承諾してくれたが、ひとつ交換条件を提示してきた。
「にゃんだとー? るしぃを紹介しろだと?」
どうやらスプリーは先日の冒険の旅でずっと一緒だったルーシィのことがお気に召したらしい。そこで改めて彼女に引き合わせてもらいたいと願ってきたのだ。
スプリーはネロ爺さんの岩室に住んでいたが、爺さんの飼い猫という様子でもなかった。
もしかしてこの猫、ネロ爺さんから鞍替えして、あわよくばルーシィの家に転がり込むつもりなのだろうか。
だとしたら結構重大な案件だが、ティノはそんな些細なことは深く考えない。
ティノはぴこっと立っちして胸をはった。
「お安い御用だぞ! オレしゃまにまかしとけ!」
にゃーん。
スプリーもうれしそうだ。
* * *
今日はやたら頼み事をされる日になった。
「やはり、おさん……パトロールは大切だったかー」
スプリーに連れられての道中で、ついでとばかりにティノはルーシィから受けた頼み事について話してみた。
するとスプリーは意外な反応を返してきた。なんと彼は伝説の仕立て屋マシューのアトリエの場所を知っているという。
しかもそれは今いる《工房》の敷地内にあるというのだ。
「にゃにゃ!? そりゃ好都合だぞー。おい、しゅぷりー今すぐそこに行くのぞ!」
ティノは予定変更して急遽アトリエの場所に向かうことにし、さっそくスプリーを焚きつけた。
ルーシィの頼み事に協力すればきっと好印象を抱かれるはずだ。それに仕立て屋マシューの居所の手掛かりを持ち帰れば、彼女への手土産になるだろう。
スプリーはがぜんやる気になってティノに協力した。
にゃーん!(ついてこい!)とティノを先導し、とんでもない道を進み始めた。
「にゃにゃ!? お、オイ!」
路地裏の足場から窓を伝って壁を登り、建物の間に張られた綱の上を渡って塀向こうの裏庭に降りて壁穴に入り……。
スプリーは野良猫だけが知る破天荒なルートを踏破しはじめた。
黒猫入門者のティノはにゃーにゃー悲鳴をあげながら付いていくので精一杯だった。
あおりを食らったのは尾行していたソルフィスとシャナトリアだ。
突然走り出した猫たちに姉妹はぎょっとなった。
「ひぇーっ! ティノどこいくの!?」
時すでに遅し、である。
姉妹は急いで後を追いかけたが、黒猫の姿を完全に見失ってしまった。
「どうしよう……」
「あうぅ。わたし彗、部屋に置いてきちゃったよぅ」
ティノを見失ったこともそうだが、さしあたりの問題がある。
シャナトリアはあたりを見回して不安げにソルフィスの袖をつかんだ。
「……ねぇソル。ここどこかしら」
「……」
ソルフィスはがっくりとうなだれた。




