黒猫ティノのカウンセリング
第四幕、開始します。
たぶん隔日の投稿になっていくと思う……
―アゼル魔導学院 ゲストハウス―
聖山を越えて聖地へと赴き、異世界にまで旅してきたティノたちがアゼル魔導学院に帰還して三日が経った。
ティノたちを秘密裏に保護するために、迎賓館のすぐ裏手にあるゲストハウスが使用された。この建物は地域外からの要人や貴人といった来客をもてなすための宿泊施設だ。表向き彼らは一ヶ月以上も行方不明となっているため、情報が漏れないようにするための処置であった。
たかが修練生を保護するためだけに来客用のゲストハウスが使用されるのはかなり異例だ。
聖双の魔導士ソルフィス・シャナトリア姉妹も、ここの秘密のゲストルームに匿われていた。
ベッドの上に黒猫がちょこんと座っている。
そのちいさな鼻先に、ソルフィスが顔を寄せて話しかけた。
「"ソル"。もういちど言ってみて」
「ちょる!」
「うーん、もっかい!」
「しょりゅ!」
「おしい〜っ。もっかい!」
黒猫は人の言葉をしゃべった。
猫の可愛い鳴き声が対象者の脳裏に人の言語となって響くのだ。
「ふんー! オレしゃま、ちゃんと言うとるぞ!」
驚くことに、このバタバタあばれる愛くるしい子猫が現在のティノの姿だ。
「じゃあね、次はこの子の名前! "シャナ"。言ってみて!」
ソルフィスは隣にいたシャナトリアをぐいっと引っ張ってきた。
「ちゃにゃ!」
「おしい〜っ。もっかい!」
「全然おしくない。ティノ、あなたもうちょっと練習が必要ね」
シャナトリアがすました顔で言う。
「フーン! にゃんでしょんにゃむじゅかしいニャマエなんにゃ!」
黒猫ティノは寝転がってバタバタした。その仕草がたまらなく可愛い。思わずしっぽを掴んでみたくなる。
ソルフィスはたちまちメロメロになってしまった。
「うぅ〜ん、ティノ〜っ!」
抱き上げて頬ずりすりすりすりすり。
「にゃにゃにゃにゃーっ。ニャメローッ! オレしゃま馴れなれしいの好かんのぞ!」
「ダメぇ?」
「ダメだぞ!」
「むう〜っ。ティノのケチ!」
「あんまりしつこいと嫌われちゃうわよ、ソル」
「シャナだって、ほんとはすりすりしたいのガマンしてるくせに!」
「ぅ……」
「ほらっ」と、ソルフィスから黒猫を託されるシャナトリア。
シャナトリアは黒猫を抱き上げた。
黒猫がつぶらな瞳で睨みつけてくる。
「ちゃにゃ〜っ、オレしゃましゅりしゅりしたら、ゆるさんのぞ!」
(か、かわいい……)
小さな黒猫が可愛すぎて頭があったかくなる。
シャナトリアは思わず黒猫をぎゅーっと胸に抱きしめた。
「ふむむごごご!」
黒猫がシャナトリアの胸の中で暴れる。
「この子ズルい……」
「ズルいのはシャナだよ! わたしもぎゅーってしたいよ!」
「ダメよ。今はあたしの」
「シャナずーるーい! わたしにもだっこさせて!」
「ヤよ」
「ハニャセ!」
黒猫ティノが目覚めてから喜ばしい変化があった。
ほとんど無表情で口を閉ざしていたソルフィスとシャナトリアが、ティノが目覚めてからというものの、見るからに笑顔が増えて口数が多くなり、人との会話も明るく弾むようになってきたのだ。
言葉づかいや知らない単語に少し不自由するところもあるが、意外にも姉妹は現代人とのスムーズな会話が成立していた。
このような調子でソルフィスとシャナトリアは、一日中黒猫ティノと遊んでお世話するためにつきっきりだった。
* * *
ティノが目を覚ましたのは、昨日のことだ。
ずっと昏睡状態の黒猫を姉妹はつきっきりで看病し続け、ティノが目覚めるまで寝る間も惜しんで見守っていた。
そのときは、ちょうどソルフィスが眠っている黒猫を抱っこしていたときだった。
ソルフィスは思いつきで魔術を使ってみたのだ。
彼女の両手から七色の光沢を放つ金色の光の帯が現出した。光帯魔術と呼ぶべきなのだろうか。光の布が黒猫をやわらかく包み込んだ。
そのまま赤ん坊をあやすように抱っこしていたら、なんと黒猫が目を覚ましたのだ。
「……やらかい」
目覚めの一声に黒猫はそんなことをつぶやいた。ソルフィスは頭の中にその声が響いたのを覚えている。
ソルフィスは飛び上がって、シャナトリアの元にすっとんだ。
「ティノ……、ティノ!」
シャナトリアも驚いて喜び、目覚めたティノの様子に魅入った。
黒猫ティノはうっすらと目を開けていた。
「よかったぁ!」
姉妹は抱き合って泣いて大喜びした。
当時のティノはこのようなことをつぶやいている。
「ふにゃ……」
光の布は、とてもよい肌触り。
「ふわふわ」「キラキラ」「しゅべしゅべ」
その感触はまるで――
「ベりゅベッちょのようにゃ、しゃわりごこち」
ティノはきっと「ベルベット」と発音したかったのだが、舌足らずな発音は姉妹には聞き取れなかった。
ソルフィスは不思議そうに、でも好奇心いっぱいで黒猫に顔を寄せる。
「べりゅべっちょ? それはなぁに?」
うにゃーと唸って黒猫は反応した。
「おめー、ベりゅベッちょゆうたら、そりゃおめー、……おめー……?」
黒猫は大きな目をぱちぱち瞬いた。
!? (ビクッとなった)
「にゃんだおめー! きょぢん!」
「きょじん?」
シャナトリアとソルフィスは顔を見合わせる。
「巨人じゃないよ。わたしはソルフィスだよ」
「にゃ?」
「あたしはシャナトリアよ。覚えてない?」
「にゃにゃ?」
(……? ……??)
「……。おぉー……」
黒猫はぽかんと馬鹿みたいにクチを開けた。
「あなた、ティノでしょう?」
「うみゅ」
ティノは大きな目をぱっちり開いて、ソルフィスやシャナトリアの顔をまじまじと眺めた。
……誰だこいつら?
いや、見覚えがある。ずっと知ってた顔だ。
そうだ忘れるわけがない。氷漬けの中からこいつらを救い出したのは、このオレだ。
あれほど焦がれていた二人がすっかり元気になって、オレの手が届くところに居る。
これは間違いなく現実だ。考えうるなかで最高の結果がもたらされたのだ。
だというのに、なにかがおかしい。なにかが……
そうだ、おかしいのはスケール感。世界の大小縮尺の違和感だ。
なんだか世界が……大きい気がするのだ――
「……? ……?? にゃ?」
ティノはそわそわキョロキョロもぞもぞしだした。
んっ、んっ、んっ、んっ?
黒猫の反応にソルフィスがなにか察した。
「ティノ、おしっこ?」
「おしっこじゃねー! か、かがみ。鏡どこ?」
「鏡?」
ソルフィスはティノを抱っこしたまま、姿見の鏡の前に立った。
あんぐりと口をあけ、ティノは異星人をみるような目で鏡の中の、目がついた黒い毛玉を凝視した。
そのままティノは固まってしまった。
「ティノはね、黒猫さんになってしまったんだよ?」
ソルフィスの声でティノは我にかえった。
「にゃにゃにゃにゃにゃにゃ」
手でぺたぺた顔をさわる。難しい。思うように自分の顔がさわれない。骨格の構造がまるで違う。
バンザイしたようなポーズになった。
ぽかーんとアゴが垂れる。
信じられない。目の前にいる間抜けヅラの黒い猫が自分なのだとは信じられない。
ティノはぷるぷる震えた。
全身の毛がざわつき、耳がふにふに動く。ぴこっと尻尾が立った。
「にゃんだとー!」
* * *
同日、ティノが目覚めたという報告を受けて、師匠のアイシャがすぐに訪問してきた。
彼を診察するためにお医者先生を連れてきたのだ。お医者先生はティノたちの秘密の事情を知る数少ない人物だ。
「肉体、精神ともにいたって健康ではあるんですが」
医者は黒猫のつぶらな瞳を覗き込みながら言った。
「精神に退行が見られます。恐らく今の彼は、精神年齢5、6才くらいの幼児だ」
「にゃんだとー! このー!」
黒猫はアイシャの膝上でジタバタ暴れた。
「こら、大人しくしてろ」
「だってこいちゅ、オレしゃまの悪口言ったのぞ!」
「ハハハ、彼は何かしゃべってるんですか?」
「ええ、まぁ……」
どうやらすべての人がティノの声を人語として理解できるわけではないらしい。
このあたりの理由はまだ分からないが、お医者先生はティノの声を聞くことができないようだ。
「ところで何故、精神がそんなに退行を?」
「肉体の急激な変化に精神が引っ張られているのだと思われます。そもそも肉体と精神は車の両輪のように密接した関係。肉体の成長に合わせて、精神も成長するものなのです」
「なるほど」
「それに外見や容姿の変化も精神面に影響を与えます。例えば服装や装飾ですね。おしゃれな服に着替えたら気分が高揚するし、フォーマルな服装に身を包んだら気が引き締まるでしょう。そんな経験はおありでは?」
「確かにそうですね」
「姿や格好は、肉体の延長です。つまり容姿の変化にあわせて、精神も変化するわけです」
「ということはティノの場合だと、子猫の姿になってしまったことで精神面も幼子のようになってしまったと?」
「その可能性は、考えられますね」
「ふぅむ、なるほど」
アイシャとしては可愛い弟子というのは嬉しいものだが、こういう方向性のカワイイはちょっと斬新すぎた。
(いや、大歓迎だけどね)
「どうしてティノはこんな姿になってしまったんでしょうか」
「そこはまだ分かりません。彼自信の力なのか、竜の力によるものかは不明ですが、少なくとも彼自身の意思によるものではない。おそらく深層心理でなにかの本能的なものが働いた……、その結果なのかもしれません」
「ふーん! アホかこれは竜にょ呪いぞ!」
アイシャはバタバタする黒猫をぎゅっとおさえる。
「ふにゃー」
「治りますかね?」
「彼の深層心理で無意識な安全装置が掛かっているのだとしたら……。時間は掛かるかもしれませんが、根気強く原因をさぐって行くしかないですね」
「そうですか……」
「ヤブ医者めぇー!」
「だーまーれ、こいつめ」
「ハハハ、なんだか嫌われちゃったかな。じゃあ今日はこのへんにしておきますね。ティノ君、またね」
「先生、ありがとうございました」
「二度とくるなこのバカチンがー!」
「こら馬鹿、お礼を言わんか」
お医者先生は苦笑いで部屋を後にした。ティノの初診はこのような感じで終わった。
* * *
さらに同じ日。
ティノが目覚めたと聞いて、別部屋にいたカイトたちがさっそくお見舞いにやってきた。
「お〜い、みんにゃ〜」
黒猫ティノはバンザイして四人を出迎えた。
カイトたちは数日ぶりに元気なティノを見ることができて大喜びだ。ただ、黒猫の姿という強烈な違和感に慣れる必要はあったが。
「ティノー!」
「ティノ……ほんとにティノなの?」
「オレしゃまだぞ!」
嬉し泣きするヴィヴィアンにティノは胸張って応えた。
カイトたち四人はソルフィス・シャナトリア姉妹とともにテーブルの上の黒猫を囲んで再会を喜んだ。
「ティノ、無事に目が覚めてよかったよ!」
「もうっ! ほんとに死んだんじゃないかって、心配したわよ!」
「にゃはは。これくらいたいしたことないぞ。オレしゃまを誰だと思っておるのか! 勝手にコロすでないぞビッビ」
「ビッビじゃないわよ。ビビと呼びなさい」
「びっび!」
「もういちど!」
「んびっび!」
「うーん、舌足らずねぇ」
「にゃんだとー!」
カイトとヴィヴィアンは雰囲気というか、若干性格が変わったティノに少し驚いていた。猫になると気性が激しくなるものなのだろうか。かわいいから良いのだけれど。
「僕たちもね、ティノと同じさ。聖地から戻ったら疲労困憊でぶっ倒れちゃってね。丸一日以上眠ってたんだよ」
「そうなのよ。目が覚めたら、知らない部屋にいてね。ビックリしちゃったわ!」
「にゃはは。オレしゃまたちが、しょー簡単にくたばるわけないんにゃ」
カイト、ヴィヴィアン、ルーシィ、ロゼッタも同じゲストハウスで保護されており、それぞれ個室をあてがわれていた。
ばっちり監視がついているが、外に出ない限り屋内の移動は自由だ。
「ティ〜ノちゃ〜ん、か〜↑わ〜↑い〜↑い〜↑グフフフ」
「るしぃ〜、オレしゃまかわいい言うたらゆるさんのぞ!」
ティノは迫り来るルーシィをぽこぽこ叩いた。
その暴力すらかわいい。かわいいは正義。正義の暴力なのであった。
「ゆるして〜、ティノちゃ〜」
「ふんぬー!」
ぽこぽこぽこぽこ!
ルーシィは"猫・百烈パンチ"を絶妙に捌いた。
「るしぃ〜やりおるゎー」
「ティノちゃん〜、スプリーちゃんが居ないの〜。どこ行っちゃったのか知らない〜?」
「オレしゃまが知るわけなかろ! きっと爺っちゃんとこ帰ったんにゃ」
「ティノちゃん、おねがいスプリーちゃん探して〜」
「にゃんでオレしゃまが!」
みんな黒猫ティノとの会話に夢中になった。なんだか、何もかもが新鮮で楽しいのだ。
「なあ、ティノ。君は本当に、竜の力を手に入れたのか?」
今度はロゼッタが訊ねた。
「そだぞー、ろじぇった。オレしゃまは何も役に立たない竜の呪いを手に入れたのぞ! おかげしゃまでこのありしゃま!」
「……そっか」
ロゼッタは寂しそうに笑みを浮かべた。
彼女が手に入れようとしていた竜魂石は、シャナトリアが持つ宝物だということが分かった。それも今では竜の魂が抜けた後の、ただの小さな水晶珠だ。
「ボクが探し求めていたモノは結局なんだったんだろう……」
ふみゅぅ。
黒猫はつぶらな瞳でロゼッタを見上げていた。
「ろじぇったは、まだわかっとらんようだのー」
「えっ?」
黒猫の瞳がきらりと光る。
「ろじぇったは、オレしゃまという偉大なチカラと、ここにいるちょると、ちゃにゃというトモダチも手に入れたのぞ」
「……!」
ロゼッタはソルフィスとシャナトリアを見た。姉妹の透き通るような目にロゼッタは射抜かれる。
「ろじぇったは、成し遂げおった。しゅごいタカラモノを手に入れたのぞ!」
バンザイポーズのティノは自信満々である。ロゼッタはそれが可笑しかった。
「う、うん。……ティノ、君の言うとおりだ。この旅でボクが手に入れた宝物は、ここにいるキミたち全員だよ」
ロゼッタの言葉にみんな笑顔だった。
* * *
そして今日。
アゼル魔導学院は、ティノをはじめとした修練生たちに対しての行動調査を行った。彼らが聖地、とりわけ異世界で体験してきた様々な出来事について取り調べる必要があったのだ。
落ち着いてきたところを見計らって、彼らの問診をアイシャが行うことになった。
アイシャは修練生たちを刺激したくなかったので、彼ら全員を一室に招いて、ざっくばらんに話してもらうことにした。
もちろんソルフィスとシャナトリアも一緒だ。ティノたちがどんな冒険の旅をしてきたのか知りたいだろう。
リラックスした雰囲気のなかで、テーブル上の黒猫ティノを囲んで皆が思い出話にひたることになった。
アイシャはメモを取りつつ、進行をとった。
最も気になる話題は、ティノが異世界の中で何をしていたのか。どのようにして竜の力を手に入れたのか、その経緯だ。
ところがティノは、「よー覚えとらん」と言う。
竜の魂と出会って力を手に入れたのは確かだが、そこに至るまでの記憶がないというのだ。
さらに猫の姿になってしまった原因は竜の呪いのせいだと口酸っぱく主張していた。
カイトたちも、異世界での出来事の記憶が薄れつつあることを自覚していた。
思い出せる限り彼らは答えたが、当時の映像の記憶だけが不鮮明になっているという。ヴィヴィアンやロゼッタ、ルーシィも同様の反応だった。まるで本当に夢の世界を旅してきたかのように。
ソルフィス・シャナトリア姉妹ですら、「よくわかんない」という反応だった。
ものすごい数の悪霊たちが出現したという、気になる話題もあった。
ダルハラジムに取り付いた悪霊が襲ってきたが、姉妹が難なく滅ぼしたらしい。ただ、具体的にどのように対処したのかは覚えていないという。その後に悪霊たちがどうなったのかも不明だ。
彼らの体験は事実なのだが、喉に刺さった魚の小骨のように、記録の中ではしこりが残る結果となった。
「まー、気にしてもしょーがないぞ。しょんなことより今日はお祝いだぞ! みんにゃおちゅかれパーティーやるぞ!」
「それはまた後日な」
ティノの宣言はアイシャに却下された。
「ふーん!」
その後もティノは怒ったり、ワガママを振りまきつつも、おおむねゴキゲンだった。
このあとソルフィスとシャナトリアを筆頭に、ティノの快気祝いに黒猫を愛でる会へと変貌した。
愛でるとはどういうことか。みんな心得たものだ。
もちろん黒猫はキレた。




