竜の力
幻術士ダルハラジムに無数の悪霊の影が取り付いて出来たそれは、合体して融合し、ひとつの人型へと変貌した。
それは悪霊の塊でできた巨人であった。
「ぎゃあー、巨大お化け!」
ヴィヴィアンは半狂乱になって火炎を乱射した。
しかし、あまりに巨体すぎて火炎弾が音もなく吸い込まれてしまう。
「お化けっていうか、なにこれ巨人だ……」
「くっ……」
カイトは呆然と立ち尽くした。ロゼッタもこれには見上げるばかりで為す術がない。
巨人の体表は粘性の脈動する暗黒の流体のようだ。これで殴られたら身体ごと取り込まれて、震えあがるようなおぞましい結末を迎えてしまいそうなことは容易に想像できる。とにかく離れるしかない。
ところが巨人はティノでなく、カイトやヴィヴィアンたちの居る場所に鼻先を向けた。ティノの仲間すべてを狙っているのだ。それとも標的は聖双の魔導士なのか。
人体の腰から上を模したような形の悪霊の巨人は、じわりじわりとにじり寄ってくる。
ティノは当初、姉妹が目覚めたら丘の下に走って遺跡内に避難しようと考えていた。しかしこれでは間に合いそうにない。
「逃げよう、ティノ!」
たまりかねてカイトが叫ぶ。
(おい、どうすればいい!? あんなの刃も通らねーぞ!)
《代わるか?》
(お前、あんなデカブツと渡り合えるのかよ)
《無論だ。俺を誰だと思っている?》
ティノの意識の裏側で竜がほくそ笑んでいる。コイツに任せれば力押しができるのだろうか。
くやしいが良い策が思いつかない。今は緊急事態だ。ここは竜に任せてみるしかなさそうだ。
(くっそー! じゃあ、やってみろ!)
ティノは巨人の前に滑り込んで立ちふさがった。
「おまえら危ないから離れて伏せてろ。オレがこいつを倒す」
「倒すってどうやって!?」
次の瞬間、ティノから発せられる得体の知れぬ圧力を感じ、カイトとロゼッタは思わず身をすくめた。
「ティノ!?」
『消しとばしてやる』
ティノは武器を投げ捨てた。そしてティノの周囲に異変が生じ始めた。
『うおおおぉぉぉぉ!』
ティノの両肩から黒い炎が沸き立ったかと思うと、あっという間に全身を包み込んでティノの姿が見えなくなった。
炎はさらに肥大化し、やがてひとつの形を帯びていく。山なりの炎から首のようなものが突出し、一対の腕と脚が現れた。
ずるりと長い尻尾が現れ、頭部はさらに変化してゆき、口がせり出し牙が現れた。
二対の大きな角が天に向かって伸び、漆黒の翼が空を覆う。
ドラゴンの姿だ。黒い炎を纏った巨大なドラゴンであった。
ごるるるるる、と黒炎の中から恐ろしい喉音が響き渡る。その黒い竜は悪霊の巨人をさらに上から見下ろさんばかりのデカさだった。
「うわわわ、うわああぁぁ!」
「きゃあぁぁ!」
驚きのあまりカイトもロゼッタも腰が抜けてしまった。
「ふんわー」
ヴィヴィアンは泡吹いて卒倒した。ティノの変貌がよっぽどショックだったのだろう。
こんなときに意外にもルーシィは気丈だった。半泣きになって縮こまっているカイトとロゼッタを冷静に叱咤する。
「カイちゃん落ち着いて〜! ロゼっちゃん立って〜! ビビちゃ〜しっかり〜! しっかりおし〜!」
ルーシィはヴィヴィアンのほっぺたをぺちーんぺちーんとワンツービンタした。
「痛い! いたい!」
「みんな〜、こっちにきて〜! 隠れるのよ〜!」
「ロゼッタ、立って!」
「う、うん」
ルーシィの呼びかけでカイトとロゼッタは、元いた場所まで後退した。
にゃーん!
スプリーの先導で四人は協力して魔導士姉妹を根っこの陰に移動させる。
急いで身を隠さなければならない。伝説的な竜が大口あけて次にする行動といったら、ひとつしかないだろう。
大樹の根の陰で息を潜めて見守るカイトたちは、急展開する状況に頭が追いつかせるので精一杯だ。今は竜の姿に変身してしまったティノを信じるしかない。
ヴィヴィアンはやっぱりショックが大きすぎたのか、震えながら目を固く閉じてティノの姿を見ないようにしている。彼女の代わりにルーシィが竜の様子を伺った。
竜は轟雷のごとく吠えた。
それはそれは凄まじい大音声で、悪霊の巨人を上から踏みつけてねじ伏せるような咆哮だった。世界の終末を告げる音と言い換えてもおかしくない凄まじいものだ。
度肝を抜かれたカイトたちはあやうく足場から転がり落ちるところだった。
悪霊の巨人は不気味な悲鳴をあげて怯み、その巨体を歪にねじらせる。目の前の竜は彼らにとって恐怖の象徴そのものなのだ。
黒竜の恐ろしい口元からメラメラと白焔が燃え上がる。
『ゴルルルアアアアァァァァ……!』
(一撃か?)
《一撃だ!》
竜は地獄の窯口を開け、火炎を吐いた!
ぽすん。
《ん?》
(ん?)
火が出ない。
(でねーぞ?)
《……》
様子を伺っていたルーシィたちも、ティノの異変に気がついた。
にゃーん?
「ティノちゃん……」
「今……なにかしようとしたよね?」
「うん……」
「ふええぇぇ、ティノおぉぉ、ふえええぇぇぇん」
ヴィヴィアンはティノの姿が恐ろしすぎてマジ泣きしているので会話どころではない。
「ビビちゃ、よしよし。ルーシィがついてますよ」
ルーシィはそんなヴィヴィアンをなでなでして宥めるのであった。
一方、ティノの頭の中では盛大な葛藤の真っ最中であった。
《おい小僧、貴様、魔力がもう空っぽなんだが?》
(そりゃお前、そうだよ。オレは魔力ゼロだぞ)
《聞いとらんぞ!》
(言ってねーよ!)
《魔力がないと俺の火焔は撃てん!》
(撃てねーのかよ!)
《当然だ!》
(知らねーよ!)
《いくらなんでも限度というものがある! お前の魔力は本当に空っぽだ!》
(そうかよ、オレは限度知らずの規格外なんだよ!)
《とんだ規格外だ! デカいのは器だけのカスか!》
(おめーは悪霊撒き散らすだけの公害じゃねーか!)
《糞ったれめ!》
(糞はお前だろ!)
《能なし!》
(馬鹿が!)
「『ごあっ!』」
凄まじい頭痛がした。
ティノと竜の魂の間で強烈な拒絶反応が起きたのだ。同居人との間で壮絶な喧嘩がはじまったというべきか。
竜の巨体がひとりでにのけぞった。
ティノの身に何かあったのだろうか。下で見守っているカイトたちは不安でたまらない。
「……なんだか苦しんでない?」
「あっ、ティノ危ない!」
竜の異変を感じ取った悪霊の巨人がチャンスとばかりに竜に襲い掛かった。
「ぐぼあああああっ!」
『やかましい!』
竜の大爪の一閃で悪霊の巨人は真っ二つになった。
「ぐぎゃああああああっ!」
悪霊の巨人は胸から上を切断されてズッシリと倒壊した。
しかし竜もまた頭を抱えて苦しそうによろめく。
『うぐっぐぐぅ……。馬鹿な……この小僧、信じられん……こんなはずでは……』
よろめいた竜は大樹の幹に寄りかかり、ひどくえずいた。と思いきや次の瞬間には、
『おげえええぇぇっ!』
吐いた。
『おげげげげえええぇぇっ!』
竜は大きな口から大量のドス黒い物質を吐きまくり、その吐瀉物が崩れ落ちた巨人に浴びせられた。
竜の魂がその内部に溜め込んでいた悪霊の残滓が吐瀉物となって外に排出されているのだ。
《最悪だ……。ま、まずい……体が保てん……》
「ティノ、ゲロ吐いてるんですけど……」
目を覆いたくなるようなひどい光景。
「ティノちゃん……ぶざまね……」
ロゼッタが重大なことに気がついた。
「待って! ティノが吐いてる黒いやつ、あれってもしかして」
ティノが吐いた吐瀉物が、悪霊の巨人に癒着している。
「もしかして、悪霊?」
「嘘ォ……。いや、もしそうだったらヤバイよ、ヤバイよ……」
嫌な予感はたいてい続けざまに当たってしまう。
「巨人が……、どんどん大っきくなってる!」
黒い吐瀉物を浴びる悪霊の巨人が肥大化していく。反対に竜は汚物を吐くにつれ急速にしぼんでいった。
竜と巨人の体高はあっという間に逆転してしまった。
「ティノちゃんがチビちゃんになっちゃう〜」
「マ、マズい。マズいですよこれは」
嘔吐が収まったあとも竜の身体は縮小を続けた。
カイトたちが見守る中、ティノの身体は風船がしぼむように小さくなっていった。
ついにティノは、人の姿だったときのサイズよりも小さくなり、最後は小さな小さな黒い玉になって、水の中にポチャンと落ちた。
「えぇーっ!?」
「ティノーっ!?」
カイトとロゼッタは悲鳴をあげた。ティノの姿が消えてしまったのだ。
「ふえっ! ティノが、ど、どうしたの!?」
しおしお泣いていたヴィヴィアンが反応した。
「ティノが消えちゃった!」
「どういうことよぉ!?」
「ティノの体が小さく縮んで無くなっちゃったんだ!」
ロゼッタの声は絶望的だ。
すぐにでもティノが消えた場所に駆けつけたいが、暗黒の巨人が天から睨みつけている。それはあまりに巨大すぎた。
竜が吐き出した悪霊をも取り込んでさらに巨大化したそれは、真っ二つにされた箇所も融合し、完全に復活してしまったのだ。
勝利を確信したかのように、巨人が再びおぞましい雄叫びをあげた。
「う、うぅ……」
「どうしよう……」
カイトもロゼッタもどうしようもない。ここで巨人に踏み潰されるのを待つしかないのか。
「ティノぉ……。ふわああぁぁん」
「ティノちゃん〜……ゔぇぇ」
ヴィヴィアンはまた泣き出してしまった。今度ばかりはルーシィも涙が出た。
どうすることもできない。絶体絶命である。
もう祈るしかなかった。
ヴィヴィアンは膝の上の眠れる美少女をぎゅっと抱きしめ、祈った。
(どうか、どうか助けてください。お願いします――)
(ティノを、あたしたちを――)
(どうか、助けてください! 伝説の――聖双の――なんだっけ――)
(――お、お姉さまっ!)
ヴィヴィアンの手をきゅっと握るものがあった。
(――えっ?)
ヴィヴィアンは感じていた。
すぅーっ、と首筋に掛かるほのかに温かくて、くすぐったいもの。誰かの吐息。
涙のつたうヴィヴィアンの頰を優しくなでる柔らかな指先が。
ぱっちりと目蓋をあけた少女がヴィヴィアンの瞳をじっと見つめていた。
「ぁ……あっ……!」
「はわぁ……!」
にゃーん!
ルーシィとスプリーも声をあげて驚いていた。彼女らを包みこむ優しい手があったのだ。
もう一人の少女も、ルーシィの瞳を不思議そうに見つめていた。
聖双の魔導士、ソルフィスとシャナトリアが目覚めた。




