顕現
聖双の魔導士が眠る大樹の根元でヴィヴィアンたちは絶体絶命のピンチに陥っていた。
竜の秘奥を求める幻術士の男ダルハラジムと遭遇し、四人は幻術にかかり動けなくなってしまったのだ。
短刀を抜いたダルハラジムは彼らにとどめを刺すべく、一歩一歩と迫ってきた。
「く、くそっ。体が……」
カイトは足掻こうとするが、硬直した筋肉が一向に動こうとしない。幻術の恐ろしさに背筋が凍った。
このままではダルハラジムに一番近いロゼッタからやられてしまう。彼女はカイトを守ろうとして前に出たのだ。
「せめて痛みなく送ってやる。人知れず異界の地に眠れ」
「……くっ!」
ダルハラジムが短刀をロゼッタの喉めがけて振り下ろそうとしたときだった。
にゃーっ!
「うぉっ!?」
いきなりスプリーが飛びかかり、ダルハラジムの顔を引っ掻いた。
「くっ、このクソ猫が……!」
ダルハラジムの短刀が空を切る。スプリーはデブっちょな体型からは想像できないような身のこなしで剣をかわし、ダルハラジムの顔に飛びついた。
「ダメ〜っ、スプリーちゃん逃げて〜!」
ミスラの聖殿ではボケッとして役立たずだったのにスプリーがここにきて本気の怒りみせたのだ。
なごーっ!
「うおおぉっ!」
ダルハラジムの顔に取り付いて引っ掻くスプリー。
「やめて! スプリーちゃんが殺されちゃう!」
ルーシィの叫びもむなしく、ダルハラジムはスプリーの体を掴んで乱暴に放り投げた。
猫の体は宙を描いて水たまりのなかにボチャンと落ちた。
「スプリーちゃん!」
「チッ、クソ猫が……」
ダルハラジムは引っ掻かれた頰を指でさすりながら、猫が落ちたあたりの様子を伺った。
小さな波紋が広がっている。無事だとしてもしばらくは上がってこれないだろう。今度見たら刺し殺してやる。
スプリーの決死の行動は、幻術士の男を止めるには至らなかった。
しかし、彼の勇気が少しばかりの時間を稼いだのだった。
どさり。
ヴィヴィアンの背後で音がした。
「な、なに!?」
ヴィヴィアンは体が硬直して後ろを振り向けない。他の皆も同様だ。
なにか重たいモノが落ちる音がした。
『ゔ、ゔゔううぅぅ〜〜』
「なになになんなの〜!?」
「ビビ、どうした!?」
「わからない、わからない! 後ろに何かいるよ〜!」
ダルハラジムも異変に気付いた。ヴィヴィアンの背後に現れたモノを見た。
「お前は……?」
現れたのか、それとも最初からそこにいたのか。
のっそりと頭をもたげて立っていたのは、ティノだった。
『うっ、うゔゔぅぉぉ〜〜。まぶしいぃ』
ティノはよろめきながら前に歩き始めた。その足取りはフラフラとおぼつかない。
背後からヴィヴィアンの真横を通り過ぎるティノ。
「テ、ティノ!?」
「ええ?」
驚くヴィヴィアンたちだったが、今は体が動けずどうすることもできない。
ティノの両目は開かれておらず、すり足で大樹の根茎の上を歩いている。とても危なっかしい。
『なにもみえん……』
何を言ってるの? ヴィヴィアンはぎょっとしてティノから目が離せない。
「お前は……? フン、一人そこに隠れていたのか」
ダルハラジムは少し不審に思いながらも、ロゼッタやカイトを無視してティノに近づく。
そしてティノの首を掻き切ろうと、手に持った短刀を振りかぶった。
「ティノ、危ない!」
「――!?」
短刀はティノの首すじに触れる寸前のところで静止していた。
「な、なに……!?」
その刃はわずか二本の指に挟まれ、ビタリと固定されていたのだ。
「むっ……!? ぐおおぉぉ……!」
ダルハラジムは渾身の力でもって短刀を取り返そうとするが、ティノの指にはさまれた刃は万力で固定されたように動かない。
『ああぁぁ……素晴らしい……』
ティノが奇妙な声で薄ら笑いを浮かべながら短刀をつかんだ手を軽く払うと、ダルハラジムの体がぽーんと飛んだ。
「ぐわああぁぁっ!」
男の体は大樹から落下し、根っこにしこたま体を打ちつけて、水たまりのところまで落ちに落ちてボチャンと音を立てた。
「え……?」
ヴィヴィアンたちは唖然としたまま動けなかった。体の麻痺が治っていることにも気づかないほどだった。
『フ、フフフ、ワハハハハハ!』
突然、ティノは空に向かって大笑いした。
『いいぞ小僧、この感じ! 素晴らしい……。お前、最高だぞ!』
「うるっせぇ! お前ちょっと黙れ!」
『怒るな、なにせ久しぶりなのだ。はしゃぎたくもなるわ』
「んぐっ。ま、まぶし……」
その場にうずくまるティノ。
さっきから独り言のように叫び声をあげている。彼の様子は明らかにおかしく発狂したようにしかみえない。
「ど、どうしよう。ティノが変になっちゃった!」
体が動けるようになったカイトたちは、おそるおそるティノの元に駆け寄った。
「……みんな、無事か?」
少し落ち着いた様子のティノが口を開いた。ただ、その目は閉じられたままだ。
「ゔえぇぇ、ティノちゃん〜、スプリーぢゃんがぁ〜!」
ルーシィはもう半泣きで助けを求めた。
彼女の声に耳を傾けていたティノは静かにある方向を指さす。その目は閉じられたままだ。
不思議とその方に目をやると、全身びしょ濡れになったスプリーがのたのたと這い上がってきた。
スプリーは無事に戻ってきた。ルーシィは「ヴエェェ」と大泣きして安堵した。
「ね、ねぇ、ティノあんた、なんだか変じゃない?」
ヴィヴィアンの率直な反応は皆も思うところだ。
「どこに隠れてたんだ?」
「なにがあったの?」
みんなの視線がティノに集まる。ティノは平然と答えた。
「ちょっとそこまで、竜の力を手に入れてきた」
ティノは薄眼を開けてニヤリと笑った。
「え……!?」
一同騒然となった。ティノが言ってることが一瞬理解できなかったのだ。驚くヴィヴィアンたちをよそに、ティノは再び立ち上がる。
覚束ない足取りで水晶体の前に立ち、ティノは眠れる二人の少女に向かって叫んだ。
「竜の魂は解放された。もうお前らがこれ以上束縛される理由もない。オレは今からおまえらを解放する!」
そう高らかに宣言すると、ティノは両手の掌を水晶体に叩きつけた。
ビィンと、重々しく鋭い衝撃がはしる。
「きゃっ!」「うわっ!」
ヴィヴィアンたちは衝撃にたじろいだ。
その振動は大樹へと伝わり隅々の枝先をざわめかせ、てっぺんから根っこまで、大気の隅々までを轟かせた。
ティノの手のひらが水晶体に接触した表面から、じわりと内部へ染み込んでゆく。
"魂の檻"、いわゆる停滞魔術と呼ばれる絶対不可侵の断絶された時空に干渉し、その領域へと浸透しているのだ。
今まさに、理が崩されようとしている。
「ティ、ティノの手が……」
みんな息を呑んだ。
水晶体の中に入ったティノの手は、水に垂らした絵の具のように、ぐんにゃりと曲がり歪んで見えなくなってゆく。
光の屈折にしては異様に歪んでいた。それでもティノは両腕を水晶体の内部へと押し込んでいく。
やがて水晶体が小刻みにビリビリと振動をはじめ、表面が薄く融解をはじめた。
「あと少しだ……!」
《小僧、忘れるなよ。俺の中から漏れ出た大量の悪霊どもも、この中に眠っている》
共存する竜の思念がティノの思念に語りかける。
《魂の檻が解けたら、奴らも一斉に飛び出してくるぞ》
(わかってるさ)
「みんな、下がって伏せてろ! 目をつぶれ。こン中からヤベーもんが出てきても絶対に見るなよ!」
「え? えっ?」
『いいから言うとおりにしろ!』
ティノが突然乱暴に怒鳴るので、皆は訳が分からなかったが慌てて言われたとおりにした。
ティノがねじ込んだ両腕から衝撃がはしる。超絶界の障壁に楔が穿たれた。
「さあ起きろ、夢から覚める時間だぜ。ソルフィス、シャナトリア!」
水晶体の表面にびっしりと、縦に真っぷたつに割る亀裂が入った。融解した媒質がどうっと洪水のように流れ出す。
『目醒めよ!』
ティノは体を攫われないように両足を踏ん張る。
そこに封印から解放された天使が、天から堕ちてくるように降ってきた。
ティノは腕を広げて少女の体を全身で受け止めた。
「やっと会えたな」
喉の奥から自然とそういう言葉がでてくる。
天使がもう一人降ってきた。
「ぐっふゥっ」
ティノは二人分の重みにつぶされた。




