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MAGIN ―聖双の魔導士―  作者: カシミア
第三幕 幻想界
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白の誓約・黒の契約

 白の世界の主である召喚者から送り込まれた暗黒の世界で、ティノは竜の魂と驚くべき邂逅を果たした。

 召喚者から言われてきたティノの交渉相手とは、竜だったのだ。ひとまずティノは、竜の願いを聞いてあげることにしたのだが――


『小僧、俺は貴様の体が欲しい』


 竜が交渉のテーブルに乗せてきた条件とは、そういうことだった。竜が欲していたものはティノ自身だったのだ。


「フギャーッ! やっぱり! なんだよそれ! おマエ、オレに憑依して乗っ取るつもりだな!?」

 ティノは絶叫した。

 これを白の世界の召喚者は知っていて送り出したのだろうか。


『待て、ちがう。そうではない。小僧、これは取引だ』

「取引?」

『そうだ、取引だ。乗っ取るのではない、貴様と俺とで肉体を共有するのだ。乗っ取るというのは公平ではない。なにより俺の矜持(プライド)が許さん』


 ひとつの肉体をふたつの魂で共有する? そんな寮生活のルームシェアみたいなことが可能なのか。出来るとしても願い下げだ。

 ティノが絶叫したことで面食らったのか、竜は言葉の端々の態度に少しだけ軟化をみせはじめた。

 こちらが拒絶したところで話が進まなくなるので、ティノはさらに交渉事を進めてみることにした。


「代わりにお前がオレに差し出すものは?」

『揺るぎない力。竜の力を与えてやろう』

「竜の力だと……」


『取引とはつまり、我々の間で取り交わす"契約"だ、小僧。お前は俺の力を得る。かわりに俺はお前の肉体を得る。そういう取引だ』


 ティノは思考が止まった。竜の力とは――

 ロゼッタや、あの謎の男が欲していたものではないのか。

 もしこれに応じたらどうなってしまうのだろう。悪魔ならぬ、竜との取引に。


 この危険極まりない相手に自分の体を与えるということが何を意味するのか。

 そして竜から与えられる力を自分のものにするということが何を意味するのか。

 考えたところで、ティノにとっては竜の力とやらに興味はない。今までどおり穏やかな生活に戻れればそれでいいのだ。

 


『貴様に、いくらか判断材料は与えてやろう。俺は公平だからな』

「なに?」

 ティノが交渉の席から降りないように、竜はさらに言葉を畳み掛けてきた。



『まずひとつ。俺の魂の器となる素質を秘めている唯一の人間が小僧、お前だけだということだ』

「魂の器……? オレだけが?」


『そうだ。オレほどの"格"の魂を受け入れられる器の人間など、まず存在しない。だからこそあの白の世界の主はお前を選び抜き、俺の前に遣わしたのだ。これは誇って良いことだぞ小僧? 俺と対等に取引できる存在など、そうはおらんからな』


 これは竜と取引ができる存在がティノただ一人だということだ。

 つまり「交渉の主導権はティノの方にある」と、暗に言っているかのようだ。



『もうひとつ。肉体を操れるのは俺か貴様のどちらかだ。だが普段の主導権は貴様に譲ろう。好きな時に俺の力も使えばよかろう。必要に迫られた時だけ、俺が出る』

「良心的だな。それで必要に迫られた時っていうのは?」


『未曾有の生命の危機。お前では解決できない差し迫った問題に直面した場合だ。あとは必要に応じてお前に相談するとしよう。言うまでもなく、この取引の決定権は小僧、貴様にある。だから相当に譲歩した内容だと承知しておけ。勘違いするなよ、俺は同居人とはなるべく友好的でありたいと思うだけだ』


 竜は肉体の主導権を基本的にティノに与えると言っている。

 殊勝な態度だが、さすがに真性の竜らしく相変わらず物言いは高慢だ。意地っ張りなのだろうか。



『最後にひとつ。もし貴様がこの取引から降りた場合、何が起こるか?』

「なんだよ、どうなるんだ?」


『外にいるあの小娘どもは死ぬ』

「ハァ? なんでだよ、なんであの子たちが死ぬんだよ!?」


『俺を取り巻く結界の力はもう限界にきている。この魂の牢獄は放っておいてもじきに消える。そうなれば、俺の中に押し込められていた数多の悪霊が解き放たれるだろう』

「それがどうなるっていうんだ? 悪霊が呪い殺しにでもくるのか?」


『フフフ。悪霊ごときでは、あの小娘らの持つ力の前には歯が立たんよ。そこで奴らがどうするか、わかるか?』


 見えない竜の顔が闇の中でニヤリと目を細めて笑ったような気がした。

 どうするというのだ。ティノは黙って続きを促す。


『――脆弱で邪な人間に取り憑くのだ。そして、怨恨・嫉妬・憎悪・欺瞞・憤怒、あらゆる悪性の焔が人間どもを蝕む。あの小娘らはついに、人の手によって殺されるだろう』

「バカな。そんなのってあるかよ……」


『俺も小娘らも悪霊にはたいそうな恨みを買っている。かつて人間が言っていたぞ、人が人を殺すのだと』

「じゃあ、どうすりゃそれを防げるんだ?」


『もうわかっているだろう? 肉体を得た俺だけが悪霊を喰い殺すことができる。それが小娘を救うことになるのだ。俺は気がすすまんがな』


 ティノには分かっている。

 これは竜との取引に応じるよう誘導されているのだ。あの姉妹の命を人質に取られて。

 しかし、生贄となったソルフィスとシャナトリアの魂を喰らうのが目的だと、最初に竜はそう言った。

 結局のところ、最初から双方の要求の前提が相容れないのだ。



「くそっ」

『フフフ……貴様はすでに、情にほだされておるのだろう? 言葉すら交わしたことのないあの姉妹に』


「ああ、そうだよ。オレは二人を救いたい。だけどお前の狙いはあの子らの魂なんだろ? だったら、この取引は成立できないだろう」


『フン、そうだな……』

 少しの間があった。

 竜は何かを考えていた様子で、しばらくして新たな提案を投げかけてきた。



『ではこうしよう。小僧、お前が生きている間は、俺は小娘らに手出しをしない』

「ん……?」

『だが、お前より先に小娘らが死ねば、その時は小娘の魂をいただく』

「どういう意味だ?」

『小娘らをお前より長く生かせば、お前の勝ちということよ。どうだ?』

「……」



 竜の提案を整理してみる。

 姉妹がティノより先に死んでしまったら、竜は姉妹の魂を喰ってしまう。これはティノの敗けだ。

 逆にティノが先に死ねば、竜も肉体を失う。よって竜は姉妹に手出しできなくなる。この場合はティノの勝ちだ。


 ティノが生きている間は、竜は姉妹に手出しをしないと言っている。

 だから姉妹が死を迎えるより先にティノがくたばるような人生をこれから歩めばよい。


「オレの人生をかけてあの二人を守れば良い、ってわけか。守れなかった場合はお前の餌食になると……」

『双方の要求を公平に満たしている提案だと思うが、どうかね?』


 まさか竜がギャンブルを打ってくるとは。ティノはしばし考えた。


「もし二人が重い病気になったら……?」

『そうならないように、せいぜい立ち回ることだな』


 人生の艱難辛苦は誰にもわからない。まさにギャンブルということだ。


「オレの人生が終わる頃にゃ、あの二人だってお婆ちゃんになってるぞ。そこんところはいいのか?」

『魂の輝きに老若など関係ない。刻の流れは俺の前には無意味だ』


「お前が途中で二人を襲わないって保証はあるのか? オレの隙を見て二人の寝首を掻くんじゃあないだろうな」

『貴様、この俺を誰だと思っている?』

 一気に気圧されるような凄みのある響きだった。


『そのような信頼関係で、この先の同居人をやっていけると思うのかね?』

「むぅ……」


 齢十二にして竜と交渉して、この先の自分の死と生き方について考えさせられるとは。気が重たくなるどころか悟りの境地すら見えてきそうだ。

 まだ触れたことも話したこともない少女のために、己の人生を賭けることになるとは。我ながら糞馬鹿野郎だなとティノは思う。



(――ならば目の前の二人、ソルフィスとシャナトリアを必ず幸せにすると、今ここで誓いなさい!)

(ハイ! お二人を必ず幸せにします!)

(――大切なことですから今一度、ここで誓いなさい!)


 白の世界の召喚者と約束したことが思い出された。あのとき誓わされた約束事とは、このことだったのだろうか。



『では、小僧。最後に一言だけいっておこう……』


 この邪悪な竜を擬人化したイメージに例えるとしたらどうなるだろう。尊大で傲慢で冷徹で、しかも知恵の回る老獪な紳士といったところだろうか。


『あの小娘二人と貴様たち人間の世界がどうなろうと俺の知ったことではない。決めるのはお前だ。よく考えて、好きにするがいい』


 黒い紳士は、テーブルの上に組んだ両手をオープンにして、「ご決断を」というジェスチャーをとった。


『進むべき道は与えた。さあ、どうする?』



 しばらくの沈黙があった。



「いいだろう。竜よ、お前の提案を受け入れる」

 ティノは決意した。


『俺との契約を結ぶということだな?』

「そうだ」

『男に二言はないな。お前の体をもらうぞ、いいんだな?』

「ああ、やってくれ」


『よくぞ言った、小僧。お前は崇高な決断をした』

「いいか、オレは小僧じゃない。ティノだ。同居人として覚えとけ」

『……フッ、分かった。ティノよ、たいした奴だお前は……。人の子にしてはな――』

「うるせえ。さっさとやっちまえ」

『――ハッ!』


 竜は愉快そうに笑った。

 こうしてティノは自分の肉体に竜の魂を受け入れ、代わりにその力を得る契約に同意した。


『――ならば俺の力、うけるがいい』


 ティノは暗黒の海にその身を投げ出す。暗闇のただ中に浮かぶ砂粒の光の集合に意識を集中した。

 次の瞬間、自己の意識が暗黒の世界の隅々にまで広がったかと思うと、無数の光が飛び込んできた。すべての知覚が世界に溶け込むような感覚にとらわれ、魂が光速の波に乗り、深淵へと到達する。

 そこでティノは超越した何かを感じた。


 ティノは竜の魂を呑み込んだ。



   * * *



 遠くから響きがあった――


――ティノ、私の声が聞こえますか?


(ああ、あんたは――)


――外の世界に貴方のお友だちが来ているようです。それと、貴方を追ってきた男も


(本当に? まずい、すぐに戻らないと――)


――急かしてしまって、ごめんなさいね。短い間でしたが、貴方と話せて本当にうれしかった


(待って、あんた一体何者なんだ? 名前あるんだろ?)


――私はこの閉ざされた世界に吹き溜まった塵のようなもの。何者でもありません


(そんなことないだろ。あんた、あの二人の何なんだ? 竜とはどういう関係なんだ? なぜオレを助けようとする?)


――ティノ、時間がありません。どうか二人を、ソルフィスとシャナトリアをよろしくお願いします


(まって、もう少し――)


――きっとまた逢えます。そのときまで。どうかそのときまで、さようなら――



 ティノの意識は光の奔流に飲み込まれていった。



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