夜渡り
―奥アゼル地方 ミスラ聖殿遺跡―
カイトたちがミスラの聖殿遺跡に到着した時はすでに日が暮れていた。
夜空には星が瞬きはじめ、いつの間にか浮かび上がった満月が大地をほのかに明るく照らしていた。
大きな二つの門をくぐって辿り着いた長い橋の向こうに黒々とした孤島の影がみえる。その場所にミスラ聖殿の本城が月明かりの下で青白い輪郭を浮かび上がらせていた。
「なによあの馬鹿デカい城は! あれが聖殿だっていうの? まるで要塞じゃん!」
「二人とも足元気をつけて。ここから落ちたら余裕で死ぬよ」
「これが聖地巡礼なのね〜」
三人と猫一匹は、枯れた湖の上を通る橋の上を歩いていた。
カイトとルーシィはたいまつ棍棒に火を灯し、足元を照らしながら慎重に進む。
「その格好ってさあ、原始人みたいよね? ウホウホって感じの。ぷぷ〜っ、おかし〜っ」
ヴィヴィアンは魔導士の杖の先に灯明をともしていた。上品な照明がなんだかオシャレを気取っている感じで小憎らしい態度だ。
「ビビちゃ〜、知らないのですか〜? すべての属性のなかで物理が最強なのですよ〜?」
このあとに「殴りますよ〜?」という言葉が続く。
物理は決してウソつかない。裏切らない。
ほとんど橋を渡りおえたところで、ルーシィがぼんやりと空を見上げた。
「ルーシィ、どうしたの?」
「お月さまがかくれんぼしてる〜」
ルーシィが指差す先、満月が黒く染みはじめた。
「なんかすご〜い」
「あれは……月触? こんなときに……」
「なんだか禍々しいわね……。あっ、暗くなっちゃう」
にゃーん。
先導していたスプリーが「早く行こう」と訴えてきた。ルーシィ翻訳がなくても分かるほど切迫した雰囲気だ。
「そうだね、スプリー。みんな急ごう! なんだか胸騒ぎがする」
「わかったわ!」
カイトたちは走り出した。
もう少しで橋の終点、城門入り口というところで、いきなりカイトが叫んだ。
「みんなーっ、僕の後ろに隠れてーっ!」
城門で待ち構える黒い人影が目に入った。それはお腹一杯でもう見たくない顔、グリエンだった。
「スプリーっ!」
カイトは大荷物をズドンと前方に置いて耐風姿勢をとる。その背後にルーシィとヴィヴィアン、そしてスプリーが駆け込んだ。
「グロロワオウォー!」
グリエンの叫び声とともに凄まじい突風が吹き荒れ、カイトたちを襲う!
「ウワーッ!」「ぐぬぬぬ〜」「キャーッ!」
カイトたちは荷物の盾に隠れてひたすら耐える。
ルーシィとヴィヴィアンはムカデのように連なって後ろにくっつき、姿勢を低くして帽子を押さえた。スプリーはヴィヴィアンのお尻にぴこっと取りついた。
最後尾のヴィヴィアンは杖の先を石畳に食い込ませ、つっかえ棒にしてなんとか耐える。とにかく耐えた。
やがて風が弱まった。耐え切ったのだ。もし吹き飛ばされていたら橋から転落していただろう。
次はこちらのターンだ!
カイトはたいまつ棍棒を振りかざした。
「とーつーげーきー!」
「どおりゃー!」
ヴィヴィアンの魔導士の杖から火球がズッドンと発射された。グリエンの上半身に命中!
「ウオグワラワワーッ!」
不気味な悲鳴をあげてのたうつグリエンに、ルーシィがたいまつ棍棒を振りおろした。
「でやー」
メリィ。
なにか嫌な音がしてグリエンはぶっ倒れた。
スプリーとルーシィは倒れたグリエンには脇目も振らずに城門を突破していく。カイトとヴィヴィアンも後を駆けていった。
グリエンの存在でカイトたちはかなりの確信を抱いた。やはりこの場所にティノとロゼッタが来ている。
カイトたちは勢いに乗って城内の本殿の中に突入した。
「気をつけて。敵が待ち構えているかもしれない」
「わかってるわ、でもティノとロゼッタもどこかに居るのかしら?」
カイトたちは慎重に建物の中を捜索する。本殿の中に人の気配は無いようだ。
「ティノー、ロゼッター! おーい!」
カイトは大声で叫んでみた。しかし反応はない。
「どこか別のところかな」
にゃーん。
スプリーがなにか見つけたようだ。
「ここに階段があるよ〜、スプリーちゃんえら〜い」
壁伝いに下へと降りる階段があった。
「よし、降りてみよう」
その時、はるか下の方から悲鳴が聞こえた。
ロゼッタの声だ!
「急げ!」
「戦闘態勢よ! 気をつけてルーシィ」
「ルーシィは鬼になります」
たいまつ棍棒を大上段構えにするルーシィ。コケるからやめなさいとヴィヴィアンに諌められた。
カイトたちは壁沿いの螺旋階段を下へ下へと降りて、やがて最下層にたどり着いた。
暗闇の部屋にぼうっと浮かび上がる奇妙な青白い光。
「……ここは?」
「水盤……泉? 水が湧いてるのだわ」
「お水が光ってる〜きれい〜」
先頭のカイトが手を上げて後続の二人を制止した。
青白い泉の縁に黒い人影が立っていた。コートに身を包んだ長身の男だった。
「来たか。ちょうどこちらも終わったところだ」
「あんた誰っ!?」
「君たちと同じく、竜の秘奥を求める者だ」
男の腕にはぐったりとしたロゼッタが抱きかかえられていた。
「その子を離せ!」
「……フッ。血気盛んだな。やれやれ、あの"門番"も使いモノにならんな……」
男は素直にロゼッタを解放した。そして泉の中央へと歩いて行く。
「すまないが君たちと遊んでいるヒマはない。あとはお友だち同士、仲良くやってくれ」
男が不気味に笑ったような気がした。
「さらばだ」
次の瞬間、男の姿は忽然と消えてしまった。
「き、消えたわ!」
「いや、落ちたんだ!」
三人はあわてて水場に駆け寄った。
謎の男が姿を消した泉の中央あたりからブクブクと気泡がたっていた。泉の中に潜っていったのだろうか?
水面はとても清らかな水が波打っているのだが、下を覗くほど青白く鈍い光が視界を妨げており、深部がどうなっているのかは分からない。
それよりも今はロゼッタだ。
彼女はプールの縁に寄りかかって倒れていた。三人はロゼッタの元へと走る。
「ロゼッタ、しっかり!」
カイトは気絶しているロゼッタを抱き起こし、平らな床のところへ運んだ。
「なんなのこれ……」
ヴィヴィアンは灯明をめぐらして注意深く周囲の様子を伺った。
デカい野犬二頭にカラス、そして見知った顔、ザッツとリーバーが倒れている。
ひどいありさまだ。
こいつらを全部ロゼッタが倒したのだろうか。それではさっきの男は一体――
「ティノはどこよ……?」
カイトがロゼッタを床に寝かせようとしたとき。
「カイちゃん、離れてっっ!」
ルーシィがこれまでにない大声で叫んだ。
「えっ?」
ロゼッタが目を見開き、いきなり襲いかかってきた。
「ウガアアァァッ!」
「うわああぁぁ!?」
突然ロゼッタが大口を開けてカイトに噛み付いてきた。
カイトは間一髪のところでロゼッタの額に手のひらを押し当ててこれを防いだ。カイトの手のすぐ下で、がちんがちんと歯が噛み合う音が響く。
カイトはぎょっとした。
ロゼッタの口から野獣のような二本の牙が露わになっている。
異常に伸びて鋭く発達した犬歯だった。それはまるで――
(吸血鬼!?)
ロゼッタは小さな体から信じられないような力を出してカイトを押し倒した。
「ウグル……フ……ウフフフ……」
カイトの体に馬乗りになったロゼッタは勝ち誇ったように舌舐めずりをする。その瞳が鮮血のように真っ赤に輝いていた。
「ぅわ……うわあぁ!」
「ガアァッ!」
ロゼッタがカイトの首筋に咬みつこうと飛びかかる。
「だめ〜っ!」
滑り込んできたルーシィがたいまつ棍棒の鬼スイングでロゼッタの体をしこたま殴りつけた。
ロゼッタの体が横に転がる。おかげでカイトは窮地を脱することができた。
「ありがとう、ルーシィ」
ロゼッタは勢いよく跳ね起きて後方に跳ぶ。駆けつけてきたヴィヴィアンたちと距離をとったロゼッタは、唸り声をあげて三人を睨みつけていた。
カイトは立ち上がって身構える。
「ロゼッタ……? 僕たちが分からないのか?」
「完全に正気を失ってますね〜」
「グリエンと同じだわ……。さっきの男よ! きっとあの男の術に操られちゃってるのよ!」
「なんてこった……」
ロゼッタは四足獣のように低く構え、いつでも飛び出せる姿勢でゆらゆらと揺れている。
「さらに具合が悪いことに――」
暗闇の中でロゼッタの双眸の奥から輝く紅い眼光が尾を曳いていた。
「ロゼッタは夜渡りだったんだ」
「……どうやらそのようね」
夜渡りとは吸血鬼や人狼など、夜の世界を徘徊する魔人の総称だ。これは魔導士でなくとも広く一般に知られている。
そして注意しなければならない重要な点がひとつ。彼らは闇の中ではやたら滅法に強い、ということだ。
「みんな集まって! 今のロゼッタはめちゃくちゃ強いわよ!」
「どうすればロゼッちゃん元に戻せるの〜?」
「わからない。でもこうなったら戦うしかなさそうだ……」
カイトとヴィヴィアンとルーシィの三人は、ロゼッタと望まぬ交戦状態に陥った。




