忘れられた聖堂
―奥アゼル地方 聖地 ミスラの聖殿―
ミスラ聖殿遺跡。
聖地の広大な地域のほぼ中心に、かつてそこに湖が存在していた大きな窪地がある。現在ではほとんど水が枯れ果てたその場所に、山のようにせり上がった巨大な岩盤の小島がある。その上に朽ちた古城がそびえ立っていた。
かつて聖なる火が祀られ、乙女たちの祈りが捧げられていたとされる場所である。
丘陵地帯の谷間を縫うように進み、憑かれたように歩みを続けていたティノはついにここまでやってきた。
南向きの城門からまっすぐ対岸へとかかる長い橋がのびている。枯れ果てた湖底に幾本もの巨大な橋脚が櫛のように並んで穿たれていた。
ティノを追ってきたロゼッタも孤島にそびえる古城の威容に驚かされていたが、そこがミスラ聖殿であることは知る由もなかった。
「すごい……聖地にこんな場所があるなんて」
橋のたもとについたロゼッタは、古城をとりまく構造物の規模の大きさに圧倒された。
なにせここにたどり着くまでに正門と中門のふたつの巨大な門楼をくぐらなければならなかったし、そこから古城の城門へとのびる橋の長さといったらアゼル魔導学院の敷地を跨いでしまいそうなほどに長大なのだ。
目のくらむような高さの橋の上をティノは黙々と進み続ける。ロゼッタも遅れないように後をついて行った。
長い橋を渡って城門にたどり着いた。
門といっても門扉はない。巨大なオベリスクのような門柱がそびえ、それを取り巻くような門楼のつくりだ。
これまでくぐってきた門楼のアーチもこのような造りだった。
城砦のような頑丈な門ではない。そのようなデザインではないのだ。
(……神殿か何か、なのかな?)
ロゼッタはそう思った。
見上げると山のような岩壁に張り付くようにして、聖堂が構築されているのが分かる。なんとなくアゼル魔導学院の城砦を思わせるものがあった。
いたるところが崩壊しており、崩れた石材が土砂となってそこに根が絡みつき、樹木が青々と茂っていた。
静寂の中の虫の鳴き声が、かつての栄華がそこにあったことを物悲しく語っているようだ。
ティノは正面の本堂とみられる大きな建物に入っていく。ロゼッタもその広い空間に足を踏み入れた。
「はわぁ……」
天井付近の崩壊した孔から夕方の陽光が差し込み、頭上高くからぼんやりと空間を照らしている。侘しくも美しい光景にロゼッタは感嘆の吐息がもれた。
ティノはホールの身廊をまっすぐ進んで行く。ロゼッタは追いかけた。
広間奥の壇上には、かつてなにかを祀っていたであろう祭壇の跡があった。
「玉座ではなく、祭壇か……」
やはりこの場所は宗教的な施設だったのだろう。
そこでロゼッタは気がついた。もしやこの場所はミスラ聖殿なのでは、と。
聖堂の遺跡をこれまでも見かけてきたが、ここまで大きな規模の建造物は初めてだ。この場所は、昨夜のネロ爺さんの話にあったミスラ聖殿の跡地なのかもしれない。
側壁に下層へと降りる大きな回り階段があった。ティノは下へと降りていく。ロゼッタも張り付いた植物の根を注意深くまたいで階段を降りていった。
降りたフロアにはさらに下へと降りる円柱状の深い縦穴があり、壁沿いに長い長い螺旋階段が設えてあった。
階段から下を覗くと鏡面のように光がきらめいている。井戸底みたいな地下水が溜まり、壁孔から差し込む光を反射しているのだろう。
最下層の空間までたどり着くと、光の正体が湧き出る泉であることがわかった。
膝ほどの高さにつくられた円形のプールに清らかな水が湛えられており、四方の排水溝から外へと細い水が流れ出ていた。
ティノはそこで力尽き、膝を折って倒れた。
「ティノ!」
ロゼッタが駆け寄り、ティノを抱き起こした。
「……うう……、ロゼッタ……?」
「気がついた?」
「……うぐっ……、み、水……」
ティノの声はかすれ、弱々しかった。
苦しいのは当然だろう、ここまで飲まず食わずでぶっとおしで歩いてきたのだ。喉はカラカラに渇いている。
ちょうど目の前には綺麗な湧き水のプールがある。ロゼッタはティノを抱えて泉に這い寄った。
「ほら、水だよっ」
「ぶわっ、はわっ!」
手で水をすくってティノの顔にかける。それでティノは生気を取り戻したようだ。ティノは目の前の水盤に顔を突っ込んだ。
「ブハッ! うめぇー」
ティノは生き返る心地がしたが、それもつかの間、今度はひどく足が痛むことに気がついた。
ブーツと靴下を脱ぐと脚も足裏も腫れ上がっていた。
「アイィ……痛ちち……。クソ、どうなってんだ? なんで足がこんな……?」
「マメできちゃったね。ずいぶん歩いたからボクも足が痛いよ」
ロゼッタはティノに寄り添い、ティノの赤くなった足に水で濡らしたタオルをあてがってマッサージした。
はぁ。と一息ついて、ティノはプールの縁に背を預けて体を楽にした。
ようやくまわりの視界が頭に入ってきた。
「ところで」
「ココどこ?」
「うおお」
「うおおおおおお」
「お、おお? ど、どどどど、どこだここ? どうなってん……ゲホッゲホッ」
ティノは軽くパニックに陥った。無理もないだろう、夢遊病状態から覚醒したらとんでもない場所にいたのだから。
再び泉に顔を突っ込んで水をガブ飲みしたティノは少し落ち着いてきた。
「ケホッ、ケホッ。……ハァ」
「ティノ、大丈夫か?」
「ロゼッタ!? ココどこだ? みんなどこいっちまったんだ?」
「ボクもわからない。ボクは君のあとを付いてきただけなんだ」
「?? ついてきただけって……」
ティノはふとロゼッタの顔を見て異常に気がついた。
「ん? ロゼッタお前、眼ェ真っ赤だぞ」
「えっ!?」
ロゼッタはびっくりして目をおさえた。
ティノの方からは見えないよう、水鏡に映る自分の顔をそっと見てみる。
ひどい顔だった。瞳の色が血のような赤に染まっている。
頬もこけてかなり体力を消耗しているようだ。緊張状態が続いてまったく気づかなかったのだろう。
「体調とか大丈夫か? 顔色もすごい悪いぞ」
「だ、大丈夫だ! 今日は日差しが強くて……まぶしいのに目がやられちゃったんだ」
ロゼッタはあわててフードをかぶり直し、ティノに横顔を見られないようにした。
「言ってなかったっけ? ボク体質的に、太陽の光が少し苦手なんだ。それを防ぐ眼鏡もなくしちゃって……」
「お、おう、そっか? そりゃ初耳だ。大丈夫ならいいんだけど……」
ロゼッタの目が雪目みたいに真っ赤になってるし、白かった肌は血の気が引いて青白くなっていたので、ティノは心配だった。
「ところでさ、オレ一体いままでどこで何してたんだ? 知らない?」
ティノの反応にはロゼッタも困った。ありのままのことを伝えるしかない。
「昨夜のキャンプは覚えてる? みんなが眠ったあと君は一人起き出して、こんなとこまで歩いてきたんだ」
「え……? マジで? まったく記憶にないんだが……」
「本当だ」
ティノは昨夜のことを必死に思い出そうとした。
キャンプでみんなと語らって、ネロが話すアゼルの昔話を聞いて、眠りについたところまでは覚えている。
そのあとの記憶はまったく無い。むしろ「今起きた」と感じているほどだ。
「何がなんだか……。お、おい、ロゼッタ。オレが一人でフラフラ歩き出したってんなら、なんで止めてくれなかったんだよ?」
「ご……ごめん。てっきり君が召喚されてると思ったんだ」
「召喚?」
「君はまた、例の夢を見たんじゃないのか?」
「いや……わからない。思い出せない……」
「君のまわりで不思議なことが起きてると思った。ボクはそれが何なのか確かめたくて、君に付いてくことにしたんだ。ボクはたまたま目が覚めてたから、君を見失う前に気づけたのはラッキーだった。でもカイトたちまで起こす余裕がなかった」
「……」
「今ごろカイトもヴィヴィアンもルーシィも、ボクたちを探してると思う。きっとひどく心配してる。本当に悪いことしちゃった……」
「……そうか」
なんとなく事情は飲み込めた。過ぎ去ってしまった時間もわかった。しかし、ここは一体どこなのだ?
ティノはあたりを見回してみた。
上はとても高い天井。後ろには不思議な泉。正面には、少し段差を降りたところに柱の並んだ大広間があった。
古代万神殿のように並んだ大きな柱の間からは外の風景が見える。えらく開放的な空間だ。
「なあ、ここって何かの遺跡なのか? このクソでかい建物は一体何なんだろう」
「この場所は、枯れた湖の中に建つ大きな神殿だ。ボクはここに来たときとても驚いた。聖地にこんな場所があるんだって」
ロゼッタは外の景色を眺めながら静かに話す。
「おそらくここは、ミスラ聖殿なんだと思う」
「えっ!? ミスラ聖殿ってあの……、昨日じいさんの話にでてきたアレか?」
たぶんね、とロゼッタはうなずく。
「君は召喚されたんだよ。それでここまで迷いなくやってきた。アゼルの遺産が眠る場所だとするなら、ここはうってつけだと思う」
「ロゼッタは、まだ狙ってんのか? 竜魂石をさ」
「わからない」
「……?」
「ここに来るまでにいろいろ考えたんだ。ボクは本当は何がしたいのかって……。今までは家のため家族のためと思って頑張って動いてたんだ。でも本当にしたいのはそうじゃなくって、本当のボクはたぶんそうじゃなくって……」
「オレは家族がいないから、そういうのニブいところがあるんだけどさ」
固くなるロゼッタの肩にティノはポンと手を置いた。
「もっと肩の力脱いてさ、もっとこう楽〜ゥに考えて、お前が自分の好きなことをやっていけばいんじゃね?」
「……う、うん」
自分のことをティノと話したおかげか、ロゼッタは少し気持ちが軽くなった。
「今思ってるのは、みんなで無事に魔導学院に帰りたい。それだけ」
「おう、そうだな」
緊張感がほぐれたせいか、ロゼッタはどっと疲労感がでてきた。
「疲れた……。ちょっと、休む……」
そう言ってロゼッタはティノの肩の上に頭をあずけ、すやすやと寝息を立て始めた。
「お、おい」
ティノは困った。これから先のことを考えなければならない。
ここがどこなのかまったく分からないが、とても巨大な遺跡であることは分かる。これだけ特徴的ならばネロ爺さんも知っているはずだ。
捜索隊が探しにくるとすれば、きっとこの場所にも訪れるに違いない。
帰り道が分からない以上、今はヘタにこの場所を動かない方がいいだろう。
壁孔から差し込む光が黄昏てきた。間もなくここも日が落ちる。
当面は夜露を凌げるし、飲み水もあるが、問題は食料だ。何か食えるものを探さないと……。
見ればティノは仕事道具どころか何も持ってきていない。フラフラと無意識に彷徨ってきたのだから、当然といえば当然なのだが。
仕方がないとはいえ、ティノは自分の愚かっぷりを呪いたくなってきた。




