朝霧
―奥アゼル地方 聖地 キャンプ―
朝の肌寒さでくしゃみした。空が白みはじめていた。
「うえ〜、思ったより寒……」
カイトは熾になった炉の赤い炭をつつきながら、あたりを見回した。風音ひとつない静寂の空間一面にうっすらと白いもやがかかっている。
(どこだここ……)
などと一瞬の違和感を覚え、カイトは寝ぼけた頭を掻いた。「そうだ、ここ聖地だった」などと今更のように思い出す。
振り返って寝床をみるとティノがいない。
「んん〜? どこいったんだ?」
用を足しにでもいってるのかな。ぽっかりと消えた存在感にカイトはすこし胸騒ぎを覚えた。
女子の寝ている天幕に行く。
「お〜い朝だよ〜うっわ、ひっでぇ。野獣の檻か」
カイトは目を覆いたくなるような惨状に顔をしかめた。
ヴィヴィアンとルーシィの少しばかりの尊厳を守るため、カイトは静かに毛布を掛け直してやった。
女子寮という魅惑の花園に過度な夢は持たない方が身のためかもしれない。
天幕の中にはロゼッタの姿もなかった。
「あれ〜? ロゼッタもいない? ……ま、いいや。ビビ起きてー、朝だよー」
あまり気にせず、カイトはヴィヴィアンたちを起こすことにした。
「あ〜ん〜? こちとらね〜、商売あがったりなんれすよ〜」
「ビビちゃ〜、わかっれんすよ、わかっれんらから〜、グフフ」
トンチンカンな会話が成立している二人の頰をぺちぺち叩いて起こす。
「在庫もね〜、マンタンなんれすよぉ〜、パツパツれすよ〜」
「なんれもお見通しなんれすよ、ビビちゃ〜ゲフフ#、ルーシィはぁ〜ンモフ*&@」
ぜんぜん起きないので、草をちぎってこよりを作る。
鼻の穴に入れる。くるくる回す。
「へぶるわっしょい!」
「起きた? なんかさぁ、ティノとロゼッタが居ないんだけど。知らない?」
「……? ……??」
「知らんよねぇ」
寝ぼすけヴィヴィアンを放っておいて、同じ手でルーシィも起こす。
鼻の穴に入れる。くるくる回す。
「へ〜んちゅ〜ん!」
「おきた? ルーシィ」
「あ〜い〜」
周囲を軽く探したがティノとロゼッタはいない。忽然と姿を消してしまっていた。
目が覚めて、ようやく状況がわかってきたヴィヴィアンはぶるぶる体が震えた。
「ま……まさか……、二人でか、か、かか、掛け、かけお……、お、おちおち」
「おちつけ」
二人は一体どこに行ってしまったのだろう。
昨夜は疲れ果ててダウンしてしまったので、みんなその後のことを覚えていない。
騒いでも状況は好転しない。カイトは落ち着いて動いた。
「おはようございま〜す」
岩窟に声をかけてネロ爺さんが出てくるのを待ち、二人が居なくなっていることを伝えた。
「わしも知らんがな……。いや、そうか。行ってしもうたか」
ネロは遠い目をした。
老人の妙な反応にカイトは怪訝な顔をした。
「ネロさん、何か心当たりあるんですか?」
「いや、もしかしたらぼんずは本物かもしれん、と思うてな」
「……ネロさん、やっぱりティノには、何かあるんですか?」
ウン、とネロはうなずく。
ネロ爺さんはすでに熾火になった炉の前に来てどかっと腰を下ろした。
「ぼんずは毎日、夢を見るというとったな。アゼルの残した伝承によると、ありゃ預言の子かもしれん」
「預言の子?」
「竜の封印から七百年後の未来にな、竜の魂を継承する運命の子が現れるという、アゼルの預言よ」
「竜の魂を継承? ……ティノが?」
「ぼんずが本物なら、ついに召喚されたのやもしれんと思うてのォ」
「おじいちゃん、昨日はそんなこと言ってなかったじゃない!」
ヴィヴィアンに責められてネロは困った顔をした。
「ウウム。本人を前にしてそんなこと言えるかい。それにあの子が本物なんなら、どのみち預言から逃れることはできん」
ティノが眠っていた場所を確認した。
荷物がそのままにされている。山刀も弓矢もそのままだ。ティノは何も持たずに出て行ってしまったのだ。
「あきらかに様子がおかしい。ティノが全部の荷物置いてくなんて……」
荷物がなければそんなに遠くへは行けないハズだ。
しかし道もわからぬ荒野に手ぶらで出て行くのは危険すぎる。野垂れ死んでしまうこともありうる。
昨夜眠りについたあとで、ティノの夢の中でなにかが起こったのかもしれない。
ティノは本当に、召喚されてしまったということだろうか。
「おじいちゃん〜、ロゼッちゃんは〜、ティノちゃんと駆け落ちしたの〜?」
駆け落ちと聞いてヴィヴィアンが非常に険しい顔をしている。
「あの娘はぼんずが動き出したのを見かけて付いてったんじゃろ。あの嬢ちゃんも竜魂石を探しとる。ぼんずが鍵だと思うとるんよ」
カイトたちはキャンプのまわりで残った手掛かりを探した。
「ロゼッタのバッグは見当たらないわ。やっぱりティノを追いかけてったのかしら」
「にしてもよく起きられたなぁ。昨日はみんなヘトヘトだったろうに」
「あっ、でも〜」
ルーシィが寝床であるものを拾い上げた。ロゼッタの眼鏡だ。
「メガネ〜!」
「それ忘れちゃって、あの子大丈夫なのかしら?」
ロゼッタはよほど慌てていたのだろうか。肌身離さず持っていたはずの眼鏡を置いていったのだ。
「でも、たしかダテ眼鏡だよそれ」
「そうなの? んまぁ貴族ってオシャレさんなのねぇ」
ヴィヴィアンはロゼッタの眼鏡をかけてみる。これはこれでヴィヴィアンも意外と似合ってるのだった。
「ビビちゃ、かわい〜」
「あらそう? あ、ホントだ、全然度が入ってないわコレ。ん、暗い? ん? なに? そこに何かいる……」
唐突にヴィヴィアンが悲鳴をあげた。
「ひいっ、なにあいつ!」
「え!?」
いつの間にそこにいたのか。茂みの向こうに一人の男が突っ立っていた。
あの、不良のグリエンだった。
「なんであいつがここに!?」
「ネロさん気をつけて!」
「む? お、おう」
グリエンはその場所に突っ立ったまま、ふらふらと揺れている。
「あやつ、様子がおかしいぞぃ」
「ウ……ウウ……、オ……オンナ……」
グリエンは焦点の定まらぬ眼でヴィヴィアンのことを凝視している。
「や、やだ。やだぁ……」
ヴィヴィアンは怖くなってカイトの背中に抱きついた。
「ウ……、ウ……」
グリエンはしばらくその場にぼんやりと立っていたが、やがて後ずさりしはじめた。そして茂みの中に姿を消した。
ガサガサという、葉が擦れる音が遠ざかってゆく。
不良はいなくなってしまった。
「逃げた……?」
「奇妙な奴だのぉ」
「あいつ、グリエンっていう不良なんです。昨日、山で捕縛されて連行されたはずなのに、どうしてこんなところに……」
ヴィヴィアンは昨日の出来事がトラウマになっているのか、「コワイ! キモイ!」と本気で怖がっていた。
「あやつ、なにか幻惑術か操身術の類を掛けられとった。どこか別のところに術者がおるな」
「術者? それって……」
「何者かがこの聖地に入り込んだちゅうこっちゃ。こんな場所に来る目的は、おそらくあの嬢ちゃんと同じ。竜魂石を狙っとるのか……」
「ええ、そんなまさか」
「ぼんずは、だれか侵入者に心当たりはあるかぇ?」
「いえ、サッパリ……」
カイトは首を横に振る。ネロ爺さんはウームと唸ってしまった。
「考えられんことはないんよ。"アゼルの書の写し"は各地に伝わっとるでな。アゼルの預言を知った他の何者かが、この時期を見計らって探りを入れとったのやもしれん」
「うえぇ、考えすぎじゃ……」
とはいえ、目の前にただならぬ様子のグリエンが現れたのは紛れもない事実である。目的はどうあれ何者かが見えない所で不穏な動きをしているのは確かだ。
「ううう、あいつ仕返しにでも来たのかしら……」
「いや、偵察かそれとも……。お前らを見ておるぞ、とでも言いたげだったのぅ」
「……」
カイトは不安と恐怖につつまれたが、山頂での出来事を思い出して、身を奮い立たせた。ティノもロゼッタも居ない以上、ここで自分が縮こまるわけにはいかないのだ。
「カイちゃん! ティノちゃんとロゼっちゃんが心配〜!」
「そうだね、ルーシィ」
「ウン。おめーら支度して、今すぐぼんずと嬢ちゃんを追え」
「追えったって、どこに行けばいいの?」
「ウーン。ちょっと待っとれ、支度はじめとけ」
カイトとヴィヴィアンとルーシィの三人は大急ぎで出発の準備をはじめた。
ネロは岩窟に降りて行って、なにやら携えて持ってきた。
「ワシお手製の地図をやる。聖地の地図よ。ほいで、ぼんずが向かった場所は、おそらくここじゃ」
そう言って、紙の上に印をつけた。
聖地のほぼ中央である。
「ここは何があるの?」
「大昔、聖殿の乙女が祈りをささげておった、かつての《ミスラの聖殿》の遺跡よ。勘に頼るしかないが、ここしか見当がつかん」
「ミスラ聖殿……、やっぱりこの場所にあったんだね。でも昨日の話だと本当の目的地って……異世界なんだよね? 僕たちどうすればいいの?」
「ええか、ワシが言えるんはこれだけじゃ。あのぼんずが"本物"なら、間違いなく預言通りにコトが進む。だれがどんな邪魔しようがだ」
「ティノを見つけて、しっかり付いていけば異世界に行けるってこと?」
「……その通りよ。だが、しかしな、そっから先がどうなるかは誰にもわからん……」
つまり、僕たち次第ということか。
ネロはカイトの肩をガシッと掴んだ。
「おめーらは五人とも無事に帰らにゃいかん。絶対にだ! ぼんずとお嬢ちゃん見つけたらとっ捕まえて早う学院に帰れ! それが出来なんだら二度とぼんずと会えなくなる。それぐらいの覚悟をせい!」
「わ、わかりました!」
「絶対に二人を見つけるわ!」
「ルーシィ、覚悟した〜!」
ネロの激励は三人の心に響いたようだ。
出発の支度が整いつつあった。ネロは行き帰りの水と食料、雑貨を分けてくれた。
さらに原始人の棍棒みたいなごっつい松明を数本与えてくれた。このたいまつ棍棒は武器としても使えそうだ。
「おじいちゃん〜、スプリーさんも行きたいって〜」
「猫の勝手じゃ。好きにせぃ」
にゃーん。
「スプリーさ〜ん、よろしくね〜」
ヴィヴィアンがネロ爺さんの袖を引っ張る。
「おじいちゃんは来れないの?」
「すまんが、ワシはここを離れるわけにはいかん。今日にも学院の者がすっ飛んでくるじゃろうからな。危険を感じたらいつでもここに戻ってきてええ。道に迷ったら猫が知っとるからな」
ネロは三人の背中をばしっと叩いて喝を入れた。
「さあ行けぇ! 二人を連れて帰ってこいよォ!」
「はい、行ってきます!」
「行ってくるわ!」
「行って〜きま〜す」
にゃーん。
こうして三人と一匹は、居なくなってしまったティノとロゼッタを探す冒険の旅に再び出発するのであった。
東の稜線から太陽が姿を現した頃合いである。またしても慌ただしい出発だった。
10万字いっちまったねぇ。




