プロローグ 戦犯王子の息子
「爺さん、大丈夫か」
少年は尊大な物言いで倒れた老人に手を差し伸べた。
「少ないが、水と食料だ。バレないように口に含むといい」
少年が乾パンと水袋を周りの看守に見えないよう老人に手渡す。
老人はそんな少年に困惑しつつ尋ねる。
「そりゃ助かるが、お前さんは大丈夫なのかい?見たところ、俺っちよりも酷い有様だが」
生傷の絶えない身体、骨の浮いた脇腹、見たところ十歳にも満たないであろう少年の余りにも痛ましい姿は、同じく極限状態にある老人すら施しを受けるのを躊躇ってしまう程のものだった。
しかし、少年はニヤリと笑いながら不遜に言い放つ。
「誰を心配している。俺はアルス・フィアス様だぞ?民草は大人しく俺に心配されていろ」
☆
パシャリと、湯気の立つ紅茶が少年の顔にかけられる。
淹れられたばかりの、一口も口をつけていないそれをカップからぶちまけたのは、豪奢な服に身を包んだ女性だ。
「アルス、酷い紅茶だわ。淹れ直しなさい」
「これはおかしな事を、叔母殿は一口も飲んでおらぬ紅茶の味が分かるのですか」
「色で分かるわ。さあ、早く淹れなさい」
侍女たちの嘲笑、叔母の醜い笑み、アルスの味方はこの場に、否、この国には誰一人として居ない。
何故ならーー。
「全く、戦犯の息子は口だけは達者ね」
アルスの父親はフィアス帝国の第一王子だった。
次期国王として期待されていた彼は、しかし、とある戦争において独断先行の挙句に失踪、戦争自体には勝利したものの、軍に甚大な被害を与えた特一級戦犯として指名手配され、今もなおその姿を隠している。
失踪の際に妻と娘は共に失踪したのだが、隣国であるヴァレディア公国に留学していたアルスだけはフィアス帝国に取り残された。
そして、戦犯の唯一の関係者であるアルスは元第一王子の息子であるにも関わらず、奴隷にも近い身分に貶められていた。
「これも駄目ね、酷い香りと味だわ」
紅茶が再び顔に掛けられる。
叔母の希望で酷く熱せられたそれを何度も顔に掛けられ、既に少年の顔は火傷で爛れ始めていたが、当然ながら治療をしてくれる者はおらず、目の前の叔母を満足させぬ限りは自分で治療する事すら許されない。
こんな無意味な事が既に一週間は続いている。毎日毎日、ただひたすらにアルスを痛めつけ、辱める叔母の遊び、普通ならば心が折れるか、幼い身体が限界を迎えていただろう。
だが、アルスは普通では無かった。
「成る程、叔母殿は随分と面白い生態をなさっているようだ」
「何?」
「口すらつけずに味が分かるとは、肌か何処かに味覚があるのでしょう?流石は我が父の補欠が選んだ女性なだけはありますね。中々面白い身体をなさっている」
「貴様、余程、地下牢にぶち込まれたいようだな」
「さて、俺は素直な感想を言っただけですがね」
その直後、城全体に響き渡ったのではないかという程の声でアルスの地下牢行きが決定された。