誕生
秋が深みを増し、山の木々に灯った燃えるような赤い葉が冬の訪れを予感させるようにひらひらと散り始める頃になっても、その幼子を探してお爺さんとお婆さんの家を訪れる者は一人もいなかった。お爺さんは時々仕事帰りに商店などに出向き、そこの店主に幼子を探す親などがいないか尋ねたりしてみたが、誰一人としてそのような話を聞いたという者はいなかった。お婆さんもお爺さんと同じく、川沿いに洗濯をしにやって来る女性達の噂話に耳を傾けたものの、姿を消してしまった幼子の話を聞くことはついぞやなく、季節は冬を迎えようとしていた。
「婆さんや、今帰ったぞ。」
お爺さんは背負った籠を戸の横に置き、囲炉裏の横に座るお婆さんに向かって首を横に振った。
「そうかい、今日も見つからんかったか……。」
お婆さんは腕の中に眠る幼子に目線を落とし、憐れむようにその寝顔を見つめた。
「この子がうちに来てからもう二月になるのう。病気になる様子もなく、すくすく大きく育っていってくれているのはいいんじゃが。」
お爺さんは草鞋を脱ぎ居間に上がり、お婆さんの横に腰を下ろした。
お爺さんはお婆さんの腕の中の幼子に物憂げながらも優しい笑顔を向けた。暫しの後、お爺さんは思い立ったようにお婆さんに話し始めた。
「婆さんや、よく言うじゃろ、捨て子は野犬に食われてしまうってのう。もしそれが本当なのだとしたら、この子は親にそれを望まれてこの近辺に置き去りにされたのかもしれん。この大きくはない集落の中を、これだけ色々な場所で聞き込みを続けても一向に親が見つからんなんぞおかしな話だとは思わんかのう。」
「爺さんや、もしかするとこの子は意図的に捨てられた、と言いたいのかの。」
「……ああ、残念な話ではあるがのう。鬼への供物の献上でこうも集落が貧しくなるとな、子を持つ責任を果たすことができぬ親が現れたとしてもちいとも不思議なことじゃあない。」
お婆さんは幸せそうに眠る幼子を胸に引き寄せた。
「それにの、婆さん。このように小さな幼子は、例え親が少しの間目を離してしまってものう、見失ってしまう程遠くへ行ってしまうことなど到底ないじゃろ。仮に少し油断した隙にこの子を見失ってしまったとしてものう、必死に辺りを探し回ると思うんじゃ。婆さんもそう思わんか?もう冬が迫っているというのにいなくなった我が子を必死に探す親の話を耳にすることもないじゃろ。つまりな、そういうことなんじゃあないかと儂は思うんじゃ。」
子を持つことのなかったお婆さんにも、貧しい暮らしに苦しんでいるからといって子を捨てるような親の気持ちが到底理解できなかった。幸せそうに眠る顔を見るだけで心が暖かく包まれるような優しい気持ちにしてくれるその幼子を捨てようなどという親が存在することが信じられないと同時に、決して許すことができなかった。
「爺さんや、この子は儂らが責任を持って育てましょう。」
お婆さんの顔には母親の持つ強さを思わせる精悍さが漲っていた。その表情を目にしたお爺さんは、コクリと首を縦に振った。
「儂はな、婆さんが言っていたように昔から子を望んでおった。じゃがな、その理由は不埒なものじゃったのかもしれん。歳を取った後に頼れる者が、儂が幸せを感じる糧となる存在が、ただ欲しかっただけじゃったのかもしれん。じゃが今は違う。この子の顔を見ているとな、ただただ幸せになってほしいと感じるんじゃ。誰の為でもなく、この子自身の為に、幸福に満ちた人生を歩んでもらいたいと思うんじゃ。儂らは親になったことがないから分からんがのう、もしかしたら儂らの親もこのような気持ちで儂らのことを育てていたのかもしれんのう。」
お婆さんはその言葉を聞き、お爺さんに起きた気持ちの変化が、自分の中でも起きていたことに気が付いた。
「爺さんや、儂も爺さんと同じ気持ちじゃよ。皆よりも少し遅くなってはしまったがのう、儂らもこの子と過ごす中で、気持ちの上では親になれたのかもしれんのう。」
お爺さんは優しく微笑んだ。
「婆さんや、老い先長くはない儂らの人生じゃがな、この子の為に生きてみる、というのはどうじゃろうか。」
「そうじゃのう、そうしてみるかのう。そうと決まれば名前を付けてやらねばいかんのう。」
お婆さんはその幼子を初めて寝かしつけた日のことを思い出した。
「爺さんや、桃太郎なんて名前はどうじゃろうか。桃から生まれたわけではないじゃろうが、この名前ならばこの子と初めて出会った日のことを忘れることはないと思うんじゃ。」
「いいじゃないか、婆さんや!おい、桃太郎、お前は今日からうちの子じゃ!すくすくと、強く、そして優しく育つんじゃぞ。」
お爺さんは桃太郎の柔らかい頰を愛おしげに指でつついた。