二人
家に着くと、お爺さんは建て付けの悪い戸の横にそれを置き、お婆さんは土間よりも一段高くなった床のへりに腰を下ろした。
「婆さんや、疲れたろう。少し横になって休むといい。」
お爺さんはそう言うと、土間の隅に置かれた米びつの蓋を開けた。
「ありがとの、爺さんや。そういえば朝食がまだじゃったのう。」
「歩き疲れて腹も減ったろう。朝飯の準備も儂がするから、ちょいと待っておれ。」
お婆さんはお爺さんが慣れない手つきで米を研ぐ姿を見て、二人で暮らし始めた頃のことを思い出し、懐かしさと切なさに身を包まれた。
「爺さんや。爺さんは昔から儂が疲れていたり落ち込んでいたりすると、そうやって優しく気を遣ってくれたじゃろ。それなのに、こうやって子も産めずに年を取ってからも不自由をさせることばかりで、本当にすまんのう。」
お爺さんは何も言わずに研ぎ終わった米を囲炉裏に置き、薪に火を着けた。
「爺さんは若い頃はよく、子どもができたら強く優しく育って欲しいと言っていたじゃろ。それなのに……。」
「ええんじゃよ、婆さん。儂はこうやって婆さんと二人で暮らしてこられて、十分幸せじゃ。確かにの、子を持てばそれはそれは大きな喜びを感じられたかもしれないし、こうやって二人で細々と暮らすこともなかったかもしれない。けれどもな、婆さんや。儂らは子がいない分だけ二人の時間を持つことができたじゃろ。儂はそれが嬉しいんじゃ。」
鳥のさえずりと薪の火がパチパチと弾ける音だけが狭い家の中に響いていた。暫しの沈黙の後、鍋の蓋がカタカタと音を上げ始めると、お爺さんは鍋を火から下ろした。
――ゴソゴソ。
「……ッ!??」
お爺さんは家の中を見渡した。
「なんじゃ、今の音は……? 誰か居るのか!?」
――ゴソゴソ。
お婆さんは得体の知れないその物音に、恐怖で顔を青ざめさせていた。お爺さんは床のへりに置かれた、お婆さんが杖の代わりに使っていた長い棒を手に取ると、土間に降りゆっくりと戸ににじり寄っていった。
――ゴソゴソ。
戸に近づくに連れて鮮明さを増すその物音は、お爺さんの脚をガタガタと震わせた。お爺さんの脳裏には、昨晩お婆さんが話していた街々を襲う鬼の手下の姿が浮かんでいた。戸の前まで辿り着いたお爺さんは恐怖に身を竦め立ち尽くしながらも、意を決して一思いに戸を開けた。
戸の外には誰もおらず、過ぎ去った夏を感じさせる爽やかな風がそよいでいた。お爺さんは大きく息を吐き、手に持っていた棒を力無く土間の床に落とした。
――ゴソゴソ。
一度安堵に身を包まれたお爺さんの心にはある種の隙ができており、依然続くその物音は、あたかも無防備な背中を突如切りつけられるような避けようのない恐怖の中にお爺さんを引き摺り下ろした。